« 薬師温泉・旅籠その2 内湯 | Main | 釜めし御膳横川 »

鹿沢温泉・紅葉館

 鹿沢温泉・紅葉館(嬬恋村大字田代681、0279・98・0421)の日帰り受け付け時間は午前10時から午後4時まで。「午後3時までに着かないと入れませんか」。電話をすると、「だいたい4時ということで何時でもいいですよ」。これまでの時間厳守を強調する秘湯の宿とは対照的なおおらかな対応だった。受け付け時間が長い旅館だったので、4軒目の秘湯旅館めぐりも実現した。
  現在の紅葉館のパンフレットには周辺の散策コースなどの案内のみで、歴史などには一切触れていない。けれども、JRの駅名が「万座・鹿沢口」となっているように万座とも並ぶ由緒のある温泉だ。
 明治2年に創業したという。やがて旅館や学校が計22軒立ち並ぶまでに発展したが、大正7年の火災で全戸が燃えてしまい、与謝野晶子や若山牧水をはじめ、さまざまな文人が訪れた際の歴史的資料などはすべて消失したという。現在は新鹿沢温泉ができたが、古くからの場所で営業しているのは紅葉館のみだ。
 階下の温泉「雲井の湯」は趣がある。炭酸水素塩泉で湧出地の泉温は44.5℃。完全放流式、加水・加温なし。温泉は一流だ。
 写真奥が源泉「籠宮の湯のかけ湯、うたせ湯」(35℃)、右にあるのが天水(6.2℃)。足にかけてリフレッシュ。手前が源泉「雲井の湯」。
 鹿沢は、日本で初めてスキー場がオープンした場所で、天皇陛下も訪れたと言う。
 「雪山讃歌」が書かれた場所としても有名だ。1926年、京都帝国大学山岳部の一行が吹雪のために鹿沢温泉の宿から出られなくなり、退屈しのぎにアメリカ民謡「いとしのクレメンタイン」のメロディーにのせて合唱したというのが「雪山讃歌」誕生の逸話だ。

雪山讃歌 作詞:西堀栄三郎
(アメリカ民謡)

雪よ岩よ われらが宿り
俺達ゃ 町には住めないからに

シールはずして パイプの煙
かがやく尾根に春風そよぐ

煙い小屋でも 黄金御殿
早く行こうよ 谷間の小屋へ

テントの中でも 月見はできる
雨が降ったら 濡れればいいさ

吹雪の日には 本当に辛い
ビッケル握る 手がこごえるよ

荒れて狂うは吹雪か雪崩
俺達ゃそんなもの 恐れはせぬぞ

雲の間に間に きらきら光る
明日はのぼろうよ あの頂に

朝日に輝く 新雪ふんで
今日も行こうよ あの山こえて

山よさよなら ご機嫌よろしゅう
また来る時にも 笑っておくれ

 鹿沢温泉の由来については旅館の向いに説明書きがあった。

 鹿沢温泉の由来
鹿沢温泉の歴史は古く元禄年間(1700年頃)まで溯り公文書によると「上州吾妻郡大笹田代両村地内出湯信州小県郡根津村支配云々」とあって上野国と信州国に跨り上州・信州で多く利用された事を物語っている。温泉の名称の「かざわ」については「祢津山の湯」とも「加沢湯」とも呼ばれ手負いの鹿が湯治したというところからこの名称が発生したという伝説もあるが、東部町加沢の向背地である山の湯であるところから「加沢湯」となった説とも考えられるが定かではない。鹿沢温泉と鹿の湯治の伝説は伝説として川端童子の霊泉由来という名作を生んだとも伝えられている。この絵には三幅対で左には衣を脱ぎ掛け肩から外してまさに入浴しようとする奈良朝風の美人が、中央は岩の上にもうもうたる湯気の中に立つ石燈籠を、右には一頭の鹿が人間のために傷つけられ、それを大自然の恵む霊泉によって癒す図で有る。いうまでもなく日本武尊の東征の時に、この山中で一頭の白鹿を見つけ、これを目がけて放った矢のために白鹿は傷つき、そのまま姿を消したがその後を追って行くと。この谷間の湯気の立ち昇る中で白鹿がじっと傷を癒していたという伝説を思い浮かべ画題にしたのである。
鹿沢温泉は加沢郷薬湯縁起に「諸病を治する名湯たり云々」と有り、まさしく名湯なり、泉質は炭酸水素泉で効能は慢性皮膚病・切り傷・やけど・冷え性・神経痛などに効くとされています。
群馬・長野はもとより全国からも多くのご利用者が訪れる。
5g8dvc00036_i.jpg

| |

« 薬師温泉・旅籠その2 内湯 | Main | 釜めし御膳横川 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 鹿沢温泉・紅葉館:

« 薬師温泉・旅籠その2 内湯 | Main | 釜めし御膳横川 »