前橋文学館その1
群馬県に来て、訪ねていないのが文学館や郷土資料館。温泉、音楽、美術などは頭を使わなくても済む(正確には右脳を使っているのだろう)が、文学館は資料を読まなければならないから、頭(普段よく使っている左脳)を使わなければならない。仕事を離れたら、頭は使いたくないと思っていた。
そんなわけで広瀬川沿いにある萩原朔太郎などの資料を展示する前橋文学館(群馬県前橋市千代田町3-12-10、027・235・8011)は、昨年、桜が満開の時に近くまで行ったものの、中に入らなかった。
しかし、そろそろ中に入ってもいいかな、と思った。朔太郎に関心がないわけではないからだ(朔詩舎もなかなか良い)。
前橋文学館は1993年に前橋市の市制100年の記念事業として建設された。中心となるのが前橋市出身の萩原朔太郎の資料の展示。市立図書館に保存されていた萩原朔太郎の資料を持ってきて公開した。現在、8000点の資料があるという。
朔太郎は高校時代に文庫を買ってから読んでいなかったが、文学館に行く前に作品を読んだほうが良いと考え、昨年春、古い文庫を本棚から探し出した。黄ばんだ文庫。代表作の「月に吠える」のいくつかの詩に鉛筆で線が引いてあったりする。たぶん試験勉強で読んだのだろう。
少しずつ読み進めた。半分くらい読み終わったところだ。
都会を愛し、田舎を毛嫌いする。朔太郎は裕福な開業医の息子。茶店に行ったり、音楽を楽しむなど、今の若者にとっては当たり前のことをしていたのだが、当時は道楽息子のように見られていたようで、地元では相当浮いた存在だったようだ。
だから、口語自由詩を確立した巨人でも、前橋は朔太郎に冷たい。生家跡にはマンションが建てられている。この場所が朔太郎の生家であることを示す案内板があるだけで、ほとんど気づく人はいない。
北原白秋などは温泉好きで、群馬県各地で詩を残している。だから各地で愛されている。しかし、朔太郎の「月に吠える」などは、本人は叙情詩などと言っているものの、田舎とは相容れない、鋭い観念的な詩だ。
竹とその哀傷
地面の底の病氣の顔
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の莖が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらかつてゐる、
かずしれぬ髮の毛がふるえ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え、
じつに、じつに、あはれふかげに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。
まあ、地方では変人と思われても仕方がないか(笑)。
前橋文学館は午前9時半から午後5時まで、月曜休館。観覧料は大人400円。
入ってみると、予想外に面白かった。
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