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大洗ゴルフ倶楽部(茨城県大洗町)

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 名門、大洗ゴルフ倶楽部(茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8231-1、029・266・1234)でラウンドした。同じ会社で水戸に勤務するH君らと回った。
 ホームページに紹介されている沿革を要約すると――。
 1950年代初頭、当時茨城県知事の友末洋治氏は、磯節でその名を知られる景勝の地大洗を、夏場以外も活性化するにはどうすればよいか腐心していた。霞ヶ関カンツリー倶楽部のメンバーだった友末氏は、戦後の混乱からようやく立ち直り少しずつゴルフ愛好家が増えてきたことに着目、ここにゴルフ場を造って地域振興と自然環境の保全を同時に図れないかと考えた。早速、町長をはじめ町の議員や有力者の同意を取りつけ、また資金面では、友末氏自らが先頭に立ち、日立製作所や中央財界で活躍している県出身者などを訪ね、精力的に協力を依頼して回った。
  コースの造成は、霞ヶ関CCの創設者で当時コース設計の権威者だった藤田欽哉氏に相談を持ち込んだ。友末氏は、当時藤田氏の片腕といわれていた井上誠一氏を紹介され、2人の交流はここから始まった。
 現地に案内された井上氏は厳しい戦禍を受けた日本にあって昔の姿を留めている黒松群の景観に深く感動、この地にわが国屈指のシーサイドコースを造ることに意欲をみせ快く承諾した。
  レイアウトをする際の条件は、観光や漁業の振興を担う松林の保存。これを基本に、自然の地形を生かして人工的な気分を与えず、砂丘と松林だけのもっとも素朴な組み合わせでコースの戦略性を発揮させる。つまり、バンカーや池などにあまり頼らず、天空を吹きぬける風や密生した松の木、砂丘のアンジュレーションといった自然体をハザードとし、松を基調にしたいわば東洋のワビ、素朴な美を強調するものであった。
  経営母体の(株)水戸カンツリー倶楽部が1952年9月、授権資本金1億円で設立され、これを以ってコース造成に着手。以来井上氏は現地に泊まり込んで指揮を執った。一方、会社発足に伴い翌年5月には、友末氏が自らキャプテンに就くなど倶楽部役員の陣容も整い、同年10月、当時国内でもせいぜい二十数コースしかなかったチャンピオンシップコースの1つが登場することになる。
 当初、年に1万人台だった来場者は、1950年代の後半になると、常に4万人前後にまでに急増する。
  その後、2度のオイルショック時にはかなりダメージは受けたものの回復、来場者は年間5万人台後半から最高6万人を超えたことさえあった。
 大洗ゴルフ倶楽部には、直径30cm以上の松が約2万5千本、うち樹齢百年にも達しようかという巨松は千数百本に及ぶ。
 プロのトーナメントもしばしば開かれる。

 OB杭はないのだが、フェアウエーは広くなく正確なショットが要求される。松林に入ると横に出さないとほぼ出ない。ところどころで松林に邪魔され、スコアは大きく乱れた。
 以前バックティーだった青杭がレギュラーティーになったのも難易度の高い理由だ。
 スコアは無残。練習もしないでスタートしたのもまずかった。
 でも、さすが名門コース。楽しかった。
 近いうちにリベンジしたい。
 
 イン(パー544435344、3391ヤード)スタート。スコアは+2+2+4+1+3+3+2+2+3=+22の58。
 アウト(パー454344534、3296ヤード)が+5+8+0+2+3+2+2+3+4=+29の65。計123。
 インのパット数は222243222。アウトのパット数は211212323。


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