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笠懸野岩宿文化資料館(笠懸町)

 群馬県立歴史博物館に行って、岩宿遺跡を見たいと思った。岩宿遺跡の近くには笠懸野岩宿文化資料館(笠懸町阿左美1790‐1、0277・76・1701)もある。まず、資料館に行った。
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 資料館の展示の仕方や全体のデザインを担当したのは空環計画研究所の田中俊行氏。群馬県の建築物は著名な建築家、デザイナーが関わっているものが多い。
 建物は「3万年前の岩宿旧石器人が飛ぶ鳥をめがけて投じた黒曜石のせん頭器が、時空を漂い巨大いん石となって笠懸野岩宿に落下してきたというメタファー」と田中氏は述べている。
 列柱は付近の遺跡を表現。階段からエントランスに向かって下っていく構造も遺跡を探索する雰囲気を醸し出している。
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 中に入るとマンモスの骨格標本模型がある。岩宿人が暮らした時代の獲物だ。
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 第2次世界大戦の頃まで、考古学者は、発掘を進めて赤土(関東ローム層)が出ると、それ以上掘ることはなかったという。赤土は火山灰が堆積したもの。火山活動が活発だった時代に人は住めなかったと考えられていたのだ。この考古学の常識を覆し、日本にも旧石器時代の文化が存在したことをはじめて明らかにしたのが、岩宿遺跡だ。
 岩宿遺跡は、群馬県新田郡笠懸町阿左美地内の琴平山・稲荷山という小さな丘陵が接する部分に位置している。1946年、切り通しの道となっていたこの部分を通りかかった相澤忠洋さんが、切り通しで露出していた赤土から、石器を発見。その後も、何度となくその崖を調査し、赤土の中から次々に石器を見つけた。そして1949年の夏、ついに誰が見ても疑いようのない石器を発見し、相澤さんと明治大学が発掘調査をすることになった。調査によって、層を違えて2つの石器群が発見され、少なくとも約3万年前(岩宿I石器文化)と約2万年前(岩宿II石器文化)の時期があることがわかった。
 上の写真は岩宿Ⅰ石器文化の石器(約3万年前)。
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 上の写真は岩宿Ⅱ石器文化の石器(約2万年前)。
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 館では全国の遺跡から出た石器を展示している。
 石器は木や骨の柄に付けて使われていたというが、赤土は酸性のため、木は残っていない。そこで館では柄を付けて展示。当時、石器が使われていた状態を再現している。
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 近くの岩宿遺跡に行ってみた。記念碑しか残っていなかった。
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 近くにある岩宿ドームが、発掘現場の様子を再現している。

 開館時間は午前9時半から午後5時まで。月曜と年末年始休館。入館料は大人300円。
 小学生の団体などに対しては石器製作の体験も受け付けている。その場で依頼はできないが、事前に申し込み、けがをしないような準備(服装など)をしていけば、大人でも石器作り体験ができるという。

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