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史跡金山城跡(太田市)

 史跡金山城跡に行った。金山城は、標高235.8mの金山山頂の実城(みじょう)を中心に、四方に延びる尾根上を造成、曲輪とし、これを堀切・土塁などで固く守った戦国時代の山城。
 車を降りて15分ほどで山頂に行ける。
 説明書きには次のような解説があった。
 金山城跡は、岩松(新田)家純が文明元年(1469)に築城したものが基礎となっています。その後、下剋上によって実質的な城主となった横瀬氏改め由良氏の時代に全盛となりました。上杉氏、武田氏、小田原北条氏、佐竹氏など戦国時代の雄に取り囲まれた中、その攻略によく耐え抜いてきましたが、天正12年(1584)、小田原北条氏に捕われの身となった城主由良国繁と、その弟長尾顕長(あきなが、館林城主)の帰還を条件に開城し、小田原北条氏の家臣が城番として配置されました。
 天正18年(1590)小田原北条氏の滅亡と共に廃城となりました。
 江戸時代には金山「御林」として徳川幕府直轄地となり、現在に良好な遺跡遺構を遺す結果となっています。
 昭和9年(1934)には、歴史的価値の高さと遺構の残存状況が良好なことから、県内では初の城跡として「史跡」の指定を受けました。廃城後約400年を経過し、遺構の多くが樹木や竹・下草で覆われ、城の面影は失われていましたが、調査の結果、大規模かつ複雑な虎口形態を持っていたことや、さらに、曲輪斜面の石垣、石敷通路や土塁石垣など、随所に石を多用している山城であったことが明らかとなって来ました。往時(中世末)における関東の山城としては、きわめてめずらしい「石垣の城」という様相が明らかとなりつつあります。
 太田市では、この貴重な文化遺産を護り、難攻不落の堅固な金山城の姿を可能な限り再現し、市民の「憩いの場」「歴史学習の場」として広く活用されることを願っております。
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 山の尾根筋を意図的に分断し、敵の侵攻を防ぐための「堀切」
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 あちこちに堀切があった。
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 石垣や石敷きを多用。
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 物見台。
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 太田市役所も見える。
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 頂上に向かう道。当時の面影を(たぶん)上手に再現している。
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 日ノ池。15m×16.5mのほぼ円形の池。山の上ではまれな大池であり、金山城における象徴的な場所の一つ。単に生活用水を確保した場所ではなく、戦勝や雨乞などの祈願を行った儀式の場所であったと考えられている。
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 頂上でもゆっくり展望を喜しむ人たちが数多くいた。
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 なぜか富士重工業の前身、中島飛行機の中島知久平氏の銅像もあった。
 山城はほとんど往時の模様を再現したものだが、それでも十分見ごたえがあった。太田に来たらまず訪ねたい観光地だ。

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