大洞赤城神社(群馬県富士見村)
久しぶりの山歩き。高速道路が事故渋滞で前橋市に着くのが遅れたが、すぐに山登りの師匠、Mさんのクルマに乗り換えて赤城山・大沼に向かった。午前9時前に到着。大沼は霧に覆われていた。
大沼の小鳥ヶ島に赤城神社がある。黒檜山に登る前に参拝することにした。冷気漂う神々しい雰囲気。榛名神社を初めて訪ねたときも同じような天候だった。
赤城神社は前橋市三夜沢町114にもある。
橋を渡ると―。
鳥居がある。
現在の社殿は1970年に再建されたものだ。
赤城大明神を祭っており、大同元年(806年)、神庫山(後の地蔵岳)中腹より大沼の南の畔に遷座したという。その年号に因み、神社周辺を大洞と呼ぶ。
神社に詳しい玄松子の記憶というホームページに、赤城大明神にかかわる説話が載っていたので引用する。
『神道集』に、赤城大明神に関して幾つかの説話が記載されている。
上野国に流されていた高野辺の大将家成には、
三人の娘と一人の息子がいた。
息子は、母方の祖父を頼って、都へ上り仕官していた。
大将の奥方が亡くなり、信濃から後妻を迎えた。
罪を許された大将は、上野国司に任命され、任地へ向かう。
三人の娘は、それぞれの乳母の元で成長。
継母は、三人の娘を疎ましく思い、殺害を計画。
弟の更科次郎兼光をそそのかす。
兼光は、まず姉姫である淵名姫を、淵に沈めて殺してしまう。
次女の赤城姫は、赤城山に逃げ込み、赤城の沼の龍神に助けられ、
その後を継いで、赤城大明神となる。
末の伊香保姫は、伊香保太夫の居城に護られる。
事件を知った、大将家成は、慌てて戻り、
淵名姫の無くなった淵で、神となった淵名姫と再会。
その後、淵に入水してしまう。
都で出世していた息子は、軍勢を率いて戻り、兼光を殺し、
継母らを捕らえるが、仮にも一時は母であったという理由で、
殺さずに、継母の出身地・信濃へ追放する。
信濃へ戻った継母は、甥を頼るが、甥に捨てられ死んでしまう。
この、甥が叔母である継母を捨てた山が、姥捨山。
事件を収拾させた息子は、淵名姫の死んだ淵に社を立てる。
また、大沼の畔で、一羽の鴨の羽に乗った、
神となった淵名姫と赤城姫と再会。
その鴨が、大沼に留まり、島となったのが、現在地である小鳥ケ島。
その後、社を立てて祭り、小沼の近くに三日間滞在。
その地を、三夜沢という。
沼の周辺の山々はすでに紅葉していた。
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