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久しぶりの伊香保。伊香保温泉まとめ

 桐生で花見や美術館鑑賞をした後、赤城山の南面を通って伊香保に向かった。
 夕方に伊香保に着いた。久しぶりの石段街。懐かしい。雨が降り始めていて、人通りは少なかった。
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 伊香保温泉は群馬県に赴任して最初に入った温泉だ。2004年に「温泉」と虚偽表示をして水道水のお風呂をお客に提供していた旅館が伊香保にあることがわかり、大騒ぎになった。
 しかし、最初に入った岸権旅館のお湯は本物だった。
 岸権旅館に「源泉から伊香保神社を通り、石段下を流れた湯を引いており、温泉を水で薄めたり、循環したりは一切していない」という説明をそのとき聞いた。その年の夏に温泉の虚偽表示問題がクローズアップされることは予想もせず、この「ぐんぐんぐんま」に岸権旅館から聞いた説明を書いたが、これは後々役に立った。「完全掛け流し」という言葉もこの時に初めて聞いた。
 次に入ったのは伊香保ガーデン。今は「塚越屋七兵衛」に名前を変えている。ぐんぐんぐんまの写真で紹介した檜露天風呂「星月の湯」は温泉ではないが、「ほととぎすの湯」は伊香保独特の黄金(こがね)色の湯だ。
 伊香保の伝統的ないわゆる「黄金の湯」は小間口権者組合が管理している。塚越屋も小間口権者組合の旅館の一つ。小間口については小間口権者組合のホームページを参照。 
 しかし、伊香保地区の旅館すべてに行き渡るほど黄金の湯は湧き出ていない。そこで白銀(しろがね)の湯といわれるメタケイ酸含有泉を引いている旅館も多い。オーモリお宿玉樹(黄金の湯も引いた)などだ。ただ、伊香保には黄金の湯の共同浴場(伊香保温泉露天風呂石段の湯)もあり、さらに共同湯が作られる計画もある。旅館はサービスの良いオーモリ、玉樹にして、共同湯で黄金の湯を楽しむという選択もある。
 伊香保には、かつて栄華を極めていたが、経営が悪化し、別の資本が経営権を握った旅館もある。その一つが、ひびき野。元町長が経営していた「さつき亭」が倒産。別の経営者が建物を修復して「ひびき野」としてオープンした。かつての高級旅館が手ごろな料金で泊まれるようになったため、お得かもしれない。
 もう一つが、伊香保グランドホテル。今はカラオケの歌広場を経営する会社が経営している。その日帰り施設、黄金の湯館は24時間営業だが、お湯自体は老舗の黄金の湯とは別物で、あまりお薦めできない。
 ホテル松本楼はぴのんという洋風旅館も経営している。お風呂は黄金の湯も引いている。洋風のぴのんに泊まったときは、お風呂は松本楼に行く。ぴのんにある洋食店「夢見亭」はおいしい。
 さて、この日、泊まったのは、千明仁泉亭。木造建築で、「田舎の実家に戻ったような感覚」(私の出身は東京だが)になる。
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 伊香保で山を持っている大地主は千明と木暮で、この二つの旅館が豊富な温泉の湯量を確保している。
 千明の温泉には群馬時代に何度も入った。今回もお湯が豊富な「仁の湯」「露天風呂」に入った。
 バーも一流。今回も伊香保をテーマにしたカクテルを飲んだ。
 広くて、さまざまなお風呂を満喫したい、というならばホテル木暮だろう。
 伊香保温泉の伝統的な湯「黄金(こがね)の湯」の湧出量の4分の1にあたる約1000リットルを使用。時間によって男女入れ替わる二つの大浴場はバラエティーに富む。「ゲルマニウム岩盤浴」なども楽しめる。

 伊香保は手軽に行けて、周辺の観光(例えば今回のように桐生まで足をのばす)もしやすい。
 伊香保には毎年泊まりたい。

 追記)伊香保については「伊香保温泉品質向上委員会」がまとめた「伊香保豆手帖」(200円)が詳しい。
 少し引用すると――。
 ■開湯伝説 
「黄金(こがね)の湯」と「白銀(しろがね)の湯」
伊香保の温泉は昔から名湯として知られていますが、その起源は、第11代垂仁天皇の時代に発見されたという説と、草津温泉と同じように行基によって見つけられたという説があります。どちらにしても、南北朝時代の書物にすでに温泉が湧き出ていると書かれているのですから、本当に古くからある温泉なのです。(中略)
伊香保には「黄金(こがね)の湯」と「白銀(しろがね)の湯」がありますが、もともと伊香保の温泉は、その色が特徴である「黄金(こがね)の湯」だけでした。黄金(こがね)の湯は、湯の中に含まれる鉄分が空気に触れて酸化し、独特の茶褐色になるため、黄金の湯と呼ばれたのです。この湯は刺激の少ない柔らかな湯で、身体を芯から温めて血行を促すので、特に女性には“子宝の湯”として喜ばれてきました。また病気やケガの療養にいいということで、昔から湯治場として人気を博していました。
「白銀(しろがね)の湯」は近年湧出が確認され、その温泉は1分間に110リットルという豊富な湧出量で、色が無色透明だったので、「白銀(しろがね)の湯」と名づけられたのです。この湯は病後の回復や疲労回復、健康増進に良い湯として知られています。(後略)
 ■湯と町の歩み
伊香保の湯の町は天正4年(1576年)、武田氏の配下にあった木暮氏ら七氏が傾斜地を利用して温泉街を形成したのが始まり。湯元から今の位置に集落を移して、温泉宿の経営を始めたのです。(後略)
 ■石段街にまつわるエピソード
●石段は全部で何段?
360段といわれている石段。石段は全部で315段ですが、神社に向かって登って行くと右側に37段の石段が並んでいます。合計すると全部で352段。切り上げて360段としたという説があります。

●竹久夢二と伊香保
退廃的ともいえる独特の雰囲気をもった美人画や叙情的な詩で、大正ロマンの旗手として一世を風靡した竹久夢二も伊香保を愛した一人。浴衣や半襟、手ぬぐいなど日常生活用品のデザインにも情熱を注ぎ、榛名湖畔にアトリエを構え、絵画や木工、陶芸、染色などを制作する美術研究所の設立を志したが、思い半ばで病に倒れた。
 ■伊香保はじめて物語
●茶褐色の温泉饅頭発祥の地
伊香保温泉の色を模して作られた温泉饅頭。伊香保では正式名は「湯の花まんじゅう」。伊香保の菓子職人が生み出した饅頭が全国に発信され、いまや全国の温泉で温泉饅頭が売られるようになりました。かつて伊香保には東京の菓子店「塩瀬」の支店があり、ここから育った職人が試行錯誤の末この温泉饅頭を作り出したと言われています。

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Comments

最低でした。
 K大丈に4/13泊まりましたが最低でした。
汚い不味いです。
7800円でも、これではダメです。

Posted by: こばりん | 2007.04.12 06:49 PM

 K太夫は老舗なのですが、私が群馬に赴任した2004年時点でかなり経営が悪化していて、まともなサービスができない旅館になっていました。伊香保の入り口のベルツの湯がK太夫の経営ですが、経営悪化で水道料金が払えず、当時の伊香保町に水道水を止められ、閉まったままです。K太夫はその後、伊香保グランドホテルの経営を引き継いだ企業に経営権を譲ったようですが、低価格路線になっただけで、根本は変わっていないのですね。あの旅館はやめましょう。

Posted by: フーテンの中 | 2007.04.12 09:59 PM

温泉はユルユルになりますねえ。なんだかとろけるようにのんびりしました。宿に滞在中は完全に思考停止していました。食事もほどよく、堪能しました。

Posted by: 賽目 | 2007.04.14 07:07 PM

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