国立新美術館(東京・六本木)でモディリアーニ展を観る
続いて、国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2)にモディリアーニ展を観に行った。
乃木坂駅で下車。駅と美術館は直結していた。
エレベーターとエスカレーターがある。
通路もアート。
美術館に入るといきなり巨大なコーヒーカップ。カフェが3つ、レストランが1つある。
展示室入り口。
面白い建物だと思うのだが、美術館のホームページを見ても、建物のデザインなどについてはほとんど触れていない。
国立新美術館Q&Aによると――。
Q1. この美術館は、いつ建てられたのですか。また、誰が設計したのですか?
A. 国立新美術館は、黒川紀章氏と日本設計の共同体による設計で、
東京大学生産技術研究所の跡地に、2002年の7月から2006年5月まで、3年半余りかけて建てられました。
地震対策や環境に配慮した構造になっています。
地下1階・地上4階の、この美術館の延べ床面積は約48.000 ㎡です。
とのことだ。あっさりとした説明だ。
今回のモディリアーニ展については、美術館のホームページの説明が分かりやすい。
20世紀初頭にパリのモンパルナスで活躍したアメデオ・モディリアーニ(1884-1920)は、エコール・ド・パリを代表する画家として知られています。しかし、モディリアーニが自らの創造の源泉として、原初的な力にあふれるアフリカやオセアニア、東南アジアなどの芸術に深い関心を寄せていたことは、あまり注目されてきませんでした。プリミティヴ美術(原始美術)の素朴で純粋な造形は、当時ピカソやマティス、ドランといった前衛的な芸術家たちが新しい表現を探求する過程で、重要な指針となりました。モディリアーニもまた、プリミティヴ美術を理知的に分析し、それを革新的な表現に結びつけた画家であったことが明らかになってきています。本展では、プリミティヴ美術の影響を色濃く示す初期のカリアティッドの作品群から独自の様式を確立した肖像画にいたるまで、幅広い作品を紹介し、プリミティヴィスムに根ざしたモディリアーニの芸術がいかなる変遷をとげたのかを探ります。 10カ国におよぶ国々から集められた作品を通して、前衛画家としてのモディリアーニの功績を一望できるまたとない機会となることでしょう。
個性的な肖像画が並ぶ。有名な画家だが、35歳の若さで亡くなったことは知らなかった。
妻、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像画だけが美しく、多様に描かれていたのが印象的だった。正直な画家だったのだろう。
国立新美術館が建設された経緯などは知らなかったが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』が詳しく書いていた。
公募団体主導の構想
この美術館の構想はそもそも、従来は公募展のために東京都美術館を使用してきた日展ほかさまざまな美術団体(公募団体)のあいだで、作品出展数に比して展示できる面積の狭い東京都美術館に対する不満と、新たな展示スペースへの要望が高まった結果生まれたものだった。
その際、都ではなく、国が全国的な美術団体のための展示スペースを整備すべきとの意見が出て、美術家や公募団体が文化庁や政党、各地方の国会議員に働きかけた結果、1995年以降、各公募団体の代表作家たちや美術評論家を中心に、国立の新美術展示場建設構想の調査がはじまる。場所は六本木の東京大学生産技術研究所(駒場に移転)の跡地があてられ、建設費は380億円を予定していた。当初はナショナル・ギャラリー(仮称)と呼ばれ、日本の芸術文化の育成・国際的な芸術情報発信拠点としての役割が期待されていた。活動内容は複数の公募展の同時並行開催と、新聞社などの主催の大規模企画展のための会場貸しとされ、美術品コレクションや学芸員は置かない方針だった。
批判
現在、日展はじめ公募団体は作家の技術を磨く場として機能してはいるが、世界の先端の美術(主に、ニューヨークを中心としてアメリカとヨーロッパなどの「アート・ワールド」から発信される現代美術)の動向と、日本の公募団体の作風や創作のバックとなる思想の有無には相当のずれが見られ、近年では公募団体から世界的に注目される作家は登場していない。このため、公募団体のための展示施設を充実させても、美術研究や美術ファンに資する展示や、国際的な情報発信は全く期待できないという批判があった。
また、施設利用料(現行の東京都美術館の、公募団体の払う使用料は比較的安い)が都美術館より高ければ団体はどこも使わず、かといって都美術館と同じ程度の使用料なら新美術館の巨額の建設費をまかなうことは何年かかっても不可能であろうという批判もある。公募団体に属さない作家からは、公募団体の政治家に対する影響力の強さを新美術館建設の真の理由と見て、税の無駄遣いとの声も上がった。
ほかに、そもそも公募団体側も国側も新美術館を通して何を実現したいのか、という展望や戦略がないまま、箱の建設のみを進めていたという、ハード面のみの重視に対する批判もある。これに関し、ナショナル・ギャラリーという名称になると、日本国外から来る観光客が、ワシントンD.C.のナショナルギャラリーやロンドンのナショナルギャラリーと同様の施設と勘違いして来館する恐れがあるという批判を受けて「ナショナル・ギャラリー(仮称)」の名称は無くなった。
ロンドンやワシントンのナショナル・ギャラリーは、貸し展示場という意味のギャラリーではなく、いずれも膨大な美術品を所蔵する国立美術館であり、研究員・展示技術者・修復技術者・外部教育担当者など有能なスタッフを抱えている。常設展だけで充実した内容を持つほか、コレクションと研究実績の力をバックに世界中から美術品を借り集めて、ある作家についての代表作のほぼ全てを集めた決定版的な企画展も開くことができる。
名称を公募した結果「国立新美術館」という名称に決定した。また、外国から美術品を借りる際に、受け入れる学芸員が必要なことや、独自の展覧会も開催すべきだとの指摘を受け、数名の学芸員を置くことになった。
開館後の課題
東京都美術館で開催してきた公募団体のうち、かなりの数が移動することになった。美術館ができた以上、各公募団体が新美術館でどのような展示を行うのか(団体以外の人々への案内・美術鑑賞教育、これまでの絵画や彫刻に拘らない作品の参加の可否)、美術館やその学芸員は各公募団体とどのように連携し意味のある活動をするのか、が問われることになる。
なお、企画展・公募展中心の「箱だけの美術館」という批判に対し、文化庁はアニメ業界や日本動画協会などを巻き込み、この美術館をアニメーションの保存・研究・上映・関連展覧会の拠点とする構想を打ち出している。
また、新美術館の重要な役割として、国内各地・国外の、過去・現在・将来に至るあらゆる展覧会に関する図録などの情報を収集・集積・研究し、来館者やウェブサイト訪問者に公開する情報収集・公開機能というものがある。図録・研究書類はライブラリに収められ来館者も閲覧でき、現在開催中や近い将来の展覧会に関しては、ライブラリに併設された「コモンズ(共有地)」という名の場所でポスター閲覧・チラシ集めなどの情報収集ができる。
サロン・ド・テ ロンド[2F]。巨大な逆円すいの最上部に広がる、円形(ロンド:仏語)の洗練された空間。
ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ[3F]。1965年以来、三ツ星を維持し続ける『レストラン ボキューズ』。ポール・ボキューズ氏の伝統のブラッスリーの味を受け継いだ、正統なフランス料理を手ごろな価格で楽しめるという店。
閉館間際に来たため、お茶などは飲めなかった。次回はゆっくり。
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