« 楽旬堂 坐唯杏 別館(東京・池袋、居酒屋) | Main | 江ノ島その1)鎌倉プリンスホテル »

大山と江ノ島

 夏休みはゴルフ三昧。少しは違うことも・・・と考え、頭に浮んだのが大山
 昨年4月21日に登ったときは帰りに広沢寺温泉に向かった。温泉は楽しめたが、名物の豆腐料理は食べられなかった。今度行くときは、豆腐料理を食べたいと思った。
 先日は七沢温泉に行った。広沢寺温泉を知って、さらに七沢温泉があることを知った。大山から芋づる式に関心が広がっていく。
 大山は別の方向にも関心が広がる。江ノ島だ。大山は男神を祀っており、江ノ島は女神を祀っていて、二つをお参りしないとバチが当たるといわれているそうだ。
 本当にそうなのだろうか。

 神奈川県湘南地区行政センターが2000年3月に著した「大山道 江の島道 ガイドブック」(インターネット上にpdfファイルがアップされている)では、あいさつで、「湘南地区において代表的な『道』というと『東海道』があげれれますが、『大山道』と『江の島道』も、伊勢原の大山へ通じる道、藤沢の江の島へ通じる道として、東海道とはまた別のにぎわいを見せたといわれています」と大山と江の島を関連付けて紹介している。
 このガイドブックから、大山と江の島がどのように結びついているかを引用しよう。
 
 大山道とは、現在、伊勢原市にある大山阿夫利神社へ参詣するための道で、大山から放射状に各地に広がっていました。神奈川県内はもとより、八王子や府中など各地に大山道と呼ばれる道がありました。(中略)このうち、田村通り大山道は、大山詣での帰りに江の島参りをする人々でにぎわいをみせたといわれています。
 江の島道は、東海道を藤沢宿から分かれ、国道467号の旧道、洲鼻通りを経て江の島に至る道で、大山参詣からの帰りの人々でにぎわったとわれています。

■大山
 丹沢山地の南東部、厚木、伊勢原、秦野の3市の境にある山。標高約1250m。相模平野から一気にそびえ立つ秀麗な姿の山容で、古くは「万葉集」の東歌にも、その雄峰の山容がうたわれています。
 大山は、よく雨雲を呼ぶと伝えられていることから、雨降山の名でも親しまれ、阿夫利神社の「阿夫利」は、この「雨降」に由来しているとも言われています。
■大山信仰
 大山は、山岳信仰の霊山として、農民からは水を司る神として、漁民からは航海の目印にもなる海の守護神として、古くから崇拝されてきました。
■江の島
 相模湾岸にある小島で、藤沢市に属しています。江の島は片瀬丘陵の一部でしたが、断層と陥没によって片瀬から離れ、現在は、江の島大橋、江の島弁天橋で片瀬につながっています。島の周囲は約5km、海抜60mで、史跡・名勝の地として全国的にも有名です。
■江の島信仰
 江の島は、日本三大弁財天の一つが祀られています。これは寿永元年(1182)、源頼朝が、奥州平泉の藤原秀衡征伐の戦勝祈願のため、文覚上人をして勧請したのが始まりとされ、以後、戦いの神として諸武家の信仰を集めていきました。
○大山と江の島
 大山は雨降山として古来より霊山、雨乞い、祖霊、青年式などの山として崇められました。江の島と同様に御師の活動が活発で、檀家については、関東一円はもとより、東海、中部、東北や北陸の一部まで分布していました。江戸時代の大山の例年の祭礼は、6月16日から7月17日までで、この期間に山頂の石尊社をめざしました。
 また、この時期はちょうど江の島弁財天の御開帳や祭礼期間中にもあたるため、江の島・大山両所を参拝するには好都合な時期で、さらに大山は男神、江の島は女神にたとえられ、片方のみ参拝することを忌む俗言が宣伝され、両所をセットで巡拝するのが流行したようです。

 どちらも日帰りできるし、海と山、夏に行く場所としては最適だ。
 まず江ノ島に行くことにした。

| |

« 楽旬堂 坐唯杏 別館(東京・池袋、居酒屋) | Main | 江ノ島その1)鎌倉プリンスホテル »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 大山と江ノ島:

« 楽旬堂 坐唯杏 別館(東京・池袋、居酒屋) | Main | 江ノ島その1)鎌倉プリンスホテル »