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鎌倉その3)建長寺

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、建長寺(けんちょうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山である。
 電話0467・22・0981。入山料大人300円。
 パンフレットによると――。
 建長寺は巨福山(こふくさん)建長興国禅寺といい、鎌倉五山第一位、臨済宗建長寺派の大本山です。今から約760年前建長5年(1253)に鎌倉幕府五代執権北条時頼(1227~1263)が建立したわが国最初の禅寺です。
 建長寺の開山(創始者)蘭渓道隆は、中国の高僧無明慧性に学び、寛元4年(1246)33歳で来日し、九州、京都を経た後、鎌倉に入り北条時頼に請われて建長寺に迎えられました。蘭渓道隆は、中国宋時代の純粋で厳しい禅をそのまま導入し、建長寺を天下の禅林として多くの僧を集め、中国文化の受容、勉学の場として、一時は千人を超える修行僧を指導しました。その教えは現在国宝として寺に残る「法語規則」に見ることが出来ます。
 「鞭影を見て後に行くは即ち良馬に非らず、訓示を待て志を発するは実に好僧に非らず~」 『法語規則』
 蘭渓道隆はその後、京都の健仁寺、甲斐の東光寺等にも移り、弘安元年(1278)に再び建長寺へ帰り、66歳で亡くなり、後宇多天皇より大覚禅師という禅師号を賜りました。これは日本で最初の禅師号です。尚、「建長汁」は建長寺発祥の料理です。
 北条時頼は、建長寺を建立し、大覚禅師や、二代住職兀庵普寧(ごったんふねい)に師事し、禅の教えに深く帰依しました。また、時の権力者として経済的にも建長寺を支え、全国的にも禅宗を広め、自らも出家して法名を覚了房道崇(かくりょうぼうどうすう)と名乗りました。
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 総門。巨福門ともいい、天明3年(1783)に建立され、京都の槃舟三昧院より昭和15年に移築されました。額の『巨福山』(写真参照)は建長寺第十代住職一山一寧の筆によるもので、巨の字に筆勢による1点を加え巨(写真参照)とし、百貫の値をそなえたものといい、世に百貫点といいます。
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 三門(重要文化財)
 三解脱門の略で、楼上に五百羅漢などを安置しその下を通ると心が清浄になることを祈念しています。安永4年(1775)に、二百一世住職万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が関東一円から浄財を募って再建したもので、別名「狸の三門」といわれています。これは三門建立の折、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶の姿に身を代えて住職の化緑を助けて大活躍したという言い伝えによります。
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 梵鐘(国宝)重さ2.7トン。
 建長7年(1255)に大和権守(やまとごんのかみ)物部重光が鋳造したもので、大覚禅師による建長寺の銘文が浮彫りされている名鐘です。
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 建長寺の鎮守・半僧坊大権現が祀られている半僧坊に向かう。
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 半僧坊大権現の化身は天狗。半僧坊へ続く石段には数体の天狗像が祀られている。
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 半僧坊に到着。建長寺を見下ろす。

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