究極のメディアを目指せ――坪田知己著 『2030年 メディアのかたち』(講談社)
坪田知己著『2030年 メディアのかたち』(講談社)を読んだ。
帯に、「新聞・テレビだけじゃない、グーグルも消滅! その先にある『究極のメディア』とは?」とある。
その答えは、「はじめに」に書いてあった。
「『多対一のメディア』、別の言い方をすれば『マイメディア』。これこそが究極のメディアなのです。“究極のメディア”が具現化するのは10年以上先になると思います。それまでに起こることは、すべて、この究極のメディアへのマイルストーンにすぎないのです」。
なぜそう言い切れるのか。
情報価値は、情報を受け取る時刻や場所、相手によって変わるから、新聞やテレビが、みんなが役に立つ情報を提供することは本当は難しいというのが論拠の一つ。
マスメディアの限界を克服するデジタルメディアの登場でメディアはマイメディアへと進む。
今後、発展する「理想の組織」は「自律・分散・協調」型になっていく、というのが二つ目の論拠だ。「われわれが理想の組織で自律的に働くためには、必要な人に必要な情報が行き渡るようなメディアを創っていかなければならないのです」。
企業組織の発展形を考えると、マイメディアが主流にならざるを得ないというわけだ。
相手に合わさなければならない「きつい=ハード」メディアは人間に「優しい=ソフト」メディアになっていく、というのが三つ目の論拠。
たとえば、決まった時間にしか番組を流さないテレビ局は、視聴者が見たい時に見たい番組を見るサービスも取り入れなければ、生き残れないということだろう。
さらに、デジタルメディアを生み出した巨人たちの発想には、すでにマイメディアの要素が含まれていたという事実だ。
たとえば、ダグラス・エンゲルバートは、「コンピュータが、人間の思考を助ける道具、あるいは知性を拡大する装置として優れた能力を発揮する」ことを伝えようとしていたし、アラン・ケイの構想したダイナブックは「人間の視覚・聴覚にまさる機能を持っている」ものだった。
そして、究極のメディアの実現のためには、「デジタルメディア技術のほかに、現在バーチャル・リアリティと言われている技術や、大容量の通信回線、音声認識装置、言葉の意味がわかる人工知能などが必要になる」という。
それでは、そこへ向かうために、われわれはどのような設計図を描けばいいのか。
これについては、いくつかのヒントが示される。しかし、唯一の答えは示さない。
「ぜひ、『自分の目線』で、このデジタル革命の推移を見て、考えてほしい」というのだ。
雑誌に携わる人、放送に携わる人、IT技術者、政策を進める人、クリエーター・・・。おそらくそれぞれの人がそれぞれできることを持ち寄って、究極のメディアを目指せ、ということなのだろう。
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