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山本一郎著『ネットビジネスの終わり』(PHP研究所)

Demise_of_network_businesses
ネットビジネスの終わり

 山本一郎著『ネットビジネスの終わり』(PHP研究所)を読んだ。
 帯に書かれたキャッチコピーは「人気ブロガー『切込隊長』が描く産業社会の未来」。ポータルサイトや電子商取引サイトの限界について論じた本かと思って読んだが、日本のものづくり信仰の限界や、瀕死の新聞業界、もてはやされているほど甘くないアニメ・ゲーム業界など、幅広く日本の産業界の問題を取り上げている。変わっていかなくてはならないが、変われない日本の現実を冷徹にとらえる内容だった。

 第二章「瀕死のメディア産業」では、「読者が求める専門性のある高度な情報(医療やビジネス、政治、国際情勢など)は、必ずしも・・・取材を進めている新聞記者たちが持ち合わせているとは限らない。逆に、読者の求める専門性の要らないカジュアルな情報(芸能やスポーツ、エッセイなど)は、ネットで無料で出回っているため、新聞記者を雇える価格では読者が買ってくれない」という新聞の窮状を指摘。
 一方で「新聞事業の低迷を見越して、その新聞事業で培った強みを活かして新規進出をしようとした各事業が赤字のまま浮上することができず、ただでさえ細った体力を新規事業の失敗で削ってしまうという悪循環は、経営危機に陥ったアメリカの新聞各社に共通して見られる」とアメリカの事例を挙げ、新聞業界に苦境から脱する術がほとんどないことを明らかにする。
 そして、「我が国では新聞記者を一人雇用するのに年間約1100万円の直接費用がかかり、社会保険やオフィス、交通費、取材費など必要なコストを含めると2500万円程度の費用がかかる」「一方、一般的なIT企業がウェブを維持するのに必要なランニング要員は年棒わずか450万円程度が相場」と新聞とウェブのコスト構造が違うことを説明し、「デジタル部門に進出してPV(ページビュー)を上げ、物販などで稼ぐ、というのは理想であるのは間違いないが、新聞社のコストの延長戦上でデジタル部門を振り回しても未来永劫黒字になることはない」と断言する。

 それでは新聞業界はどうすればよいのか。
 「経営の合理化はしっかり進めた上で、官公庁や政治に対して強く働きかけ、国民の知る権利と報道内容の質的向上を目的とするための新たな公的な枠組みを構築することである」。
 「あるいは野放図にウェブでの情報が展開される状況を改めさせ、何らかの規制をネットでの事業展開や表現に対して加えていく方法で競争のルールを変更させることだ」。
 
 最後の点に関しては第四章「情報革命ブームの終焉」でその論拠を詳しく説明している。
 「日本でYahoo!が最大のポータルサイトである理由は、ほぼタダ同然に近い金額で引っ張ってきた新聞記事を読者に読ませ、ニュースを読みたい大量の新聞読者に記事をばら撒くことで膨大なPVを稼ぎ、そこに広告を掲載したり収益性の高い物販サイトを併設したりして媒体力を伸ばしていったからである」。
 「新聞社や出版社のコンテンツが草刈場となって、ネット上で集客する安い餌と化したのは間違いない」。
 「情報革命を標榜する情報化社会とそれに伴ってバブルのように発生した世界的な金余り現象は表裏一体となって、情報を生み出す従来の産業を敗者とし、良質な記事を組織的に掲載するためのまともなトレーニングも受けていないようなネット媒体や、記事の正確性に疑問のあるネット記者が生み出され、社会的に価値の乏しい芸能やスポーツといった娯楽情報だけが、洪水のようにネット内を駆け巡ることとなる」。
 「黒字化の経営努力の乏しいベンチャー企業が豊富な市場からの資金調達力で既存ビジネスのダンピングを繰り返し、従来からある産業基盤を緩やかに破壊してきたにすぎない」。
 「ネットは自由に情報を閲覧する能力を人に与える。その一方で、ネットは人が見たくない情報から遠ざかる自由も与える。必要とする情報が増えれば増えるほど、際限なく延々と新しく深化された情報を個人は獲得し続ける。その蛸壷化した情報に追い立てられた個人は、周囲の状況がどうなっているのか、関心外の情報がどのような流通をしているのか、知るきっかけを与えられることはない」。

 頷く部分が多いが、その結果、新聞業界が政府にネット規制を求めるというのは自殺行為ではないだろうか。多くのユーザーが新聞が不要と思えば、それはそれで、やむを得ないと割り切るしかないような気もする。
 新聞はユーザーの支持を得る形で必ず進化できる。そんな期待を持つのは甘いのだろうか。 

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Comments

たいへんためになりました。取材をするという個人の意志を貫いていくことと、原稿料で稼いでいくことと、筋を通すことの難しさを日々感じています。「高度な情報」を記者が持ち合わせていないのもたしかかもしれないけれども、愚直な取材を通じて一歩一歩真実に近づき、「高度な情報」に転化することこそ、ぼくらの仕事だと青臭く考えたりもするのでありんす。つまり、そこにしか「新聞はユーザーの支持を得る形で必ず進化」する方向はないと思うのだけど、それは昔からやってきたことではあるのだよね。ただ、この20年あまり、ちょっとサボっていたような気もします。

Posted by: さいのめ | 2009.11.24 03:49 AM

社会的地位にあぐらをかいていた感じはありますね。

Posted by: フーテンの中 | 2009.11.24 10:52 AM

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