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ひろゆき(西村博之)著『僕が2ちゃんねるを捨てた理由~ネットビジネス現実論~』(扶桑社新書)

 中川淳一郎著『ウェブはバカと暇人のもの―現場からのネット敗北宣言』(光文社新書)を読んで、頭に浮かんだのは「2ちゃんねる」だった。
 玉と石の書き込みが混じり合う2ちゃんねる。トイレの落書きのような無意味なコメントや誹謗中傷も書き込まれるが、一方で、企業などが不祥事を隠蔽できなくなったのは2ちゃんねるへの内部告発があるからだったりする。「集合愚」であり、マーケティングには役に立たないのかもしれないが、ネットの存在意義をそれなりに示したのが2ちゃんねるだろう。
 その2ちゃんねるを作ったひろゆき(西村博之)が既存メディアやネットをどう見ているのか。気になって、『僕が2ちゃんねるを捨てた理由~ネットビジネス現実論~』(扶桑社新書)を読んだ。
Hiroyuki
僕が2ちゃんねるを捨てた理由

 「あとがき」を読むと分かるが、「もともとが『テレビはすでに死んでいる』(仮題)みたいな感じのテーマで進んでいた話で、既存メディアであるテレビ、雑誌、新聞、ラジオみたいなのと、新しくメディアになりはじめているネットのサイトの対比みたいな話をしていた」のがこの本の執筆のきっかけだ。

 動画コミュニティーサイト『ニコニコ動画』管理人で、元『2ちゃんねる』管理人のひろゆきは、まずネットビジネスの「大いなる勘違い」を糾弾する。
 Web2.0やクラウドコンピューティングという言葉は、「婚活」のように「命名することによってそのビジネスを生み出しているだけ」とばっさり。
 集合知についても「企業がユーザーに商品を宣伝するブログを書かせてネット上に口コミで情報を増やし、その商品の認知度を広めようというマーケティングが流行」った結果、「まっとうな情報が広告情報に紛れてしまい、探しづらくなっ」たと、悲観的だ。
 ネット広告の広告料は安い、というのが常識だが、ひろゆきは「ネットの広告単価がちょっと高いのではないか」と感じているという。仮にネット広告費が安くなってネット企業の経営が苦しくなっても「売り上げの規模が下がったときは下がったなりで経営していけばいい」とクールだ。
 ひろゆきはネットビジネスに対して何ら幻想を抱いていないようだ。

 逆に既存メディアがネットを敵視する傾向があることに対して「ネットというものは、雑誌であろうがテレビであろうが、やろうと思えば誰でも参入できる単なる手段。その手段を敵だと見ている時点で、たぶん物事の捉え方が間違っている」と批判。テレビ業界に対しては、現在の映画業界がテレビをうまく活用して共存しているのを見習い、「ネットのオイシイとこどり」をすればいいだけ」と提案する。
 具体的には、テレビも世界に目を向けよ、という。「日本人相手の商売では、売り上げ単価が下がっていくのは目に見えてい」る。「世界にモノを売る手段として便利なのが、実はネットなのです」。そして「動画業界における映画やテレビは、ネットをツールとして利用することで、お互いが共存共栄していくようになればいい」としている。

 国から電波という限られた資源を与えられ、それを受信する機械=テレビが日本中に1億台以上もあるなど、「儲けるためのお膳立てが整っている」のに、赤字を出すテレビ局は、「どう考えても経営陣が無能なだけ」と厳しい。人件費の高さや、他のチャンネルだけを意識し、「相対的な質の戦い」しかしていない制作現場などを例に挙げ、明らかにテレビの経営は間違っているという。

 新聞に対しては、「組織だって取材をし、そこに一般市民が思いつかないぐらいの見解が入っていたり、一般市民が知り得ることのない情報が入っているからこそ、初めてお金を払ってもいいだけの価値のある記事になるわけ」だが、「首相が通うホテルのバーの値段がいくらだとか、どの漢字が読めないだとか、カップラーメンの値段がどうだという・・・どうでもいい情報に喜んでいる頭の悪い読者ばかりを相手にしているから、本当に情報を取捨選択できる人からは、いらない情報を流しているメディアだと思われてしまう」と反省を促す。

 雑誌に対しては期待が大きい。「短時間で中立的な情報をひと通り網羅したいと考えた場合、ネットですべての情報を網羅することは、今となっては検索結果から広告などの無駄な情報検索結果を引き算しなければならないなど、すごい労力が必要になる」から、「すべての情報が公正ではないにしろ、ある程度中立的な視点で作ろうと情報がまとめられて」いる雑誌は有用だというのだ。

 ひろゆきはインタビューがうまい。「第2日本テレビ」を立ち上げた日本テレビの土屋敏男氏との対談では、面白いコメントを引き出している。
 「テレビの存在価値が高まったのは、何も映画を放送していたからではなく、ワイドショーとか野球中継とかテレビでしかできないものを放送したからなんだよ・・・ネットってテレビにできないことをやるから存在価値があるわけで、それがおもしろいわけじゃない」
 「ネットビジネスのプロフェッショナルはものすごい人が世界中にいるし、ネットテクノロジーをやっている人もたくさんいるけれど、ネットコンテンツのプロフェッショナルという人は世界中にいないんじゃないかな」
 「999対1の999ばかりを採用してしまうと、ずっと変わらない。テレビとかいろいろなものが変わらないのは、それが理由。数字を追っていってしまうと、物事って変わらないんだよ」
 そして、「昔から、あんまりテレビを観ない」という土屋氏は「今のテレビ局が見ているネットというのは、テレビでやったもののスピンオフなり、見逃したものを視聴できるセカンドウィンドウなんですよ。でも僕がやっている『アースマラソン』なんかは、基本ネットがファーストウィンドウで、テレビがセカンドウィンドウという考え方」だという。

 読みごたえのあるメディア論だった。

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Comments

勉強になりました。結局、雲をつかむような幻想に振る舞わされ、弱いと思った相手に負かされたようなものではないか、とふと思ったりします。がんばれ~。がんばろう~:)

Posted by: さいのめ | 2009.12.08 06:50 PM

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