津田大介著『Twitter社会論~新たなリアルタイム・ウェブの潮流』(洋泉社)
Twitter(ツイッター)というものがあることは知っていたが、このツールが何の役に立つのか全く分からなかった。しかし、津田大介著『Twitter社会論~新たなリアルタイム・ウェブの潮流』(洋泉社)を読み、実際にツイッターに登録してつぶやいたりしてみて、徐々にこのツールの性格が分かってきた。
ツイッターを体験してみようかなと最初に思ったのは8月5日付日経朝刊の記事。「『ミニブログ』米ツイッター 来月にもサービス開始 携帯用サイト 利用登録手軽に」という見出しの記事だった。
今、改めてこの記事を読むと、「米ツイッター(サンフランシスコ)はデジタルガレージと組み、9月にも日本の携帯電話に対応した専用サイトを立ち上げる」という内容なのだが、そのときは、ツイッターそのものが日本に上陸する、という記事と勘違いしていた。『Twitter社会論』によると、08年4月から日本語版のサービスが始まっていた。1年半、ノーマークだったわけだ(^_^;)
そんな中、11月に慶應大学であったシンポジウムでツイッターによるシンポジウムの実況中継(と言っても文字でだが)が行われ、シンポジウムへの感想も同時に書き込めるということを知った。後でGoogleに「#gie2009」というハッシュタグを入れて検索すると、なるほど、実況や意見の投稿が一覧できる。なかなか便利だな、と思ったのが最初のツイッター体験だった。
ツイッターはミニブログというよりミニSNS(Social Networking Service)だろうと思っていた。ブログは出版物のような部分があって、反応がどうであろうと、自分の書きたいことを書くものだと思うが、ツイッターは140文字程度なので、他の人の意見に賛同したり、引用したりするなど、コミュニケーションを前提とせざるを得ないからだ。
しかし、仲良しの集まりになりがちな日本のSNSとは違い、ツイッターは非常にオープンである。
この点は評価できるのかもしれないが、一方で、何で知らない人(というか世界中)につぶやきを発信しなければならないのか。怪しい人にフォローされたら怖いではないか。女性がツイッターを始めたらストーカーのような人にフォローされてしまう恐れがあるのではないか、などとネガティブな面を感じてしまう。
そもそも、いつもつぶやいていないとコミュニケーションについていけないとしたら、相当暇な人しか参加できないのではないかと思ってしまうのだ。
『Twitter社会論』(第1章)を読んでも、米調査会社の調査結果を引用、「ツイッターでは『今サンドイッチを食べてる』のような『意味のないつぶやき』が投稿の40.55%を占めるという」と、意味のないつぶやきが多いことを認めている。
やはり、どうでもいいツールのようだ。そう思いながら読み進めていると、津田氏は「とにかくユーザーのアイデア次第でツイッターはどんな目的でも使うことができる。単なる日常生活の報告ツールという枠組みで捉えていると、ツイッターの本質は見えてこない」という。
では、どんなふうに使うと「ツイッターはすごい!」ということになるのか?
第2章「筆者のツイッター活用術」でだんだんツイッターの本質が見えてきた。
当初は使い方に悩んでいた津田氏は「多彩なつぶやきの中、特に筆者の興味を引いたのが、何かの現象や出来事、ニュースを前にしたときに、そこから派生して感じたことや普段から考えていることをメモ的につぶやくというものだった」「自分でもツイッターに日々の生活の中で思いついた提案や教訓、仕事をしていて知ったちょっとした豆知識などを積極的につぶやくようになった。するとツイッターの使用感がガラッと変わったのだ」。
こうしたつぶやきを津田氏が始めてから、フォロワーが増えていったという。
津田氏は「おわりに」で、「ツイッターの独自性が理解できるのは、知り合い以外も含めて100人以上フォローするあたりからだ」という。「そして、タイムライン(自分自身とフォローしている人のつぶやきが表示される)の景色が変わるのが、フォロー数300~500を超えるあたりだ」とする。
津田氏のツイッターの使い方として最も有名なのがツイッター中継。ツイッター中継することが「tsudaる」と呼ばれるまでに有名になった。
ツイッターの情報発信のパワーはどんどん強まっており、海外では08年5月に中国・四川省で起きた大地震、08年11月のムンバイ同時多発テロ、日本では08年6月の秋葉原連続殺傷事件などがツイッターが大手メディアに先駆けて速報したという。
津田氏は投稿された不確かな1次情報を0.5次情報と呼び、これを確かな1次情報にするのがマスメディアの一つの役割という。同じハッシュタグを使ってジャーナリストたちが協調して事件を報道する事例も出てくるなど、ツイッターは新しいジャーナリズムも生んでいるという。
本書はさらに政治、ビジネスなどのジャンルでもツイッターが社会的に大きな広がりを見せていることを紹介する。
ツイッターは、津田氏のツイッター中継のようにメディアの役割を果たそうとするものがある。さらに、著名人のつぶやきのようにもともと発信力の強いものがある。それらをフォローし、さらに引用することで情報が広がっていく様も興味深い。
ツイッターは、2ちゃんねるやブログ、SNSが実現したくてできなかった、リアルな人々の脚色のない生の声を集め、広く伝えていく機能には優れているようだ。ツイッターを通じて人々が何を欲しているか、どう感じているかなどを見ていくというのは面白いかもしれない。
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Comments
ツイッター、でもやっぱりよく分からない:) 「呟く人」が惜しげもなくアイデアを出せば、ということになるのだろうけど、ぼくのような凡人だと、「今日は天気がいい」「今日も天気がいい」「今日は昨日より天気が悪い」みたいなレベルでしか呟けないんだよなあ。
Posted by: さいのめ | 2009.12.15 04:27 PM
このブログもそうなのだけれど、Twitterは自分の情報整理のため、あるいは日記として使えばいいのでは。雑誌の記事を読んで「面白い」と思っても、それだけではブログになりにくい。このごろブログは手をかけ過ぎていて、更新も遅くなる。だから、「ブログ速報版」としてTwitterを使う。それに、ブログだとブログ本文のほうが偉くてコメントがおまけの感じがあるけれど、Twitterだとみんなコメントなので、対等な感じなのもいいかもしれない。いずれにしても、あまり他人を意識しないでつぶやいたほうがいいのだろうね。
Posted by: フーテンの中 | 2009.12.16 04:39 PM