皇居一周・城門巡り その2 桔梗門~馬場先門~和田倉門~大手門
桔梗門の前から和田倉噴水公園の方に向かって歩き、今、内堀通り沿いにいる。
今までは濠の外に内堀通りがあるというイメージだったが、桜田門から濠が二つに分かれており、二重橋濠沿いに行くと、外側に内堀通りが走っている。晴海通り沿いにあるのが凱旋濠。祝田橋から日比谷の交差点までが日比谷濠。左折し日比谷通りを歩くと、馬場先門の交差点がある。馬場先門からが馬場先濠。和田倉門の交差点からは和田倉濠。これらは内堀通りの外側にある。内堀通りは必ずしも濠の外を走っているわけではないのだ(と当たり前のことに感動している。無知は恐ろしい(^^ゞ)。
城門をすべてチェックしようと歩いてきたので、桔梗門から御幸通り沿いを歩き、日比谷通りを右折し、馬場先門の交差点まで戻った。
今は門はなく「馬場先門跡」となっている。
千代田区観光協会のホームページによると、馬場先門橋は、「内濠に架かり、丸の内二・三丁目の間から皇居正面に通じる土橋です。馬場先門は寛永6年(1629)に造られました。門名の由来は、門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧したことから、朝鮮馬場の名が生まれ、馬場先の名が付けられました。橋の北側は馬場先濠、南側は日比谷濠です。日露戦争勝利の提灯行列が、この門にはばまれて大勢の死傷者が出たため、明治39年(1906)に枡形は撤去されました。現在は石垣の一部だけ残っています」とのこと。門が撤去された訳が分かった。
馬場先濠沿いに北へ行き、和田倉橋交差点を少し過ぎると和田倉門跡と和田倉橋がある。
千代田区観光協会によると、和田倉橋は「内濠(和田倉濠)に架かり、皇居外苑東側から丸の内一丁目の東京海上ビル前に通じる橋です。門名の由来は、近くに倉(蔵)があったことによります。ですから、慶長の頃までは「蔵の御門」とも呼ばれていました。元和6年(1620)に枡形が造られました。現在は枡形の石垣と橋が残っています。橋は木橋の面影を残したコンクリ-ト橋です。 和田倉門橋の南約200mの所に、行幸通りが内濠を横切っています。東京駅正面から皇居外苑に通じる道路です。この道路は、工事に大正13年8月から同15年8月まで2年間かかり、当時のお金で数十万円かけて完成しました。内濠の埋め立ては難工事であったと伝えられています」。
和田倉橋を渡り、和田倉噴水公園へ。
和田倉噴水公園。15時11分。桜田門をスタートしてからほぼ1時間。
環境省のホームページによると、「和田倉地区にある噴水公園は継続性と新たな発展をテーマとしており、民間協力も得て、皇太子殿下のご成婚を機に平成7年に完成したもので、今上天皇のご成婚を記念して昭和36年に完成した高さ8.5mに吹き上げる大噴水を再整備し、新しく造られた高さ5.5m、長さ30mの落水施設やモ二ュメン卜とを流水施設で結んでいます」「また、夜は噴水のライトアップをしており、昼間とは違った幻想的な水の風景を見せてくれます」とのことだ。
少し遠回りをしたが、大手門に向かう。
大手門橋と大手門。
千代田区観光協会によると、大手門橋は「内濠に架かり、大手町一丁目と丸の内一丁目の間から、皇居東御苑に入る土橋です。大手門は江戸城の正門でしたから、御城入口御門橋・大手下乗橋などの別名もあります。大手門は慶長11年(1606)に造られました。橋は、江戸時代は木橋でしたが、大正年間に埋め立てられ、土橋となりました。橋の北側は大手濠、南側は桔梗濠と呼ばれています。徳川家康入国以前は、この辺りも日比谷入江が入り込み、ここに船着場があったと伝えられています」。
ここから内堀通り沿いを歩き、平川門へ。
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