柴又その1 寅さん
柴又に行った。柴又というと、上野や浅草の隣にあるような気がするのは私だけだろうか。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「柴又帝釈天柴又(しばまた)は、東京都葛飾区東部にある地名である。古くから題経寺(柴又帝釈天)の門前町として知られていたが、映画『男はつらいよ』の舞台となったことでさらに広く認知されるようになった。郵便番号は125-0052である。江戸川対岸の千葉県松戸市・矢切地区とを結ぶ渡し船『矢切の渡し』の渡し場がある」「江戸川の西岸に位置し、対岸は千葉県である」「昭和7年、東京市に併合され葛飾区柴又町と名乗り、題経寺界隈を1丁目とし他2および3丁目を設けた」。
さらに、『ウィキペディア』によると、「東京においては、歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域)において、高台の武家地域を『山の手』と呼び、低地にある商工業が盛んな町人の暮らす町を『下町』と呼んだ。東京における下町の代表的な地域は、日本橋・京橋・芝・神田・下谷・浅草・深川・本所等である」「なお、東京の場合、上述の地域が本来の下町であるが、それに近接した東京23区の東側全体も通俗的には『下町』と言われることも近年は少なくない。この場合、葛飾区の柴又・亀有などの、歴史的には旧東京市の外側だった地域も下町に含まれることになる」「今日的な下町のイメージは、本来の下町においては繊維問屋街の多い街区や月島・人形町・浅草・入谷・門前仲町などの門前町や古風な街並みの残る地域、その外側においても中小の工場や商店の多い地域(時に荒川・江戸川・中川などの河川敷に近い地域や、柴又などの門前町のイメージも強い)によってイメージされることが多い。また、テレビ・映画などに取り上げられるこれらの地域のイメージの影響で、『現代の東京に江戸情緒や人情を残す町』というイメージも強い」。
浅草などからも結構、遠いのだが、『現代の東京に江戸情緒や人情を残す町』ということでは代表的な下町だ。
JR飯田橋駅で、13時35分発の総武線・津田沼行きに乗り、浅草橋駅で都営浅草線・京成高砂行きの乗り換えた。押上駅で京成押上線快速・京成佐倉行きに乗り、京成高砂駅で京成金町線・京成金町行きに乗り換え、柴又へ。柴又到着は14時12分。
今日は午前中、新宿山ノ手七福神めぐりをしたので、柴又をゆっくり回る時間がない。
そこでテレビ東京で昨年10月17日に放送された『出没! アド街ック天国』の「柴又」特集を参考にすることにした。
柴又駅前には人だかりができていた。「姓は車、名は寅次郎、人呼んで『フーテンの寅』」で有名な、渥美清扮する車寅次郎の銅像を囲んで、多くの人が記念撮影をしている。
『出没! アド街ック天国』の「柴又」特集3位が『男はつらいよ』の「寅さん」だ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると――。
『男はつらいよ』(おとこはつらいよ)は、渥美清主演、山田洋次原作・監督(一部作品除く)のテレビドラマおよび映画である。テキ屋稼業を生業とする「フーテンの寅」こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。旅先で出会った「マドンナ」に毎度のことながら惚れつつも、結局いい人どまりで終わってしまう寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
主人公、「フーテンの寅」こと車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供。実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、16歳の時に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。第1作は、テキ屋稼業で日本全国を渡り歩く渡世人となった寅次郎が家出から20年後突然、倍賞千恵子演じる腹違いの妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又・柴又帝釈天の門前にある草団子屋に戻ってくるところから始まる。
シリーズのパターンは寅次郎が旅先や柴又で出会うマドンナに惚れてしまい、マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて振られてしまう。そして落ち込んだ寅次郎が正月前、もしくは盆前(即ち正月、盆がテキ屋は書き入れ時)に再びテキ屋稼業の旅に出て行くという結末 で一貫している。
私、「フーテンの中」は「フーテンの寅」にあこがれて、命名した。寅年ということもあり、柴又に行かなければならないと思った。
ヒゲのサムさんが描いてくれたフーテンの中。
麻雀牌の中が好きで、中くらいという感じのぬるさが好きで、フーテンの中を名乗っている。フーテンの中というと「不良中年」という感じもして、実名よりも似合っていると思う。
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