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皇居一周・城門巡り その1 桜田門~桔梗門

 江戸研究のスタートは、江戸城から。
 知っているようで知らない皇居の城門を巡ることにした。
 
 皇居とは。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、「現在は、第二次世界大戦後に宮城(きゅうじょう)の名称が廃止された東京の江戸城跡一帯を指して皇居と呼んでいる」。
 「1868年(明治元年)に江戸が東京と改められ明治天皇が東京に行幸し江戸城西の丸(現在は宮殿のみが建っている・現在の吹上御所とは別の場所)に入った際、江戸城も東京城と改称され、天皇の東幸中の仮皇居と定められ天皇は一旦京都に戻った。翌1869年(明治2年)再び東京に行幸し、1877年(明治10年)には京都御所が保存され今に至る」。
 「東京の皇居は、江戸時代末期まで徳川将軍が居城としていた江戸城跡にある。江戸城の内郭(内堀内)には、本丸、二の丸、三の丸、西の丸のほか、西寄りの部分には『吹上』と呼ばれる庭園があった。『吹上』はかつては屋敷地であったが、明暦の大火(1657年)以降、火除け地として、建物が建てられないようになっていた。皇室関連施設のうち、宮殿、宮内庁庁舎などは旧西の丸に位置するが、天皇の住まいである御所は江戸城の『吹上』、現在の『吹上御所』に建てられている」。

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 有楽町線桜田門駅で降り、3番出口を出る。14時4分。
 スタートは桜田門。『ウィキペディア』によると―。
 桜田門(さくらだもん)は、江戸城(現在の皇居)の内堀に造られた門の一つ。桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。
 当初は小田原街道の始点として小田原口と呼ばれていた。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造になっている。間に桝形とよばれる四角形の広場がある。この広場は門から打って出る兵の待機場所であり、また敵に攻められた時はここに敵兵を引き入れ周囲から弓・鉄砲などで攻撃する。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。
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 高麗門。
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 渡櫓門。
 桜田門が二つの門で構成されていることさえ知らなかった。

 安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士による大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500メートルほどの所にあった。
 年末に行ったばかりの場所だ。
 桜田門の正面(豊後杵築藩松平家屋敷跡)には現在、警視庁の庁舎がある。この事から警視庁は隠語で「桜田門」と呼ばれることもある。国道1号を挟んで法務省の赤レンガ棟が建っている。

 桜田門をくぐると広々とした皇居外苑(皇居前広場)がある。
 環境省のホームページによると、「江戸時代、諸大名の屋敷がおかれていましたが、明治に入るとこれらの屋敷は版籍奉還(明治2年)により上収されました。一時、明治政府の官衙、兵営等に利用されていましたが、伊藤博文の指示により一切のものが撤去されるとともに、多くの樹木が植栽され大広場として整備されました」「その後、明治39年(1906)には日露戦争の祝勝を記念して馬場先大通り及び凱旋(祝田)通りが開設され、大正12年(1923)には震災復興事業の一環として行幸通りが開設されました。さらに皇紀2600年記念宮城外苑整備事業(昭和14年事業開始、同18年中止)等により現況の姿に整備されてきました」「戦後、新憲法の施行により、旧皇室苑地は国に物納されましたが、昭和24年4月から厚生省所管の国民公園として一般に広く開放されることとなりました。その後、昭和46年7月1日環境庁の発足に伴い厚生省から所管が移され、現在に至っております」とのことだ。
 二重橋に向かう。

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 皇居正門(かつての西ノ丸大手門)にかかる橋は「正門石橋」。奥の鉄橋が二重橋。右奥に見えるのが伏見櫓。
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 皇居正門。普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。使用される時は皇居前広場〜正門石橋〜正門〜正門鉄橋〜宮殿というルートをたどる。(ウィキペディア)
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 環境省のホームページによると――。
 皇居前広場から正門を経て宮殿へ至る濠に二つの橋が架かっており、手前の橋が「正門石橋」、奥の橋が「正門鉄橋」です。 「二重橋」は一般にこの二つの橋を総称して言われていますが、厳密には奥の橋を指します。 奥の橋はかつて、「下乗橋」と言われ、橋桁を支えるため、中途に台があって二重構造となっていたことからこの名がつきました。現在の橋は、昭和39年6月に架け替えられたものです。 これらの橋は、通常は使用されず、新年の一般参賀や外国賓客の皇居訪問等宮中の公式行事の際に利用されます。

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 坂下門に向かう。丸の内、大手町のビル群が見える。

 丸の内とは。『ウィキペディア』によると、「皇居外苑と東京駅に挟まれた地区で、東京駅を中心に、隣接する大手町と共にビジネス街として発展している。丸の内ビルディング、新丸の内ビルディング、三菱東京UFJ銀行本店ビル、郵船ビルなどの、大手銀行や三菱グループを中心とした大企業のビルが建ち並び、日本の金融・経済の中心地の一つとなっている」。
 「徳川家康が1590年に江戸城を居所とする前は、東京湾の一部で日比谷入江と呼ばれていた。1592年からこの入り江が埋め立てられて江戸城が拡張された。新たに外堀が作られ、外堀であったものが内堀となったため、御曲輪内(おくるわうち)と呼ばれるようになった。親藩や譜代大名の藩邸が24あったため『大名小路』とも呼ばれた。南北町奉行や勘定奉行の奉行所、評定所も置かれた」。
 「明治維新後、官有地となり、陸軍の兵舎・練兵場などとなった。1890年にこれらが移転したあと、三菱の岩崎弥之助に150万円で売却され、三菱ヶ原と呼ばれた。このため、この地区には三菱グループ各社の本社が置かれ、界隈のオフィスビルは三菱地所が所有しているものが多い」。

 丸の内は海だったんだ(汗)。

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 坂下門。かつては西の丸への通用門。現在は宮内庁への出入り口。

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 坂下門から桔梗門(内桜田門)に向かう。

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 桔梗門(内桜田門)。奥に皇宮警察本部がある。警戒厳重。
 千代田区観光協会のホームページによると、「桔梗門は慶長19年(1614)に造られました。門名の由来は最初に江戸城を築いた太田道灌の時代に、この近くに泊船亭があったと伝えられ、道灌の家紋の桔梗紋から付けられたといわれています。現在でも門の鬼瓦には桔梗紋が刻まれています」とのことだ。

 ここまで来てふと疑問に思う。桜田門をくぐり二重橋濠、蛤濠づたいに門を巡ってきたが、その外側にも凱旋濠、日比谷濠、馬場先濠があるので、門があるはずだ。今は、どうなっているのだろう?
 皇居の濠は皇居を丸く囲んでいるとばかり思っていたが、城門を巡っていて、「の」の字を裏返したような形の濠であることにも気づいた(地図参照)。
 桔梗門から大手門に行く前に、同じ内堀でも外側にある内堀に行ってみた。

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