柴又その4 矢切の渡し
川甚に行った後、土手の方に歩いた。矢切の渡しがある。(15時55分)
『出没! アド街ック天国』の「柴又」特集では8位。
葛飾区観光サイト “かつしかまるごとガイド”によると――。
住所 東京都葛飾区柴又7-18先
電話 047-363-9357(矢切渡船)
アクセス 京成線柴又駅より徒歩約10分
営業時間 夏季:毎日運航9:30~16:30頃
冬季:土日祝日及び庚申の日のみ運航9:30~16:30頃
料金 大人片道100円、子ども片道50円
「わらじっこ」を売る店も。
『ウィキペディア』によると――。
矢切の地名は、江戸川の渡し舟として有名な矢切の渡しの由来でもある。江戸川をはさむ矢切と東京都葛飾区柴又を結んでおり、現在も渡し舟が運行されている。渡船の料金は大人100円(2005年現在)。矢切の渡しと柴又の帝釈天界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。
この渡しは江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつであり、観光用途に設けられたものではない。かつては官営だったが、その後民営となり、代々個人により運営されている。
この渡しが日本全国に有名になったのは、明治時代の伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)によるところが大きい。現在、矢切にこの小説の文学碑が建立されている。 また、矢切の対岸柴又を舞台とする映画「男はつらいよ」シリーズの作中にも、しばしば登場する。
現在はほぼ観光用途のために存在するが、元が渡し舟だったため、渡し場に多少の土産物屋がある程度で、特に観光化されているわけではない。このため繁忙期や風の強い日などは、モーターで運行される。なお矢切側の公共交通機関がやや遠いため、多くの乗客は柴又側から乗船し、往復利用している。
矢切の渡しは、昭和末期に作詞:石本美由起、作曲:船村徹の歌謡曲『矢切の渡し』の大ヒットによって再び脚光を浴びた。
1976年10月にちあきなおみがシングル『酒場川』のB面曲として発売。1982年10月21日に『矢切の渡し』をA面にしたちあき盤が発売(B面は『別れの一本杉』)。1983年に細川たかし、瀬川瑛子、春日八郎 & 藤野とし恵、島倉千代子 & 船村徹など、7種のシングルによる競作で発売された。なお、細川盤の発売にあたって細川の所属する日本コロムビアはちあき盤(1976年当時日本コロムビアに所属、1983年当時はビクターに移籍していた)を生産中止にしている。
シングルレコードとして最も売れたのは細川盤(「矢切の渡し(細川たかし)」参照)であったが、当時のUSENのチャートではちあき盤が首位を独走していた。
その他、美空ひばりもLPで同曲をカバーした。
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