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『なぜ、多くのゴルファーは「開眼!?」してもスコアアップにつながらないのか』を読む。

 今年のゴルフ練習の始動は今日、2月28日。クラブを握るのも今日が今年初めて。最初のラウンドは3月7日だ。
 寒い中、我慢比べみたいなゴルフはしたくはないので、暖かくなるのを待っていた。

 午前中、角田陽一著『なぜ、多くのゴルファーは「開眼!?」してもスコアアップにつながらないのか』(実業之日本社)を読んだ。

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なぜ、多くのゴルファーは「開眼!?」してもスコアアップにつながらないのか

 自分のことを言われているようで、つらいタイトルだが、我慢して読んだ(笑)。
 「二兎を追うものはOBを叩く」。
 ドライバーではOBを打ちそうだからと、スプーンやロングアイアンを選ぶ。これがいけないのだという。
 「刻むと決断したら飛距離は断ち切ること」。
 OBが怖くてドライバーをやめたのに、飛ばそうと思ってロングアイアンを振り回したら、「スイングが乱れて球筋が暴れる」。
 ここは例えば、5番アイアンを握る。
 経験者は語る。「ドライバーか5番アイアンか。ティーショットの選択肢をこの二つにしたら、決断がすごく簡単になりました」。
 そんなことをしたら、2打目以降がつらいじゃないか、と思う人は本書を読んでほしい。

 「短いパッとほど結果よりプロセスを見よ」。
 他人のパットをしっかり見る。まず球の転がりを見る。下りで加速しそうなラインでもブレーキがかかるときがある。見た目ほど下がっていないのか、芝目が逆なのか。
 ラインも見る。特にカップ近くの切れ。切れそうで切れないのか、ストレートに見えて、カップ手前で切れるのか。
 短いパットをはずす人は、入って当然、という姿勢でパットをするが、ゴルフはそんなに甘いものではないようだ。
 
 「アプローチは『その後のパット』に極意あり」。
 プロの試合をみると、ぴったりとピンに寄せ、ワンパットで入れる…ようにみえる。実はそう思うのが間違いだという。素人だとしびれる距離が残っているのをプロは上手なので簡単に入れるだけ、ということに気づくべきだというのだ。素人はベタピンを狙うのではなく「次のパットが入るチャンスが残る距離」、すなわち2mくらいを目指せばよい。

 「ミスにミスを重ねる原因は『後悔・焦り・取り戻し』」。
 ラフからロングアイアンを打ってミスし100ヤードしか飛ばなかったとする。しかしこれは、初めからショートアイアンで100ヤード打つのとは大違いというのだ。初めからショートアイアンでフェアウエーに戻すと決めていれば、次にロングアイアンを打つという心づもりができている。だからうまく打てることが多い。ところがロングアイアンでミスした後は「ミスした」という気持ちで打つからミスを重ねやすい。

 どのアドバイスも確実にスコアアップにつながりそうだ。
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 午後、ファーストゴルフで練習。素振りをたくさんしてから3カゴ打った。
 5番アイアンを軽く打つ練習をした。開眼した(笑)。 

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テレビを「ネットテレビ」に~「アクトビラ」などのオンデマンド番組に熱中

 2008年夏にPanasonicのデジタルハイビジョンプラズマテレビを買った。インターネットにつなげば、VOD(ビデオ・オン・デマンド)などが楽しめる「アクトビラ」も見られる機種だったが、光ファイバーのルーターがテレビの近くになく、ケーブルにつなげなかった。家の中のパソコンは無線LANでつないでいたが、無線LANの通信速度は最大54Mbps。ハイビジョン動画の通信には力不足だった。
 そんなわけで「アクトビラ」は見られなかったのだが、無線LANは進化していた。昨年9月に承認された無線LAN規格「IEEE802.11n」は、最大300Mbpsの高速通信。
 そこで、この規格を含め、無線LAN全規格(11n、11a、11g/b)に対応した無線LAN親機「WZR-AGL300NH」と子機「WLI-TX4-AG300N」を買った。
 親機をNTTのルーターに接続。子機をテレビに接続して、設定完了。
 リモコンのアクトビラボタンを押すと、アクトビラのスタート画面が出てきた。
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 アクトビラのホームページによると、アクトビラ対応テレビのインターネットへの累計接続台数は2009年12月21日に150万台に達したという。
 アクトビラは、2007年2月からニュース・天気・株価などの情報提供サービス「アクトビラ ベーシック」を開始し、2007年9月からビデオ・オン・デマンド(VOD)の映像配信サービス『アクトビラ ビデオ』を開始している。
 2010年2月現在で、『アクトビラ ビデオ』対応テレビ・関連機器は、パナソニック株式会社、ソニー株式会社、シャープ株式会社、株式会社東芝、日立コンシューマエレクトロニクス株式会社などの10社より146機種(うち「アクトビラ ビデオ・フル」対応機は、118機種)が出ているという。

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 アクトビラのスタート画面。一番人気が「NHKオンデマンド」。2月1日(月)から、見逃し番組とニュースが見放題となる「見逃し見放題パック」が月額1470円(税込)から月額945円(税込)になって、アクトビラの中でもお得感が強くなった。

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 2月13日開幕のバンクーバーオリンピック、生放送はほとんど見ていないので、見逃し番組が見られるのはありがたい。ネット経由なのに、画面はとてもきれいだ。

 アクトビラの主力コンテンツだった「TSUTAYA TV」は離脱したようだが、アクトビラとは別にTSUTAYA TVに直接入ることもできる。
 TSUTAYA TVの一メニュー、フジテレビ on demandでは、トレンディードラマの名作全話をワンコイン(525円)で提供する「ドラマレジェンド ワンコイン祭」を実施していた。思わず、鈴木保奈美、唐沢寿明、江口洋介が出演する 『愛という名のもとに』(1992年1月9日~3月26日)を購入。泣けた。

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越川禮子著『江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋』 (日経ビジネス人文庫)

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江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋 (日経ビジネス人文庫)

 越川禮子著『江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋』 (日経ビジネス人文庫)を読んだ。
 1992年12月に発行され、「江戸しぐさ」ブームを作ることになった『江戸の繁盛しぐさ』(日本経済新聞社)の文庫版である。
 「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」など粋な江戸の人々のしぐさを公共広告機構が図案化、さりげなくマナーの大切さを訴えたことで、「江戸しぐさ」が一気に全国に広がった、と文庫版まえがきにある。
 もっとも、江戸しぐさとして「肩引き」(路地などで、肩を後ろにひいて、胸と胸を合わせる格好で人とすれ違うこと)などを教わらなくても、「そんなのは常識」と私は思う。日本人のマナーが悪くなってしまったため、当たり前の江戸しぐさが話題になったのだが、本書を読むと「江戸しぐさ」とはそんな表面的なしぐさばかりではない。現代のビジネスマンにも通用する、仕事やコミュニケーションを進めるうえでのノウハウなのだ。

 「江戸しぐさ」は文字にされておらず、著者が、「江戸しぐさ」の研究家である芝三光(しば・みつあきら)氏から聞き書き(江戸しぐさでは「利き書き」と書く)して、本書をまとめたという。なぜ文字に残っていないか、などの説明も興味深いが、「江戸しぐさ」がいかに奥の深いものかを本書から引用し、江戸しぐさの凄さを伝えたい。

 まず、著者が芝氏に面会を求める手紙を送り、返事をもらった時から、「江戸しぐさ」の“講義”が始まる。
 「午後3時~同10分の間、御遠慮なくベルをお鳴らしくださいまし」。
 時間をしっかり守るAランクの人には正刻プラスマイナス5分、多少ルーズなBランクの人には正刻プラスマイナス10分、このひとはいい加減とみられたCランクの人には「午後3時ごろ」と指定するのだそうだ。
 もっとも、「時間に関する限りB級」でも、他の能力ではA級かもしれない。「江戸しぐさ」は人を評価するポイントが880項目(一説には8800項目)もあったらしい。これが、どんなに悪いことをしても、それなりの事情があったのだろうと、「盗人にも三分の理あり」とした真の意味だという。

 「江戸の下町は対等の社会、平等の社会だった。あいさつひとつでも、たとえば『おはようございます』と言った人には『おはようございます』と丁寧に同じ言葉で返さなければ失礼になったという」。
 「おはようございます」と言って「おはよう」というのは良い方、「ん」なんて言う上司は近くにいないだろうか。

 江戸では「しぐさ」を見て江戸っ子かどうかを判断したという。江戸しぐさができれば、出身地や身なりに関係なく、江戸っ子として通った。
 「江戸っ子の見分け方の最大公約数は、『目の前の人を仏の化身と思える』『時泥棒をしない』『肩書きを気にしない』『遊び心を持っている』の4つといわれてきた」。
 なかなか、目の前の人を仏の化身とは思えない。しかし、これを守っていれば、人間関係は良くなるのではないか。まさにビジネスマンのコミュニケーションのイロハだ。

 「江戸っこ精神と言えば人間優先、金や物より人間を大事にし、打てば響く反応の早さが特徴であり、楽天的で、結果として良い物ができたら『もうけもの』という生き方、生活態度(思考、哲学)を持っていた」。
 「言葉は人間関係を円滑にする『道具』や『潤滑油』と考えられ、口から出た言葉は言の端ではなく、事(行為・行動)と同じ価値を問われた」。
 「『江戸しぐさ』は各地から集まった風俗、習慣の異なる人たちが皆、共に生き、共倒れをしないでうまくやっていけるように考案された『人間関係』改善の知恵だった」。

 特に平成以降の現代人は、余裕もなく、言葉はいい加減、人より金が大事、という風潮に流されていないか。
 現代人は「忙しい」という言葉を、半ば自慢げに口にするが、江戸では禁句だったという。「忙しいという字は偏とつくりに分解すると、心を亡ぼすとなる。江戸では心を失った人はデクの棒(丸太)とし、人間ではないと考えた」。

 江戸では年代に応じたしぐさが尊ばれた。たとえば「耳順(還暦)代の『江戸しぐさ』は『畳の上で死にたいと思ってはならぬ』『己は気息奄々、息絶え絶えのありさまでも他人を勇気づけよ』『若衆(若者、ヤング)を笑わせるよう心がけよ』だったという」。60歳になってもはつらつと生きよという、前向きな生き方を提言している。

 共生の考え方、高齢者の生き方などは、高齢化社会、環境問題をクリアしなければならない日本にとって参考になる。何よりも楽天的で遊び心のある人間が尊ばれる雰囲気がいいではないか。自らの江戸の遺伝子を生かして、自由にものを考えたいと思った。

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MARUGO MARUNOUCHI(マルゴ丸の内、東京・丸の内、ワインバー)

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 昨年9月3日、東京・丸の内の「丸の内パークビルディング」(東京都千代田区丸の内2-6-1)内に、「Marunouchi BRICK SQUARE(丸の内ブリックスクエア)」がオープンした。ホームページによると、「コンセプトは"丸の内コンフォート"。高感度でこだわりのあるファッションや雑貨、素材にこだわる日本各地の食の名店や日本初進出の海外のレストランなど、これまでの丸の内になかった『賑わいと安らぎ』が絶妙に調和した商業集積が誕生」したという。高い店が多い中、手ごろな値段で楽しめる店を見つけ、行くことにした。新宿三丁目で3店舗を展開しているワインバー、MARUGO(マルゴ)だ。

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 ブリックスクエア入り口。

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 なんと言っても「一号館広場」が魅力的。丸の内パークビルディング・三菱一号館美術館(2010年4月開館)・アネックスに囲まれ、遊歩道のように巡らした小径がくつろげる。夜には、明治時代のデザインを再現して設置されたガス灯の灯りが、広場内をやさしく照らす。その奥に、MARUGO MARUNOUCHI(マルゴ丸の内、03・6269・9105)がある。

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 店内には新宿三丁目の店と同様、ワインがいっぱい。

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 (画像をクリックすると字も読めます)
 さっそく、新宿三丁目の店と併せて紹介する名刺をいただいた。

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 ワインはグラス単位でいろいろ飲める。赤白6種類ずつ、スパークリング2種類、ロゼ1種類。600~1500円。600円のワインでも結構おいしい。テーブルチャージ、サービス料がなく、表示価格に消費税が含まれているから安心して飲食できる。

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 チーズは単品でも組み合わせでも頼める。写真はチーズ盛り合わせ(2種、1200円)。ミモレットとエポワス。

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 バイヨンヌ産ハム 1000円。

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 ニース風サラダ 1200円。

 丸の内のマルゴ。ビジネスマンも多く、新宿三丁目の店より少し大人の雰囲気。常連になりたい。
 営業時間は11:30~14:00がオムライスのみのランチ。14:00~24:00がフレンチをメインとしたアラカルト料理。
 無休。

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東京の七福神めぐり・下調べ

 東京の七福神めぐりは、1月9日の「新宿山ノ手七福神めぐり」を手始めに、1月23日、「港七福神めぐり」、1月30日、「日本橋七福神めぐり」、2月6日、「深川七福神めぐり」に行った。東京のいろいろな顔は江戸時代につくられたことを実感した。
 引き続き、東京七福神めぐりをしようとも思ったが、七福神めぐりはめでたいイベントである。御開帳もある正月に賑わう神社・仏閣を回りたくなった。
 残る東京七福神めぐりは2011年の正月に取っておこうと思ったが、下調べだけはしておくことにした。
 役に立ちそうなホームページは以下の通り。
 谷中七福神めぐり
 東京都交通局の「ふれあいの窓」のバックナンバーは東京めぐりの案内として非常に充実している。その中の東京WALK1万歩 谷中 七福神めぐり編が、頼りになりそうだ。

 浅草名所七福神めぐり
 浅草名所七福神会の「浅草名所七福神(あさくさなどころしちふくじん)」。七福神に関すること知識から始まって、かゆい所に手が届く浅草七福神めぐり情報満載。

 隅田川七福神めぐり
 隅田川七福会が監修、制作する「隅田川七福神遊び」、墨田区の「隅田川七福神めぐり」の二つを見ておけば準備OK。

 亀戸七福神めぐり
 江東区の「亀戸七福神」。亀戸七福神めぐりに関する情報は同じ江東区の深川七福神めぐりの情報に比べ少ない。

 柴又七福神めぐり
 葛飾柴又ホームページの「柴又七福神めぐりマップ」。柴又 恵比寿天 医王寺の「柴又七福神」
 柴又七福神もお寺や神社のきちんとした情報が不足している。

 東海七福神
 「東海七福神」は情報ソースが分からないホームページだが、内容は詳しい。
 
 山の手七福神
 ボランティアが作成している目黒区HPガイドの「山の手七福神」のページが詳しい。お寺についてはしっかりした情報が不足している。

 板橋七福神めぐり
 板橋区のホームページの「板橋七福神めぐり」が詳しい。お寺の由緒などの情報がないのが残念。

 インターネット上では亀戸以下の七福神は、神社・仏閣についての情報・知識や地域の歴史に関する情報・知識が不足している。
 正月より前に調べに行こうか・・・(笑)。

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割烹 みや古(東京・森下、深川めし)

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 深川七福神めぐりで街を歩いていると、深川めしを出す店が多い。その中で、最も有名な割烹 みや古(東京都江東区常盤2-7-1、03・3633・0385)に入った。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、深川めしとは――。
 駅弁の深川めし (NRE大増)深川めし(ふかがわめし)は、アサリのむき身を味噌汁の具にしたものを茶碗や丼にのせたご飯にぶっかけたぶっかけ飯である。
 気の短い江戸っ子の漁師が飯と汁物を一緒に食べる為に考案された。あさりの産地ではポピュラーなものだが、東京の深川が代表格であり、「深川めし」と呼ばれている。なお、近年増え始めた深川めし屋は炊き込みタイプの上品なものとなっている。
 アサリは、他の具(長葱・油揚げなど)とともに醤油などで味付けをして煮る。その後、煮汁でご飯を炊き、炊き上がったら具を戻してかきまぜてできあがり。炊き込みご飯ではあるが、アサリそのものをご飯と一緒に炊き込むわけではない。

 みや古にあった資料によると、昭和14年に宮内省が行った全国郷土料理調査において日本の代表的な郷土料理として5つが選ばれたという。これを日本五大銘飯という。
 その一つが「深川めし」。
 そのほかに、さよりめし(岐阜県山岳地方)
 うづめめし(島根県・津和野町)
 忠七めし(埼玉県小川町の二葉という店)
 かやくめし(大阪府の難波地方)
 が選ばれている。

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 深川めしセット(1500円)を頼んだ。

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 せいろ(わっぱ)に入って出てくる。んまい。
 みやこの深川めしの調理法。
 まず湯で昆布出汁を取り、塩、醤油、酒、味りんに調味料を加え、そこにアサリ、ネギ、油揚げを入れる。2、3分煮て、ザルにあげる。その煮汁で飯を炊く。炊き上がる寸前にザルの具を入れて、飯と混ぜ合わせて出来上がり。漂う磯の香り、立ち上る湯気。下町の味だ。

 ほかに、
 どぜう唐揚(1200円)
 川エビ唐揚(1200円)
 天丼(1500円)
 桜えびかき揚(1800円)
 穴子天(1800円)
 めごち天(1500円)
 しゃこ天(1200円)
 帆立刺(1300円)
 ミル貝(1300円)
 生うに(1300円)
などがある。

 営業時間は昼11:30~14:00
 夜16:30~20:30(日曜20:00)
 月曜定休。

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 店内に北斎の描いた萬年橋の絵が飾ってあった。この店に来る途中で渡った橋だ。同じ光景を撮りたくなって、撮りに行った。

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 同じアーチの橋。昔の萬年橋をイメージしてデザインしたのではないだろうか。

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深川七福神めぐり~「江戸を映す街」を歩く その2 深川を知る 心行寺(福禄寿)~円珠院(大黒天)~龍光院(毘沙門天)~深川稲荷神社(布袋尊)~深川神明宮(寿老神)

 冬木弁天堂から心行寺までの行き方。冬木交差点へ戻り直進。深川一丁目交差点を右へ曲がると角から3軒目が福禄寿(所要時間5分)。 10時43分。

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 心行寺(深川2-16-7、03・3641・2566)
 深川七福神:福禄寿(人望福徳)
 「浄土宗 心行寺」のパンフレットによると――。
 双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立、開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。
 寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。
 「御朱印地・拝領地寺社帳」によれば、当時間口42間、奥行42間、1764坪の境内地で現在もほぼ当時の面影をとどめている。
 往時は影窓院・正寿院の二つの末寺があったが、その後合併された。
 旧本堂庫裡は大正12年9月関東大震災により焼失、その後昭和7年に再建された本堂庫裡も昭和20年3月戦災のため再度烏有に皈した。
 現本堂は浅香富三氏設計により奈良平安朝様式に現代風を加味して昭和42年完成したものである。

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 福禄寿は、心行寺の六角堂に安置されている。パンフレットによると――。
 福禄寿は、星宿の神、南十字星の化身ともいわれて長寿をつかさどる人望福徳の福神であります。
 一説には中国の宋の時代、嘉祐年間に実存した道士であるといわれています。
 福禄寿は背たけが低く頭がきわめて長く、白髪童顔の姿をして、年齢数千歳ともいわれています。
 また、福(幸福)と禄(高給生活の安定)と寿(長命)の3つの福徳をさずける福神ともいわれています。

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 説明書きがあった。
 不求自得―自然に徳がそなわる―
 この福禄寿の尊像の中には当寺書院移築の際土中より発見された戦災前の福禄寿の土偶が収蔵されています。手にする宝珠にふれて円満な人格をいただくようおねがいいたしましょう。福徳は自然に身についてくるものです。
 福寿海無量 是故應頂礼

 さて、人格が円満になるかどうか??

 心行寺から円珠院までの行き方。心行院を出て右へ。左に採茶庵(芭蕉奥の細道出発点)を橋のたもとに見ながら海辺橋を渡り、三叉交差点の右斜めの道へ。直進し、突き当たり右側角が円珠院(所要時間10分)。

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 途中、滝沢馬琴誕生の地を通った。以下の説明を参照してほしい。
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 写真をクリックすると大きな画像で読めます。

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 円珠院(平野1-13-6、03・3641・0491)
 深川七福神:大黒天(有福蓄財)
 11時7分到着。

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 パンフレットによると――。
 円珠院は、享保のころ旗本永見甲斐守の娘、お寄の方が起立しのち、円珠院殿妙献日寄大姉の法名で、享保15年末(1730年)に此の寺に葬られました。
 享保5年(1720年)11月13日画かれた大黒天の掛軸があり、木造の大黒天が安置、境内に石造りの破顔大黒天が安置されています。江戸時代から、深川の大黒天として有名でした。

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 パンフレットにはさらに大黒天についても詳しい説明があった。

 大黒天信仰には二つの流れがあります。一つは、大黒天を大国主命とする流れ、これは多く神社に祀られています。もう一つは、インド名をマハカーラという仏神の大黒天、これは多く寺院に祀られています。
 円珠院に安置されているのは、仏神の大黒天です。インドのシバ神が、悪神を退治した神話から、仏教に取入れられ、摩訶迦羅天すなわち大黒天となり、夜叉茶吉尼衆を降伏する大日如来の化身となり、忿怒の戦闘神の姿をしていました。ところが大黒天はしだいに招福の神となり、忿怒の相が、笑顔の姿になり、台所財宝糧食をつかさどる大黒天となりました。
 わが国でもっとも古い有名な大黒天は、比叡山の出世大黒天といわれる三面六臂の大黒天です。正面が大黒天、右面が毘沙門天、左面が弁財天、これは大黒天が降魔と施福の二つの面を持っているのを表したものです。その後は、大黒天は施福の一面のみが、強調され、信仰されるようになりました。
 大黒は大国に通じ、大国主命に統合して福神の形となり、烏帽子、狩衣をつけ、右手に小槌をかざし、左手に大きな袋をかつぎ、米俵の上に座すようになりました。小槌と袋は限りない財宝糧食を蔵していることをあらわし人々に財宝を授ける福神であります。米俵に縁のあるところから、鼠は大黒天の神使いになっています。子の日、特に甲子の日は大黒天の祭日となっています。

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 厨子子の中の大黒天像。

 円珠院から龍光院までの行き方。円珠院斜め前交差点を左に。左手に浄心寺を見ながら平野二丁目交差点を左折し、直進。(途中、左手に間宮林蔵の墓)。少し歩くと左側角に龍光院(所要時間10分)。

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 途中、間宮林蔵の墓があった。以下の説明を参照のこと。
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 写真をクリックすると大きな画像で読めます。

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 龍光院(三好2-7-5、03・3642・3437)
 深川七福神:毘沙門天(勇気授福)
 11時34分到着。

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 龍光院は、江東区のホームページによると、「浄土宗。はじめ、馬喰町(中央区)に創立されたが数回の火事にあい、天和2年(1682)現在地に移転してきました。その時、鬼門除けとして境内東北角に毘沙門天を安置したと伝えられています」。

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 阿弥陀三尊の隣に安置される毘沙門天。

 龍光院から深川稲荷神社への行き方。龍光院を出て左に。阿茶の局の墓で有名な雲光院を左手に見ながら次の信号を左に曲がり深川江戸資料館通りへ。右手に深川江戸資料館。次に松平定信の墓がある霊巖寺を見ながら清澄通りに出る。通りを横断して右に進み一つ目の角を左に入る。右手に本誓寺を見ながら清澄庭園入り口の交差点を右折し、清洲橋通りを横断。左に深川稲荷神社(所要時間15分)。

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 途中、深川江戸資料館の前を通る。

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 大規模改修工事のため、今年の7月23日まで休館。
 リニューアルオープン後に行かなければ。

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 深川稲荷神社(清澄2-12-12、03・3641・8059)
 深川七福神:布袋尊(清廉度量)
 12時到着。

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 江東区のホームページによると、深川稲荷神社の「創立は寛永7年(1630)です。この付近の旧町名を西大工町と称したので、西大稲荷とも呼ばれます」。
 詳しい説明は碑を参照。
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 写真をクリックすると大きな画像で読めます。

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 狐。阿。

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 吽。

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 布袋様。

 深川稲荷神社から深川神明宮までの行き方。深川稲荷神社を出て右へ。2つ目交差点を右折し万年橋を渡る。芭蕉記念館の向いの道を右へ。直進し左手に寿老神(所要時間10分)。
 これで七福神めぐりは終わりなのに、おなかがすいて、途中にあった割烹みや古(常盤2-7-1)に寄ってしまった。

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 深川神明宮(森下1-3-17、03・3631・5548)
 深川七福神:寿老神(延命長寿)
 昼食をゆっくりとったので、到着は13時17分。

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深川神明宮のホームページによると――。
 深川の神明さまのはじまり
 今からおよそ400年の昔、現在の深川一帯は葦の生い茂る三角州で、住む人もまだいませんでした。その頃、深川八郎右衛門(摂津の人と伝えられる)が一族を引き連れてこの地に移り住み、土地の開拓に着手しました。八郎右衛門は神さまを敬う心が篤く、屋敷のうちに小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢神宮の大神さまのご分霊をお祀りし、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念しました。これが、深川神明宮の起源です。そして深川の地の発展とともに、八郎右衛門の屋敷の小さな祠も、いつしか深川総鎮守神明宮と称せられ、多くの崇敬を集めるようになり、今日に至りました。

神明さまとお伊勢さま
 神明さまのご祭神(おまつりしている神さま)は天照大御神さま、伊勢神宮の内宮の神さまです。天照大御神さまをお祀りした神社を「神明さま」といい、全国にはたくさんの神明社があります。伊勢の神宮との深い繋がりから、第59回のご遷宮の際には、御鏡・御太刀・御盾のご神宝をいただき、ご本殿に大切にお納めしています。
 また、当宮のご鎮座40年祭に当っては、第61回のご遷宮のときに解体した内宮東方殿の御柱が撤げ下され、当宮儀式殿の玄関にお飾りしています。

 神明宮にあった説明。
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 写真をクリックすると大きな画像で読めます。

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 阿。

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 吽。

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 寿老神を祀った寿老神社。

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 食事時間も入れて、13時21分、深川七福神めぐり終了。

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深川七福神めぐり~「江戸を映す街」を歩く その1 深川を知る~富岡八幡宮(恵比寿神)~冬木弁天堂(弁財天)

 今年から始めた東京七福神めぐり。これまで「新宿山ノ手七福神めぐり」「港七福神めぐり」「日本橋七福神めぐり」をした。ご開帳やご朱印の受け付けは正月に限るところが多いが、時季外れの七福神めぐりも、なかなかいい。これまでは東京の表層しか見ていなかったが、七福神めぐりを通じて「江戸」の暮らしが浮かび上がり、東京のいろいろな場所がなぜ今のような発展をとげているのかが良く分かった。楽しみながらできる「江戸研究」なのだ。

 東京街歩き委員会著 『東京七福神めぐり』 (NHK出版・生活人新書)によると、七福神信仰が生まれたのは室町時代だが、「七福神信仰が庶民にまで広まり、七福神めぐりという信仰形態が確立されるのは、徳川家康の時代・・・。家康の相談役だった天海僧正が、人心を鎮める行政の施策の一環として、七福神めぐりを進言した」という。
 家康は狩野探幽に七福神を描かせて、これが人々に崇拝されはじめたらしい。
 「庶民が行楽を兼ねて七福神詣でをするようになるのは、徳川8代将軍吉宗の時代」「江戸時代後期には正月の松の内に巡拝して1年の幸福を願うようになり、今日の七福神めぐりの原型が確立」したという。

 さて、深川七福神めぐりだが、公式ホームページがとても充実している。公式ホームページの地図もわかりやすい。


 深川七福神めぐりを始める前に、門前仲町周辺の雰囲気を味わおうと思い、深川不動堂(東京都江東区富岡1-17-13、03・3641・8288)に参拝した。
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 パンフレットによると、歴史と沿革は次の通り。
 江戸時代、中でも元禄年間は江戸市民を中心として不動尊信仰が急激に広まっていった。この背景には、経済・商業の中心地としての江戸、またそれを支える町人の経済力の飛躍的な増大が大きな原動力になっていた。
 このような時期、成田山新勝寺は信徒数も増え、また寺格も、より高い本山へと大きく発展していく。そのような時江戸町人を中心に成田山のご本尊、不動明王を江戸で参拝したい、という気運が高まり、ついに1703年(元禄16年)4月に初の江戸に於けるご本尊の出張開帳(江戸出開帳)が行なわれた。当時は犬公方と知られる五代将軍綱吉の治世、その母桂昌院が成田山の不動明王を(ママ)江戸での参拝を希望し実現したという説もある。
 成田山出発の総勢は300人を超える行列が組まれ、江戸まで1週間余りかけてご本尊が奉持され、2ヶ月にわたるご開帳は、江戸町人に大きな人気を博し、(ママ)この開帳の場所が深川永代寺境内であり、これが深川不動堂の始まりである。
 明治になり神仏分離令により、永代寺は廃寺、境内は深川公園となり、明治2年に現在の地に「深川不動堂」の正式名称が認められ、14年には本堂が完成するも関東大震災・第二次世界大戦と2回に亙り本堂が焼失、しかしながらご本尊は奇しくも災禍を免れた。
 昭和26年に当時千葉県印旛沼のほとりに建っていた龍腹寺(1862年・文久2年建立)を深川に移築し復興、現在の本堂になっている。江東区最古の木造建築としてその痛み著しく、平成3年大改修を施行し、平成14年開創300年を記念し内佛殿が建立され、東都随一の不動霊場として山容を整え一層の活況を呈している。

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 「人情深川ご利益通り」と名づけられた参道。和菓子屋、煎餅屋、豆腐屋、漬物屋などが並ぶ。
 朝9時ごろで開店していない店が多かった。
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 本堂。
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 平成22年12月に新本堂ができる。
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 開創310年(平成24年)には、現本堂を護摩修行を行う新本堂の上層階に移設し、一丈八尺からなる我が国最大級の不動明王像を祀る予定だという。写真はイメージ。

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 深川不動堂は、現代的な寺に生まれ変わりそうだが、ひなびた味のある神社もあった。
 ここでは「深川龍神」を祀っている。
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 開運出世稲荷。


 七福神めぐりを始める前に、もう少し、深川、江東区について調べておく。

 江東区のホームページによると、江東区は、江戸時代までは東京湾に注ぐ河川のデルタ地帯の一部で、海面と散在する小島があるだけでした。しかし、亀戸周辺には、人が住んでいたことを示す伝説や地名が残されています。
 江東区の発展は、江戸初期からの埋立てに始まります。慶長期(1596~1615)に深川八郎右衛門が森下周辺の新田開発を行い、深川村を創立しました。また、万治2年(1659)に、砂村新左衛門一族が、宝六島周辺の新田開発を行い、砂村新田と名づけられました。
 明暦3年(1657年)の大火後、幕府は火事に強い町づくりを計画し、密集した市街地の再開発、拡張に努めました。まず貯木場を永代島に集めて木場を創設し、元禄14年(1701年)に現在の木場に移転させました。さらに埋立て開発の進んだ深川地区には、武家屋敷や社寺を移し、正徳期(1711~1716)になると市街地に編入されました。
 区内を縦横に走る河川を利用しての木材・倉庫業、米・油問屋の町として栄えた深川地区は、社寺の祭礼、開帳などの年中行事を中心に、江戸市民の遊興地としても賑わい、江戸文化の華を咲かせました。
 一方、城東地区は、江戸近郊の農地として、西瓜、カボチャ、ナス、ネギなどの野菜類を江戸市民に供給することで栄えました。また、江戸近郊の行楽地としても知られていました。

 江戸初期からの埋立てで街ができた江東区。まさに江戸を映す街なのだ。

 「深川」という地名については、深川神明宮のホームページが詳しい。
 深川の地名の起こり
 徳川氏の関東入国から間もない慶長元年(1596)、家康公が当地を巡視されたおりに、深川八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねました。
 「まだ住む人も少なく地名もない」と応えると、家康公は八郎右衛門の姓「深川」を地名とするよう命じました。深川の地名の発祥は、神明さまの鎮座する実にこの地なのです。以来、深川の地は江戸の繁栄とともに賑やかな町となり、深川氏は開拓の功績により代々深川二十七ヶ町の名主を務めました。深川氏は宝暦七年(1757)に七代で断絶しますが、菩提寺の泉養寺(市川市国府台)に今も墓所が残っています。

 
 それでは、深川七福神めぐりを始めよう。

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 富岡八幡宮(富岡1-20-3、03・3642・1315)
 深川七福神:恵比須神(愛敬富財)
 9時46分に到着。
 永代通りに面した大鳥居。
  
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 伊能忠敬銅像
 日本の測量の父・伊能忠敬翁は50歳を過ぎてから深川黒江町(現在の門前仲町)に居住し、天文学・暦学を学びました。その後、官営12年(1800)に始めた全国測量旅行では、氏神である当宮を参拝してから出発しました。この事から平成13年10月、縁深い当宮大鳥居横に旅立ちの姿を象った銅像が建立されました。(パンフレットより)

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 大関力士碑
 当宮は江戸勧進相撲発祥の地として知られ、明治年間には歴代横綱の名を刻んだ横綱力士碑(本殿に向かって右側の奥)が建立されましたが、この大関力士碑は歴代の大関を顕彰し(横綱に昇進した力士と実際に取組みには入らなかった看板大関を除きます)昭和58年に建てられた碑で、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎が明治年間に寄進した仙台石を活用しています。(碑の前の説明書きより)

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 御本社神輿
 表参道の神輿庫には二基の御本社神輿が飾られています。富岡八幡宮には元禄時代に紀伊国屋文左衛門が奉納した総金張りの三基の宮神輿がありましたが、関東大震災で惜しくも焼失してしまいました。以来、御本社神輿復活は氏子長年の念願でしたが、平成3年佐川清氏(佐川急便社主)より、一の宮神輿が奉納されました。この神輿は台輪幅5尺(1.5メートル)、屋根の最大幅9尺3寸(2.9メートル)、高さは4メートルを優に越え、担ぎ棒を組むと4.5トン、鳳凰の胸には7カラットのダイヤモンドを始め、装飾の各所に宝石を配した日本一の大きさと豪華さを誇る神輿です。また、これに続く二ノ宮神輿が平成9年に製作され、同年の例大祭において氏子町内を巡幸しました。(パンフレットより)

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 富岡八幡宮の沿革
 富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が霊夢に感じ、当時永代島と呼ばれていた小島に創祀したと伝えられます。そして周辺の砂州一帯を埋め立て境内と氏子の居住地を開き、深川発展の基礎が築かれました。
 以来、隅田川両岸一帯(深川及び現中央区新川・箱崎地区)の氏子を始め、広く世の崇敬を集め、「深川の八幡さま」と親しまれています。
 徳川将軍家は源氏の流れを汲むとされ、源氏の氏神である八幡宮をを殊の外尊崇し、将軍を始め一門しばしば参拝、社殿の造営修理を行うなど手厚く保護しました。また明治維新に際して朝廷は勅使を差し遣わされて幣帛を奉られ、新しい御代の弥栄を祈念されました。
 いっぽう、庶民の信仰篤く、八幡宮周辺は江戸・東都随一の門前町として栄えました。そして今変わる事なく人々の信仰をあつめ、とくに毎月1日、15日、28日の月次祭は縁日として大変な賑わいを見せています。(パンフレットより)

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 狛犬。阿。

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 吽。

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 本殿。

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 恵比須神は、富岡八幡宮境内の西側にある恵比須社に祀られている。

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 狛犬。阿。

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 吽。

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 西にある末社。

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 真ん中が恵比須社と大黒社

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 ご開帳は終わっているが、賽銭は入れられる。

 富岡八幡宮の恵比須社を出て右へ。高速道路の下をくぐり、冬木交差点を右に曲がると冬木弁天堂がある(所要時間5分)。途中、和菓子屋で休息。10時26分到着。

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 冬木弁天堂(冬木22-31、03・3641・9051)
 深川七福神:弁財天(芸道富有)
 江東区のホームページによると、「真言宗。材木商冬木直次が江戸初期、近江竹生島弁財天の分霊を日本橋茅場町(中央区)の邸内にまつり、のちに孫の弥平次がこの地に移したと云われています」。

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 清水克悦著『江戸・東京歴史探訪ルートガイド』(メイツ出版)によると、「材木豪商の冬木屋は上野国(群馬県)から江戸に出た上田直次が興した」という。
 
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 狛犬。阿。
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 吽。
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 冬木辨財天お己洞。
 弁天様は水神と言われ、水神の使いは蛇ということから、蛇が祀られているのかもしれない。
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 ここにもかわいい狛犬が。

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そば処 銀座 いけたに(東京・銀座、そば)

 夜、ゆっくりそばが楽しめるそばの店に行った。そば処 銀座 いけたに(東京都中央区銀座7-5-15 蒲田ビル 1F、03・3571・3471)だ。

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 ソニービルとエルメスの間を新橋方面に向かって歩き、資生堂本社を通り過ぎたところにある。
 銀座にあるが、気取らない家庭的雰囲気のおそば屋さん。何よりもありがたいのは営業時間。
 午後6時から深夜2時まで(ラストオーダー1時半、そば売り切れ時は閉店)。
 土日、祝日休み。

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 ビールを頼むと、煎った蕎麦の実がつく。おいしい。

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 そばみそ(そばこうじ味噌を8種類の薬味を加えてじっくり煮込みました) 400円。

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 板わさ(山口県防府産) 650円。

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 玉子焼(出来たての出し巻き玉子をお出し致します) 900円。

 こうしたおそば屋さんらしいつまみのほか、居酒屋風のおつまみもたくさんある。
 例えば
 そら豆 650円
 湯豆腐 900円
 まぐろ山かけ 850円
 辛味大根しらすおろし 850円
 トマトサラダ 650円
 ポテトサラダ 750円 
 厚揚げ焼き 750円 
 生だこ(鹿児島産)ピリ辛揚げ 900円
 目鯛昆布〆 800円
 小肌酢〆 700円
 などなど。

 そして、そばへのこだわり。

 当店では、国内産の最高級のそば粉を使用した3種類のそばを

 お楽しみ頂いております。
 ご注文の際に御希望のそばをお申し付け下さい。

 *並みそば
 つなぎ粉一割(季節によって多少増減します)の
 九一そばです。細切りを致しております。
 細切りならではの、のど越しの繊細な味わいを
 お楽しみ下さい。
 細打ちのため麺が早くのびますのでお早めにお召し上がり下さい。

 *生粉打ちそば
 そば粉100%のそばです。
 そばの実の中間(二番粉)を主としたそば粉で打ったものです。
 香り、味わいをお楽しみ下さい。

 *田舎そば
 そば粉100%のそばです。そばの実を全部使った挽きぐるみの
 粉を使って打ったそばです。太打ちを致しております。
 歯応え、風味をお楽しみ下さい。
 お酒をお召しながらも、時間と共に甘味がじわじわとでてまいります。 

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 せいろそば 田舎 1100円。

 これだけ太いと、打ち方、ゆで方が下手だと食べられないが、おいしかった。
 噛んで味わうそば。

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 せいろそば 生粉打 1100円。

 こちらはオーソドックスなおいしいそば。つるつると食べる。

 気軽に何度も来たい店だ。

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ついに“ネオ・モバイラー”に――ノートPCとWiMAXのルーターを購入

 『日経MJ』の2010年1月29日号の1面で「ネオ・モバイラー狙え、外出先でネット二刀流、ノートPC、スマートフォン」という特集をしていた。
 冒頭の部分を引用しよう。
 ノートパソコン、スマートフォンなど複数の端末を持ち、家でも外出先でもインターネットを楽しむ「ネオ・モバイラー」が登場してきた。最先端派は小型の無線LANルーターを持ち歩き、1つの高速回線で複数の端末をつなぐ。利用者調査によると、ネット接続はパソコンだけという人に比べて、巣ごもり度は低く、外食や買い物意欲も旺盛だ。今後、無線でのネット接続環境が整備されるにつれ、ネオ・モバイラーが増えるのは必至。

 1月27日には米Appleがタブレット型の端末「iPad」を発表。モバイル機器への関心が高まる中での記事だったので、影響されてしまった。「iPad」も楽しそうだが、平日、外にいるのはほとんど仕事の合間なので、仕事でも使えるノートPCをまず買ってみることにした。

 ネオ・モバイラーの記事で参考になったのは以下の部分。
 ネオ・モバイラーの台頭に一役買っているのが、複数のネット対応機器を1つの高速回線で使えるようにするモバイル用ルーターだ。通信会社のサービスエリア内であればどこでも無線LANが利用できる。スマートフォンの電話回線を使ったネット接続よりも高速なのが特徴だ。
 売れ筋はイー・モバイルが昨年11月に発売した「ポケットWiFi」。・・・高速無線通信サービス「WiMAX」向けの「Aterm WM3300R」も「滑り出しは上々」(発売元のNECアクセステクニカ)。IT専門の調査会社、MCAによると、2009 年度のモバイル用ルーターの市場規模は前年度の3 倍の30万台で、10年度は50万台と予想する。 

 実はスマートフォンは持っていないが、iPadなどを購入する可能性も考えると、買っておいて無駄ではないのは、モバイル用ルーターだと思った。

 さっそくわが群馬県が誇る家電量販店・ヤマダ電機の「LABI1日本総本店池袋」 に行った。
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 久しぶりに小型のノートPCの売り場に行ってみると、同じノートPCでも種類がいろいろあって、チンプンカンプン。
 余り安いものを買うと、例えば画像処理などがうまくいかなかったりするので、なるべく高性能、キーボードも打ちやすいものということで、商品を探した。
 初めから調べておけばよかったのだが、ノートPCの種類については、なるほどネ!! naruhodo.netが詳しい。
 それによると、ノートPCは以下のような種類があるという。
 大画面ノートPC
 17~19インチの大きなモニタを搭載したノートパソコン。重量は3.5~4kg以上になります。

 A4サイズノートPC
 一般的なサイズのノートパソコン。単純に「ノートPC」と呼ばれるのはこのサイズです。
 13~16インチ程度の液晶モニタを持ち、重量は2kg~3.5kg程度。

 今、家で使っているdynabookTX/66JBLは16型ワイド、約2.8kgなので、このタイプのようだ。
 
 モバイルPC
 軽量で小型なノートパソコン。「B5(ファイルサイズ)ノートPC」と呼ばれることもあります。
 10~12インチ程度の液晶モニタを持ち、重量は1.5kg未満が一般的です。
 
 今回買ったのが11.6型ワイドで、約1.58kg。このタイプなのだろう。

 ネットブック(ミニノートパソコン)
 モバイルPCより小さく、インターネットの閲覧とメールの送受信を主目的として、通常のモバイルPCより低速なCPU(中央演算処理装置)を搭載し、バッテリー駆動時間が長く、また低価格なのが特徴です。
 7~10インチの液晶モニタを持ち、重量は1.5kg未満が一般的です。

 UMPC(ウルトラモバイルPC)
 「ネットブック」は小さいだけではなく「低価格」も特徴となっていて、2007年に発売された「ASUS Eee PC」が始めとされていますが、それ以前からある小型PCの規格に「UMPC」があります。
 ネットブックとの境界は曖昧になっていますが、ネットブックより小さいPCや、少しコンセプトの異なるモバイルPCを「UMPC」と呼ぶ傾向にあるようです。

 タブレットPC
 概ねモバイルPCと同じ大きさで、液晶画面に「タッチパネル」を搭載し、OSに「Windows XP Tablet PC Edition」を採用したノートPCを「タブレットPC」と呼びます。

 外出先でもブログが書けるというのは重要なポイントだったので、画像処理ソフトも搭載できないようなノートPCでは困る。ワード、エクセル、パワーポイントも当然、使えるPCを選んだ。
 というわけで、買ったのは東芝のdynabookMX/34KBL。
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 そして、「Aterm WM3300R」を買った。
 モバイルWiMAXは試験サービスの時はいまひとつだったが、当初計画よりも急ピッチでサービスエリアを広げているらしい。都内であれば、地下や建物の奥に入らなければ使えるというので加入した。使わない月は月額380円で済む2段階定額プランを導入したので、加入しやすくなった。
 さあ、モバイルライフが始まる!

追記2010.2.13)モバイルWiMAXルーター「Aterm WM3300R」を買ってよかった。WiMAXは都内の場合外だと必ず電波が届くのだが、例えば店の奥に入ると電波が届かないことがある。その時にこのルーターを店の入り口や窓際に置かせてもらうと、外のWiMAXの電波を拾って、無線LANで店内奥でも使える。この機器は必須だ(PC内蔵のWiMAXだと、使えないところが多いと思う)。暗号化キーさえ教えてあげれば、一緒にいる友人も無線LANが使える(PC30台くらいまでは十分使えるらしい)。
 家のPCとモバイルPCのファイルを同期させるため、クラウド型のデータ保存サービス「Dropbox」も使い始めた。クラウド時代になって、ノートPCを使う環境が整ってきた。

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