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石川達夫著『黄金のプラハ~幻想と現実の錬金術』(平凡社選書)

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『黄金のプラハ~幻想と現実の錬金術』(平凡社選書)

 プラハに向かう飛行機の中で、石川達夫著『黄金のプラハ~幻想と現実の錬金術』(平凡社選書、2000年5月24日発行)を読んだ。
 プラハの人名、地名になじみがない中で読み始めたときは、辛くなって、途中で読むのを断念したが、田中充子著『プラハを歩く』を読んで、基本的な人名、地名が頭に入ったので面白く読めた。

 本書は、「プラハに豊かな記念物や伝説が残り、有形・無形の歴史的記憶が濃厚に刻まれていることは、ここでの宗教的・民族的な対立と抗争の激しさを物語るものでもある」とする。そして、「人の目に見えない深み、記憶の深み」を理解しなければ、「幾重にも記憶が積み重なった多時間的・多主観的なプラハの姿と意味を感じ取ることはできない」として、さまざまな伝説、苦難に満ちた民族の歴史、容赦のない宗教的な対立について語ってくれる。
 第1章「プラハの名前をめぐって」では、リブシェ伝説、ヴルタヴァ川がドイツ語のモルダウ川と呼ばれた訳、国民劇場の誕生の歴史などを紹介。ヨーロッパの十字路、プラハの歴史的背景を概観する。

 その上で、第2章「プラハの歴史をめぐって」でチェコが時々の統治者によってどのように変わったか、宗教対立が何をもたらしたかを詳しく述べている。

 「中世都市としてのプラハの発展は、14世紀のチェコ王カレル一世・神聖ローマ皇帝カール四世の時代に頂点に達する」。「カレルはプラハ司教区を大司教区に高め(1344)、アルプス以北で最初の大学(カレル大学)を設立し(1348年)、旧市街に隣接して広大な新市(新市街)を創設した(1348)」。
 
 しかし、カレルが死ぬと、プラハは神聖ローマ帝国の首都の地位を失った。また、宗教改革とそれに由来する戦争が起こったために、チェコは周辺諸国から孤立したという。宗教改革の指導者になったのがプラハ大学の総長、ヤン・フスで、1415年に異端者として処刑されると、フス派とカトリック派との間で激しい争いが繰り広げられた。

 1576年にチェコ王および神聖ローマ皇帝となったルドルフ二世は「1609年に『信仰の自由の勅令』に署名し、信仰の自由がチェコ王国の法となった」「芸術・科学・錬金術のパトロンだったルドルフの時代のプラハには、ヨーロッパ各地から様々な文化人が集まった」。

 しかし、ルドルフが退位すると「反宗教改革が1610年代に再開され、カトリックはプロテスタントに対する攻撃を強めた」。そして30年戦争が始まる。1620年の白山の戦いでプロテスタントが破れると、カトリックがプロテスタントを徹底的に弾圧し始めた。ルドルフの「信仰の自由の勅令」も廃止され、プロテスタント系住民15万人が国を去った。「プロテスタント系チェコ人が去った後に、大量の外国人、とりわけドイツ人が入って来て、チェコ社会に大きな構造変化が起こった」。
 チェコで勝利したカトリック系勢力はバロック芸術を広めた。
 ドイツ系ないしドイツ化した貴族階級に対してはチェコ系の市民階級が勃興し、民族復興運動を推進する。また、民族復興運動と結びついたネオ・ルネサンス様式が、1860~1890年代に流行する。

 このように政治権力と宗教権力が様々に交錯して、チェコの新しい建築様式も生まれていった。

 チェコにはもう一つ、文化や社会を形づくる勢力がいた。ユダヤ人である。第四章「プラハのユダヤ人街をめぐって」は最も興味深い章だった。
 「プラハは、かつてヨーロッパ最大のユダヤ人街が存在した町であり、中世以来現代に至るまでほとんど途切れることなくユダヤ人共同体が存続してきた、数少ないヨーロッパの町の一つである」。

 「初めのうち、ユダヤ人は重んじられ、どこに住んでもよく、自由な商業活動をし、土地や建物を買ってもよかった。・・・しかし、ユダヤ人住民の法的な保護の不十分さが、・・・十字軍の時代にはっきりと現れ、・・・第一回十字軍のときにポグロム(ユダヤ人虐殺)が起こった」「ユダヤ人は・・・隔離されて、閉ざされた小さな地区(「ユダヤ人通り」、後のゲットー)にしか住めないようになった。またユダヤ人は、土地を所有することを禁じられ、農業と手工業に従事することを禁じられて、彼らの生業は事実上、キリスト教徒には禁じられていた利子の取得、つまり金貸しにほとんど制限されてしまった」。

 「権利の剥奪と社会の底辺への追放によって、ユダヤ人は君主の恣意に委ねられるように」なった。
 たとえば、ルドルフ二世はユダヤ人に好意的な態度をとったが、女帝マリア・テレジアは、ユダヤ人に極めて厳しい態度を取ったという。

 「第一次大戦後に、マサリクを大統領として成立したチェコスロヴァキア共和国は、ユダヤ人の民族性を公的に認めた」が、「1930年代末以降のナチスによるチェコ占領時代に、・・・チェコのユダヤ人は史上最悪の迫害を受けた」「多くのユダヤ人は・・・アウシュビッツに送られて殺された。チェコの約8万人のユダヤ人が死に、153のユダヤ人共同体が消えた」。

 チェコ人、ドイツ人、ユダヤ人の微妙なバランスのなかでの共生は、チェコのユダヤ系ドイツ語作家のフランツ・カフカを苦しめた。「カフカのようなユダヤ人は、当時、自分がドイツ人の目には『完全なドイツ人』とは映らず、ユダヤ人と映っていることを意識させられた。しかも、チェコ人の目には、自分がドイツ人ないしその同類と映っていることを意識させられ、自分が(ドイツ人によって)排除されているドイツ人に属すると言う、矛盾した状態に置かれて」いた。カフカを通じてチェコが置かれてきた立場を理解することができた。

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