ヴァーツラフ・クラウス著『「環境主義」は本当に正しいか~チェコ大統領が温暖化論争に警告する』
プラハからの帰りの飛行機の中で、ヴァーツラフ・クラウス著『「環境主義」は本当に正しいか~チェコ大統領が温暖化論争に警告する』(2010年3月1日発行、日経BP社)を読んだ。数年プラハで暮らすM君に「プラハにあって日本にないものは」と聞いたら「自由」と言っていた。正直なところ、そのときは「本当?」と思ったが、この本を読んで、自由をようやく勝ち取ったチェコには、自由をなにがなんでも守るんだという強い意思があることが分かった。自由が「勝手」と同義語になり、本当の自由がどんどん失われている日本。この本は多くの日本人に読んでもらいたい本だ。
本書の筆者紹介によると――。
ヴァーツラフ・クラウス チェコ共和国大統領。1989年「ビロード革命」による共産党体制崩壊後、財務大臣として政界のキャリアをスタート。1991 年に市民民主党を結成し、2002年まで党首を務める。1992年に総選挙で勝利し、チェコ共和国首相に就任。1997年に内閣総辞職、翌1998年の総選挙では第一党の地位を奪われ、下院議長に就任。2003年にヴァーツラフ・ハベルの退任に伴い第2代大統領に就任。プラハの経済大学で学び、経済学の博士号を持つ。
まず、注意しなければならないのは筆者が「環境保護には『賛成(イエス)』だが、環境主義には『反対』」と言っていることだ。環境保護に反対をしているわけではないのだ。
「必要もないのにつけっぱなしにしている明かりのスイッチは切ろう。暖房のきかせすぎ、またはもっといけない冷房のきかせすぎで、エネルギーを無駄にするのはやめよう。・・・」と筆者は言う。
筆者が問題にしているのは「環境主義」だ。
「古典的自由主義者たちは、20世紀の終わりから21世紀の初め、自由、民主主義、市場経済、繁栄への最大の脅威が、もはや社会主義ではないと主張している。・・・しかし、代わりに現れたのが、・・・環境主義者のイデオロギーなのである」「環境主義とは、その結果がどうなるかなどおかまいなしに、人間の生命を犠牲にし、個人の自由を厳しく制限することで、世界を根本的に変えようとする運動である」「環境主義は、実際には、自然科学とはまったく無関係なものだ」「環境主義者の自然にたいする態度は、マルクス主義者の経済に対する態度とそっくりだ。・・・どちらも自由で、自発的に進化していく世界(そして人類)を否定しているからである。・・・中央集権的に、・・・地球規模(グローバル)で、世界を最適な状態に創る計画にに取り替えようとしているのである。・・・無理やり実現しようとすれば、人々の自由は制限され、少数のエリートが圧倒的多数の人間に命令を下すという状況がかならず生まれてしまう」。
筆者は「一流の科学者をはじめとする大勢の人が、気候変化や、その原因、推測される結果について、環境主義者とはまったく異なる見解を取っている。地球温暖化の仮説や、温暖化の問題を人間の活動と結びつけようとする仮説に、警鐘を鳴らしているのである」とし、環境主義とは異なる主張、理論、意見の紹介にかなりの紙数を割く。
そして結論。
「何よりも大切なのは人間が思い切り活動できる環境を保つことなのだ。・・・知識があり、合理的な―どんな天才や独裁者にも組織されていない―何百万人もの人間が行動を結集したほうが、綿密な計画によって人間社会を発展させようとするよりはるかにいい結果が得られる」「環境主義者も結局、共産主義者と同じ末路を迎えることになるだろう。(人間社会、経済、言語、法制度、自然、気候のような)複雑なシステムはすべて、無理やり管理しようとしても、かならず失敗に終わってしまう」。
「成長こそ絶対に必要な条件なのである」「経済が成長しなければ、発生した生態系の問題に対処することはできないからだ」「経済が成長していくと、人々は生存に必要な財から贅沢品に関心を移していく。そして、この贅沢品のリストの一番上にある項目こそ環境保護なのだ!」。
環境保護と環境主義の違いをおそらく考慮しないまま、日本の温暖化ガスの排出を「2020年までに1990年比25%減らす」と表明した鳩山首相。これが、日本企業の成長への足かせとなり、経費削減の大号令のなかで企業で働く人々の自由な活動が抑えられなければいいのだが・・・。
本書の「危機にさらされているのは人間の自由のほうである」というメッセージを日本の政治家は真摯に受けとめてほしい。
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