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デジタル教育は是か非か?その(1)田原総一朗著『緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす』(ポプラ社)

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デジタル教育は日本を滅ぼす

 田原総一朗著『緊急提言! デジタル教育は日本を滅ぼす』(ポプラ社、2010年8月25日発行)を読んだ。
 本書の狙いは「教育についての議論がされないまま教科書のデジタル化だけが一人歩きを始めています。今こそ、教育について真剣に考えようではありませんか」という田原氏の言葉に言い尽くされている。
 「デジタル教育は日本を滅ぼす」というセンセーショナルなタイトルがついているが、「デジタル教科書が導入される前に、あらためて教育とは何か、教育論を徹底的にやらないと、これからの日本はもっと大変なことになる」と田原氏は言っているのであって、デジタル社会やそれへの対応を必ずしも否定しているわけではない。

 第3章「迷走した戦後の教育改革――『詰め込み』から『ゆとり』へ」、第4章「見直される教育改革――21世紀型新時代の教育へ」はデジタル教科書や教育のデジタル化の前提となる教育について考えを深めるための役に立つまとめとなっている。

 77年6月、文部省は新しい学習指導要領を発表する。「これまでとは大きく方向性を変え、偏差値至上主義ともいえる『詰め込み型』から『ゆとり型』へと転換するものであった」。
 しかし、84年8月に中曽根首相が「臨教審」を発足させる。「77年に学習指導要領を改訂したものの、教育の現場が何も変わっていない。文部省に任せていたら、何もよくならない。そこで臨教審は文部省のやりかたを根本的に変えて、もっと自由で、個性に応じた教育をやらせようというのが意図だったのである」。

 ところが「『臨教審』による教育改革は、結局、文部省にも、日教組にも、教育委員会のあり方にも手をつけない。つまり制度には触らず、『子どもの個性を重視する』というところだけが、進められていったのである」「最初は規制緩和でいろんな個性的な教育をする、そのために制度も変えるという趣旨だったのが、いつの間にか生徒個人の個性尊重ということになってしまった」という。

 1989年2月、文部省は小・中・高校の新しい「学習指導要領」を発表。「画一的詰め込み教育の批判に応えて、個性重視で生徒の適性や希望に応じた時間表の編成やきめ細かな指導が指示されていた」。

 1998年11月に、文部省は2002年度から実施される「学習指導要領」案を公表した。「教える内容を約3割減らし、年間授業の8割ぐらいの時間で指導できるようにすること、多様なテーマに目を向け、自ら考える力を養う『総合的な学習』の時間を、小学校3年生以上に新設すること、課題・教科選択を小学校高学年の段階から拡大すること、特色のある教育ができるように、授業時間を伸縮できるようにする。そして『週5日制』にすることを前提としたものであった。つまり『新学習指導要領』は89年版をさらに大きく発展させたわけである」。

 「だがまさにこの時期から、まるで『新学習指導要領』の公表を待ちかねたように、『ゆとり教育』批判の火ぶたが切られたのである」。
 
 「2001年4月、小泉純一郎氏が首相になって、文部官僚出身の遠山敦子が文部科学大臣に任命された。そして02年1月17日、全国都道府県教育委員会連合会の総会で、『学びのすすめ』というアピールを発表した。その内容は、まさに新学習指導要領の方向転換であった」。

 中曽根『臨教審』から18年間の教育改革について、田原氏は教育現場に近い人たちの評価を聞く。
 「政策転換自体は間違っていないが、それがゆとりと表現され、個性化とか多様化とか、子どもの主体性とかいう一面的な方向に行ってしまった。それは文部省や審議会委員の政策転換についての理解が非常に浅かったためです。しかもその一面的な理解が、さらに歪んだ形で教育現場に下がってしまった」(中井浩一氏)。
 「総合的な学習の時間という理念は優れているが、現場ではまったく対応できていない」(北村則行氏)。

 「2006年9月、安倍晋三首相が誕生。同年12月15日に、新教育基本法が成立した」。
 「翌07年、教育改革の具体策として、教育3法が成立した。中核となったのは、教育再生会議である」。
 「2007年8月30日、文部科学省は学習指導要領改定の基本的な考え方を、中央教育審議会の教育課程部会と小学校部会にそれぞれ示した。学習指導要領の主な狙いは、まさに『脱・ゆとり教育』だった」。

 この教育改革に対しては批判が多い。

 京都造形芸術大学の教授を務める寺脇研氏は言う。
 「小渕さんは途中で挫折してしまった中曽根臨教審を引き継いで、徹底的に詰めようとしていたのですが、教育改革国民会議を3回開いただけで不幸にして倒れてしまい、無念の死を遂げてしまった。中曽根臨教審に欠けていた『公』という最も大事な要素を入れようとして果たせなかった。そして、森喜朗が首相となり『公』があっという間に『国』となり、森首相は若き頃からの政治信条である、教育基本法改正に突っ走ってしまった」。
 
 「百ます計算」などの陰山メソッドで全国的に名前を知られる立命館大学教授兼同小学校副校長の陰山英男氏は「教育に関することはリアリズム、つまり現実主義でなければならないのに、実態をわかっていないままに改革などをやってしまうから、とんでもないことになってしまう」と語る。

 田原氏は日本の教育改革と現場の混乱を振り返りながら、「今の教育は『正解』のある問題を解くことを求めるばかりである。小学校、中学校、高等学校や大学まで正解を求め、誤りを排除するという教育ばかりをやっている。実はこの教育こそ大きな誤りで、社会に出れば正解などほとんどない」とする。

 しかし、本来、ゆとり教育と言われていたものを、ようやく教育現場が理解し、コミュニケーションや想像力をかきたてる教育が現れてきたと田原氏。ところがそのタイミングに、電子教科書の導入という話が出てきたため、「下手をするとまったく逆効果になりかねない」と危惧する。

 田原氏がデジタル教科書に対して危惧を抱くのは「問題を解く、正解を出すという作業が自己完結してしまう」「ネット上で自己完結するということにより、教師も学校もいらなくなってしまう」という点だ。

 田原氏は電子教科書について深く考察しているわけではなく、教育のデジタル化が今の「誤りを排除し、正解を求める教育」のデジタル化であれば、流れと逆行すると説いているようだ。
 
 教育のデジタル化、電子教科書について前向きな評価をする人たちにとっては、田原氏の電子教科書に対する見方が一面的との批判もあろう。だが、売れない雑誌をそのままデジタル化しても売れないように、デジタル化が効果をもたらすのは、デジタル化の対象自体をデジタル化を契機に意義のあるコンテンツ、サービスに改革していくことが大前提になる。

 教育のデジタル化を成功させるためには教育改革について真剣に考えることが、やはり、必要なのだと思う。

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