<シニアライフ/少子高齢化問題編スタート>

老後は銀座で
山崎武也著『老後は銀座で』(PHP文庫、2007年10月17日発行)を読んだ。
11月20日に54歳になった。60歳の1割引きである。もうほとんど60歳だ。
実は気分はまだ40代。この分だと、60代でようやく50代の気分になるのではないか。
しかし、会社を定年退職すると、懐具合がとたんに寂しくなる。本当に「老人」なら、お金はあまり使わないのだろうが、60代は、まだ、若いと思う。まだいろいろなところに行きたいし、いろいろなものも食べたい。ゴルフもしたいし、山歩きもしたい。
突然、定年になって、会社の同僚が催してくれる送別会で神妙な挨拶をするんだろうが、実は「終わった」気はしないのではないか。
むしろ、今まで、できなかったことを始めたい。
仕事をしたい。お金を稼いで、週1回くらいはミシュランの三ツ星の店に行って、贅沢をしたい。
そんな60代の暮らしを設計するならば、今から準備が必要だ。
そんなわけでシニア世代の研究だ。
この本は、老後に楽しむための銀座の情報が書いてあるのかと思った。
読み始めたら、具体的な情報はなく、老後の生き方提案の本だった。良い生き方の象徴が「老後は銀座で」なのだ。
著者の山崎武也氏は昭和10年生まれ。この本を書かれた時には70歳を超えている。
70歳になると、さすがに老後という感じなのかもしれない。
書かれている話はまさに老後の話。
60歳から10年間の展望を描くための資料としては、必ずしも適当ではないのだが、70歳からの人生を考えることも必要だろう。
山崎氏は「ビジネスコンサルタント」で、マナー、作法の本も多数書かれている。
しかし、独特の見解も多く、『老後は銀座で』で書かれていることのすべてには賛成できなかった。
何よりも社会と接点を持つことに対して消極的過ぎる気がした。
けれども、この本のタイトルになっている「老後は銀座で」の部分はその通りだと思った。
「働くという『動』の世界にいるときは、休むという『静』の世界にあこがれる。自分の動きを人や組織の意向に左右されるので、そこから解放されて独りになり気ままにできる環境を求める。『不自由』だから『自由』を求めるのである。逆に、静の世界にいれば動の世界に魅力を感じ、完全に自由なときは人に縛られてみたいと思う」。
「夫婦で暮らしていたり家族と一緒にいたりすれば、自分の思い通りにならないことがあるだけで、かなりの刺激である」。
「家の中にいることが多くなってくると、人とのつきあいも減ってくる。そうなると精神機能に低下を来す確率も高くなるようだ。やはり、適度な刺激が必要である」。
「静に飽きて動が欲しくなったときに、戸を開けて動の世界に出ていくのである」「そのためには、すぐに喧騒が手に入るところに住んでいるほうがよい。田舎よりも都会、普通の都会よりも大都会、大都会の中でもできるだけ中心地に近いところである」「年を取れば取るほど、刺激が豊富にある環境を選び、脳の働きを活発にする情況に身を置いて、年を取らないようにする努力が必要だ」。
「現在のいわゆる『進歩』の方向が正しいかどうかは別の問題であるが、いずれにしてもその方向へ向かっていく先頭には都会、そのうちでも大都会がある。したがって、すべての面において大都会中心主義になっているのだ」「都会は本質的に利益社会である点が田舎と異なっている」「都会の人が田舎方式に慣れるのが難しいのは、世の流れに反している『逆流』であるからだ」。
「前向きにばかり考えないで、時には周囲を見回してみたり、後ろを振り返ってみたりしてみる。下らないことであると斥けていたようなことも、目を向けてみる」「年を取ったらミーハーになれ、というすすめである」。
「料理屋やレストランでの食事を風呂上がりにしようと思ったら、店の近所に住んでいる必要がある」「日本料理を食べるのであれば、着物を着てみるのもよい」。
このあたりで、ちょっと話が粋になってきた。
「ハイファッションの雰囲気のある場所に行くときは、その場にふさわしい格好をする。着飾る必要はない。自分のムードがカジュアルであればカジュアルでよい。しかし、ファッション的なセンスを加味した身なりでなくてはならない」「時と所と場合に応じて服装を選ぶというセンスがなくなったら、『老後』を通り越して『老廃』の身になった証拠である」。
「自分にとって抵抗のないファッションを部分的にでよいから取り入れて、自分の老後のスタイルをつくっていく」「街に溶け込んだ格好をしようと思えば、多少はファッションの流れも意識せざるをえない。そうすれば、自然に、新たに『現在の自分』をつくり上げる必要も生じてくるだろう」。
生産活動に従事しなくなったからといって人間でなくなる訳ではない。大切な文化を後世に伝えることも必要だ。シニア世代が悲惨な生活をしていたら、それは若い世代にとっても「未来」がないことと同じだ。世代間で対立するのではなく、各世代が協力し合う。
これから、シニア世代の生き方を、まずは学んでみたい。
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