「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展
サントリー美術館(東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガーデンサイド、03・3479・8600)で開催されている「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」展(2010年11月3日~12月19日、サントリー美術館、朝日新聞社主催)に行った。開館時間は日、月、祝日は10時~18時だが、水~土は10時~20時。会社が終わってからでも見ることができるのが魅力。テーマも“江戸メディア文化”のためか、会場はビジネスマンが多かった。
面白かった。18世紀後半、安永・天明・寛政期の江戸。喜多川歌麿、東洲斎写楽らの浮世絵は誰でも知っているが、それがどのように流通し、人気を博したのか、その仕掛け人は誰なのか、などは、あまり知られていない。その仕掛け人にスポットを当てた企画展だ。
しっかりと稼ぐところでは稼ぎ、やりたいことをやる。今の放送メディアなどを見ると、まるで稼ぐだけのために番組を作っているようだ。蔦屋重三郎のプロデューサー魂を見習うべきではないか。
江戸の先進性も体感できた。
明治維新で「江戸」は前近代的なもののように喧伝されたが、越川禮子著『江戸の繁盛しぐさ―イキな暮らしの智恵袋』 (日経ビジネス人文庫)にもあるように、江戸の文化は、これからの日本にも役立つノウハウがたくさんあるのだ。
プレスリリースから、そのポイントを紹介すると――。
18世紀後半、安永・天明・寛政期の江戸には、浮世絵の喜多川歌麿(1753?-1806)・東洲斎写楽、戯作の山東京伝(1761-1816)、狂歌の大田南畝(なんぽ)(1749-1823)といった江戸文化を彩る花形スターが登場します。このスターたちの作品を巧みに売り出し、江戸文化の最先端を演出・創造したのが、版元の「蔦重」こと蔦屋重三郎(1750-1797)でした。江戸吉原の人気ガイドブック『吉原細見』の独占出版、狂歌と浮世絵を合体させた豪華な狂歌絵本の刊行、当時の情勢を風刺した京伝らによる戯作の出版、歌麿の才能を存分に開花させた美人大首絵の発明、謎の絵師・写楽の“発見”など、次々と流行の最前線を創り出し、リードした人物です。
展覧会は4章で構成される。
第1章 蔦重とは何者か? ― 江戸文化の名プロデューサー
歌麿・写楽の名作を次々と世に送り出した蔦重こと蔦屋重三郎。彼は単なる出版人ではなく、企画・製作・流通・販売まで手がける名プロデューサーでした。蔦重の出版物にはしばしば本人の姿が登場し、店の広告塔的な役割を担っていたことを窺わせます。本章では、蔦重の姿が描かれた版本を通じて、江戸文化の仕掛け人・蔦重の人物像に迫ります。
<主な出品作品>
◆山東京伝作『箱入娘面屋人魚(はこいりむすめめんやにんぎょ)』
江戸時代 寛政3年(1791)正月 たばこと塩の博物館蔵
◆浅草市人撰/葛飾北斎画『画本東都遊(えほんあずまあそび)』蔦屋の店先
江戸時代 享和2年(1802) たばこと塩の博物館蔵
◆北尾政演(山東京伝)作/画『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』
江戸時代 天明2年(1782) 東京大学総合図書館 霞亭(かてい)文庫蔵
第2章 蔦重を生んだ<吉原> ― 江戸文化の発信地
蔦重は江戸吉原で生まれ育ち、その地縁を生かした吉原のガイドブック、『吉原細見』の出版から事業を始めます。当時の江戸吉原は、知識人が集う文化サロンでもありましたが、蔦重自身も南畝ら狂歌師たちが開催する狂歌会に参加する文化人でした。本章では、蔦屋の経営を支えた定期刊行物『吉原細見』、狂歌会から生まれた歌麿の狂歌絵本、当時のファッション・リーダーであった江戸吉原の遊女たちを描く浮世絵、当時の情勢を風刺した京伝らによる戯作などを紹介し、最新江戸文化の発信地<吉原>を背景に、蔦重をめぐる文化ネットワークを浮かび上がらせます。
<主な出品作品>
◆北尾政演(山東京伝)画『青楼名君自筆集』
江戸時代 天明4年(1784)正月 神奈川県立歴史博物館蔵
◆宿屋飯盛撰/喜多川歌麿画『画本虫撰(えほんむしえらみ)』
江戸時代 天明8年(1788)正月 千葉市美術館蔵
◆喜多川歌麿画「青楼十二時 続 午(うま)ノ刻」
江戸時代 寛政6年(1794)頃 たばこと塩の博物館蔵
第3章 美人画の革命児・歌麿 ― 美人大首絵の誕生
蔦重は寛政期に、歌麿の<美人大首絵>を売り出します。人物の上半身をクローズアップして描く大首絵は、従来は役者絵に特徴的な手法でしたが、蔦重はこの構図を大胆にも美人画に応用し、一世を風靡しました。本章では、美人大首絵誕生の契機となったとされる歌麿の幻の肉筆画「女達磨図」や「難波屋おきた」など歌麿の美人大首絵の名品を紹介します。
<主な出品作品>
◆喜多川歌麿画「難波屋おきた」
江戸時代 寛政5年(1793)頃 和泉市久保惣記念美術館蔵
◆喜多川歌麿画「女達磨図」
江戸時代 寛政2-5年(1790-93)頃 栃木市蔵(東京初公開)
◆喜多川歌麿画「夏姿美人図」
江戸時代 寛政6-7年(1794-95)頃 遠山記念館蔵
第4章 写楽“発見” ― 江戸歌舞伎の世界
蔦重は晩年、役者絵の出版に本格的に乗り出し、謎の絵師・写楽をプロデュースします。写楽の作品はすべて蔦重の元から出版されていますが、そのデビューは豪華な黒雲母摺(くろきらずり)の役者大首絵を28枚同時に出すという鮮烈なものでした。本章では、写楽の歌舞伎役者絵や相撲絵の名品を軸に、プロデューサーとしての蔦重の手腕を浮き彫りにします。
<主な出品作品>
◆東洲斎写楽画「二世瀬川富三郎の大岸蔵人妻(おおぎしくらんどつま)やどり木」
江戸時代 寛政6年(1794) 城西大学水田美術館蔵
◆東洲斎写楽画「二世嵐龍蔵の金貸石部金吉」
江戸時代 寛政6年(1794) 城西大学水田美術館蔵
◆東洲斎写楽画「四世松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛」
江戸時代 寛政6年(1794) 江戸東京博物館蔵
ビジネスマン必見!
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Comments
蔦谷重三郎
~時の幕府の政策をパロディ化し、身代半減の罰を喰らっても、尚幕府の政策の裏を掻い潜り反逆しまくった素敵な輩「蔦重」。
おいらも見に行きたいなあ、、、
Posted by: タケエル | 2010.12.17 11:50 PM