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佐々木俊尚著『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)

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2011年 新聞・テレビ消滅

 佐々木俊尚著『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書、2009年7月20日発行)を再読した。新聞、テレビの業績は厳しく、新聞、テレビが将来なくなるかもしれないと言っても、「そんなことあり得ない」とは誰も言えない時代になった。しかし、「2011年」と期限を切って「消滅」としたのは、センセーショナルだった。
 佐々木氏は「原因は新聞・テレビのぬるま湯体質という日本の特異性にあるのではない」「新聞・テレビを取り巻いているのは圧倒的な構造不況なのだ」と言う。

 佐々木氏は「2008年からアメリカではじまった新聞業界の地滑り的な崩壊は、3年遅れの2011年、日本でも起きる」「2011年は、テレビ業界にとっては二つの大きなターニングポイントの年である。アナログ波の停波による完全地デジ化と、情報通信法の施行だ。この二つの転回点によって、テレビはこれまでの垂直統合モデルをはぎ取られ、電波利権はなんの意味も持たなくなり、劇的な業界構造再編の波へとさらされることになるだろう」と言っている。
 タイトルにあまり踊らされずに、佐々木氏の指摘する構造的な問題を理解したい。

 構造的問題とは「第一に、マスメディアの『マス』が消滅し始めていること」だ。
 「みんなが同じ商品を買うという大量消費時代は1980年代にすでに消滅している。しかし、消費の大衆時代が終わってしまってからも、メディアの世界の中では依然としてマスが生き残り続けた」「しかしいまやメディアの空間からもますはなくなりつつある」「『日本人全員のためのメディア』というものを誰も期待しなくなってしまっている」。
 もうひとつのマスメディアの構造的問題は、「メディアのプラットフォーム化が進んでいることだ」。
 佐々木氏はグーグルの及川卓也氏の三層モデル(コンテンツ、コンテナ、コンベヤ)を使って説明する。
 新聞は
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞紙面
 コンベヤ=販売店
 というように三層を支配。
 しばらくは
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞社のサイト
 コンベヤ=インターネット
 という形で、ネットでも二層を支配していたが
 最近は、例えば
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=ヤフーニュース、検索エンジン、だれかのブログ、2ちゃんねる
 コンベヤ=インターネット
 となって三層のうち二層までもが他社に奪われてしまったという。
 「垂直統合がバラバラに分解して、新聞社やテレビ局は、単なるコンテンツ提供事業者でしかなくなった。パワーは、コンテナを握っている者の側に移りつつあるのだ」。

 佐々木氏はマスがなくなったあとには、ミドルメディアがやってくると予想する。
 ミドルメディアとは「特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千人から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報」を提供するメディアだ。
 広告も変わり、「テクノロジーを駆使して、徹底的に消費者をターゲティングしていくミドルメディア広告」がインターネットの世界にたくさん現れてきているという。

 電子新聞の問題点も明らかにする。
 「①無料のコンテンツがあるれかえっているネットの世界で、お金を払う価値のあるような良質な記事をちゃんと提供できるかどうか」「②ネット上で有料の電子新聞をスタートさせてもし成功したら、紙の新聞の読者を奪ってしまうことになる」「③紙の媒体と比べると、電子新聞は広告収益が少ない」「④有料の電子新聞は部数がそんなに期待できない」「⑤部数が少なく閉鎖的な電子新聞は、世論形成への影響力が少なくなってしまう」。

 新聞は30万部でも強い影響力のあるクオリティーメディアを目指すしかないのかもしれない。


 次はテレビの動向だ。
 「国民のほとんどにリーチできるテレビというマスメディアを、少数の局で独り占めしてしまう。そういうビジネスモデルでテレビ局はやってきたから、広告効果とかそんなものをいちいち気にする必要もなかった。何しろテレビは圧倒的なマスを相手にしているのだ」。
 「テレビ局員…にとっては、いちばん重要なのはコンテンツじゃなくて、実はコンテナ部分を握れるかどうかということなのだ。だからおもしろい番組を外に出さない、という結論になるのである」。

 しかし、日本のテレビの垂直統合も崩れつつある。
 まず「広告クライアントがテレビCMから離れつつある」。
 そして、「いまやアメリカのオープンな水平分散の世界で生まれたさまざまなサービスやテクノロジー(もちろん、日本で生まれたものもあるけれども)が日本にもどんどん流入してきて、垂直統合を少しずつ壊しはじめている」。

 具体的にはテレビの見方の変化だ。
 「その最初の動きが、ハードディスクレコーダー(HDR)の普及だった。テレビ番組を何十時間分も録画しておくことができて、自分の好きな番組を好きな時間に見ることができる、視聴時間がシフトする――すなわちタイムシフトだ」。
 「二番目のシフトは、プレースシフトだ。つまり『場所の移動』」
 「第三は、『スタイルシフト』」「ユーチューブやニコニコ動画が出てきて、『一対一』ではないテレビの見方が現れた。テレビ番組をネタにして、みんなでコミュニケーションを楽しむという『ネタ視聴』というのが出てきたのである」。
 「いままでは…『いつ見るのか』『どこで見るのか』『どうやって見るのか』というのがすべてテレビ局のコントロール下にあったわけだ。しかし、三つのシフトによって、このコントロールが解かれ、テレビの楽しみ方そのものが視聴者の側に移ってくる」「さらに番組コンテンツ自体も、これまでのように地上波から流れてくるだけでなく、ケーブルテレビや衛星放送、そしてブロードバンドとありとあらゆるところから流れ込んでくるようになる」「またテレビを見る機器も、多様化していく。長尺の映画やNHKスペシャルのような番組を見るためにはリビングの大画面テレビは不動の地位にあるが、ちょっとしたニュースを確認するためにはケータイのワンセグ、ユーチューブのような番組の断片を見る機器としてパソコン、あるいはゲーム機、カーナビ」「ありとあらゆるところから番組が流入してきて、それらの番組をあらゆる機器で、あらゆるスタイルで見る。これこそが本当の『放送と通信の融合』である」。

 テレビの三層モデルはこう変わりつつある。
 コンテンツ=テレビ番組
 コンテナ=テレビ
 コンベヤ=電波

 コンテンツ=テレビ番組
 コンテナ=テレビ、ケータイ、ゲーム機、パソコン
 コンベヤ=電波、ケーブルテレビ、インターネット

 「徹底的にテレビがオープン化されていく」という流れは2011年に施行される「情報通信法」によって促進されると佐々木氏は見る(筆者注:実際は「情報通信法」ではなく、「通信・放送法体系の見直し」として、放送関連4法の統合等、を行った)。
 そして、「完全にオープン化されてしまった動画コンテンツを、コントロールするプラットフォーム」が重要になるという。その役割を負いそうなのが、次世代セットトップボックス(STB)だ。
 「次世代のSTBは、次のような役割を持つ。①地上波やケーブルテレビ経由、ブロードバンド経由で受信した番組コンテンツを、パソコンなどを介在させずにまとめてコントロールできる。②そのように受信した番組コンテンツを、大画面テレビやゲーム機、パソコン、携帯電話などに振り分け、それらの機器で見られるようにする。③番組に広告を配信する機能を持つ。④有料コンテンツの支払いなどを決済できる機能を持つ」「そしてこの次世代STBを握った企業こそが、間違いなくテレビというメディアの最強のプラットフォームになる。そしてこのプラットフォームが現れたとき、従来のテレビ局は完全にコンテナとしての役割を喪失し、プラットフォームから引きずり下ろされる」。
 
 コンテンツ=番組
 コンテナ=次世代STB
 コンベヤ=地上波、ケーブルテレビ、衛星放送、ブロードバンド

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