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佐々木俊尚著『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書)

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2011年 新聞・テレビ消滅

 佐々木俊尚著『2011年 新聞・テレビ消滅』(文春新書、2009年7月20日発行)を再読した。新聞、テレビの業績は厳しく、新聞、テレビが将来なくなるかもしれないと言っても、「そんなことあり得ない」とは誰も言えない時代になった。しかし、「2011年」と期限を切って「消滅」としたのは、センセーショナルだった。
 佐々木氏は「原因は新聞・テレビのぬるま湯体質という日本の特異性にあるのではない」「新聞・テレビを取り巻いているのは圧倒的な構造不況なのだ」と言う。

 佐々木氏は「2008年からアメリカではじまった新聞業界の地滑り的な崩壊は、3年遅れの2011年、日本でも起きる」「2011年は、テレビ業界にとっては二つの大きなターニングポイントの年である。アナログ波の停波による完全地デジ化と、情報通信法の施行だ。この二つの転回点によって、テレビはこれまでの垂直統合モデルをはぎ取られ、電波利権はなんの意味も持たなくなり、劇的な業界構造再編の波へとさらされることになるだろう」と言っている。
 タイトルにあまり踊らされずに、佐々木氏の指摘する構造的な問題を理解したい。

 構造的問題とは「第一に、マスメディアの『マス』が消滅し始めていること」だ。
 「みんなが同じ商品を買うという大量消費時代は1980年代にすでに消滅している。しかし、消費の大衆時代が終わってしまってからも、メディアの世界の中では依然としてマスが生き残り続けた」「しかしいまやメディアの空間からもますはなくなりつつある」「『日本人全員のためのメディア』というものを誰も期待しなくなってしまっている」。
 もうひとつのマスメディアの構造的問題は、「メディアのプラットフォーム化が進んでいることだ」。
 佐々木氏はグーグルの及川卓也氏の三層モデル(コンテンツ、コンテナ、コンベヤ)を使って説明する。
 新聞は
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞紙面
 コンベヤ=販売店
 というように三層を支配。
 しばらくは
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞社のサイト
 コンベヤ=インターネット
 という形で、ネットでも二層を支配していたが
 最近は、例えば
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=ヤフーニュース、検索エンジン、だれかのブログ、2ちゃんねる
 コンベヤ=インターネット
 となって三層のうち二層までもが他社に奪われてしまったという。
 「垂直統合がバラバラに分解して、新聞社やテレビ局は、単なるコンテンツ提供事業者でしかなくなった。パワーは、コンテナを握っている者の側に移りつつあるのだ」。

 佐々木氏はマスがなくなったあとには、ミドルメディアがやってくると予想する。
 ミドルメディアとは「特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千人から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報」を提供するメディアだ。
 広告も変わり、「テクノロジーを駆使して、徹底的に消費者をターゲティングしていくミドルメディア広告」がインターネットの世界にたくさん現れてきているという。

 電子新聞の問題点も明らかにする。
 「①無料のコンテンツがあるれかえっているネットの世界で、お金を払う価値のあるような良質な記事をちゃんと提供できるかどうか」「②ネット上で有料の電子新聞をスタートさせてもし成功したら、紙の新聞の読者を奪ってしまうことになる」「③紙の媒体と比べると、電子新聞は広告収益が少ない」「④有料の電子新聞は部数がそんなに期待できない」「⑤部数が少なく閉鎖的な電子新聞は、世論形成への影響力が少なくなってしまう」。

 新聞は30万部でも強い影響力のあるクオリティーメディアを目指すしかないのかもしれない。


 次はテレビの動向だ。
 「国民のほとんどにリーチできるテレビというマスメディアを、少数の局で独り占めしてしまう。そういうビジネスモデルでテレビ局はやってきたから、広告効果とかそんなものをいちいち気にする必要もなかった。何しろテレビは圧倒的なマスを相手にしているのだ」。
 「テレビ局員…にとっては、いちばん重要なのはコンテンツじゃなくて、実はコンテナ部分を握れるかどうかということなのだ。だからおもしろい番組を外に出さない、という結論になるのである」。

 しかし、日本のテレビの垂直統合も崩れつつある。
 まず「広告クライアントがテレビCMから離れつつある」。
 そして、「いまやアメリカのオープンな水平分散の世界で生まれたさまざまなサービスやテクノロジー(もちろん、日本で生まれたものもあるけれども)が日本にもどんどん流入してきて、垂直統合を少しずつ壊しはじめている」。

 具体的にはテレビの見方の変化だ。
 「その最初の動きが、ハードディスクレコーダー(HDR)の普及だった。テレビ番組を何十時間分も録画しておくことができて、自分の好きな番組を好きな時間に見ることができる、視聴時間がシフトする――すなわちタイムシフトだ」。
 「二番目のシフトは、プレースシフトだ。つまり『場所の移動』」
 「第三は、『スタイルシフト』」「ユーチューブやニコニコ動画が出てきて、『一対一』ではないテレビの見方が現れた。テレビ番組をネタにして、みんなでコミュニケーションを楽しむという『ネタ視聴』というのが出てきたのである」。
 「いままでは…『いつ見るのか』『どこで見るのか』『どうやって見るのか』というのがすべてテレビ局のコントロール下にあったわけだ。しかし、三つのシフトによって、このコントロールが解かれ、テレビの楽しみ方そのものが視聴者の側に移ってくる」「さらに番組コンテンツ自体も、これまでのように地上波から流れてくるだけでなく、ケーブルテレビや衛星放送、そしてブロードバンドとありとあらゆるところから流れ込んでくるようになる」「またテレビを見る機器も、多様化していく。長尺の映画やNHKスペシャルのような番組を見るためにはリビングの大画面テレビは不動の地位にあるが、ちょっとしたニュースを確認するためにはケータイのワンセグ、ユーチューブのような番組の断片を見る機器としてパソコン、あるいはゲーム機、カーナビ」「ありとあらゆるところから番組が流入してきて、それらの番組をあらゆる機器で、あらゆるスタイルで見る。これこそが本当の『放送と通信の融合』である」。

 テレビの三層モデルはこう変わりつつある。
 コンテンツ=テレビ番組
 コンテナ=テレビ
 コンベヤ=電波

 コンテンツ=テレビ番組
 コンテナ=テレビ、ケータイ、ゲーム機、パソコン
 コンベヤ=電波、ケーブルテレビ、インターネット

 「徹底的にテレビがオープン化されていく」という流れは2011年に施行される「情報通信法」によって促進されると佐々木氏は見る(筆者注:実際は「情報通信法」ではなく、「通信・放送法体系の見直し」として、放送関連4法の統合等、を行った)。
 そして、「完全にオープン化されてしまった動画コンテンツを、コントロールするプラットフォーム」が重要になるという。その役割を負いそうなのが、次世代セットトップボックス(STB)だ。
 「次世代のSTBは、次のような役割を持つ。①地上波やケーブルテレビ経由、ブロードバンド経由で受信した番組コンテンツを、パソコンなどを介在させずにまとめてコントロールできる。②そのように受信した番組コンテンツを、大画面テレビやゲーム機、パソコン、携帯電話などに振り分け、それらの機器で見られるようにする。③番組に広告を配信する機能を持つ。④有料コンテンツの支払いなどを決済できる機能を持つ」「そしてこの次世代STBを握った企業こそが、間違いなくテレビというメディアの最強のプラットフォームになる。そしてこのプラットフォームが現れたとき、従来のテレビ局は完全にコンテナとしての役割を喪失し、プラットフォームから引きずり下ろされる」。
 
 コンテンツ=番組
 コンテナ=次世代STB
 コンベヤ=地上波、ケーブルテレビ、衛星放送、ブロードバンド

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竹中平蔵、池田信夫、鈴木亘、土居丈朗著『日本経済「余命3年」 <徹底討論>財政危機をどう乗り越えるか』 (PHP研究所)

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日本経済「余命3年」
 竹中平蔵、池田信夫、鈴木亘、土居丈朗著『日本経済「余命3年」 <徹底討論>財政危機をどう乗り越えるか』 (PHP研究所、2010年12月10日発行)を読んだ。池田信夫氏が司会を務め、財政学の専門である土井丈朗氏と社会保障の専門家である鈴木亘氏が現状を分析、竹中平蔵氏が日本経済の中での財政のあり方を論じている。小黒一正著『2020年、日本が破綻する日』(日経プレミアシリーズ)を読んでいたので、内容をほぼ理解することができたが、基礎知識なしに読むと難しいかもしれない。
 
 第1章 「国家破綻」に至るシナリオ
 「座談会」をまとめた本は、概して素人には説明不足と感じるところが多いが、分かりやすい部分もある。経済書だと、表などを使っての詳細な説明が多いが、座談会のまとめだと、口頭で丸めて説明しているので、概要や要点がつかみやすい。

 土居氏の説明。
 「わが国の財政赤字は、90年代以降、景気対策のたびに累積し、2010年末には政府債務残高対GDP(国内総生産)比で、200パーセントに達する見込みです。この数字は財政危機に陥ったギリシャの120パーセントを大きく上回るもので、先進国中最大です。それでもこれまでは家計の金融資産がたくさんあり、直接・間接に国債を消化できたため、金利はそれほど上がりませんでした。ただ、今後も引き続きそうかというと、かなり危ういと、私は思っています」「いま政府の債務残高は1000兆円近くあり、一方、家計には1400兆円強の金融資産があります。とはいえ家計には住宅ローンなどで、400兆円ぐらいの負債が存在します。これを差し引いた1000兆円が家計の純資産となり、これが国債を消化する余力になります。この家計の純資産と政府の債務残高を比べると、1990年代はまだ家計の純資産のほうが多かったのですが、ここへ来て両者はだんだん近づき、国内で国債を消化するのが年を追うごとに容易でなくなってきています」「できるだけ早く、政府債務残高を抑制する政策に取りかかる必要があり、タイミングを逃すと日本での金利が上昇しかねません。金利上昇はめぐりめぐって、設備投資の際に企業の資金調達コストを上げることになります」。
 
 医療保険と介護保険に関する鈴木氏の説明。
 「重要なのは、これらが実は隠れた債務になっていることです。たとえば年金の場合、すでに保険料率が上がることが確定していますが、医療や介護について厚生労働省は上がるといっていません。…お金がなくても、命に関わる問題ですから、給付を出さざるを得ないわけです。つまり、将来絶対に医療保険給付費や介護保険給付費を支払う必要があるのに、いまその原資を全く用意していないという意味で、これらは一種の債務といえます」「実は年金も同じで、いまの年金受給者、あるいはもうすぐ年金受給者になる人たちに対して、国は死ぬまで年金を支払うことを約束しています。しかし、その裏にある積立金は絶望的に少ない。…合計800兆円の債務超過となります」「医療が380兆円、介護が230兆円で、全部足して債務超過は1410兆円ぐらいになります」「もし政治的に何も改革できなければ、社会保障におけるこのオフバランスの債務は年々、オンバランス、つまり国債発行せざるを得ない現実の債務に変わっていきます」。

 竹中氏。
 「2013年を一つのポイントにする必要があります。民間部門のネットの資産が約1000兆円あり、2012年から13年ぐらいには、これに国債の発行残高が追いついてしまう。そこから先、日本の国債は国民の資産の裏付けのない時代に入ります」「もう一つ、2015年には広義の団塊世代が全員、年金受給年齢に入ります。彼らの社会保障費が、やはり2013年頃からいっきに増えはじめる可能性が高い」「よく日本経済は『全治三年』などという人がいますが、私は『余命三年』と考えたほうがいいと思います。2012年、13年までが最後のチャンスで、それを超えていまのような状況が続くと、本当に何が起こるかわかりません」。

 第2章 税と世代間の負担をどうするか
 土居氏。
 「私の印象では、少なくとも2020年にプライマリーバランスを回復させるのでは遅すぎます。もっと早める必要があり、当然、増税も早めざるを得ません」「このとき切り札になるのが、消費税の増税と法人税の減税をパッケージにして、税収を確保しながら経済成長を損ねないようにする戦略です」「この考え方は、『できるだけ早くやるべき増税をやったほうが、将来上げざるを得ない税率が小さくてすみ、長期的に経済成長に資する』という、課税平準化理論に基づいています」。 
 「私が消費税を上げ急ぐべきと考えるもう一つの理由は、世代間の受益と負担の格差の問題です。端的にいえば、いまの高齢者の方に、もっと納税をお願いする。このとき公的年金等控除をやめる手もありますが、実際にはなかなか難しい。そうなると他の手段として、消費税しかありません」。
 「法人税率引き下げの反対者に私がよくいうのが、コンサルタントや節税の専門家に高い相談料を払って税逃れされるような高い税率を維持するより、税率を下げて税金が国庫に入るようにしたほうがいい、というものです」「グローバル化の中で高い税率を課しても、海外に逃げられるだけです」。

 第3章 社会保障をどうすべきか
 鈴木氏。
 「日本には、スウェーデンやデンマークなど北欧のような高福祉・高負担を目指すべきという議論があり、一方で、いまの日本は低福祉・低負担という議論があります。そこから、もう少し福祉も負担も引き上げる余地があり、中庸をとって『中福祉・中負担』という話になっています」「この議論の根本的な間違いは、OECDにおける中福祉・中負担の国、あるいは高福祉・高負担の北欧の国々では、すでに少子高齢化の時代が終わりつつあるということです」「ところが日本の場合、一世代の間に少子高齢化の構造が急激に変わるような状況です。2010年の段階で、生産年齢人口に対する高齢者の割合は約三分の一で、つまり現役世代三人が一人の高齢者を支える社会です」「こうした現実を考えれば、現在、社会保障の充実などと安易にいえるはずがないのです」。
 「一般会計の社会保障関係費は、社会保障の本体ではありません。…2010年度の社会保障関係費27.3兆円のうち、国が一般会計で公費を支出せざるを得ない部分はわずか6.6兆円なのです」「残り20.7兆は何かというと、社会保険に対して国が出している根拠不明な公費です」。
 「私は年金だけでなく、医療保険も介護保険もすべて積立方式に変えるべきと主張しています」「積立方式というのは、単に、賦課方式の元ではこれから少子高齢化が進んで、将来財政が大変な状況になるので、余裕のあるうちに将来のための『蓄え』を行なって、財政が苦しくなったときに取り崩す『基金』を作りましょうということに過ぎないのです」。

 第4章 経済成長の鍵になる考え方
 竹中氏。
 「現在のグローバリズムについて『フラット化する社会』という表現をする人がいます。これはアメリカのジャーナリスト、トーマス・フリードマンの言葉で、グローバル化が進み、デジタル革命が進むと、賃金水準など国際的に収斂していくというものです」「一方で『スパイキーな(尖った)社会』という表現もあります。非常にクリエイティブな人たちが経済を成長させ、所得をたくさん稼ぐ時代という認識です。これは都市経済学者で、トロント大学教授のリチャード・フロリダの言葉です」「『フラットな世界』においては、同じことをやっていたら給与は下がっていきます。だから日本人は今後、『スパイキーな世界』に挑まなければならず、それができるような政策を日本政府は取る必要があります」。

 第5章 真の「政治主導」の実現を
 (略)

 竹中氏、池田氏の主張はいろいろなメディアで聞いたり読んだりしているが、鈴木氏、土居氏がどんなことを語っているのかは知らなかった。二人の経済学者の主張の一端が分かったのが有益だった。  

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小黒一正著『2020年、日本が破綻する日』(日経プレミアシリーズ)~迫りくる危機を分かりやすく解説

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2020年、日本が破綻する日
 小黒一正著『2020年、日本が破綻する日』(日経プレミアシリーズ、2010年8月9日発行)を読んだ。
 センセーショナルなタイトルだが、本書を読むと、一刻も早く手を打たなければ破綻の可能性が極めて高いことが、説得力を持って語られている。同時に破綻の回避策の具体的な提案もある。

 病名や症状が明らかで処方箋も提示されているのに、政治が動かず破綻の日を迎えるのか。政治を動かさなければいけない。

 第1章 財政破綻はいつ起こるのか?
 「いま欧米を中心に日本リスクに注目が集まっている。公債(Debt)、デフレ(Deflation)、人口動態(Demography)、防衛(Defense)、司令塔なき民主主義(Democracy without leadership)の『5D』リスクだ」。

 「1998年まで、先進国の中で最も財政が悪い『劣等生』はイタリアであった。それが99年を境にその地位は日本に変わった」「OECD(経済協力開発機構)によると、98年の一般政府における金融債務残高(対GDP)は、アメリカが64.1%、イギリスが52.5%、ドイツが62.2%、フランスが70.3%、イタリアが132%、日本が113.2%であった。これが2010年では、アメリカが92.4%、イギリスが83.1%、ドイツが82%、フランスが92.5%、イタリアが127%であるものの、日本は197.2%と突出して財政が悪化している」。

 国の総予算のうち「最も大きな比重を占めているのは、全体の38%を占める『国債費』78.9兆円である。すなわち、国の総予算207兆円の4割ものマネーが借金返済に回っている」「次は、全体の33%を占める『社会保障関係費』68.5兆円であり、9%の『地方交付税交付金等』、5%の『財政投融資』が続く。これらは、年金・医療・介護・生活保護などの社会保障給付や、税収の少ない地方公共団体の行政サービスを維持するための財源、また、民間では供給できない長期・固定の貸付の原資となるものであるから、その削減は容易ではない」。
 
 「増税せずに国の借金をなくすには44.3兆円の予算を削減する必要がある」「仮に31.1兆円の『その他』を全て削減しても、44.3兆円の借金をなくすことはできない状況にまで、日本財政は悪化しているのである」。
 ※公債金収入=借金44.3兆=一般会計歳出92.3兆円-(税収+税外収入)48.0兆円
 ※「その他」31.1兆円は、公共事業関係費8.4兆円、文教及び科学技術振興費5.3兆円、防衛関係費4.8兆円などから構成される。

 「『増税をせずとも、国の総予算207兆円の効率化・削減で、借金返済に必要な予算は簡単に捻り出せる』という議論は大きな幻想であり、誤りである」と小黒氏は言い切る。

 家計貯蓄と一般政府債務の2035年までの推移の試算によると、「2010年に家計貯蓄に対して70%を占めている一般政府債務は、毎年3%弱のスピードで増加していき、2022年には100%を超過する」「今後、少子高齢化がさらに進展し、景気低迷や雇用情勢の悪化などの要因が重なれば…仮定よりも速いペースで家計貯蓄が低下し、政府の借金が家計貯蓄を食い潰す時期はもっと早まるのだ」。

 「政府の借金が家計貯蓄を食い潰す過程で何が起こるのだろうか」「まず、政府は国内から借金ができなくなる」「企業も国内から資本を集めることが難しくなり、海外から十分なマネーが国内に供給されない限り、国内金利が急騰するシナリオが濃厚となる」「金利が急上昇すると、国債価格が大幅に下落するから、金融機関は国債という大量の不良債権を抱える可能性があり、最悪のケースでは、自己資金が欠損・減少し、金融危機が再燃しかねない」。

 「財政破綻を回避するため、できるだけ早期に財政再建を進める必要がある」のだが、巷には、財政再建の障害となるさまざまな誤った議論があるとして、小黒氏は、この後、一つひとつ、そうした議論の誤りを指摘する。

 例えば。
 「景気が回復するまで、財政再建を進めるのは妥当ではない」という議論。
 「いまから景気が回復し始めて、金利が1993年の5%台まで上昇すると、単純計算で、利払費は約4倍の29兆円まで膨らみ、20兆円近くも増加する(消費税1%=2.5兆円で消費税8%分に相当)」「『景気が回復すれば、財政再建しやすい』というのは、財政がそれほど深刻でない段階の話であり、ここまで財政が悪化した現在の日本には当てはまらない」。

 論拠は一つひとつ数字を使って示しており、説得力がある。
 
 第2章 債務超過の日本財政
 直近の国のバランスシートをみると、資産・負債差額は▲283兆円となっている。
 「つまり、国は巨額の債務を抱えているのみでなく、すでに『283兆円の債務超過』となっているのだ」「これが民間企業であれば、通常、債務超過となった段階で倒産してしまうケースも多い。しかし、債務超過でも国が破綻しないのは、政府は国民から強制的に税を徴収できる権限、つまり『課税権』をもつからである」。

 問題は、「政府のバランスシートに計上されていない巨額な債務がある」ことだという。それが「社会保障(年金・医療・介護)が抱える『暗黙の債務』である」「いまの公的年金は、老齢世代が必要な年金を現役世代が支える『賦課方式』という仕組みを採用しているが、医療や介護も老齢期に支出が集中し、その支出を現役世代が支える仕組みになっており、実態としては『賦課方式』と同じだ。だから、いまの医療や介護も、年金と概ね同じ構造となっており、暗黙の債務を抱えているのだ」「一部の専門家は、対GDP比で年金の債務が150%、医療・介護が80%で、合計230%と推計している。…これらの債務は、GDPを500兆円として、年金が750兆円、医療・介護が400兆円で、合計1150兆円となる」「バランスシートに、社会保障の暗黙の債務1150兆円を加えると、国は280兆円の債務超過ではなく約1430兆円もの債務超過になってしまうのだ」。

 この暗黙の債務を減らすために、年金で実施されたのが支給開始年齢の段階的引き上げだ。「支給開始年齢の引き上げは、見かけ上、増税ではないが年齢別課税の一種となって」いる。「この年齢別課税は、かなり不公平な課税方法である。大雑把にいって、60歳から年金をもらえた幸運な世代は課税ゼロで済むが、65歳からもらうはめになった世代は4年分の年金(60歳から64歳)を課税されたことになるからだ」。

 消費税増税には敏感に反応するのに、年金支給年齢の引き上げに対しては目立った反対がなかったような…。目先のことばかり気にする「朝三暮四」のようだ。(^_^;)

 「このような様々な方法を活用して、政府は債務を圧縮しようとしているが、結局のところ、依然として、社会保障がもつ暗黙の債務は若い世代や将来世代を中心に押し付けられているのが実態だ」「暗黙の債務はGDPを500兆円として、1430兆円近くもあるが、このほとんどを30代や20代などの若い世代、あるいは将来世代に背負わせるのが、公平といえるのか」。

 第3章 「埋蔵金」で問題は解決しない。
 日本財政をめぐる危機的な状況の「背後には、急速に進む人口減少や少子高齢化があり、それに対応できていない財政・社会保障の問題がある」「これまでの財政・社会保障システムは、人口増を前提に構築されてきたものが多いが、これらがすでに限界にきているならば人口減を前提とするシステムに再構築しなければならない」。

 「総人口に占める65歳以上の人口比を『高齢化率』というが、…2010年に23%であった高齢化率は、2050年に40%にまで上昇する。総人口は2008年の1.27億人をピークに減少し、2050年には総人口は0.95億人まで減少する。…2010年時点で4人に1人が高齢者(65歳以上)であった社会が、40年後の2050年には、2.5人に1人が高齢者、つまり社会の半分弱が高齢者になる」。

 「高齢化率が7%を超えると『高齢化社会』、14%を超えると『高齢社会』という」「高齢化率が20%以上の社会を『超高齢社会』という。…日本は世界のフロント・ランナーとして最も早い段階に『超々高齢社会』に突入していくのだ」。

 2050年に半分弱が高齢者…。日本はどうなってしまうのだろう。
 財政は超高齢化に耐えられるのか。

 「75年度にはわずか給付費12兆円、保険料10兆円に過ぎなかった社会保障予算は、高齢化の進展に伴い、2007年度には給付費91兆円、保険料収入57兆円にまで急速に膨張した。そして、給付費と保険料の差額は75年度の2兆円から2007年度には34兆円まで急増したが、この差額は主に国や地方の公費負担で賄っているのが実情だ」「今後の超高齢化に伴い、この公費負担は毎年約1兆円ずつ増加していき、2011年度には40兆円、2015年度には43兆円、2025年度には54兆円と、急増していくことが見込まれる」「ピーク時の2055年度は71兆円にまで膨らみ、2011年度と比較して31兆円(消費税12%分)増加する」「つまり、消費税を現行の5%から17%に引き上げ、その増収分を社会保障の安定財源として活用すれば、ピーク時の社会保障予算に必要な公費負担も賄える試算となる」。

 「このように毎年約1兆円のスピードで膨張していく社会保障予算は、一般会計の他の政策的予算を圧迫し、将来の成長を担う投資を蝕みつつある」。
 「高齢化の進展に伴い、1975年度に一般会計予算全体の18.4%を占めるに過ぎなかった社会保障関係費は、99年度には20.1%、2009年度には28%にまで達しており、引き続き膨張していくことは確実だ」。
 「国の借金利払いを含む『国債費』が一般会計予算全体に占める割合も、75年度の4.9%から、2009年度の22.9%に急増している。この原因はかつてのバブル崩壊後の景気対策や公共投資の拡大も含まれるが、いまやその最大の原因は社会保障関係費の補填のため発行している赤字公債の累積だ」「というのは、現在の社会保障給付費の補填の3~4割は税収で補うことができず、この不足分が赤字公債の発行で賄われ、ツケが将来世代に先送りされているためである」。
 「そのツケは『聖域なき削減』という形で、その他の政策的予算にも回されている」「この予算の中には文教予算や公共投資といった投資的側面をもつ予算もあり、…あまりに極端な削減は、将来の経済成長を押し下げてしまう恐れがある」。

 人口減少対策として民主党はこども手当てによる内需拡大を目指しているが、本書の分析では、こども手当では、問題の解決にはならないとしている。人口減少の主因が「女性が出産・育児で失う『就労の逸失所得』だ」からだ。「女性が正社員として就労し続けたケースと、出産・育児のために退職し、その後パートタイムなどとして就労するケースとでは、退職金算定も不利となるから、1億円以上の差がつく」「余程の『超』巨額な子育て支援でない限りは『焼け石に水』で、人口減少は脱出できないのだ」

 第4章 縮む日本経済、進む世代格差
 「いま各世代の受益と負担の構造をみると、将来世代は8309万円もの、20歳代は1107万円、30歳代は833万円、40歳代は172万円の負担超過である一方、50歳代は989万円、60歳以上は3962万円もの受益超過となっており、将来世代と60歳以上世代との世代間格差は1億2271万円にも及んでいる」。

 第5章 「崩壊する社会保障」の再生プラン
 「世代間格差を引き起こす主な要因は2つだ。1つは、現役世代から老齢世代への移転、年金・医療・介護といった『賦課方式の社会保障』だ。もう1つは、将来世代や若い世代へのツケの先送りである『財政赤字』だ」。
 前者については「事前積立」の導入で解決できるという。
 「第1期には16.7%である高齢化率(つまり若者5人に対して高齢者1人の人口比)が、この期の若者が高齢者となる第2期には25%(つまり若者3人に対して高齢者1人の人口比)にまで上昇するとしよう」『年金・医療・介護を合計した、老齢世代1人あたりの社会保障給付費が1年あたり400万円で、その費用は現役世代の負担で賄われるとする」「このような前提で、第1期と第2期の現役世代の負担(保険料)を試算」「第1期は、高齢者1人を若者5人で支えるから、若者1人あたりの負担は1年あたり80万円」で、「もし現役世代1人あたりの年収が500万円とすると、第1期の保険料は16%」になる。」「第2期は高齢化の進展により、高齢者1人を若者3人で支えることになるから、若者1人あたりの負担は1年あたり133万円」となる。「第2期も現役世代1人あたりの年収が500万円とすると、保険料は27%」に上昇してしまう。
 事前積立の考え方は以下の通りだ。
 「第1期の『移転』(80万円)が『少なすぎ』で、第2期の『移転』(133万円)が『多すぎ』と言うだけの問題に過ぎない」「80万円(保険料16%)と133万円(保険料27%)の平均は106.5万円。これは保険料で21.3%」に相当する。「あらかじめ第1期の保険料をおおむねこの21.3%の水準まで引き上げておけばいいのだ。そして、この引き上げで得る増収分(現役世代1人あたり26.5万円=106.5万円-80万円)を高齢化の進展に備えて『事前積立』しておく。他方、第2期の保険料は、積立金を取り崩し、第1期と同じ21.3%の水準まで引き下げてあげればよいのだ」。

 第6章 いまこそ世代間の公平を実現せよ
 「いまの若者の負担を軽減するには、中高年世代が追加負担をせざるを得ない。負担が増える人々は、理屈の上ではそれが『公平』だと分かっていても、やはり自分たちが『損』をするという思いにとらわれ、抵抗を感じるだろう」「現在の社会保障制度によって最も『損』をするのは、まだ選挙権さえもたない(あるいは生まれてさえいない)将来世代である。その世代が不利益を被らないような意思決定を行うのは難しい」「このような民主主義の弱点と現行憲法の欠陥を克服し、損得勘定をめぐる世代間の対立などを防ぐためには、いかなる社会情勢になろうとも『公平』を維持するだけの強制力をもつ法律を、あらかじめ用意しておくべきだろう。…それが、…『世代間公平基本法』だ」。
 「この基本法には、その目的、実現に必要な枠組み、工程表などを盛り込むことになるが、その中でも特に重要なのは、まず『世代間公平委員会』を設置することである」「『受益』と『負担』の一方を政治が決め、それに合わせてもう一方の水準が公平になるよう調整するのが世代間公平委員会の役目だ」。

 「少子高齢化が進展して新たな財源が必要となるたびに、『どれだけ借金をするのか』『何を削って社会保障に回すのか』という議論が巻き起こり、政治的な利害対立を招くことになる」「これを解決するためには、あらかじめ社会保障のベース財源(公債を除く)を1つに決めておくべきだろう」。

 「少子高齢化が進展し、国際競争が激しさを増す中、活力を失いつつある日本経済に残された課題は『成長戦略』だ」。しかし、「日本全体のエネルギーを『成長戦略』に傾注するには、まずもって、財政・社会保障の再生が成し遂げられている必要がある」。

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野村総合研究所情報・通信コンサルティング部著『IT市場ナビゲーター2011年版』(東洋経済新報社)~2007年版以降、中身がどう変わったか

Itsijounavigator
IT市場ナビゲーター2011年版
 
 野村総合研究所情報・通信コンサルティング部著『IT市場ナビゲーター2011年版』(東洋経済新報社、2011年1月5日発行)を読んだ。この本は2007年版からずっと読んでいる。第2章ネットビジネス市場、第3章モバイル市場(2008年版まで携帯電話市場)、第4章ブロードバンド市場、第5章放送メディア市場(2008年は放送・コンテンツ市場、2007年は放送市場)、第6章ハード市場は市場規模の変化をみるのに役立つが、序章、第1章「これから情報・通信市場で何が起こるのか」は毎年のトレンドを紹介している。

 そこで2011年版だけでなく、2007~2010年版の序章、第1章もレビュー、この5年間のIT市場の変化を追ってみたい。

 2011年版の序章のタイトルは「ICT市場の閉塞打破に向けて」。
 「1990年代中盤から市場の成長をリードしてきたネット(ブロードバンド)と携帯電話サービスの普及は、数量視点では、ほぼ上限に到達した」「ICTそのものの普及を目的とした事業展開ではなく、環境、高齢化、社会インフラの老朽化対応といった課題解決に貢献するため、交通やエネルギーなど他の社会インフラ産業との同期、業際領域での連携など、『コーディネーター役』としてのICTの役割に活路を見いだす時期と考えられる」

 2010年版の序章のタイトルは「業際・融合領域を模索する転換期のIT市場」。
 「量的な『普及』を軸とした成長シナリオは、非常に期待しにくい状況にある」という点は2010年版ですでに指摘している。
 しかし、2010年版では、環境、高齢化といった社会の大問題の解決のためのICTというよりは、ICT基盤の上で展開されるさまざまなコンテンツやアプリケーションに焦点を当てていた。
 「ネットサービスの『普及』が一巡したことを受けて、これらの基盤の上で、非常に短期間に新たな産業や企業が次々と生み出されてきた。放送や金融など、ITにとっての隣接領域も、同様に有望領域となっている」「今後、中期的な視点でIT市場の成長シナリオを見通すには、『新たな産業の育成』と『既存産業の業際見直し』という2つの視点に着目する必要がある」。

 2009年版の序章のタイトルは「転換期のIT市場」。
 2010年版の序章とほぼ同じ内容だった。(^_^;)

 2008年版の序章のタイトルは・・・これまた「転換期のIT市場」。
 こらこら、2010年版と同じ内容じゃないか。(-゛-メ)

 2007年版も「転換期のIT市場」であまり変わらない。
 2011年版は、久しぶりに「公的なサービスへのICT利用」と言う新しい視点を打ち出したことが分かる。

 第1章は、同じということはあるまい(電子書籍で販売して、それ以降は、変わったところだけ、安い値段で売ってほしい、という気分になってきた)。

 逆に2007年版から。
 1.1 Web2.0の潮流:情報大航海時代の羅針盤となるブログ・SNSという個人メディア
 「ブログとSNSの利用者数は、我が国では2004年頃から急増し始め、2006年3月末現在の利用者数は、ブログが868万サイト、SNSの登録が716万登録である(総務省発表資料)」「NRIでは2011年度末までに、ブログが1813万サイト、SNSの登録が5110万登録まで拡大すると予測している」。
 1.2 消費者視点に立った通信と放送の融合に向けて
 取り上げられているのはGyao、YouTube、Yahoo動画、ワンセグ、「テレビポータル」。10年も前のよう…。
 1.3 決済プラットフォームの行方
 1.4 情報・通信サービスと金融サービスの融合 
 1.5 多業界にわたり広まるポイント・マイレージ
 1.6 情報家電と連携したネットサービスが、日本の家電業界進化の鍵
 1.7 コンテンツ流通のネット化への対応
 1.8 テレビの新たな視聴スタイルをつくり出すテレビポータル
 「アクトビラ」。期待ほどではなかったようだ。
 1.9 日本における通信・放送関連の法制度改正の動向
 
 2007年版は初めて買った『IT市場ナビゲーター』だったので、情報整理ができて、ずいぶん活用した。
 
 2008年版。
 1.1 情報通信産業(ICT産業)の国際競争力と国際共生力の強化
 1.2 電子マネー
 1.3 内部統制関連市場
 1.4 電波政策の動向とその影響
 1.5 セカンドライフ
 1.6 ボランタリーウェブ社会の創造
 1.7 エレクトロニクス再編の可能性
 1.8 メディア・コンテンツ産業の再編成の展望

 2007年版で取り扱っていないテーマを見つけて特集を組んだ感じだが、「これが今のトレンド」とはあまり思えず、ほとんど読まなかった。

 2009年版。
 1.1 新たな取り組みが求められる民間放送局
 「2008年度に入り、スポット広告収入の大幅な減少が影響して、民間放送局各局の業績が軒並み悪化している。上半期の決算を見ても、・・・キー局2社が営業赤字となった」「地上波放送メディアに対する、消費者や広告主の考え方の変化が影響し始めていると考えられる。消費者にとっては、テレビが唯一の放送メディアではなくなり、さらには放送をリアルタイムに視聴することも減少してきている。そのため広告主にとっても、地上波放送は莫大な広告費をかけるメディアではなくなりつつある」。
 「CS放送やケーブルテレビ、IP放送などの多チャンネル放送サービスの世帯普及率は2割(約1100万世帯)にのぼる。・・・オンラインレンタルビデオショップサービス(インターネット経由で申し込んで、宅配で受け取れるサービス)などの新しいサービスが提供されており、加入者数を増やしている。インターネット経由で、PCを用いて視聴するVOD(ビデオオンデマンド)サービスも普及しつつある」
 1.2 携帯電話市場のオープン化
 1.3 情報通信社会に求められている消費者保護
 1.4 IDと個人情報は個人の手元へ還る
 「OpenID(オープンID)が注目されている。OpenIDとは、インターネット上において、利用者自身が自分が持つIDの中から1つを選択し、それを他のサービスにも利用できるようにする仕組みである」。
 1.5 インターネット上の有害情報と対策
 1.6 痛みを超えてグローバル化を見据える電子マネー市場
 1.7 SaaS市場の本格的な立ち上がり
 1.8 デジタルネイティブ世代の台頭とメディア・コンテンツ産業の再編シナリオ
 「1990年以降に生まれ、物心ついた小学生の頃から携帯電話、PC,デジタルビデオレコーダーなどを活用している、いわゆる『デジタルネイティブ』世代が2015年には20代に達し、消費の中心に踊り出る」。

 テレビ局の苦悩といった現実的な問題があったこともあるが、取り上げるテーマが、より具体的で、役に立った。

 2010年版。
 1.1 ITを活用したソーシャルビジネスは社会変革の起爆剤になる
 1.2 仮説思考からの脱却がMOP、BOPマーケット成功の鍵
 1.3 期待と不安が入り混じる携帯端末向けマルチメディア放送
 1.4 中国市場に広がる模倣携帯電話「山寨機」

 専門的なテーマばかりという感じだった。携帯端末向けマルチメディア放送については課題が多いということがよく分かった。

 そして2011年版。1年おきに当たり年になるような感じなので、期待して読んだ。
 期待通り!2011年版は今後のビジネスにも役立ちそうな具体的な情報が多かった。

 1.1 ICT政策動向~「光の道構想」の行方
 ◆論点1:「光の道」は、光ファイバーの道か、象徴としての光の道か
 「現時点では、光ファイバーが通信速度という面で一歩抜きん出ているが、『技術中立性』という考え方にのっとれば、特定の技術に偏った政策を打ち出すべきではなく、むしろ技術間競争を促進させる政策が望まれる。ケーブル(HFC)や地域WiMAXでも、下り30Mbps以上の速度が出ることから、地域特性(敷設の難易度や費用対効果)に応じて光ファイバー、ケーブル、WiMAXなどをうまく使い分けるべきである」。
 ◆論点2:インフラ整備か、利活用か
 「ブロードバンドインフラを利活用する上で、ボトルネック(隘路、障害)となっている、さまざまな規制の緩和や、教育、医療・福祉、行政など多様な分野でのICTの徹底利活用を促進させることが、ひいてはより高速なブロードバンドニーズを喚起し、一方高速ブロードバンドインフラの普及が、そのインフラ上での多様なサービスを産み出すという構図となっている」。
 ◆論点3:ボトルネック設備の分離か、否か
 「『設備競争なくして利用者利益なし』という…考え方が、WG・判断のベースとなった」「NTT東西の光ファイバー回線というボトルネック設備に関して、それを利用する各社の同等性を確保するためには、別会社として“切り出す”という最終手段ではなく、管路・とう道などの線路敷設基盤のさらなる開放、NTT東西の加入光ファイバー接続料の低廉化、そして、『機能分離』」が必要と判断したという。
 ◆論点4:設備規制か、SMP規制か
 「以前からある我が国のドミナント規制が、ボトルネック設備を保有している事業者に対する『設備規制』であるのに対して、『SMP規制』は、ボトルネック性以外の要素にも着目して市場支配力を判断し、その状況に応じた規制を柔軟に課すことができるという利点を有している」。
 ◆論点5:ノンビリ型か、スピーディ型か
「孫氏の提案する『スピーディ』では、NTT東西のボトルネック部門で資本分離した上で、5年という短い期間の中で、一気に全国5000万世帯のメタルアクセス回線を光に置き換えてしまう、しかも税金投入はゼロで、というプランである。しかし、そこには、さまざまなリスクと軋轢が生じる可能性がある」「このような決断は、結局、政治家に任されるべきものである」。
 1.2 全貌が見え始めた携帯端末向けマルチメディア放送
 V-Highマルチメディア放送(全国向けの放送)携帯電話向けサービス 
 「有料サービスとなると、消費者への浸透度合いは大きく後退する。現在、携帯電話向け有料動画配信サービスを展開している事業者の中で最大の会員数を持つBeeTVでも、2010年3月時点でようやく100万人に達した段階」「サービス成功のカギは、委託放送事業者(受託放送事業者からインフラの提供を受けて、コンテンツを提供する事業者)が、既存の携帯電話向け動画配信サービスと差別化されたコンテンツを提供できるかどうか(product)、および現在有料動画を携帯電話で視聴していない層に対してどうプロモーションをかけていけるか(promotion)にかかってくる」。 
 product面では「リアルタイム型サービスを提供するのであれば、人気コンテンツよりも、ワンセグで提供されていないような専門コンテンツを提供すべきである。具体的には、地上波で提供されていないようなスポーツやニュースの配信などが考えられる」「蓄積型サービスであれば、既存のサービスで提供されているマスコンテンツを提供しても、消費者へのレコメンデーション(推薦情報の付加)で差別化を行うことができる」。
 V-Lowマルチメディア放送(地域ブロック向けの放送)
 「悪化する受信環境への対策として、ラジオ業界が著作権などの長年の調整の末に実現にこぎつけたのが、東京と大阪の民放ラジオ局13局の番組を、インターネットで地上波と同時放送するIPサイマルラジオ『radiko』である」「radikoの事例から示唆されるV-Lowマルチメディア放送への教訓としては、まず良好な受信環境を築くことが、サービス成功のためには必須である」。もっとも「既存の放送設備の更新もままならない状況にあるラジオ局にとって、新しいビジネスチャンスをもたらすとはいえ、V-Lowのための設備投資に割ける投資余力は少ない」。
 「また、すでに普及している汎用端末上で聴取可能にすることがradikoの成功の一因だとすると、対応端末の普及はV-Lowマルチメディア放送成功の必要条件といえる。新たにV-Low専用端末を聴取者に購入してもらうよりは、外付けチューナーを普及させるか、あるいはV-Lowチップを搭載した汎用端末を普及させるべきであろう」「キャリアという後ろ盾がなく、財政的に厳しい状況にあるラジオ局が主なコンテンツ提供事業者と想定されるV-Lowマルチメディア放送の方が、問題は深刻である」。
 1.3 アジアコンテンツ市場
 「2010年5月には経済産業省に設置された『コンテンツ産業の成長戦略に関する研究会』から、2020年の目標として、国内外売上高を現状の15兆円から20兆円、海外売上高を現状の0.7兆円から2.3兆円と3倍に増加させることで輸出産業TOP5入りを果たすことや、コンテンツ産業の雇用を5万人増加させるといった、具体的な数値目標を示した報告書が取りまとめられた」「2010年の6月には同じく経済産業省に『クール・ジャパン室』が開設」された。
 「アジアの新興国では、PCよりも先に携帯電話が普及してきており、着メロや壁紙、ゲームなどコンテンツに関するビジネスも携帯電話から始まっている。日本では人気コンテンツの会員数は数100万人程度であるが、10億人を超えるアジアの携帯電話市場では、それが数千万規模に膨れ上がる可能性がある」。
 もっとも「日本でビジネスをする場合に比べて高料率の回収代行手数料に加えて、単価の安さが日本のコンテンツ事業者に海外展開を思いとどまらせる理由になっている」。
 「日本企業がアジアでコンテンツビジネスを行っていく上では、いかによい海外のパートナーを見つけられるかが重要なポイントとなる。特に注目される分野としては漫画やアニメーション、キャラクターゲーム、それに紐付くキャラクター製品などがあげられるが、言語や文化・慣習、事業環境が異なる海外市場において、日本でヒットしたコンテンツをそのまま輸出していくだけのモデルでは、海外市場で継続的にビジネスを行うことは難しい」。
 1.4 本格的に立ち上がる電子書籍・iPad
 「1つ目の変化として、日本では、2009年にアマゾンのキンドル、そして2010年にはiPadと、話題の電子書籍端末が発売され、その市場が立ち上がったことがあげられる」
 「もう1つの変化は、これら端末の販売拡大を受けて、2010年から雑誌・新聞などの電子化が進んでいることである」。
 「電子書籍でも…電子化ならではの部分購入やレンタル機能などにより、利用者が拡大する可能性はある」「『画像・映像・音楽コンテンツとのリンク』に対するニーズも比較的大きく、消費者の15.3%が『メリットを感じる』と答えている」。
 「コンテンツが充実した後の電子書籍ビジネス拡大においては、『クラウドコンピューティングを活用したコンテンツの提供』、『教育分野での活用』『広告収入』などがカギになると考えられる」。

 1.5 ソーシャルメディアの到来:一人ひとりの個人の力が社会を変革していく
 「利用者は全世界で1億人を大きく上回り、日本でのTwitter利用者も1000万人を超えた(2010年8月)」。
 Twitterを支えているのは次の3つのユーザーだという。
 「クリエイター」「多くの共感を呼ぶツイートをする(つぶやきを入力する)人」
 「エディター」「新たなハッシュタグ(#から始まるアルファベットの文字列。Twitterを分類するタグ情報)を作り、情報の整理に努めている人たち」
 「バリュア」「『これは』と思うつぶやきに対して、リツイートをする。それは無言の評価であり、相手への拍手と捉えられる」
 「Twitterは手軽さゆえに、実名で登録している人が多い。批判にさらされることも少なく、言葉足らずでも、気軽につぶやける」
 1.6 クラウドによる国内ICT市場の破壊とビッグデータビジネスの可能性
 1.7 スマートグリッドとITの可能性
 1.8 インターネットを活用した健康管理サービスの今後

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映画『ソーシャル・ネットワーク』(The Social Network)~フェイスブック創業者の赤裸々なドラマ

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 映画「ソーシャル・ネットワーク」(The Social Network)を有楽町マリオン9F(東京・有楽町)の丸の内ピカデリーで観た。世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Network Service、SNS)「フェイスブック」の誕生をめぐる人間ドラマだ。満席だった。

 昨年10月1日(金)に北米公開となり、すでに映画の各賞を受賞(ニューヨーク映画批評家協会賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、ナショナル・ボード・オブ・レビュー、アメリカ映画協会賞、ボストン映画批評家協会賞、サンフランシスコ映画批評家協会賞などすでに13の映画賞で作品賞ほか監督賞、主演男優賞など40以上の賞を受賞)したことも人気の秘密だと思うが、今をときめくフェイスブックへの関心の高さが裏付けられた。

 2010年10月9日付週刊東洋経済が特集『ネット「新」金脈』で「グーグルを超える新しい覇者 フェイスブックの野望」という記事を書いている。
 「ネットの主役企業に躍り出たフェイスブックの創業は2004年。わずか6年前のことだ。ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカ―バーグ氏が学生に限ったコミュニケーションツールとして始めたものだ。その後、06年に一般ユーザーに開放してから、急成長神話が始まった。07年にはマイクロソフトからの50億ドルの買収提案を断り、出資比率1.6%だけで2.4億ドルを得ることにも成功した」「現在も株式は非公開。業績も開示していない。09年4~6月期にキャッシュフローが黒字化したと公表している程度だ。10年12月期の売上高は約15億ドルになると推定するアナリストもいるが、これはグーグルの09年12月期の売上高236億ドルの足元にも及ばない」「圧倒的なユーザー数やページビューに見合うだけの収益をどのように稼ぐかは目下、不透明だ。が、明らかなのは仮想敵であるグーグルがこのフェイスブックの躍進を警戒し、盛んに対抗措置をとっていること。この2社のつばぜり合いが現在のネット業界の最大の焦点と言っても過言ではないのだ」。

 いろいろな数字を紹介しており、これを見るだけでもフェイスブックの勢いが分かる。
 ユーザー数5億人 1ヵ月に1度でもログインするユーザーは2010年7月に5億人を突破。平均で1人当たり130人の友達がいる。
 アクセス数1位 米国では2010年3月にグーグルを抜き、フェイスブックが1位になった。ユーザー数、訪問時間合計などの指標でもグーグルに肉薄している。
 オブジェクト数9億 グループ、イベント、コミュニティページなどのオブジェクトが9億以上あり、平均で1人当たり80のオブジェクトを活用、毎月90の書き込みをする。
 アプリ数55万 フェイスブックのプラットフォーム上には55万以上のアプリ。100万以上のサイトがフェイスブックとの連携機能を導入済み。
 海外比率70% ユーザーの約70%が米国以外。70以上の言葉で翻訳されており、翻訳には30万人以上のユーザーが協力している。

 私も実名でフェイスブックを使っている。この人はあなたの友人ですか?とたまに聞かれ、そこに知人がしっかりとリストアップされているのに驚く。実名だと、リアルのネットワークとも連動する。だからフェイスブックは強いのだろう。

 映画のストーリーは以下の通り(ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントのプレスリリースより)。
 2003年、ハーバード大学に通う19歳の学生マーク・ザッカーバーグは、親友のエドゥアルド・サヴェリンとともにある計画を立てる。それは、大学内で友達を増やすため、学内の出来事を自由に語りあえるサイトを作ろうというもの。閉ざされた"ハーバード"というエリート階級社会で、「自分をみくびった女子学生を振り向かせたい」そんな若者らしい動機から始めたこの小さな計画は、瞬く間に大学生たちの間に広がり、IT界の伝説 ナップスター創設者のショーン・パーカーとの出会いを経て、ついには社会現象を巻き起こすほどの巨大サイトへと一気に成長を遂げる。一躍時代の寵児となった彼らは、若くして億万長者へと成り上がっていく一方、最初の理想とは大きくかけ離れた孤独な場所にいる自分たちに気づくが――。

 監督:デヴィッド・フィンチャー  製作総指揮:ケヴィン・スペイシー  脚本:アーロン・ソーキン
 出演:ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド、ジャスティン・ティンバーレイク、ルーニー・マーラ  ほか
 原作:ベン・メズリック著「facebook 世界最大のSNSでビル・ゲイツに迫る男」(青志社)

 映画のカタログに「YOU DON'T GET TO 500 MILLION FRIENDS WITHOUT MAKING A FEW ENEMIES」とあるが、ここまでモデルとなった企業や経営者について(かなりネガティブな)実像を描いた作品は珍しい。「あなたはオタクじゃなくて性格が悪いの」と彼女にふられ、ブログに彼女のプライバシ―を含む悪口を書く。ハーバード大学の情報をハッキングして得た女子学生の身分証明書写真を使って女性の顔を比べる勝ちぬき投票ゲームをネット上に公開し、ハーバードの全女子学生を的に回す――。フェイスブックの創業者としては隠したいような成長神話の裏話が最後まで描かれる。

 プライバシーを公開するフェイスブックの創業者だからこそ、ここまで自分をオープンした映画を容認できたのかもしれない。

 クールな映画だった。

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若松(東京・銀座、甘味処)~銀座のど真ん中でのんびりできる

 甘味処の老舗、若松(東京都中央区銀座5-8-20 銀座コア1F、03・3571・1672)に行った。
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 銀座コア1階の入り口のほか――。

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 通りから直接入れる入り口がある。もともと古くからこの場所にあり、銀座コアオープン後もこの場所に残った店なのだ。

 同店は、嘉永年間上野忍川のほとりにあった輪王寺宮御用の菓子司「若松」(維新後廃業)の衣鉢を継いだもの。初代森半次郎が銀座尾張町(現在地)に独立したのが明治二十七年、ちょうど日清戦争の鈴の音を聞きながらの開業であった。汁粉一杯一銭五厘で開店当日の売上げが二円五十銭也の好況。その入念な甘味は忽ち評判をとり、今日の盛名の基をきづいた。
 初代没後、二代目が森半次郎を襲名し、その研究熱心さと積極的な経営によって「若松」の名を一段と高らしめている。二代は大正震災後の帝都復興の気運の中で、あんみつを創案して売り出し、これが大ヒットとなって今日では全国的に広がっている。
 この「あんみつ」と「粟ぜんざい」は同店の看板で、銀座を通る甘党ならば誰知らぬ者はない。現在も、三代目森一により、御土産用「あんみつ」の開発など伝統の味を継承し、平成のいま、いつも明るく、品のいい雰囲気にあふれている。いつまでも、懐かしい店である。(「東都のれん会 しおり」から抜粋)。

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 銀座コアを訪れる若い女性ばかりかと思ったら、店内は古くからのファンと思われる年配客が多かった。お土産だけを買っていく人も多い。

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 元祖あんみつ(900円)を食べた。懐かしい味。

 なぜか「食べログ」の評価が低いが、何度もお茶を入れてくれるし、静かでのんびりできる。
 応援したい店だ。
 簡単な食事もできる。

 メニューは以下の通り(クリックすると大きな画像で見られます)。
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 営業時間は11:00~20:00。無休。

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谷中七福神めぐり番外編~谷根千“せんべい七福神めぐり”

 谷中七福神めぐりの計画を立てる時に参考にした『散歩の達人』2007年10月号「志ん生一家に愛された町 谷中・根津・千駄木」に「せんべい屋ローラー作戦」という記事があった。読むと、ちょうど7軒のせんべい屋が紹介されている。それでは、この7軒も回ってみよう!ということで「谷中七福神めぐり番外編~谷根千“せんべい七福神めぐり”」を敢行した。

 修性院の頼り甲斐のありそうな大きな布袋様を拝観してから天王寺に向かう途中、「谷中せんべい」の看板を見つけた。
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 谷中せんべい 信泉堂(台東区谷中7-18-18、03・3821・6421)だ。

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 『散歩の達人』で薦めていた堅丸(65円)を買った。

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 オーソドックスなおいしいせんべい。堅さも、厚さも、醤油の味も好きだった。次はたくさん買って帰ろう。

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 営業時間は9:30〜18:20、火曜定休。

 2件目は谷中せんべいのすぐ近くだったが――。

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 なんとも味わいのある路地にあった。

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 都せんべい(東京都台東区谷中7丁目18-13、03・3828・4435)。

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 『散歩の達人』で薦めていた堅焼(70円)を買った。

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 醤油の味が谷中せんべいとちょっと違う。こちらの方が個性的。

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 営業時間は9:00~18:30。月曜定休だが、祝日なので営業していた。

 さて、順調に進み始めたと思ったせんべい店めぐり。その後、つまづいた。

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 いせ辰に行った後、加賀屋谷中店(台東区谷中3-13-16)に向かったのだが――。

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 住所の場所ではインフォメーションセンターの工事が進んでいた。電話は通じず。
 工事していた方に聞くと、「ここ、せんべい屋さんだったんだよ」。
 う~ん。“せんべい七福神めぐり”のはずだったのだが、「6」になってしまった。

 気を取り直して、菊見煎餅総本店(文京区千駄木3-37-16、03・3821・1215)に向かったが、この店は月曜日が定休。しかし、都せんべいも営業していた。三連休の最終日。七福神めぐりの客も多いので、当然開いていると思って行ったのだが――。

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 閉まっていました。(゚Д゚)ハァ?

 そして…。次のせんべい屋「八重垣煎餅」がなかなか見つからなかった(表通りだったのに…)。

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 所在地が文京区根津1-23-9-102。102というところで、マンションの1階か…などと思ったのが間違い。分かりやすいところにあった。近くの鯛焼きの店には列ができていた。ちょっと気になったが、八重垣煎餅(03・3828・7228)に入った。

 入るとお茶を出してくれた。サービス満点。
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 ゆっくりできた。

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 店頭でせんべいを焼いていた。楽しい。

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 「江戸の堅焼」(150円)。観光化されているためか、他店よりは値段が高い。

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 「煎餅」という漢字の通り、もちもちの厚いせんべい。焼きたてだから、もちもちなのかもしれない。
 いろいろなせんべいを扱っているのでお土産ならば、この店かもしれない。
 無休。

 次の店は昔せんべい大黒屋(東京都台東区谷中1-3-4、03・3821・7000)。

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 大黒様が飾ってある、まさに七福神せんべい。
 商店街のホームページの中に大黒屋のページもあって、作りにこだわっていることが分かる。
 「いらっしゃいませ、昔せんべい大黒屋でございます。当店の炭火手焼きは厳選されたお米と香り豊かな本醸醤油、炭は紀州備長炭にて一枚一枚丁寧に昔ながらの味と伝統を守り続けております。谷中・根津の散策の折に、慶弔、各種ご進物に。お電話にて発送も承っております。ご来店お待ち申し上げます」。
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 店頭でせんべいを焼いている。名人芸。

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 1枚売りは売り切れていたので、10枚入りを買った。
 「醤油」10枚入り1200円。

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 八重垣煎餅比べて厚くはないが、しっかりした醤油味。こだわりが感じられるせんべいだ。

 営業時間は10:30~18:30。木曜定休。

 最後の店は、嵯峨の家(東京都台東区谷中6-1-27、03・3821・6317)。

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 しゃれたせんべい、あられを売る店。

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 秋の夜(47円)を買った。

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 食べやすい大きさだし、とてもおいしかった。

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 この店は弁天様、という感じか。
 営業時間は9:00~19:00。水曜定休。

 最後の2店を回って七福神とせんべいがオーバーラップした。
 最初の谷中せんべいは布袋様か。
 八重垣は商売熱心なので恵比寿様?
 
 楽しいせんべい店めぐりだった。

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谷中七福神めぐり~個性的な七福神が楽しい

 谷中七福神めぐりをした。ご開帳、ご朱印は10日の17時まで。ぎりぎりで旬な七福神めぐりができた。

 昨年、新宿山ノ手七福神めぐり港七福神めぐり日本橋七福神めぐり深川七福神めぐりを行ったが、ご開帳の時期ではなく、街を知るには良かったが、人も少なく盛り上がりに欠けた。

 今年は2日に日本橋七福神めぐりをして、にぎわいに感動。多くの神様を見ることもできて良かった。
 
 そして、およそ250年前に始まったと言われる江戸最古の七福神(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)、谷中七福神めぐりを行った。
 すべてがお寺で構成された七福神で、神様たちを間近で拝めた。
 今までの七福神めぐりの中で最も中身の充実した七福神めぐりだった。

 谷中七福神は、東京都台東・荒川・北の3区・7寺院に祀られている七福神をめぐるもの。東京都交通局の「ふれあいの窓」のバックナンバー、東京WALK1万歩 谷中七福神めぐり編を参考にして回った。

 これまでの七福神めぐりの記事は「詳し過ぎる」との声もあったので、今回は写真を重視、説明は最低限にとどめたい。

 スタートはJR田端駅。
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 北口改札の上にはスターバックス・コーヒーのマークが見える。
 改札を出て右、アトレヴィ田端のエスカレーターを上ると、スターバックス・コーヒー アトレヴィ田端店がある。

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 集合場所に最適。営業時間は月~金が7:00~22:00、土・日・祝が8:00~21:00。

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 田端駅には谷中七福神めぐりのリーフレットがあった(ちょっと端が破けたりしているが、クリックすると大きな画像が見られます)。

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 最初のお寺は東覚寺(とうがくじ、北区田端2-7-3、03・3821・1031、9:00~17:00)。
 リーフレットによると、「福禄寿を祀る寺院。延徳3年(1491)創建で、慶長年間に現在地に移転。江戸時代には徳川歴代将軍の祈願所として栄えました」とのこと。

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 福禄寿。

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 七福神も勢揃い。

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 入り口には、赤紙仁王も。
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(クリックすると大きな画像で見られます)
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(クリックすると大きな画像で見られます)
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 2番目のお寺は青雲寺(荒川区西日暮里3-6-4、9:00~16:00、1月1~10日は~17:00)。

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 リーフレットによると、「恵比寿神を祀る寺院。境内には滝沢馬琴の筆塚碑など、江戸時代を代表する文人の碑が多く残っています」。

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 恵比寿神。

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(クリックすると大きな画像で見られます)

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 滝沢馬琴の筆塚碑。

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(クリックすると大きな画像で見られます)

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 3番目のお寺は修性院(しゅうしょういん、荒川区西日暮里3-7-12、03・3823・0873、9:00~17:00)。
 リーフレットによると、「四季折々に花が咲き、江戸時代から花見寺として名高い寺院。堂内の布袋尊はその地名から『日ぐらしの布袋』と親しまれています」。

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 頼り甲斐のある布袋様。

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 天王寺に行く前、なかなか良い感じの神社があった。

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 諏方神社。

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 4番目のお寺は天王寺(台東区谷中7-14-8、03・3821・4474、6:00~17:00)。
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 リーフレットによると、「江戸時代“富くじ”で賑わった古刹です。毘沙門天を祀る毘沙門堂は、焼失した五重塔の残材で建てられたケヤキ造り」。

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 毘沙門天。

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 谷中霊園。

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 天王寺五重塔跡。
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 5番目のお寺は長安寺(台東区谷中5-2-22、03・3828・1094、9:00~17:00)。
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 リーフレットによると、「寛文9年(1669)老山和尚による創建。安置されている寿老人像は徳川家康の寄進と伝わっています」。

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 寿老人。

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 『悲母観音』などで知られる日本画家、狩野芳崖の墓がある。
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 「東京WALK1万歩 谷中七福神めぐり編」のコースにあった千代紙の店、いせ辰(台東区谷中2-18-9、03・3823・1453、10:00〜18:00)に向かう。途中の町並みが味わいがあった。

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 築地塀。この景観は「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれている。

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 創業元治1(1864)年の老舗。木版手摺りという昔ながらの製法で千代紙を作り続けている。千代紙のデザインの布製品も多数あった。

 6番目のお寺は護国院(台東区上野公園10-18、03・3821・3906、8:00~17:00)。
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 リーフレットによると、「東叡山寛永寺釈迦堂の別当寺として開創。徳川家康に贈られたと伝わる大黒天画像が祀られています」。

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 大黒天。

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 右の方には別の神様がいる。

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 お釈迦様。

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 天井の龍の絵。

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 辨財天や

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 毘沙門天も。出身地が同じインドのためか、一緒にいることが多い。

 最後のお寺は弁天堂(台東区上野公園2-1、03・3821・4638、9:00~17:00) P1050135
 リーフレットによると「東叡山寛永寺のお堂のひとつ。不忍池に島を作り、8本の腕をもつ大辨才天を祀っています」。

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 辨才天。

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 大黒天堂も近くに。

 最初の東覚寺に着いたのが9時45分。最後の弁天堂を参拝し終わったのが16時45分。
 各寺の七福神が個性的で、楽しい七福神めぐりができた。

 ずいぶん時間がかかったが、それには訳がある。
 
 谷根千せんべい店めぐりを同時に敢行したのだ。せんべい店が見つからず、時間がかかってしまった。
 七福神めぐりだけならば、こんなに時間はかからない。

 それでは谷根千“せんべい七福神めぐり”もご覧ください。

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ゆっくり読書ができる喫茶店、結構人ミルクホール(東京・千駄木)

 谷中七福神めぐりの途中、路地裏で静かに営業する喫茶店に立ち寄った。
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 結構人ミルクホール(文京区千駄木2-48-16)。これも『散歩の達人』2007年10月号に紹介されていた店だ。

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 ホームページによると、「スペシャルティ珈琲+想いやり生乳+自家製ケーキの専門店」であり、「お一人様に特化した読書空間」で、「大切な本と一緒のご来店をお待ちしております」とのことだ。
 店名の「結構人」とは、「好人物、つまりお人好しといった意味の古い言葉」らしい。

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 古本の本棚もあり――。

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 『ガロ』などが並んでいるが、どちらかというと、インテリア的な存在になっており、「現在、古本の仕入れと買取、並びに新規委託を休止しております」とのことだ。だから、遠慮せずに、自分の好きな本を持ち込んでゆっくり読んでいいようだ。
 家で寝ころんで本を読んでいるとつい、眠ってしまうので、こうした店でのんびり読書するのもいいかもしれない。

 自慢のメニューが「各種ストレートコーヒー」。
 600円(180ml強)、少なめ500円(120ml強)、お替り400円(少なめ300円)。
 「円錐ペーパー抽出によるハンドドリップ(手で丁寧に抽出します。珈琲豆も最高品質のスペシャルティのみをパイオニアであるホリグチ珈琲より直接仕入ています。砂糖・ミルクはお付けしません。入れてしまうとどの珈琲豆でも同じ味になってしまいますし、珈琲豆によって適量があります」「一般的な珈琲豆は原産国までしか追跡できませんが、弊店では可能な範囲までの産地・農園・品種・環境といったトレサビリティ(追跡可能性)に努めています。珈琲豆は農作物ですので、入港1年以内の新豆限定、中でも入港間もないものを極力取り揃えます。焙煎に関してましては焙煎の翌日に仕入れ、1週間ほど味が落ち着いた段階で冷凍。長くとも3~4週間で使い切る量しか仕入れません。数多の自家焙煎店よりも新鮮で豊富なヴァリエーションを自負しております」「最初は聞き慣れぬ豆と種類の多さに選択に戸惑われると思いますが、気になるものからお試しください」。

 想いやり生乳は140ml強で600円。
 「全国で唯一、北海道中札内村の想いやりファームだけが、無殺菌を許された牛乳を生み出しています。絞りたての生の味わいから、生乳(せいにゅう)と名づけられています。徹底した品質管理と牛にストレスを与えないことで、そもそもの雑菌数を極端に減らすこと成功。普通のホルスタイン種から奇跡の生乳が誕生しました。一般の牛乳の臭みは殺菌時の焦げ臭に起因しますので、牛乳の苦手な方も飲めます。余計な乳脂肪分もないため、さらりとした柔らかい自然な飲み口です」。

 生乳とコーヒーが自慢のようでどちらにしようか迷いに迷ったため、ホットカフェオレ(珈琲80ml程、想いやり生乳100ml程、生クリーム微量、700円)を頼んだ。
 「主に深炒り豆18g強で80ml程と濃厚に抽出した珈琲に、サトウキビでつくられ化学的な洗浄をしない洗双糖(遠心分離機による洗いを二度行った砂糖)を少量まぜ、そこに小鍋でじっくりと温めた想いやり生乳を多めにブレンド」「想いやり生乳は50℃を越えると本来の味が損なわれますので、温度はぬるめです」。

 今度、本を読みに来よう。
 
 営業時間は12:15頃~19:00(L.O.)。金曜定休。

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曽野綾子著『老いの才覚』 (ベスト新書)

Oinosaikaku
老いの才覚

 曽野綾子著『老いの才覚』 (ベスト新書、2010年9月20日発行)を読んだ。
 曽野綾子さんは1931年生まれ。まもなく80歳だ。
 
 第1章の「なぜ老人は才覚を失ってしまったのか」に、この本を執筆した動機が書いてある。

 後期高齢者医療制度が施行された2008年4月。制度に反対する高齢者たちが怒りを露わにするのを見て、「日本の年寄りは、戦前と比べると毅然としたところがなくなりました」と嘆く曽野さん。 

 「内閣府がまとめた『2010年版 高齢社会白書』によると、75歳以上の後期高齢者は2009年10月の時点で1371万人となり、総人口の10.8%を占めています。後期高齢者は増え続け、55年には75歳以上が26.5%に達し、現役世代(15歳から64歳まで)の1.3人が後期高齢者1人を支える社会になると推測されています」「そうなると、できるだけ若い世代に負担をかけさせないようにしようと思うのが当然ではありませんか。しかし、実際はそうでもないらしい『私は老人だから、○○してもらって当たり前』と思っている人のほうが多いようです」。
 「しかし、いつから、こんなふうに『老人だからもらって当たり前』、『親切にされて当然』というような風潮が顕著になったのでしょう」。

 曽野さんは、2006年の5月に足首を骨折した時も「どう工夫すれば、身の回りのことが自分一人でできるか。それを考えるのが楽しみでもありました」という。ところが、「多くの高齢者の患者さんたちは、自分でできることもなさいません」。「そこには『自分が受けさせていただけるサービスであっても、自分は受けなくていい。もっと困っている方が、代わりに使ってくださったらうれしい』という気持ちが全く見受けられません」「病院のサービスだからとそのまま受け入れるのではなく、まわりの状況などを見て、自分はどうすべきか、と判断する気力と『才覚』がないように見えました」「昔の人は、…こういう状況の時、自分はどうすればいいか。もしこの方法がダメだったら、次はどうしたらいいか、と機転を利かせて答えを出した、それが、才覚です」。

 「では、どうして才覚のない老人が増えてきたのか。原因の一つは、基本的な苦悩がなくなったからだと思います。…今は戦争がないから、明日まで生きていられるかどうかわからない、という苦悩がない。…あらゆる点で守られ、何かあれば政府がなんとかしてくれるだろうと思っているから、自分で考えない。してくれないのは政府が悪い、ということになるわけです」。
 「原初的な不幸の姿が見えなくなった分、ありがたみもわからなくなった。そのために、要求することがあまりにも大きい老人世代ができたのだと思います」。
 「戦後の教育も大きいですね。戦後、日教組が、何かにつけて、『人権』『権利』『平等』を主張するようになりました。その教育を受けた人たちが老人世代になってきて、ツケが回ってきたのだと思います」「『損をすることには黙っていない』というのも、日教組教育の欠陥です。…本能をコントロールするのが『遠慮』なんですね」。
 「なんでもかんでも権利だとか平等だとか、極端な考え方がまかり通る世の中になってしまったのは、言葉が極度に貧困になったせいもあると私は思います。…原因の一つは読書をしなくなったからです」。
 「若い時から困難にぶつかっても逃げ出したせず、真っ当に苦しんだり、泣いたり、悲しんだりした人は、いい年寄りになっています」。

 自ら高齢者ではないと、なかなか言えない批判ばかりだが、当たっている指摘は多い。

 で、どうすればいいかという答えが第2章「老いの基本は『自立』と『自律』。」
 「自立とは、ともかく他人に依存しないで生きること。自分の才覚で生きることです」。
 「老人といえども、強く生きていかなくてはならない。歯を食いしばってでも、自分のことは自分でする」。
 「老いて、自分の能力がだんだん衰えてきたら、基本的に、生活を縮めることを考えなくてはいけません」「ペットは飼わない」「荷物も、自分が持てなくなったら、持たないことです」。
 「自分でできないことは、人の好意にすがるのではなく、労働力を買って自分の希望を達成する」。
 「社会が(して)くれるものなら、何でももらっておこうというのは、乞食根性になっている証拠です。払える年寄りは、何歳になっても、自らの尊厳のために払うべきだと思います」。
 「年を重ねて当然備えているはずの賢さを、社会の中で充分に発揮していたから、老人は尊敬を払われていたわけです」。

 「自立を可能にするものは自律の精神であるということもわかるようになりました」「老年は、中年、壮年とは違った生き方をしなくてはいけない。このことをはっきりと認識することが、自律のスタートです」。
 「食べる量とか睡眠時間とか、自分が抱え込める問題の量とか、すべては自分で見きわめてコントロールする」。
 「自分のことは自分でできるということが幸せだと感じる人は、いくつになってもその年相応に若く、そのことがまたさらにその人の若さを支えていくのだと思います」。

 「私たちは基本的に、人を信用してはいけない。生きている限りは、緊張して生きなくてはいけないのです」。

 もっともなことばかり。睡眠時間や食べる量のコントロールは中年でも必要だろう。

 第3章「人間は死ぬまで働かなくてはいけない」。
 「赤字国債の累積や国家予算の現状、核を有する国が周辺にいる以上は防衛費もおろそかにできないことなどを考えると、老人であるということだけで受けられる厚遇が、いつまでも続けられるはずがありません。定年後は自分のしたいことだけをして余生を送ればいい、という時代は過ぎ去った気がします」。

 曽野さんは定年後は自分のしたいことだけをして余生を送れる世代だと思うが、このようにきっぱり言う。本当は今現役で働いている世代がそう思わなければいけないのだろうが、「老後は、その時になれば、どうにかなるだろう」と、何の根拠もないのに楽観的に考えているか、何も考えていない人が多いのではないだろうか。

 「自立は経済から始まる、と言ってもいい」。
 「振り返れば、ひと昔前までは、人は死ぬまで働くのが当たり前でした」。
 「アメリカのリタイアリー(退職者)を真似したことろもあります」。
 「現実問題として、老人も働かないと生活が立ち行かない。たとえば息子一人が働いて両親も妻も子も食べさせるのは大変でしょう。年をとっても働ける限り、再就職するとか、庭で野菜を作るとか、それぞれが何らかの形で生産性を保っていなくてはやっていけないと思います」。
 「体の悪い高齢者を働かすのは気の毒ですが、健康な老年に働いてもらうのは少しも悪くない。死ぬまで、働くことと遊ぶことと学ぶことをバランスよく続けるべきだと私は思います」。
 「老人が健康に暮らす秘訣は、生きがいを持つこと。つまり、目的を持っていることだと思います」「目的は本人が決定しなくてはなりません」。
 「『何をしてもらうか』ではなく、『何ができるか』を考えて、その任務をただ遂行する。それが『老人』というものの高貴な魂だと思います」。
 「だれにでもできるのが、料理を作る、掃除をする、洗濯をすることです。つまり、日常生活の営みを人任せにしない。生活の第一線から引退しないことです」。

 「人間は受けもし、与えもしますが、年齢を重ねるにつれて与えることが増えて、壮年になると、ほとんど与える立場になります。そしてやがて、年寄りになってまた受けることが多くなっていく」。
 「ただ黙って受けるだけなら、子供と同じです。もし、『本当にありがとう』と感謝して受けたら、与える側はたぶんうれしい。…与える側でいれば、死ぬまで壮年だと思います。あむつをあてた寝たきり老人になっても、介護してくれる人に『ありがとう』と言えたら、喜びを与えられる」。

 何も異論はございません。その通りです。<(_ _)>

 この本は8章まであるが、大事なことは3章まででほぼ言い尽くされている。

 才覚があり、経済力があり、自立し、見識があり、他人に与えることができるのが「大人」、人を頼り、なんでもしてもらいたがり、一人で判断ができないのが「子供」だとすれば、老人には「大人の老人」と「子供の老人」がいるのだろう。
 そして、最近は子供のような老人が増えていると曽野さんは指摘する。
 死ぬまで「大人」でいられるように努力したいと思った。 

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「電子の本」に対する深い考察は必読! 萩野正昭著『電子書籍奮戦記』(新潮社)

Denshishosekifunsenki
電子書籍奮戦記

 萩野正昭著『電子書籍奮戦記』(新潮社、2010年11月20日発行)を読んだ。電子書籍と20年近く向き合ってきた著者の言葉に哲学や重みを感じた。電子書籍を「本」として本当に定着させたいのなら、しなければならないことがたくさんあることが分かった。関係者必読の一冊である。

 萩野正昭(はぎの・まさあき)氏は1946年、東京都生まれ。早稲田大学第一法学部卒業。株式会社ボイジャー代表取締役。映画助監督をふりだしに、映画制作、レーザーディスク制作を経て、1992年ボイジャー・ジャパンを設立。東京大学大学院情報学環非常勤講師、「季刊・本とコンピュータ」編集委員などを務める。長年にわたり、日本における電子出版の普及に尽力しつづけている。「マガジン航」発行人、「理想書店」主宰。

 2010年は「電子書籍元年」と言われたりしたが、「まえがき」によると萩野氏は「1992年に株式会社ボイジャーを設立以来、電子書籍に関わってきました。私のようにこの世界にどっぷり浸かってきた人間は、『電子書籍元年』という呼び方に違和感を感じないわけにはいきません」と言う。
 「Kindle、iPadは電子書籍時代の扉を開くきっかけでした。しかし、その扉を開くために、人々が踏ん張っていた時期があります。デジタル技術を利用した新たな出版を生み出すべく、胎動した時期があるのです。」
 「ⅡからⅤは、私自身とボイジャーの歩みを通して語る、電子書籍の黎明期(2010年が元年なら、電子書籍の紀元前)についてのドキュメントです」。

 ⅡからⅤ章を中心に印象に残ったところをレビューしたい。

 ボイジャーのボブ・スタインとの出会いから話は始まる。
 ボブ・スタインはパイオニアの子会社、レーザーディスク株式会社に在籍していた初対面の萩野氏に、「ビデオの早回し」「映画の絵コンテ一コマ一コマの再生」などのデモンストレーションを見せ、「これは映画がはじめて本になるかもしれないということなんだよ」と語った。
 「映像における時間の問題、誰が時間をコントロールするのかという問題、ページをめくるのはどういうことか、という問題」などを必死に説明するボブ・スタインに対して、萩野氏は「不思議なおもしろさ」を感じたという。
 1984年のことだ。

 それに先立つ11年間の映画制作の世界で、萩野氏もボブ・スタインと同様のことを考えていた。
 大阪の国立民族博物館で、演出や脚色を施していない資料映像を見て、萩野氏は「それまでの記録映画の手法に疑問を持つようになりました」という。「つまり、現地で撮影した映像素材に起承転結をつけるのはおかしいんじゃないかと考えるようになったのです」。
 「この疑問は、映画体験を誰がコントロールするのかという問題につながります。作り手なのか、受け手なのか。プロデューサーなのか、ユーザーなのか」。
 「映画と本との関係を考えると、この問題はよりはっきりします。映画の時間を観客はコントロールできません。観客はできあがった映画を一方的に見せられるだけです。他方、本の読み方を作家はコントロールできない。映画はプロデューサーが時間をつかさどり、本では読者が時間をつかさどる」。

 マルチメディア時代になったと言われ、テキスト、静止画、動画、音声などを組み合わせた表現が可能になったと言われるが、映画や本のこうした特性まで意識してマルチメディアを作る人は少ないのではないか。このような本質的なことから「本」を考えないと、「電子化された本」を上手に扱うことはできないのではないかと思った。

 萩野氏は「映画は映画、文字は文字であり、別々のメディアなのです。この二つをコミュニケーションさせて『理解する』ことが肝心なのであって、それは単に一つの器にパッケージすればいいというものではありません」と指摘している。

 92年6月、81年7月以来働いていた会社を退職し、萩野氏はボイジャー・ジャパンを設立する。
 92年3月のマックワールド・エキスポ93で、萩野氏が売ったのが「個人による電子出版を可能にしたエキスパンドブック・ツールキットでした」。

 「アメリカ・ボイジャーがコンピュータで読書経験を拡張する方法を開発するための特別プロジェクト『エキスパンドブック計画(Expanded Books Project)』をスタートさせたのは、その2年前、1990年夏のことでした」「計画のスローガンは『TEXT:the next frontier』。」当時は「未来のコミュニケーションの主役は映像である」と考えられるようになっていたが、あえて、「コンピュータよ、エキスとが次の最前線だ!」と言ったわけだ。

 「日本ボイジャーは93年に、エキスパンドブックのCD-ROM版として、ザ・ビートルズ主演『A Hard Day's Night』を出版」。「日本国内だけでも2万5000本を売り上げるヒット商品になりました」。
 
 「1995年には、マッキントッシュとウィンドウズ両方に対応したエキスパンドブック・ツールキットⅡをリリースし、縦書き、ルビにも対応しました。このツールを使用し制作されたのが『CD-ROM版新潮文庫の100冊』(新潮社)です」。「総ページ数3万5000ページもあり、定価も1万5000円と高額でしたが、新潮文庫のベストセラーがまとめて入っているお得感からか、大ヒットになりました」。

 もっとも「とにかく電子出版は儲かりませんでした」と萩野氏が言うように、全体として見ると、売り上げにはなかなかつながらなかったらしい。しかし、「ボイジャーの事務所には来客が絶えませんでした」。

 「私たちの事業には、多くのスタッフを必要としました。ことをなすための大きな組織が必要なわけでも、それをまとめ上げる統率能力や効率性が必要というのでもありません。むしろ、多様性という、なかば混乱したような状態をたもっておくことこそが必要でした。そのためには、どうしても多くの力がなければなりません。人一人が、自分の中に生み出せる多様性には限りがあるからです」。

 売り上げは低迷していたものの、ボイジャーには、新しいものにチャレンジする、混沌とした、形にならない活力のようなものがあったのだろう。

 電子書籍の使命は次第に見えてくる。
 「『映画と本が一緒になる』という課題を追いかけているうち、私の仕事の多くは、本にかかわることになっていました。もちろん、本そのものをつくるわけではなく、限りなく本に似せた『コンピュータで読む本』を考えていたのです」。しかし、「それらは、本のまがい物であるかのようなそしりをうけるばかりで、いつまでたっても、本を扱う専門の人々からはほとんど相手にされませんでした」「一方、読者はまだ、好んでコンピュータで本を読もうなどとは思っていませんでした」。
 「『必要性』というものがここに顔を出してきました。私たちボイジャーが一時試みたように、ベストセラーを電子書籍にしている限り、誰の心にもそんな『必要性』が生まれる余地などありませんでした。しかし、もし一人のために世界でたった1冊の『本』をつくることができたとしたら――私がこういうと、電子書籍への風向きが突然変わってきたのです」。
 「問題は、書かれたものを広く不特定多数に伝達するためには、印刷されるかされないか、本になるかならないかがすべてだということです。電子書籍はそこに侵入し、本にならない文字をかかえて漂っている人との遭遇をはたしたのです」。

 一方で、今の電子書籍開発の危うさを指摘する。
 「紙の本にはモニターもOSもなく、一定の形式で完全パックされて届けられます。ハードとソフトが一致しており、これほどまでに安定した確実なメディアはありません。おまけに、ページ、目次、扉、索引、奥付といったインターフェイスは、500年以上も変わらずにきた慣れきったしろものです」「一方、人によってばらばらなコンピュータの環境に一定の形式で『本』を送りだそうとしたら、最低ラインのどこかに基準を合わせなければなりません」。
 「電子書籍という考えがマルチメディア開発者に疎んじられた要因は、ここにあったと私は思います」「彼らはみな、新しいことをやって人をびっくりさせたいと思っていました。…しかし、その新しいことが翌年どうなっていったかまでは、彼らの知ったことではありませんでした。びっくりするような新しいことでも、翌年まで人が覚えていることはまれです」「ここにコンピュータにかかわる商品開発の大きな陥穽(かんせい)があり、本と電気製品との明らかな違いがあります」。
 「文字は、表現においてもコミュニケーションにおいても、また生活においても基本中の基本となるメディアです。つまり、コンピュータに象徴される先進性が暴れ回れるような分野ではなかったのです」。
 
 日本におけるこれまでの電子書籍開発の失敗についての見方は当を得ている。
 「デジタルには新旧勢力の、抜くの抜かぬのと取り分をめぐる小競り合い以上に考えるべき余地があったと思います。長い将来にわたっての見識をデジタルに対して注ぐ気持ちなど出版社にもIT新興勢力にもなかったと私は思います」。
 電子書籍端末を作ってきた「日本のメーカーにあるべきだったのは、その端末を通して、人が書いたものを読むというのはいったいどういうことなのかという認識ではないでしょうか」。

 もっとも、本として読みやすくする方向での開発はあり得ると見ている。
 「本から流れ出た内容を、自由自在に形や大きさを変えることだってできる。紙の本のような固定制が失われてるかわり、読む人の望むとおりの新たな形がつくりだされるわけです。…こういうことをさせるほうが、コンピュータが持つ役割の本質に近いでしょう」。

 Ⅵの「電子書籍の未来」には、電子書籍で何を目指すべきかのヒントがふんだんに盛り込まれている。
 
 「一枚の写真、一片の映像、音声、これらを結ぶテキスト………かつては一冊の本として、まとめあげられていたか、大容量といわれた格納装置の中に置かれていたか、その限えてインターネットという広い網の中に流れていったか、何はともあれ関係性の中にこれらは存在し、人々による関連付けを待つ存在であるということです」「グーグルは『全書籍電子化計画』という方法で、電子出版の世界を実現する行動を始めたと大いに騒がれていますが、たったそれだけのことです、言ってみれば。『全書籍電子化計画』によって成り立った全電子化情報はインターネットの中に流れ込んでいきます。関連付け、ものにするのはみなさんです。みなさんが行うこれからの世界です!」

 「テレビや映画が徹底的に1対マスのメディアであるのに対して、本はごく少数、極端な場合、たった一人のために出版することさえできます」「いまこそ出版社は、電子出版によって、小さなもののためのメディアという出版本来のあり方を取り戻すべきです」。

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日本橋七福神めぐり(2011年1月2日)~神様たちとコミュニケーション

 日本橋七福神めぐりをした。昨年1月30日に一度回ったが、正月元日から7日までの「日本橋七福神詣」に行かないと、七福神のお姿を拝めない。しかも水天宮の宝生辨財天は毎月5日と巳の日にしかご社殿の扉が開かないという。今日がまさに巳の日。今日が日本橋七福神めぐりにはベストの日なのだ。

 今回は真っ先に宝生辨財天を拝みたいと思い、ロイヤルパークホテル(東京都中央区日本橋蛎殻町2丁目1番1号、03・3667・1111)の設定しているコースを回ることにした。
 ロイヤルパークホテル→●水天宮〈弁財天〉→●茶の木神社〈布袋尊〉→●小網神社〈福禄寿・弁財天〉→●寶田恵比寿神社〈恵比寿神〉→●椙森神社〈恵比寿神〉→●笠間稲荷神社〈寿老人〉→●末廣神社〈毘沙門天〉→●松島神社〈大黒神〉の順に回る(「ロイヤルパークホテル散歩ガイド」より)。

 前回、各神社の縁起、由緒などはこのブログに詳細に記したので、今回は写真中心に紹介したい。


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 ロイヤルパークホテル。地下鉄水天宮駅4番出口から出て、1階のロビーラウンジ フォンテーヌへ。
 コーヒー、紅茶は840円でお替り自由。レモンティーを頼んだ。お替りもしてじっくり今回のコースを確認した。
 前回の日本橋七福神めぐりの逆回りになるので、迷いそうだが、のんびり回ろう。

 11時半ごろにホテルを出て水天宮(中央区日本橋蛎殻町2-4-1、03・3666・7195)に向かった。
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 日本橋七福神めぐりは1月1~7日に行かなければ、だめだと思った。七福神をご開帳している神社が多く、ありがたみが違う。

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 宝生辨財天へ。社の前には列ができていた。聞いてみると、1~7日は常時ご開帳しているそうだ。今日でなくても大丈夫だった。(^^ゞ
 それ以降は毎月5日と巳の日のみにご開帳する。

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 すぐに参拝の順番がきた。

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 ガラス越しに美しい弁天様のお姿。

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 斜めから。少し表情が変わった気がする。

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 ご朱印色紙、宝船とも全社揃いのものは水天宮で購入できる。

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 宝船と七福神を買った。水天宮で、まとめて買うと3700円(宝船1300円、七福神各300円)。
 京都の老舗人形メーカー「豪勝」作。
 「七福神について」という説明書きが入っていた。
 七福神は日本の土俗信仰・中国の神仙思想・インドの仏教から選ばれて古来より庶民
の信仰を集めてきた七体の福の神です。此の七福神をお祀りしてある社寺を巡拝して其のご利益を頂こうと云う行事(七福神めぐり)は京都を最古として現在では全国で四十を超えて居ります。人々の間に広く信仰され親しまれている開運招福の神々であります。
 恵比寿(日本)商売繁盛・交通安全
 大黒天(印度)五穀豊穣・開運招福
 毘沙門天(印度)学業成就・富貴自在
 弁財天(印度)技芸上達・福徳自在
 福禄寿(中国)長寿幸福・方位守護
 寿老人(中国)不老長寿。知恵の神
 布袋尊(中国)未来予知・金運の神

 "和みと雅び"をメインテーマに皆様に愛される人形を製作致して居ります当社の「七福神」はNHK・TV、各種出版物等い紹介され、"七福神めぐり"にもお使いいただいて居ります。         敬白
                                    豪勝
 
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 次は茶ノ木神社(中央区日本橋人形町1-12-10)。

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 次々と参拝客が訪れる。

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 鏡が祀られていた。

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 小網神社(中央区日本橋小網町16-23、03・3668・1080)には長い列ができていた。
 日本橋七福会が配っている「日本橋七福神めぐり」のパンフレットには「出発点は定めておりませんので、ご自由にお巡り下さい」と書いている。しかし、小網神社から反時計回りに回るのが一番効率的に回れることもあり、小網神社から出発する人が多く、この神社に人が集中するようだ。

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 約30分待った。

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 萬福舟乗辨財天「銭洗い水」。

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 昨年1月末のひっそりとした神社が嘘のよう。

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 混んでいる中、場所を譲りながら、必死の撮影。この期間しかご開帳されないとはほとんどの人が知らないようで、写真を撮っている人は見かけなかった。

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 頭が見えないが、そのお姿は福禄寿!

 この右回りルートは小網神社から寳田恵比寿神社(中央区日本橋本町3-10)までが距離がある。初めて通る道なので、目印となるスポットも紹介しておく。

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 北へ向かい、堀留児童公園の中を通る。

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 公園の左側から出て、東横インの横をさらに北へ。

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 チョーギン本館にぶつかったら左へ。あと少し。

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 昨年1月末に来た時は寂しい場所だったが、商売繁盛の神様が祀られている社らしく、参拝客が絶えなかった。

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 今日は神社自体が生き生きしているような気がした。神様がおられるのだろうか。

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 遠くからでも分かる、この存在感!

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 恵比寿様。いよ~大統領!という感じ。

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 椙森神社(中央区日本橋堀留町1-10-2、03・3661・5462)。

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 ここも恵比寿様を祀っている。

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 ご開帳されてはいるが、像は見えない。

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 恵比寿様が見られるのは今年は10月19日と20日。えびす祭(べったら市)の時のみだそうだ。
 残念。

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 笠間稲荷神社(中央区日本橋浜町2-11-6、03・3666・7498)。

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 左に寿老神社があるが――。

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 ガラス越しに稲荷神社の鏡は見えるが、寿老人は見えなかった。寿老神社にはご神体はないそうだ。神社によると、祀られているのは伊勢の猿田彦大神(ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へお導きになる大神)の分身。

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 松島神社(中央区日本橋人形町2-15-2、03・3669・0479)。

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 大黒様が祀られている。

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 立派な大黒様だ。

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 午後2時、水天宮前交差点に戻った。角にある三原堂本店(東京都中央区日本橋人形町1-14-10、03・3666・3333)に入った。

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 店内でどら焼きを作っている。

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 どら焼きを買って帰ることにした。10個入り2250円。

 七福神めぐり、混んでないときにじっくり回って、神社の由緒などを学んでおいて、よかった。
 今回は神様たちとゆっくりコミュニケーションできた。

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