「電子の本」に対する深い考察は必読! 萩野正昭著『電子書籍奮戦記』(新潮社)
萩野正昭著『電子書籍奮戦記』(新潮社、2010年11月20日発行)を読んだ。電子書籍と20年近く向き合ってきた著者の言葉に哲学や重みを感じた。電子書籍を「本」として本当に定着させたいのなら、しなければならないことがたくさんあることが分かった。関係者必読の一冊である。
萩野正昭(はぎの・まさあき)氏は1946年、東京都生まれ。早稲田大学第一法学部卒業。株式会社ボイジャー代表取締役。映画助監督をふりだしに、映画制作、レーザーディスク制作を経て、1992年ボイジャー・ジャパンを設立。東京大学大学院情報学環非常勤講師、「季刊・本とコンピュータ」編集委員などを務める。長年にわたり、日本における電子出版の普及に尽力しつづけている。「マガジン航」発行人、「理想書店」主宰。
2010年は「電子書籍元年」と言われたりしたが、「まえがき」によると萩野氏は「1992年に株式会社ボイジャーを設立以来、電子書籍に関わってきました。私のようにこの世界にどっぷり浸かってきた人間は、『電子書籍元年』という呼び方に違和感を感じないわけにはいきません」と言う。
「Kindle、iPadは電子書籍時代の扉を開くきっかけでした。しかし、その扉を開くために、人々が踏ん張っていた時期があります。デジタル技術を利用した新たな出版を生み出すべく、胎動した時期があるのです。」
「ⅡからⅤは、私自身とボイジャーの歩みを通して語る、電子書籍の黎明期(2010年が元年なら、電子書籍の紀元前)についてのドキュメントです」。
ⅡからⅤ章を中心に印象に残ったところをレビューしたい。
ボイジャーのボブ・スタインとの出会いから話は始まる。
ボブ・スタインはパイオニアの子会社、レーザーディスク株式会社に在籍していた初対面の萩野氏に、「ビデオの早回し」「映画の絵コンテ一コマ一コマの再生」などのデモンストレーションを見せ、「これは映画がはじめて本になるかもしれないということなんだよ」と語った。
「映像における時間の問題、誰が時間をコントロールするのかという問題、ページをめくるのはどういうことか、という問題」などを必死に説明するボブ・スタインに対して、萩野氏は「不思議なおもしろさ」を感じたという。
1984年のことだ。
それに先立つ11年間の映画制作の世界で、萩野氏もボブ・スタインと同様のことを考えていた。
大阪の国立民族博物館で、演出や脚色を施していない資料映像を見て、萩野氏は「それまでの記録映画の手法に疑問を持つようになりました」という。「つまり、現地で撮影した映像素材に起承転結をつけるのはおかしいんじゃないかと考えるようになったのです」。
「この疑問は、映画体験を誰がコントロールするのかという問題につながります。作り手なのか、受け手なのか。プロデューサーなのか、ユーザーなのか」。
「映画と本との関係を考えると、この問題はよりはっきりします。映画の時間を観客はコントロールできません。観客はできあがった映画を一方的に見せられるだけです。他方、本の読み方を作家はコントロールできない。映画はプロデューサーが時間をつかさどり、本では読者が時間をつかさどる」。
マルチメディア時代になったと言われ、テキスト、静止画、動画、音声などを組み合わせた表現が可能になったと言われるが、映画や本のこうした特性まで意識してマルチメディアを作る人は少ないのではないか。このような本質的なことから「本」を考えないと、「電子化された本」を上手に扱うことはできないのではないかと思った。
萩野氏は「映画は映画、文字は文字であり、別々のメディアなのです。この二つをコミュニケーションさせて『理解する』ことが肝心なのであって、それは単に一つの器にパッケージすればいいというものではありません」と指摘している。
92年6月、81年7月以来働いていた会社を退職し、萩野氏はボイジャー・ジャパンを設立する。
92年3月のマックワールド・エキスポ93で、萩野氏が売ったのが「個人による電子出版を可能にしたエキスパンドブック・ツールキットでした」。
「アメリカ・ボイジャーがコンピュータで読書経験を拡張する方法を開発するための特別プロジェクト『エキスパンドブック計画(Expanded Books Project)』をスタートさせたのは、その2年前、1990年夏のことでした」「計画のスローガンは『TEXT:the next frontier』。」当時は「未来のコミュニケーションの主役は映像である」と考えられるようになっていたが、あえて、「コンピュータよ、エキスとが次の最前線だ!」と言ったわけだ。
「日本ボイジャーは93年に、エキスパンドブックのCD-ROM版として、ザ・ビートルズ主演『A Hard Day's Night』を出版」。「日本国内だけでも2万5000本を売り上げるヒット商品になりました」。
「1995年には、マッキントッシュとウィンドウズ両方に対応したエキスパンドブック・ツールキットⅡをリリースし、縦書き、ルビにも対応しました。このツールを使用し制作されたのが『CD-ROM版新潮文庫の100冊』(新潮社)です」。「総ページ数3万5000ページもあり、定価も1万5000円と高額でしたが、新潮文庫のベストセラーがまとめて入っているお得感からか、大ヒットになりました」。
もっとも「とにかく電子出版は儲かりませんでした」と萩野氏が言うように、全体として見ると、売り上げにはなかなかつながらなかったらしい。しかし、「ボイジャーの事務所には来客が絶えませんでした」。
「私たちの事業には、多くのスタッフを必要としました。ことをなすための大きな組織が必要なわけでも、それをまとめ上げる統率能力や効率性が必要というのでもありません。むしろ、多様性という、なかば混乱したような状態をたもっておくことこそが必要でした。そのためには、どうしても多くの力がなければなりません。人一人が、自分の中に生み出せる多様性には限りがあるからです」。
売り上げは低迷していたものの、ボイジャーには、新しいものにチャレンジする、混沌とした、形にならない活力のようなものがあったのだろう。
電子書籍の使命は次第に見えてくる。
「『映画と本が一緒になる』という課題を追いかけているうち、私の仕事の多くは、本にかかわることになっていました。もちろん、本そのものをつくるわけではなく、限りなく本に似せた『コンピュータで読む本』を考えていたのです」。しかし、「それらは、本のまがい物であるかのようなそしりをうけるばかりで、いつまでたっても、本を扱う専門の人々からはほとんど相手にされませんでした」「一方、読者はまだ、好んでコンピュータで本を読もうなどとは思っていませんでした」。
「『必要性』というものがここに顔を出してきました。私たちボイジャーが一時試みたように、ベストセラーを電子書籍にしている限り、誰の心にもそんな『必要性』が生まれる余地などありませんでした。しかし、もし一人のために世界でたった1冊の『本』をつくることができたとしたら――私がこういうと、電子書籍への風向きが突然変わってきたのです」。
「問題は、書かれたものを広く不特定多数に伝達するためには、印刷されるかされないか、本になるかならないかがすべてだということです。電子書籍はそこに侵入し、本にならない文字をかかえて漂っている人との遭遇をはたしたのです」。
一方で、今の電子書籍開発の危うさを指摘する。
「紙の本にはモニターもOSもなく、一定の形式で完全パックされて届けられます。ハードとソフトが一致しており、これほどまでに安定した確実なメディアはありません。おまけに、ページ、目次、扉、索引、奥付といったインターフェイスは、500年以上も変わらずにきた慣れきったしろものです」「一方、人によってばらばらなコンピュータの環境に一定の形式で『本』を送りだそうとしたら、最低ラインのどこかに基準を合わせなければなりません」。
「電子書籍という考えがマルチメディア開発者に疎んじられた要因は、ここにあったと私は思います」「彼らはみな、新しいことをやって人をびっくりさせたいと思っていました。…しかし、その新しいことが翌年どうなっていったかまでは、彼らの知ったことではありませんでした。びっくりするような新しいことでも、翌年まで人が覚えていることはまれです」「ここにコンピュータにかかわる商品開発の大きな陥穽(かんせい)があり、本と電気製品との明らかな違いがあります」。
「文字は、表現においてもコミュニケーションにおいても、また生活においても基本中の基本となるメディアです。つまり、コンピュータに象徴される先進性が暴れ回れるような分野ではなかったのです」。
日本におけるこれまでの電子書籍開発の失敗についての見方は当を得ている。
「デジタルには新旧勢力の、抜くの抜かぬのと取り分をめぐる小競り合い以上に考えるべき余地があったと思います。長い将来にわたっての見識をデジタルに対して注ぐ気持ちなど出版社にもIT新興勢力にもなかったと私は思います」。
電子書籍端末を作ってきた「日本のメーカーにあるべきだったのは、その端末を通して、人が書いたものを読むというのはいったいどういうことなのかという認識ではないでしょうか」。
もっとも、本として読みやすくする方向での開発はあり得ると見ている。
「本から流れ出た内容を、自由自在に形や大きさを変えることだってできる。紙の本のような固定制が失われてるかわり、読む人の望むとおりの新たな形がつくりだされるわけです。…こういうことをさせるほうが、コンピュータが持つ役割の本質に近いでしょう」。
Ⅵの「電子書籍の未来」には、電子書籍で何を目指すべきかのヒントがふんだんに盛り込まれている。
「一枚の写真、一片の映像、音声、これらを結ぶテキスト………かつては一冊の本として、まとめあげられていたか、大容量といわれた格納装置の中に置かれていたか、その限えてインターネットという広い網の中に流れていったか、何はともあれ関係性の中にこれらは存在し、人々による関連付けを待つ存在であるということです」「グーグルは『全書籍電子化計画』という方法で、電子出版の世界を実現する行動を始めたと大いに騒がれていますが、たったそれだけのことです、言ってみれば。『全書籍電子化計画』によって成り立った全電子化情報はインターネットの中に流れ込んでいきます。関連付け、ものにするのはみなさんです。みなさんが行うこれからの世界です!」
「テレビや映画が徹底的に1対マスのメディアであるのに対して、本はごく少数、極端な場合、たった一人のために出版することさえできます」「いまこそ出版社は、電子出版によって、小さなもののためのメディアという出版本来のあり方を取り戻すべきです」。
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