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曽野綾子著『老いの才覚』 (ベスト新書)

Oinosaikaku
老いの才覚

 曽野綾子著『老いの才覚』 (ベスト新書、2010年9月20日発行)を読んだ。
 曽野綾子さんは1931年生まれ。まもなく80歳だ。
 
 第1章の「なぜ老人は才覚を失ってしまったのか」に、この本を執筆した動機が書いてある。

 後期高齢者医療制度が施行された2008年4月。制度に反対する高齢者たちが怒りを露わにするのを見て、「日本の年寄りは、戦前と比べると毅然としたところがなくなりました」と嘆く曽野さん。 

 「内閣府がまとめた『2010年版 高齢社会白書』によると、75歳以上の後期高齢者は2009年10月の時点で1371万人となり、総人口の10.8%を占めています。後期高齢者は増え続け、55年には75歳以上が26.5%に達し、現役世代(15歳から64歳まで)の1.3人が後期高齢者1人を支える社会になると推測されています」「そうなると、できるだけ若い世代に負担をかけさせないようにしようと思うのが当然ではありませんか。しかし、実際はそうでもないらしい『私は老人だから、○○してもらって当たり前』と思っている人のほうが多いようです」。
 「しかし、いつから、こんなふうに『老人だからもらって当たり前』、『親切にされて当然』というような風潮が顕著になったのでしょう」。

 曽野さんは、2006年の5月に足首を骨折した時も「どう工夫すれば、身の回りのことが自分一人でできるか。それを考えるのが楽しみでもありました」という。ところが、「多くの高齢者の患者さんたちは、自分でできることもなさいません」。「そこには『自分が受けさせていただけるサービスであっても、自分は受けなくていい。もっと困っている方が、代わりに使ってくださったらうれしい』という気持ちが全く見受けられません」「病院のサービスだからとそのまま受け入れるのではなく、まわりの状況などを見て、自分はどうすべきか、と判断する気力と『才覚』がないように見えました」「昔の人は、…こういう状況の時、自分はどうすればいいか。もしこの方法がダメだったら、次はどうしたらいいか、と機転を利かせて答えを出した、それが、才覚です」。

 「では、どうして才覚のない老人が増えてきたのか。原因の一つは、基本的な苦悩がなくなったからだと思います。…今は戦争がないから、明日まで生きていられるかどうかわからない、という苦悩がない。…あらゆる点で守られ、何かあれば政府がなんとかしてくれるだろうと思っているから、自分で考えない。してくれないのは政府が悪い、ということになるわけです」。
 「原初的な不幸の姿が見えなくなった分、ありがたみもわからなくなった。そのために、要求することがあまりにも大きい老人世代ができたのだと思います」。
 「戦後の教育も大きいですね。戦後、日教組が、何かにつけて、『人権』『権利』『平等』を主張するようになりました。その教育を受けた人たちが老人世代になってきて、ツケが回ってきたのだと思います」「『損をすることには黙っていない』というのも、日教組教育の欠陥です。…本能をコントロールするのが『遠慮』なんですね」。
 「なんでもかんでも権利だとか平等だとか、極端な考え方がまかり通る世の中になってしまったのは、言葉が極度に貧困になったせいもあると私は思います。…原因の一つは読書をしなくなったからです」。
 「若い時から困難にぶつかっても逃げ出したせず、真っ当に苦しんだり、泣いたり、悲しんだりした人は、いい年寄りになっています」。

 自ら高齢者ではないと、なかなか言えない批判ばかりだが、当たっている指摘は多い。

 で、どうすればいいかという答えが第2章「老いの基本は『自立』と『自律』。」
 「自立とは、ともかく他人に依存しないで生きること。自分の才覚で生きることです」。
 「老人といえども、強く生きていかなくてはならない。歯を食いしばってでも、自分のことは自分でする」。
 「老いて、自分の能力がだんだん衰えてきたら、基本的に、生活を縮めることを考えなくてはいけません」「ペットは飼わない」「荷物も、自分が持てなくなったら、持たないことです」。
 「自分でできないことは、人の好意にすがるのではなく、労働力を買って自分の希望を達成する」。
 「社会が(して)くれるものなら、何でももらっておこうというのは、乞食根性になっている証拠です。払える年寄りは、何歳になっても、自らの尊厳のために払うべきだと思います」。
 「年を重ねて当然備えているはずの賢さを、社会の中で充分に発揮していたから、老人は尊敬を払われていたわけです」。

 「自立を可能にするものは自律の精神であるということもわかるようになりました」「老年は、中年、壮年とは違った生き方をしなくてはいけない。このことをはっきりと認識することが、自律のスタートです」。
 「食べる量とか睡眠時間とか、自分が抱え込める問題の量とか、すべては自分で見きわめてコントロールする」。
 「自分のことは自分でできるということが幸せだと感じる人は、いくつになってもその年相応に若く、そのことがまたさらにその人の若さを支えていくのだと思います」。

 「私たちは基本的に、人を信用してはいけない。生きている限りは、緊張して生きなくてはいけないのです」。

 もっともなことばかり。睡眠時間や食べる量のコントロールは中年でも必要だろう。

 第3章「人間は死ぬまで働かなくてはいけない」。
 「赤字国債の累積や国家予算の現状、核を有する国が周辺にいる以上は防衛費もおろそかにできないことなどを考えると、老人であるということだけで受けられる厚遇が、いつまでも続けられるはずがありません。定年後は自分のしたいことだけをして余生を送ればいい、という時代は過ぎ去った気がします」。

 曽野さんは定年後は自分のしたいことだけをして余生を送れる世代だと思うが、このようにきっぱり言う。本当は今現役で働いている世代がそう思わなければいけないのだろうが、「老後は、その時になれば、どうにかなるだろう」と、何の根拠もないのに楽観的に考えているか、何も考えていない人が多いのではないだろうか。

 「自立は経済から始まる、と言ってもいい」。
 「振り返れば、ひと昔前までは、人は死ぬまで働くのが当たり前でした」。
 「アメリカのリタイアリー(退職者)を真似したことろもあります」。
 「現実問題として、老人も働かないと生活が立ち行かない。たとえば息子一人が働いて両親も妻も子も食べさせるのは大変でしょう。年をとっても働ける限り、再就職するとか、庭で野菜を作るとか、それぞれが何らかの形で生産性を保っていなくてはやっていけないと思います」。
 「体の悪い高齢者を働かすのは気の毒ですが、健康な老年に働いてもらうのは少しも悪くない。死ぬまで、働くことと遊ぶことと学ぶことをバランスよく続けるべきだと私は思います」。
 「老人が健康に暮らす秘訣は、生きがいを持つこと。つまり、目的を持っていることだと思います」「目的は本人が決定しなくてはなりません」。
 「『何をしてもらうか』ではなく、『何ができるか』を考えて、その任務をただ遂行する。それが『老人』というものの高貴な魂だと思います」。
 「だれにでもできるのが、料理を作る、掃除をする、洗濯をすることです。つまり、日常生活の営みを人任せにしない。生活の第一線から引退しないことです」。

 「人間は受けもし、与えもしますが、年齢を重ねるにつれて与えることが増えて、壮年になると、ほとんど与える立場になります。そしてやがて、年寄りになってまた受けることが多くなっていく」。
 「ただ黙って受けるだけなら、子供と同じです。もし、『本当にありがとう』と感謝して受けたら、与える側はたぶんうれしい。…与える側でいれば、死ぬまで壮年だと思います。あむつをあてた寝たきり老人になっても、介護してくれる人に『ありがとう』と言えたら、喜びを与えられる」。

 何も異論はございません。その通りです。<(_ _)>

 この本は8章まであるが、大事なことは3章まででほぼ言い尽くされている。

 才覚があり、経済力があり、自立し、見識があり、他人に与えることができるのが「大人」、人を頼り、なんでもしてもらいたがり、一人で判断ができないのが「子供」だとすれば、老人には「大人の老人」と「子供の老人」がいるのだろう。
 そして、最近は子供のような老人が増えていると曽野さんは指摘する。
 死ぬまで「大人」でいられるように努力したいと思った。 

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