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「世界一大きな絵2012 大使館版」のキックオフパーティー

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 2月28日、午後6時30分から帝国ホテル「光の間」で開かれた「世界一大きな絵2012 大使館版」のキックオフパーティーに知人に招かれ、出席した。

 「世界一大きな絵2012」はNPO(特定非営利活動法人)のEARTH IDENTITY PROJECT(アース・アイデンティティー・プロジェクト、東京都大田区東蒲田1-21-14ラビコート3F、03・6715・8307 )が進めている事業で、「世界の子どもたちが、国や宗教・人種を越えて一枚の『世界一大きな絵』を完成させることにより、共通の喜びを分かち合い、情操を育み、世界平和に 対する意識を育てていく」ことを目的としている。

 1996年にパイロットプロジェクトを開始。世界各国で描かれた 「世界一大きな絵」を集め、2012年に一枚の「世界一大きな絵」に縫い合わせるという。 完成した絵は、圧縮しカプセルに収め、未来の子どもたちに贈られる予定だ。

 このプロジェクトはいろいろなバージョンがある。

 地球のどこかの一箇所に集まって、キャンバスとなる布に大勢の人と一緒に描く「イベント版」は、1996年12月から開催されており、これまでにバングラデシュ(1996年12月)、タイ(2006年8月)、中華人民共和国(2008年11月)、ネパール(2009年3月)で開かれた。日本は1998年8月の広島(2009年10月にも)を皮切りに、長崎(2005年8月)、福島(2006年11,12月、2007年8月)、青森(2007年3月)、大阪(2007年8月)、東京(2008年12月)、沖縄(2009年6月)で開催した。

 「47都道府県版」は、2011年末までに47都道府県の市立幼稚園の子どもたちと絵を描こうというもの。

 そして本日、キックオフとなったのが「大使館版」だ。163カ国の在日大使館を通じて、その国の幼稚園、小学校、施設など に1m×5mの白い布を送り、2011年末までに各国の子どもたちに自由に絵を描いてもらうというものだ。
 大使館は実はすでに参加している大使館・領事館があるが、さらに弾みをつけようと、これから参加する大使館・領事館を今回、パーティーに招待し、今までの報告、これからの予定等を説明した。
 会場にはすでに本国で子ども達が絵を描いて戻ってきた布を展示していた(アゼルバイジャン共和国、リトアニア共和国、ドミニカ共和国、キューバ共和国、アルジェリア民主人民共和国、パキスタン・イスラム共和国)。

 さて、前置きはこのくらいにしておき、当日の模様をリポートする。

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 特定非営利活動法人アース・アイデンティティ・プロジェクトの河原裕子会長。

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 会場にはすでに各国で描かれた絵が飾ってあった。

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 会場には加山雄三さんの姿も。


 阿波踊りでイベントは急に盛り上がる。


 趣きはがらっと変わって、オペラ歌手の美しい歌声。


 キックオフパーティー当日も、来場者が1m×5mの布2枚に絵やメッセージを描いた。

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 私が描いたのはフーテンの中オリジナル温泉キャラクター「温泉君」と「温泉ちゃん」。

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 このパーティーに誘ってくださった知人のYさん。ちょっと怪しい(笑)。

 世界一大きな絵は47都道府県版と、キックオフパーティー版も含めた大使館版を合わせ、来年8月、イギリスのロンドンで「世界一大きな絵2012 in ロンドンオリンピック」として発表されるらしい。温泉君もついに世界デビューだ!


 布2枚を縫い合わせ、「世界一大きな絵2012 キックオフパーティー版」が完成!

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 ぱちぱち。

 とてもいいプロジェクトだと思う。こうしたことを実行されている方は本当にすばらしい。
 ほんの少しだが、このプロジェクトに関われて良かった。

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学ぶことの多かった、花咲カントリー倶楽部での高校同期とのラウンド

 今日は高校時代の同期のゴルフ好き4人で、花咲カントリークラブ(山梨県大月市)でラウンドした。昨年7月に高校の同期でコンペをしたコースだ。 
 このコースは良いスコアが出るところだが、昨日の習志野カントリークラブでの緒戦の成績が散々だったので、今日は『書斎のゴルフ』VOL.9(日本経済新聞出版社)をラウンド前に読むなどして臨んだ。

 倉本昌弘プロの言葉
 「ドライバーはシャフトが長く、ウェッジはシャフトが短い。でもテンポもリズムも同じです。ならば短いクラブほどゆったり振ることになります」。
 「まずはボギーオンのゴルフを確実にしていくことが大切」。
 「ボールを打つことを忘れて、スイングするということを考える」「あとはそんな自分を信用すること」。
 「グリーンに乗せるのはクラブが行うのであって、あなたではないということです」。

 ゴルフ場は練習場がパター練習場しかないので、レストランで、お茶を飲みながらゴルフ談議。
 今日のメンバーは昨年のコンペで78(40、38)を出したH君、84(40、44) を出したS君、87(43、44)を出したN君と92(46、46) だった私。
 H君はプロにフォームを一から修正されて「樹海に入ったような状態」。
 N君は若い可愛らしい女性インストラクターに理詰めのレッスンを受けて「樹海に入っていた」が、「シュッと打つのよ」みたいに感覚で教える年配の女性インストラクターに先生を戻してから「樹海の出口に立った」。
 私は「慣れないクラブで先が見えない状態」。
 ずっと同じコーチのレッスンを受けているというS君は、なんか、やりそうな雰囲気だった。

 ゴルフ談議で有意義だったのがH君の話。
 「アマチュアは目標に向かってアドレスしているつもりでだいたい右方向を向いている。ちょっと左方向を向くくらいの気持ちで実はまっすぐアドレスをしている感じになる」。
 「プロは、皆、しっかりクラブを振り切っている。左前方に打つような感じで振るが、それでまっすぐ飛ぶ」。
 「パットの時、プロはカップにどんどん近づくプロラインに乗せるが、アマチュアはカップからどんどん離れるアマチュアラインに乗せる」。


 いろいろ課題はあるが、アイアンをゆっくり振る。しっかりクラブを振る切る。この二つを意識してラウンドした。
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 「クラブをしっかり振り切る」は、すぐに結果にあらわれた。昨日は右にばかり飛んでいた打球がドローでしっかり狙った方向に飛ぶ。
 今日は4番ミドル390ヤードで残り100ヤード、6番ミドル377ヤードで残り90ヤードにつけたが、11番ミドル406ヤードではなんと残り90ヤードにつけ300ヤードを超えた(下りだったが)。16番ミドル366ヤードでも残り90ヤード、18番ミドル362ヤードでも残り90ヤードにつけた。「ちゃんと打てば270ヤード飛ばすことができる」と店員が太鼓判を押していたNEXGEN(9.5°、450cc)というドライバーだが、本当だった。

 クラブをゆっくり振ると、左に引っ張るような打球が減った。方向性が安定する。
 アウトの成績は+2+0+1+1+0+0+1+2+1=+8で44。パット数は413222232。
 今日こそ90が切れるかと思った。
 しかし、1番ロングは2打目をグリーンエッジにつけながらSWのアプローチが距離が合わず結局4パット。3パットも二つあった。
 H君によると、18ホールで32パットを目指さないとなかなか90は切れないという。
 21パットは打ち過ぎだ。
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 インはまた、プレッシャーに負けた。スコアは+1+2+3+1+2+2+2+1-1=+13で49。パット数は223132221。
 18パット。今日は合計39パット。7パット縮められれば86だ。
 パットは結構2m、3mのパットはよく入ったのだが、とにかくアプローチが寄らず、ロングパットが多かったため、パット数が多くなった。
 アプローチは、前半はSWをボールの下をくぐらすような打ち方をして失敗。後半、左足に体重を乗せ、フェースは開かずに、上から打ちおろすようにして転がしたところ、距離感があってきた。
 しかし、アプローチのクラブはやはりほしい感じがした。
 H君は「ピンを狙いすぎ」と言っていた。確かに手前に落として転がして寄せるということが少ない。ピン近くに落としてずっと先まで転がる、というパターンが多い。これも改善すべき課題だろう。

 パットはフォロースルーをしっかりとった時には、方向、距離とも狙い通り打てた。良い感じでいつも打てるようにしたい。

 一緒に回った3人のスコアはティーショットが乱れに乱れたH君が、それでも94(48、46)。8番でイーグルを達成したS君が85(41、44)。パーが7つもあったN君が88(42、46)。

 向上心ある仲間とのラウンドで、ほどよい緊張感で回れた。18番では全員がフェアウエーキープ。そして全員がパーオン。
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 それも最初の人よりも2番目の人、2番目の人より3番目の人、3番目の人より4番目の人と、どんどんボールがピンに近づいた。4番目が私。1mのパットを入れてバーディー。次につながる18番ホールだった。

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習志野カントリークラブキングコース~今年緒戦、クラブも一新(旧?)

 今年最初のゴルフは、習志野カントリークラブキングコースで、一昨年9月以来の会社の先輩3人(KKさん、KZさん、OWさん)とのラウンド。

 難しいが本当に面白いコース。ふだんは上手な先輩たちでも、成績は散々(KKさんは50→48、KZさん53→52、OWさん55→57)だったが、楽しいゴルフだった。

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 前半のインは+3+1+3+1+2+3+3+1+1=+18で54。パット数は112223322。
 10番でバンカーからの脱出に3打。11番で2打要するなど、いきなり深いバンカーの洗礼を受けた。
 群馬時代の前から使っていたクラブセットがなくなってしまい、今日から父親に借りたクラブ+KKさんが無期限貸与してくれるというNEXGEN(9.5°、450cc)になったが、クラブセットが変わってもそんなにスコアは変わらないかと思った。
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 しかし、後半アウトで大きく乱れた。+2+5+5+2+6+1+0+2+2=+25で61。パット数は322223222。
 NEXGENは相性が良く、まずまずだった。
 ただ、アイアンの距離が合わなかった。6番以降、これまでよりも一番手大きくして、ようやく距離が合った。
 アプローチショット、特にプレッシャーのかかるバンカー越えの距離がまったく合わず、グリーン周辺を行ったり来たりした、これがスコアを乱した最大の原因。

 明日は大月市の花咲カントリークラブで高校時代の友人とラウンド。
 明日もこのクラブセットでがんばってみよう。

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ゴルフ初練習・・・ゴルフバッグがない(゜o゜)

 ゴルフの今年初ラウンドは今週土曜日。雪もやんだし、朝、練習しようと思ったら…。ゴルフバッグがない。w(゚o゚)w
 車検でクルマをディラーに持っていくときに、外に置いて、そのままにしていた。なくなっているのに、今日気づいた。自宅の軒先に置いたままにしていたのが悪かったのか。悪かったのだろう。
 最近、柄にもなく休みにも読書ばかりしていたのもいけなかった。ゴルフクラブが怒って、どこかへ行ってしまったのかもしれない。

 パソコンのディスクがクラッシュしたような気分だ。絶望的だ。
 だが、まっさらからやり直すか、という気持ちが湧いてくるのもパソコンのクラッシュに似ている。

 ただ…。まっさらと言っても、新しいバッグを買うほど、懐に余裕がない。
 

 父親のバッグを借りることにした。
 
 入院している79歳の父親。ゴルフクラブを握るのはもう難しいかもしれない。
 けれど、黙って使うわけにもいかなので、昼間、出かけた帰りに病院に寄って、許可を得た。
 
 歩いて数分のところにある実家に行って父親のクラブを運び出して、ゴルフ練習場に行った。
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 そんなに古いクラブではないはずだが、ドライバーのヘッドがずいぶん小さい。
 スプーン(3番ウッド)、クリーク(5番ウッド)にサンドウェッジ、ピッチングウェッジ。9~3番アイアン。オーソドックスな構成だ。
 
 PSがない。どうしよう。
 64度はもちろんない。
 9番ウッドもない。
 
 ええい、構わん!
 
 今年は基本に立ち返ってゴルフをしよう。

 PSを持つ代わりにPWを短く持って振ろう。64度を持つ代わりにSWを短く持って振ろう。

 練習をしてみたが、ドライバーはやはり難しい。
 ティーは相当低くしないと打てない。マスターに時間がかかりそう。
 ドライバーは一度買ったものの、使わなかったデカヘッドのドライバーがある。これに替えよう。

 パターはどうしよう。以前使っていたものも持っていこうか。

 でもPS、64度、9番ウッドは当面なしで頑張ろう。


 ラウンド後に愚痴りそうだなあ。クラブのせいだと(笑)。

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山崎将志著『残念な人の思考法』(日経プレミアシリーズ)~あなたにもきっと残念な部分がある!?

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残念な人の思考法
 山崎将志著『残念な人の思考法』(日経プレミアシリーズ、2010年12月17日)を読んだ。
 「残念な人」というタイトルは微妙だ。「オレは別に残念な人じゃないから関係ない」と手に取らなかったが、帯を見ると、「30万部突破!」だという。日本人は意外に素直な人が多いから自分が残念な人だと思って手に取ったのか? それとも最近の部下はよく分からないと管理職が社会学を学ぶような気持ちで買ったのか?

 たまたまある会合で山崎氏にお目にかかったので、読んでみることにした。

 山崎氏はビジネスコンサルタント。仕事をする中で出会った、または同僚に聞いた「残念な人」についてエッセイ風にまとめている。読み進めていくと分かってくるのだが「残念な人」は「なぜ、こんなこともできないのか」という本当に残念な人もいれば、「これをクリアすれば、大成功したのに」と思われる、惜しい残念な人もいる。だから、対象の幅が広くて、「残念な人の特徴」、「残念な理由」などの分析は拡散していく。amazonなどを見ると、本書の評価は真っ二つ。この本を残念な本と見る人は、「クリアな分析」がないところが恐らく、不満なのだと思う。しかし、残念な人とは、人それぞれで、また、実は誰にも「残念なところ」があるのだ。
 やはり、30万部も売れたのには理由があるようだ。何をするにも簡単にはうまくいかない今の時代、「残念な人」は世の中に満ち溢れているのだ。

 本書によると「残念な人」とは、「ちゃんと学校を出て、入社試験もクリアした。役に立つ資格も持っている。そして、やる気も十分あり、夜遅くまで懸命に働いている。しかし、結果が出ない。そんな人たちのことだ」という。
 
 「ちょっとしたホウレンソウをおろそかにしたおかげで『聞いてない』とせっかく作った企画をご破算にしてしまう経営企画の人」
 「顧客は自分のビジネスにどう役立つかが知りたいのに、製品の機能説明を延々と続けてしまう営業の人」
 「中途採用の志望動機書に応募先の企業評価レポートを書いてしまう転職希望者」
 「生産能力以上の客を詰め込み、ランチタイムに客を待たせてしまう転職希望者」

 「残念な人は、やる気OK、能力(読み書きそろばん)OK。しかし、何かが間違っているために、結果がいまひとつになってしまう」「だから、残念な人とは、決して『バカな人』という意味ではない。『もったいない人』と言い換えてもよい」。

 「論理的思考」はできるが、「前提条件」で間違えて、結果が残念になる人もいる。

 事例をみると、なんでこんなことができないのか、と思うことも多かった。そういった事例は自分にとって役に立たないので、自分にとって役に立った、残念な事例を、引用しておこう。

 システム化により「残念な人が生まれる」という話は面白かった。
 「人の手をかけて業務を行っていたときは、担当者全員が重要な業務の担い手なのだが、人が行うことに起因するさまざまな問題を解決してしまうシステムを作ると、業務の細かい部分で判断をする人間が要らなくなってしまうことがある」「『システムを作るときの検討に加わったメンバー』と『単に新しくできたシステムを使う人』との間には知識レベルに相当のギャップが生じる」「ほとんどの判断をシステムが行うために、今まで起こっていたくだらない問題が発生しなくなり、オペレーターは代わりが利く仕事になる。そのため、残念な人に『なってしまう』」「それは、その仕事の背景にある意味がわからなくなる、知識を得る過程で必要な問題解決の機会を逃してしまう、などの理由からである。学習、言い換えれば試行錯誤する機会を与えられないという仕組みの結果なのである」。

 「現実問題として一度よいサービスを受けてしまうと、気づかないうちに当たり前になってしまい、それが与えられないときに初めて違和感として認識するのだ」「消費者はどんどん贅沢になっていく。無関係な人にとっては過剰と思われることでも、サービスを受けている側はすぐにそれに慣れてしまう。我々はそういう競争環境にいることを理解して、自分の仕事に取り組まなければならない」。

 「時間の使い方を自分自身で決めていると、時間の使い方にムダが生じず、しかも仕事そのものが楽しくなる。反対に、他人に時間の使い方を決められていると、ムダな時間が多くなり、しかも仕事は楽しくなくなる」。

 「ゼロを1にしたら、次は1を10にすることに力を注がなければならないのに、ゼロを1にする段階でつまずいているプロジェクトをいくつも抱え、みんなでパニックになっている」「実行してみて、『どれだけ頑張っても駄目なことがある』と自分の仮設の間違いを知ることは、行動における最大の収穫である。ある時点で見切り、損切りすることは、成果をあげるためにきわめて重要な行為といえる」「後ろを振り返ることはしなければならない。しかしそれは、失ったものの価値を計算してくよくよするためでなく、ロードマップのどこで間違ったのかを点検するためである」。

 「壁は人の頭の中にある」「上限は自分で決めてしまうものだ」。
 そこで引用されているプロゴルファー、宮里藍の言葉が印象的だ。
 「私はバーディーが3回続くと、次は何か(トラブルが)あるのではないか、と考えてしまう。しかし、アニカは全ホールバーディを目標に毎ホール積極的に狙ってくる。常にプラスのことしか考えていないように見える点が、とても勉強になった」。

 どんなに成功しても、慢心せず、また、どんなに失敗しても、くよくよせず、必要なことに常に細心の注意を払い、前向きに物事を進めていく大事さを本書に教えられた。

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石原結實著『50歳からの病気にならない食べ方・生き方』(海竜社)

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50歳からの病気にならない食べ方・生き方

 石原結實著『50歳からの病気にならない食べ方・生き方』(海竜社、2009年9月5日発行)を読んだ。
 群馬県で過ごしたときに実施した「朝だけにんじんジュースダイエット」の著者。「朝だけにんじんジュースダイエット」は、効果があった。
 本書の略歴を見ると、「長寿地域として有名なコーカサス地方(グルジア共和国)や、スイスのB・ベンナー病院などで、最前線の自然療法を研究。東洋医学を取り入れた独自の食事療法、運動療法」を手がけているという。
 先祖代々、種子島藩藩医というが、本書を読むと、江戸の漢方の大先生のような感じがする。つまり、西洋医学から見れば賛成しかねるような理論ではないかなと思われるところもあるのだが、分かりやすく、説得力のある話をされている。

 「はじめに」で基本的な考え方を説明する。

 「『免疫』とは、文字通り『疫=病気』を免れる力のことをいい、それは端的には血液の中を自由に動き回っている白血球の力のことである」「われわれが満腹のときは、血液中には吸収された糖や脂肪、ビタミン、ミネラルなど種々の栄養素が十分に存在し、白血球もそれを食べて満腹になる。よって、外から入ってくるバイ菌やアレルゲン、体内で増殖するがん細胞や老廃物をあまり食べようとしない、つまり、満腹のときは免疫力が落ちるのである」「逆に、われわれが空腹のときには、血液中の栄養素が不足気味になるため、白血球もおなかをすかせて、バイ菌やがん細胞などを貪食する力が強くなる」。
 
 「寒いところでは体がかじかみ、十分に動けなくなる。寒いと動きたくもないが、暖かいところや湯船の中では、身体はよく動き、活発になる。同様に、白血球も体温が下がると動きが悪くなり、免疫力が落ちる。逆に、体が温まると動きがよくなり、免疫力が上がる」

 「『病気を防ぐ、または治す方法』は、『食べすぎない=腹八分目にする』ことと、『体を温める』という2点に集約される」という。

 第一部が「病気にならない食べ方・食べ物」。
  「動物の食性は歯の形によって決まっている」「われわれ人間の歯を見ると、32本の歯があり、その内訳は、穀物食用の臼歯 20本(20/32=62.5%)、野菜・果物食用の門歯 8本(8/32=25.0%)、肉・魚介類・卵食用の犬歯 4本(4/32=12.5%)となっている。このとおりの比率で食べるのがもっとも健康によいはずである」「それはわれわれ日本人が何百年もの間に培ってきた『和食』を中心とした食生活だ」。

 「1975年当時は、医師が約13万人、がんの死亡者数は約13万6000人であった。今や医師の数は28万人と倍増し、その間、がんに関する研究や治療方法も格段に進歩したのに、2008年、がんで死亡した人は34万人近くにもなっている」「それは日本人の免疫力が低下してきていることを示している。免疫の中心を担っている白血球の力は『食べすぎ』により減弱し、空腹により増強する」「今、われわれ日本人は『飽食』の状態にあるからこそ、医師が増加し、医療技術が進歩しても病気が減らないどころか増加しているという矛盾のなかにいるわけだ」「医者足らずの『腹十二分』から『四分』引くと、すなわち病のない『腹八分』になる。それには『四分=一食』抜けばよいということになる」。

 「巷では『高血圧や脳卒中の原因になるので、塩分は控えめにすること』とか『日本人の死因の第2位と第3位を占める心筋梗塞や脳梗塞は血栓症なので、血液をサラサラにするためにも1日2~3ℓ以上の水分を摂るように』などという指導がなされている。しかし、われわれ人間は…『本能』をもっと重視すべきだ」「塩には体を温める作用がある」「つまり、『塩分が欲しいときには摂るべきだし、水が欲しくなければ無理をして飲むべきではない』」「塩分の極端な制限、交通機関の発達や電化製品の普及による運動不足、血栓を防ぐためにとむりやり飲んでいる大量の水分などが原因で、日本人は総じて体温が低くなって免疫力が低下してしまい、がん、アレルギー、自己免疫性疾患、感染症などの病気にかかりやすくなり、体内では糖や脂肪の燃焼不足からくる高血糖、脂質異常症、肥満などのメタボリック・シンドロームの要因をつくってしまったと言っても過言ではない」。
 「体が冷えると病気になったり、死亡したりするのだから、人間の体は冷えた場合には水分を捨てて体を温めようとする。つまり寝冷え→下痢、かぜをひく→くしゃみ、鼻水、老人が夜間に冷える→頻尿といった症状が現れる」

 「人間を植物にたとえると、へそより下の下半身は植物の根にあたる。つまり、下半身の強化には植物の根を食べればよいと考える」「これを漢方では『相似の理論』という」。

 「日本の研究でも、『1日の飲酒量が日本酒なら2合、ウイスキーならダブルで3杯、ワインならグラスで2~3杯、焼酎ならお湯割り3~4杯程度』なら『動脈硬化を防ぐ、善玉のHDLコレステロールが増加する』、『血栓を防ぐウロキナーゼの血管内皮での産出が促される』ことがわかっている」。

 第二部が「病気にならない運動・生き方」。
 「筋肉は男性の平均体重の約45%、女性の約36%を占めている。であるから、人体最大の器官である筋肉を動かさずして、運動せずして、健康などありえないわけだ」「全筋肉の70%以上がへそより下の下半身に存在する。よって、下半身の筋肉が衰えてくると、種々の障害が生じてくるし、腎虚に陥り、老化もはじまってくる」。

 第三部「病気は自分で治す!【病気・症状別対処法】」では、病気、症状別に、何を食べ、どう過ごすべきかの対処法を紹介している。
 ショウガ風呂・ニンニク風呂(どちらも100gすりおろし、布袋に入れて湯船につける)・塩風呂は試してみたいと思った。 

 人間が本来持っている力や、食事、運動によって健康を保ついう考え方は支持できる。医療・健康分野は素人では分からないことが多いが、さまざまな本を読み、勉強していきたいと思う。

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歌田明弘著『電子書籍の時代は本当に来るのか』(ちくま新書)

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電子書籍の時代は本当に来るのか

 歌田明弘著『電子書籍の時代は本当に来るのか』(ちくま新書、2010年10月10日発行)を読んだ。
 佐々木俊尚著『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァー携書)が発刊された昨年4月に比べれば“衝撃”の度合いは軽くなり、日本の企業も様々な対応をしているようだ。この本は、そんな日本企業の対応も含め、電子書籍がどのように発展していくのかいかないのかを客観的に分析した、大変有益な本だ。

 まず、「まえがき」で簡潔に現状分析をしている。
 「アメリカでアマゾンはベストセラーを含む多くのキンドル版の電子書籍を、新刊書の発売と同時に正価の半分以下の価格で発売した。電子書籍の魅力を増すことで、読書端末の普及に成功している。2010年8月末には日本語表示できるキンドルも発売されたが、…日本では電子書籍の『安売り』は簡単には起こりそうにない」。
 「日本でも著名作家の電子書籍が発売されて話題になり、成功例として語られるケースは出てきたものの、多くは印刷版を売るための『話題づくり』で、電子書籍単体で多くの利益が出ているわけではない」。
 「書籍を電子化してコンテンツの供給をする印刷会社と、課金・決済を請け負う携帯通信会社、端末を販売する電器メーカーなどがグループ化する動きも出てきた。多くの企業はオープンにすると言うが、今後の成り行きによっては、そうした言葉と裏腹の事態になりかねない」。

 第一章は「電子書籍の問題はどこにあるのか?」。
 「電子書籍端末の歴史は…期待と失望の繰り返しだった」。
 1999年10月、出版社やメーカーからなる「電子書籍コンソーシアム」が設立され、電子書籍実験を始めることになった。小学館の鈴木雄介インターメディア部次長(当時)らが中心となって、「さしあたりは出版社の財産を活かすことを考え、既刊本の各ページをスキャンし、画像データとして配信する」ところから始めようとした。
 ところが「出版界からは懐疑的な声も聞こえてきた」。「出版界全体の売り上げが大きなハードメーカー1社分、俗に『2兆円産業』と言われる出版業界だけで独自の端末をつくってもうまくいくはずがない」という声だ。
 「将来のさまざまな可能性のためにはテキスト・データで電子化することが必要だ。しかし、電子書籍実験では画像データ化を第一に考えて」いたことも業界が一つにまとまらない理由だった。

 結局、「専用端末は『時期尚早』と立ち消えに」。
 しかし、「2000年代初めにはPDA(Personal Digital Assistant)と呼ばれる小型の携帯場法端末が、システム手帳にとって代わるツールとしてガジェット好きなビジネスマンのあいだで浸透していた」。そして、「PDAが電子書籍についても『主戦場』になっていった」。
 シャープは「1999年6月に光文社の文庫を中心に『ザウルス文庫』を立ち上げ、同社のPDA『ザウルス』で読む仕組みをつくった」。
 「電子書籍を流通・販売するサイトも増加の一途だった」。

 「2004年の年明けも、『電子書籍元年』という言葉がメディアで飛び交った」「松下電器(現パナソニック)は2004年2月に『シグマブック』」を発売。「ソニーも『リブリエ』と名づけた読書専用端末を出し…2004年春から電子書籍サービスを始めた」。
 しかし、2005年10月にシグマブックの出荷は中止となった。
 ソニーの「リブリエは、数千台しか売れなかったと思われる」が、ソニーはあきらめず、「2006年9月末、アメリカで『ソニー・リーダー』と名づけた読書端末を350ドルで発売した」。

 もっとも携帯電話向けの電子書籍は急拡大。「ケータイ小説」という新ジャンルも生まれた。
 著者は言う。「ケータイ小説ブームが告げる教訓は、電子書籍の時代には、これまで思いもようらなかったことが起こるということだろう。印刷本を電子化したにとどまらないことが次々と起こると予想される。おそらく何十年と経った未来から電子書籍の発展を顧みてみると、印刷媒体をもとにした電子書籍は、結局のところ未来の読み物の一部でしかなかったと気づくことになるかもしれない」。

 読書端末は海外から押し寄せてきた。 
 「2007年11月19日、米アマゾンは『キンドル(Kindle)』と名づけた読書端末」を発売した。
 「そもそも日本の電子書籍は、読書家以外の人たちを対象にしようとする傾向が実証実験のころからかなり一貫してあった」が、「アマゾンは、明らかに本を大量に読む人たちに向けてキンドルを販売した」という。「こうした端末で読むのは若者ぐらいだろうと思うかもしれないが、キンドルをおもに購入したのはお金に余裕のある中高年齢層だったことを推定するデータも出ている」。
 
 著者がキンドルの弱点と考えているのは「ウェブと切り離された閉じられた端末で、電子書籍のビジネスを続けられるかということだ」。「動画表示は、デジタルの書籍や雑誌でも必要になってくるだろう」と見ているからだ。

 「マルチメディア電子書籍」が求められるようになればiPad型の多機能端末が優勢になるとの見方だ。

 第二章は「グーグルは電子書籍を変えるか?」。
 2004年10月、「フランクフルトのブックフェアでグーグルは、本の全文横断検索『グーグル・プリント』(その後『ブック検索』と名前を変え、現在は『グーグル・ブックス』となっている)を紹介し、検索対象にする本を送ってくれるように出版社に呼びかけた」「アマゾン同様グーグルは、出版社が提供した本をスキャンしてデータベースを作成した。著作権保護のため利用者は印刷や画像のコピーはできず、該当個所の前後2ページのみ見ることができた」。
 「ブック検索を始めて2ヵ月後の2004年12月半ば、グーグルは、スタンフォード大学やミシガン大学などの巨大図書館の蔵書のべ1500万冊以上を電子化する『ライブラリー・プロジェクト』を発表した」。
 「グーグルはフェア・ユースだと言うものの、作家や出版社などは反発した。グーグルと話しあいがおこなわれ、05年8月にはグーグルは一時作業を中止した」「9月には、米作家協会がグーグルの行為は『大規模な著作権侵害』だと提訴した。10月1日には、米出版社協会加盟の大手出版社も、グーグルを著作権侵害で訴えた」「事前許可なく電子化し検索表示する『図書館プロジェクト』についての訴訟は2005年から3年越しの裁判になり、2008年10月に和解案がまとまった」
 しかし、その後、集団訴訟の対象に日本の著作権者もなると告知され、一時大騒ぎとなる。
 その後、「グーグルのブック検索をめぐる米出版社協会や米作家協会との手段訴訟の和解案は、内外からの数々反発に加えて、アメリカ司法省などからも集団訴訟の拡大解釈が問題視され、和解案の修正を余儀なくされることになった。2009年11月13日にニューヨーク連邦地裁に修正和解案が提出された」「新たな和解案では、アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリアの4カ国で出版されたか、09年1月5日までに米著作権局に登録済みの著作物に限定された。日本のほとんどの本は対象ではなくなった」
 
 グーグは「出版社から本の提供を受けて電子化し、出版社や作家の認めたかたちで検索表示する事業はパートナー・プログラムと呼んで、図書館プロジェクトとは区別している。パートナー・プログラムのような本だけでもすでに200万冊あるという」「2010年秋にはアメリカで、この200万冊の本のうち権利者の許諾を得たものについて本全文に有料でアクセスできるようにする『グーグル・エデッション』と名づけた事業を開始する。そして2011年の初めまでには日本でも始めるという」。
 「グーグルがほかの企業にオープンにデータを使わせ続けるのであれば、グーグルの電子データは『電子書籍貯蔵庫』の性格を帯びてくる」「こうした電子書籍貯蔵庫は『電子書籍の時代』が来るには必要なものであろう」。
 
 グーグルのポジションがよく分かった。

 第三章は「『ネット無料』の潮目が変わろうとしている?」。
 この章では、「読書端末やスマートフォンでの課金という複数の選択肢が出てきたいま、ウェブ・サイトの課金のハードルは低くなってきた」とし、ウェブ・サイト課金ビジネスを展望している。
 その一例が朝日の「ウェブ新書」。「ウェブ新書は『わずか10分で<今>がわかる、新しい読書スタイルの提案』とのことで、朝日新聞や週刊朝日など朝日新聞社の記事だけでなく、講談社、時事通信社、小学館、ダイヤモンド社、文藝春秋の雑誌記事などのコンテンツを創刊記念価格として一律105円で販売している」「ほかの出版社ばかりでなく、書き手個人も販売できるようにするつもりだという」。
 「電子書籍が紙の本の電子化ということにとどまらず、ウェブの構造変化を引き起こすこともありえなくはない」。

 本格的な電子書籍の時代になれば、書籍も新聞も区別がなくなり、さらにはこれまでになかったジャンルも生み出されていくのだろう。『電子書籍の時代は本当に来るのか』は、電子書籍に無限の可能性があることを感じさせてくれた一冊だった。

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東京大学高齢社会総合研究機構著『2030年 超高齢未来 ―「ジェロントロジー」が、日本を世界の中心にする』(東洋経済新報社)

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2030年超高齢未来

 東京大学高齢社会総合研究機構著『2030年 超高齢未来 ―「ジェロントロジー」が、日本を世界の中心にする』(東洋経済新報社、2010年12月9日発行)を読んだ。
 「いまから20年後の2030年には、団塊の世代が80歳超になり、65歳以上の高齢者が人口の3分の1を占める超高齢社会が到来します」。
 「『高齢者が増加すること』をいわば契機として、社会のあちこちに急激な変化があらわれてくることが想定されるのです」「社会の急激な変化によって、これまで構築してきた社会の仕組みが十分に機能しなくなり、多くの人が日常生活に困難をきたすようになる。そんな状況が強く危惧されます」。
 「これから先、超高齢社会の問題が大きな広がりをみせていくことは間違いありません。しかもそれらの問題は、一つひとつが独立しているものではなく、さまざまな形で互いに深く関わっています」「その解決のためには、多くの人々の思いがひとつに合わさり、立場や分野を超えた連携が新たな価値を生み出していくような流れをつくることが必要です」「そのときによりどころとなるのは、誰もが共感できる『豊かさを実感できる、幸せな超高齢社会』の将来ビジョンです」。
 問題なのは、もう時間がないにもかかわらず、その『幸せな超高齢社会』を築くためのビジョンや道しるべを、ようやく議論しはじめたばかりだということです」。

 問題が大きそうだということや、取り組みが大変困難だということは分かった。この問題をわれわれは本当に解決できるのだろうか。政治が混沌としているだけに、不安ばかりが募る。
 
 超高齢社会にはどんな問題が生じるのだろうか。
 「通常、医療費は、年齢とともに上昇していきます」「また、医学や医療機器の進歩に伴う医療の高度化によっても、医療費は上昇します」。
 「わが国の医療費は、2008年で年間34兆円、介護費用は7兆円、計41兆円です」「2025年には医療費が70兆円前後m介護費用20兆円前後、計90兆円前後に増大し、年金の給付費は2007年の年間48兆円が、2025年には65兆円程度に増大すると推計されています」。
 「医療水準を落とさずに医療体制を維持するためには、国民全体の健康度を上げることで患者数が減ることにより、医療費の総額を抑制することが求められます」
 年金の負担も重くなる。
 「2000年には3.58人の就業者(20~64歳人口)で1人の高齢者を扶養していたものが、2030年には1.86人の就業者で1人の高齢者を扶養しなければなくなると推計されています」「もとより、若い世代に過大な負担を背負わせないためには、働く高齢者を増やし、年金給付費用を減らすことができれば、その方向が最も好ましいと考えられます」「これからの新しい社会の仕組みの構築に向けて、今後多くのさまざまな仕事が生まれます。これを高齢者自ら中心的に担っていくという姿こそが、ひとつの解決策になっていくものと期待されます」。

 ほかにもいろいろな問題が生じてくる。
 「懸念されるのは、都市中心部で多数の空き地、空き家が散在してくる状況です」「街中に空き地や空き家が散在してくると、治安上も好ましくありませんし、生活環境にも悪い影響が出始めてきます」「都市計画法やそれに付随する法体系んいは、この新しい課題を解決する力はありません」。

 「これから必要なのは道路の拡幅や新設ではなく、多種多様な移動体が安全に快適に移動できるような街路環境やシステムの整備でしょう」。

 「2010年6月16日の『日本経済新聞』によると、2030年には、築50年以上のマンションが全国で94万戸に達するという試算があるそうです」「高齢者の多くは、新たな住宅ローンを背負うことや転居を好みません。…しかも、入院している方、認知症で判断能力が落ちている人、複数の相続人の意向がまとまっていないケースなど、建て替え合意形成をはばむ要因は無数にあります」。

 「日本の社会資本整備は高度成長期から1980年代に集中したために、近い将来、いっせいに更新時期を迎える恐れがあります」。

 「大幅な人口減少で商業機能が著しく衰退した都市が、地方を中心に数多くあらわれてきます。団塊の世代を中心に急増するいわゆる『後期高齢者』のための宅配機能や、大幅な人口減少が予想される約3000万人の地方中小都市の、日常の買い物にも不便な地域における、商品供給のシステムも求められてきます」。

 「これから生じてくるさまざまな社会の課題を解決していく上で、今後増大する多くの元気な、高齢者と呼ぶにはふさわしくない人たちの力を借りることがひとつの鍵になってきます」「ただし、たんなる定年延長のような形で、高齢者の就業が若年層の就業を阻害するようになれば、現状でも若年層の非正規就業が大きな問題になっている中で、また新たな問題が生じることになってしまいます」「高齢者の就業においては、ボランティア的な要素を含んだ就業方法、比較的短い就業日数、時間など、従来であれば就業の足かせとなっていた要素を逆に活用した新しい就業形態を開発できます」。

 本書は、超高齢社会で生じる問題を整理したうえで、「ジェロントロジー(Gerontology)」と呼ばれる処方箋を提示する。
 「日本語では『老年学』あるいは『加齢学』などといわれることもありますが、そのような言い方では意味が狭く感じられてしまうため、広く高齢者、高齢社会に関する総合的な学問を表す意味では、カタカナ表記にするのが一般的です」「高齢化にまつわる問題解決のためのあらゆる知恵をヨコにつないでいこうというのが、『ジェロントロジー』なのです」「医学はもちろん、看護学、生物学、経済学、心理学、社会学、社会福祉学、法学、工学、建築学など、それぞれの専門家が高齢化に関する知識を集積し、その成果を社会に還元していくことを目的としています」。

 ジェロントロジーによる解決策が出てくれば、それは日本の成長エンジンになるともいう。
 「東京大学の小宮山宏氏は『課題解決先進国』という考え方を提唱しています」「少子高齢化という『課題』に関しても、日本は世界一進んでおり、いわば超高齢社会のフロントランナーです」「ということは、超高齢社会という『課題』もまた、日本が世界に先駆けてその解決策を生み出す『チャンス』」でもあるということです」。

 「2009年4月に、…『高齢社会総合研究機構』がスタートしました」「機構では、その活動の基本理念を『Aging in Place』と表現しています。これは、『いくつになっても、住み慣れた地域で安心して自分らしく生きる』という意味です」「『Aging in Place』を構成する要素は3つあります。ひとつは在宅医療の充実です。…2つめは生きがいづくりと就労です。人はただ長生きすればいいのではありません。QOL(Quality of Life:生活の質)を追求し、自分らしく長生きするための仕組みをつくる必要があります。3つめはそうした生活を支えるためのインフラ整備です」。

 ジェロントロジーを「老年学」にとどめずに超高齢社会への処方箋として一刻も早く活用することが必要なのだろう。 

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千代田区立図書館(東京・九段)、靴磨きイベントも

 千代田区立図書館(千代田区九段南1-2-1千代田区役所9・10F、03・5211・4289、4290)に行った。

 「あなたのセカンドオフィスに。もうひとつの書斎に。平日夜10時までご利用いただける、いままでにない"図書館"です」。このキャッチフレーズが魅力的。九段で仕事があったので、帰りに寄ってみた。

 キャレル席(個人用ブース席)が16席あり、まず、ここでインターネットが使える。1~8までは無線LAN(FREESPOT)が使えないというので、LANケーブルを借りて有線で接続。9~16は無線LANが使えるという。

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 今日はキャレル席を12:18~14:18に使った。一人1日1回2時間まで使える。電源があるので助かる。

 2時間過ぎた後は、一般の席で作業を続ければいいが、電源があるところばかりではない。しかし、キャレル席で充電しておけるので、しばらくは大丈夫だ。

 

 パソコンを打っていると館内放送があった。
 靴磨きイベントなるものをやっているそうだ。正午から午後8時まで。読書の間に靴磨きをしてくれるという。
 第一月曜日のイベントらしい。

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 料金は1500円。街なかの靴磨きの相場の3倍と高いが、試しに頼んでみた。

 シューズラウンジ「ブリフトアッシュ」(東京都港区南青山6-3-11 PAN南青山204、03・3797・0373、営業時間は12:00~21:00、火曜定休)からの出張サービスとのことだ。

 磨いてもらっている間はスリッパでくつろげる。20分くらい念入りに磨いてくれる。

 確かにぴかぴかになった。(^_^.)
 柔らかい布で拭くだけで1ヵ月はぴかぴかが持続するという。

 図書館で靴みがき。「千代田図書館で靴も自分も磨く」ということらしい。

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ニッセイ基礎研究所著『定年前・定年後 新たな挑戦「仕事・家庭・社会」』(朝日新聞社)

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定年前・定年後 新たな挑戦「仕事・家庭・社会」

 ニッセイ基礎研究所著『定年前・定年後 新たな挑戦「仕事・家庭・社会」』(朝日新聞社、2007年10月31日発行)を再読した。
 ニッセイ基礎研究所では、1997年から2005年まで、隔年5回にわたって、昭和8年(1933年)から昭和22年(1947年)生まれの男性を追跡する「中高年パネル調査(暮らしと生活設計に関する調査)」を実施してきた。「調査対象者は1997年時点で50歳~64歳であり、現在まさに定年前後の世代にあたる。この調査は同じ調査対象者を追跡するという手法をとっているがゆえに、『定年前にどういう生活をしていた人が、定年後どうなっているか』『定年後ハッピーに生活している人は、定年前にどのような準備をしていたのか』といった実態を明らかにすることができる」。

 パネル調査では「定年前に60歳を過ぎても仕事をしたい」と考えている男性は過半数を占め、定年後、例えば67歳でも約6割が就業している状況にある」。また、労働政策研究・研修機構「データブック国際労働比較2007」によると、「60~64歳、65~69歳の男性の労働力率をみると、日本は各70.7%、45.6%と、アメリカ(各57.0%、32.6%)、イギリス(55.7%、18.3%)、フランス(各19.0%、4.1%)などと比べて非常に高くなっている。欧米はできれば早いうちからハッピーリタイアメントを楽しみたいという意識が強い。日本の高齢者の就業意欲の高さ、労働力率の高さは国際的にみて特長的だといえる」。

 「『高年齢者等の雇用の安定等に関する法律』の改正により、2006年4月より、65歳までの雇用確保措置の導入が企業に対して義務付けられた」「労働政策研究・研修機構が2006年10月に実施した調査によると、企業の98.4%が既に雇用確保のために何らかの対応を行っているが、企業の95.7%は継続雇用制度の導入による対応となっている」「継続雇用制度の内容をみると、継続雇用の希望者全員を雇用する企業は4社に1社にすぎず、多くの企業は継続雇用に何らかの審査基準を設けている」「また、継続雇用者の年収水準については、年金や公的給付などを含めて、定年到達時の年収の『6~7割程度』になるよう給付額を設定していると回答した企業が4割を超える」。

 パネル調査によると、「定年(60歳)前に『自営等』だった男性は、9割以上が定年後も『自営等』だが、定年前に『正社員(役員を含む)』だった男性は、定年後には16.3%が『非正社員』に、4.1%が『自営等』に転じている。また、勤務先の企業の規模をみると『299人以下』については、定年前後で大きな変化はないが、定年前に『300人以上・官公営』に勤務していた男性については、4割弱が『299人以下』の企業に移動している。自営業セクター、中小企業が、定年後の就業の場として重要な役割を担っているといえる」。

 「『働かなければならないので働く』男性は定年前には7割強だったが、定年後は5割強へと低下している。逆に、『働きたい(生活目的以外)ので働く』という選択をした男性は、定年後は4人に1人にのぼり、『働けない』『働かない(自己選択)割合も定年後に増加する』」「働く選択タイプ別に生活全般に関する満足度をみると、『働かない(自己選択)』男性の満足度の上昇、『働けない』男性の満足度の低下が著しい。一方、働いている男性については『働かなければならない』か『働きたいか』にかかわらず、生活全般の満足度が定年前後でほぼ横ばいとなっている」。
 「『働きたい(生活目的以外)ので働く』という男性は、『非正社員』『転職』『非ホワイトカラー』『役職なし』『フルタイム以外』の割合が高くなっている。このことから、定年後の就業条件の変化には、必ずしも求人側の事情による他律的なものでなく、男性側の自律的な選択によるケースも含まれていると推測される。また、『働きたい(生活目的以外)ので働く』という男性は、「『働かなければならないので働く』男性に比べて勤務先年収や貯蓄額が高い」「一方、『働かなければならないので働く』男性は、『継続就業』の割合が約9割と、従来の延長線上で働いているケースが多い。心ならずも就業条件の一部が変更されたとしても、愛着のある職場で、従来とされなりに継続性のある業務に携わっていることが、彼らの満足感を維持している可能性が高い。…また、働き続けることが、家族の生活を支えるという心の張り合いが、生活満足度を維持している可能性もある。さらに、定年という一つの区切りを経て、定年前よりはやや肩の力を抜いて仕事に向き合えるという面もあるのだろう」。

 「定年後に、働くかどうか、あるいはどう働くかという問いは、突き詰めれば、どう生きるかという問いと同義だともいえる。定年後に『働く意味』は人それぞれであり、生活の一部を仕事に振り向けるケース、一つの仕事が複数の意味を持つケースも多々ある。やり残したことへの思い、新しいことへの好奇心、仕事への自負心や誇りの一方に、迷い、心の隙間、不安……そんあゴチャ混ぜの先に定年の仕事がある」「定年というダイナミックな変化をガッチリと受け止め、『働く意味』を『哲学』しながら、しなやかに定年後を楽しんでいる男性は決して少なくない。そういう男性たちに共通するのは、変化を楽しもうという姿勢である。こういう姿勢は定年後に初めて現れるものではない。彼らは総じて、現役時代にも仕事や周辺の変化をそれなりに楽しんできたに違いない」。

 起業についても分析している。

 「『2006年度新規開業実態調査』(国民生活金融公庫総合研究所…)によれば、50歳以上の人による開業は、1991年当時の11.5%から、2006年には28.4%にまで上昇している。60歳以上の人による開業を取り出してみると、91年の2.2%から06年の5.3%まで、絶対水準は低いものの増加傾向を示している」「『2006年度新規開業実態調査』によれば、事業内容に新規性のある『ニュービジネス型』企業における50代、60代の比率は34.4%となっており、むしろ『従来型』企業における同比率の27.3%を上回る結果となっている」。

 「仮に起業をしても、会社運営が軌道に乗るまでには長い期間のエネルギー投入を要するのが通例である。…人生80年の時代とはいえ、起業に伴う不眠不休に近いようなエネルギー投入ができる期間は、そう長くは残されていない。まして、失敗に終わった場合に何回も再挑戦できるような時間的な余裕には恵まれない可能性のほうが大きいのではないかとも考えられる」「株式公開を目指すような本格的な起業については長い期間を要するのが通常であるので、中高年の起業家は自らが使える時間の制約を意識した戦略が必要となってくる」「中高年が起業を考える際に、自分が経営者として機能するようなケースばかりでなく、若い経営者を支えるサポートの役回りに徹するというパターンも考えられる」。

 「『2006年度新規開業実態調査』では、年代層別に開業動機を調べているが、それによれば50代以下の層では利潤目的が社会貢献目的を上回ったものの、60歳以上の層では利潤目的よりも社会貢献目的が上位に位置づけられている」。


 本書は、中高年男性のライフデザインを考える際に押さえておくべきポイントとして、まず仕事、次に家庭、そして仕事の場でも家庭の場でもない「第三の場=社会」を取り上げている。

 定年前後をカバーするパネル調査は珍しい。調査結果にケーススタディも織り交ぜて、定年についてじっくり考えさせてくれる貴重な一冊だ。

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びんてじ(東京・浅草橋、居酒屋、静岡おでん)

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 静岡おでんのおいしい居酒屋、びんてじ(東京都台東区浅草橋1-31-4 大原第3ビル1F、03・3865・7220)に行った。


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 テーブル席は満席。カウンターに座った。

 メニューにあった店の紹介文。
 ~時間と手間が造り出す食・酒の味わいのご提供~
 当店はこれをコンセプトに“Vintage”という単語から“びんてじ”と命名いたしました。真黒な静岡おでんの出汁は26年大事に継ぎ足したものを引き継ぎ、そのほかのメニューも熟成・寝かし・長時間の煮込みなどが作り出す味わいを中心にご用意しております。
 別紙メニューの焼酎、地酒、泡盛につきましては、提携の酒屋様、蔵元様のご協力により、流行等は関係なく、その時節お勧めの銘柄を揃えております。常に変動するため、すべて試飲OKとなっておりますのでご遠慮なくお申し付けください。

 静岡おでんについて
 静岡では、季節を問わずに非常に身近な食文化として、おでんが根付いています。(駄菓子屋さんにもおでんがありました)
 *牛筋とまぐろで出汁を取り、それを大事に継ぎ足すことで真っ黒になった出汁。
 *粉カツオと青海苔をかけて食べる。
 *継ぎ足すことで増していく甘みと、店ごとのおでん種による独自の味わい(出汁に対して、調味料はほとんど使いません)

 味噌をつけて食べる名古屋寄りのおでんを出すお店もありますが、静岡市内を中心とした、独特の味わいと食べ方をするのは、当店でお出ししているものです。
 時を経る毎に深みを増す味わい。“びんてじ”の命名の根本となっております。

 メニューにある静岡おでんを全部食べてみることにした。
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 和牛・牛すじ 294円
 黒豚・白もつ 210円
 三日仕込み大根 242円
 ふっくらさつま揚げ 189円
 手造り黒はんぺん 158円
 まずはこれだけ。

 味がしっかりついている肉じゃががあるが、そんな感じ。ご飯があってもいいと思うほど、しっかりと味がついている。おいしい。

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 山芋とろろグラタン 714円
 なかなか。

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 厚揚げ 189円
 なると巻 158円
 ちくわぶ 158円
 山芋つなぎこんにゃく 158円
 ゆで卵 126円
 お芋 126円

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(クリックすると大きな画像で見られます)
 トイレにしりあがり寿のシュールな静岡おでんのマンガがあった。

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 庶民的雰囲気の店。

 値段も安いし、ローカルな雰囲気もあるくつろげる店。

 今度はやきそばも食べてみたい。

 営業時間は18:00~23:00(22:00FOOD L.0.、22:30DRINK L.0.)

 日曜日・祝日定休。

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向山雄人著『生きる力がわく「がん緩和医療」』 (講談社プラスアルファ新書)

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生きる力がわく「がん緩和医療」

 向山雄人著『生きる力がわく「がん緩和医療」』 (講談社プラスアルファ新書、2009年7月20日発行)を読んだ。
 向山雅人氏は癌研究会有明病院(癌研有明病院)緩和ケア科部長。
 実は癌研有明病院は両親ともに大変お世話になった病院である。

 母親は数年前、胃がんになったが、胃の大半を摘出し、さらに胃癌で入院中見つかった乳がんの手術も行って、今は80歳だがぴんぴんしている。趣味の踊りでは花道を駆け抜ける元気さで、とても80歳の人には見えない。
 
 父親は食道がんだが、癌研で診察を受けたときは水も喉を通らない状況で、体中にがんが転移。もう手術ができない状態だった。完治は無理だが、人間らしい暮らしができないかということで放射線治療をしていただいた。胃瘻(ろう)というものを胃に通し、そこから栄養を補給している。
 放射線治療が終わり、これからどうすればいいかというときに、相談に乗っていただいたのが向山先生である。
 癌研有明は自宅から遠かったので、父は自宅に近い病院で緩和ケアを受けることにし、東京・豊島区の要町病院を紹介していただいた。

 癌研有明病院は病院の入り口に立ったところから、優しさや思いやりが伝わってくる病院である。入り口での対応はホテルのようだし、1階のフローリングスペースは明るく、たまにコンサートが開かれる。
 患者はPHSをもたされ、適宜、「待合室に入ってください」などの連絡を通信で受けるので、病院内のどこにいても良い。患者を待たせるのを何とも思わないのかと思わせる大病院が多い中で、治療前の段階でも、人間味を感じさせてくれる病院なのである。

 この本を読んで、なるほど、だから癌研有明病院は温かいのだなと納得した。


 本書によると、がん患者が抱える痛みは、身体的な苦痛(痛み、倦怠感、食欲不振、吐き気、呼吸困難感など)、精神的な苦痛(不安、いらだち、虚無感、孤独感、うつ状態など)、社会的な苦痛(仕事の問題、経済的な問題、家庭の問題など)、そして人生は自分の存在に対する悩み(スピリチュアルペイン、罪の意識、死の恐怖、生きる意味の喪失など)がある。
 「これら4つの苦痛は適切な治療を早く行わないと、相互にからみ合い、それぞれの苦痛がさらに強くなっていくのです」「痛みの治療は『Just in Time(ジャスト・イン・タイム)必要なときに、必要な医療を、必要なだけ』で受けなければ、すべてが負の方向へ向かうのです」と向山氏。

 「日本のがんの治療において、このような痛みをはじめとした苦痛の緩和に目が向けられたのは、ごく最近のことなのです」。
 「日本では現在でもがん疼痛治療が十分に行われていない」のは以下の三つの要因がいまもなお根強く横たわっているからだと言う。
 「ひとつには、多くのがん治療医の日常が手術、放射線治療、化学療法(抗がん剤治療)など『がんを攻撃する治療』で手いっぱい、あるいは、がんに伴う苦痛緩和は自分たちの守備範囲ではない、関心がない」と思っている現実がある。

 「2つめは、モルヒネに対する誤解、偏見です」「モルヒネは適正に使うことでがんの苦痛を緩和して普通の生活を送れるようにするための薬です」。

 3つめの要因は「緩和ケア科受診=すぐ目の前の死」と大勢の人が誤解してきたことだ。
 「WHOでは2002年、緩和医療を新たに次のように定義しました。『緩和ケアとは、生命を脅かす疾患に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より痛みなどの身体的問題、心理・社会的問題、スピリチュアルな問題に対して適切な診断を行い、予防や治療を行うことで、クオリティ・オブ・ライフ(生活の質、生命の質。以下、QOL)を改善するための医療である』。
 しかし、「早期から、各診療科と同時に緩和ケア科の診察を受け、適宜、症状緩和治療をうけること、十分な信頼関係を築けるがん緩和医療専門医がいることで、再発・転移がんに罹患した患者さんの人生が180度変わるといっても過言ではないのです」「『がんを攻撃する治療』と『がんに伴う症状緩和治療』の両者は同時に並行して行うものです。なぜなら仮に前者に限界が来ても、後者を徹底して継続することで、その多くが『のんびりがん』である固形がんの苦痛をとりつつ共存できるからです」。

 
 「これまで遅々として進まなかった緩和医療の普及に、一気に弾みをつける施策が登場しました。それが2007年4月に施行された『がん対策基本法です』」。この法律に「早期からの緩和医療の導入」が定められたと言う。

 第2章の「緩和医療の実際」では、痛みとそれに対する治療に関する専門医ならではの具体的な知識や情報が紹介される。

 ケーススタディも役に立つ。
 ある大学病院で前立腺がんと診断されたG・Hさんは「セカンド・オピニオンを受けるため」、癌研有明病院の緩和ケア科を受診した。「緩和ケア病棟に入院し、疼痛治療を集中的に受けられ、全ての痛みは緩和されました。そして、緩和ケア外来への通院治療へ移行しました」。その後入退院を繰り返したが、薬を内服薬にして、旅行をしたり、自宅で年越しをしたりして、亡くなるまで充実した時間を過ごしたという。

 向山氏は言う。「がんになったことによって生じる心身のさまざまな症状、しばしば起きる容態の急変にもきめ細かく対処していく緩和医療は、まさにオーダーメードのがん医療です」「しかも、薬物療法、放射線治療、神経ブロック、インターベンショナルラジオロジー、アロマセラピーなど、緩和医療の領域にはさまざまな新しい薬や技術が導入されています。多くの分野の専門家があらゆる手だてを駆使して、患者さんの苦痛を取り除くばかりでなく、苦痛が生じないように予防にも力を注ぎ、心地よく充実した日々を過ごしていただくように努めるのが、本当の緩和医療の在り方だと私は思います」。

 緩和ケアはさらに、患者の家族、また患者が亡くなった後の遺族をケアするプログラムも用意しているという。

 まさにこの本のタイトル通り「生きる力がわく」本だった。


※本書で紹介していたがん緩和ケア関連ホームページ
痛みの緩和について考えるJPAP(Japan Partners Against Pain)
国立がん研究センター・がん対策情報センターがん情報サービス

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川北義則著『「55歳」からの一番楽しい人生の見つけ方』 (知的生きかた文庫)

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55歳からの一番楽しい人生の見つけ方

 川北義則著『「55歳」からの一番楽しい人生の見つけ方』 (知的生きかた文庫、2011年2月10日発行) を読んだ。
 川北氏は1935年生まれ。「現在、出版プロデューサーとして活躍するとともに、生活経済評論家として新聞、雑誌などに執筆、講演活動を行なっている」。ブログはこちら

 「定年退職した途端、花が枯れるようにしょぼくれてしまう人がいる…一方で…第二の人生は趣味に遊びにいきいきと過ごすひともいる。…その差は何か。思うにそれは、現役のうちに会社離れをする準備ができていたかどうかの違いではないだろうか」「現役のうちから会社離れをする準備を始めておいたほうがいい…。60歳定年ならば55歳くらいからその準備にかかるのがちょうどいい」。
 
 どんな準備をしておけばいいのか。
 「社用車を使える人は使用を控える。会社のお金で飲み食いしない。タクシーを使わず電車で動く、歩く」。
 大丈夫だ。すでに実行している。

 「生活レベルも定年後の収入に合わせる。年金生活はもとより、再雇用や再就職で働くにしても収入は大きく下がる。それまでのせいぜい3~7割程度だろう。それを想定して、ある程度慣れておかないと、後であまりの落差にショックを受ける」。
 確かにそうだ。貯金がほとんど残っていない状況だが、支出を抑え、貯金もしていかなければならない。
 
 「定年後も働きたいなら、会社勤めをしているうちに『その道のプロになる』ことだ。…本当に能力が高く、実力のある人であれば、会社を辞めても必ず生きていけるものだ」。

 しかし、「定年後も働きたい」との思いを「起業」に賭けることについては、川北氏はネガティブだ。
 「定年世代は意外と無謀なところがある。なまじ会社経験が長く、それなりのポストで人もお金を動かしてきたものだから、最初から大きなビジネスをやろうとするケースが少なくないのだ。会社で大きな事業を手がけることができたのは、会社の人材、資材、設備など経営資源があってのことなのに、すべて自分の実力だと勘違いしている人があまりにも多い」「定年起業で成功しようと思ったら、以下の五つのポイントは必須である」「①起業の目的を明確にする」「内側から沸き立つ『これがしたい!』という強い願望がなかったら、絶対に会社経営は成功しない」「②過去の肩書きを捨てる」「③経営者向きか、自ら冷静に判断する」「④『やりたいこと』と『やれること』の違いを知る」「⑤しっかりした事業プランを作る」。

 「50歳代になると健康に気を使う人が増える」が、「何事もほどほどが肝心」「フィンランドの保険局が…健康を管理するグループと管理しないグループに分けて追跡調査を行なったところ、15年後、驚くべき結果が出た。心臓欠陥系の病気や高血圧、各種の死亡、自殺のいずれも、健康を管理したグループより健康を管理しないグループのほうが少なかったのだ」「健康に生きるのは大事だが、健康のために頑張りすぎるのは不健康だ。いつまでも健康でいたいなら、健康オタクになるよりも、好きなものを食べて毎日気を使わず暮らすこと」。

 「WHO(世界保健機関)は要介護状態となった『不健康期間』を平均寿命から差し引いたものを『健康寿命』と定義している。…WHOの『世界保健報告(2003年)を見ると、当時の日本の平均寿命は男性78.4歳、女性85.3歳だが、不健康期間は男性で6.1年、女性で7.6年もあって、…健康寿命は男性72.3歳、女性77.7歳にとどまる」「なぜ、これほど要介護の期間が生まれるのか。医師で作家の久坂部羊さんは『日本人の死に時』(幻冬舎新書)でこう述べている。『病院へ行って、無理に命を延ばすから、平均寿命が延びる。だから健康寿命との差が広がり、介護の需要が高まる』」「久坂部さんは『ある年齢以上の人は病院へ行かないという選択肢』もあっていいのではないかと提案している。…その年齢は70歳を超えたくらいでいいと思う」「不健康期間を短いものにするには、過剰な健康管理をしないで、与えられた天寿を粛々と受け入れることだ」。
 後期高齢者医療制度の「75歳以上の後期高齢者」という定義は意外に根拠のある定義のようだ。

 「年を取れば、自分の持ちタイムは徐々に減っていく。気力や体力も衰えていくし、預貯金の残高も減っていく。親兄弟や連れ合い、友人など周囲の人間も少なくなっていく。老いというのは、生きるのに必要な『人の資源』がだんだん枯渇していくことなのだ」「であればこそ、残された人生の資源は、大事にしないといけないし、有効に使うべきだろう。それには『本当に自分が大切にしたいものだけを大事にする。いらないものは思い切って捨てる』、そういう心がまえというか、覚悟のようなものが必要だと思う」。
 同感だ。これはモノだけに言えることではないと思う。人間関係も整理していくべきではないだろうか。シニア向け交流サイトなどでシニアになってから新たに友人を作ろうとしているのには違和感を感じていた。
 そろそろ、これまでの人生で出会った人たちのなかで、本当に付き合っていきたいと思う人たちに可能な限り絞って付き合っていくのが、豊かな人生を送るコツのような気がする。

 このほかにも、本書には山ほど年を取ってからのノウハウが紹介されている。

 そして、いくつかの先人の言葉も。
 覚えておきたい言葉を引用する。
 「裏をみせ、表をみせて散るもみじ」(良寛)
 「夢を持たない男は野菜と同じだ」(「世界最速のインディアン」のなかで主人公のバート=アンソニー・ホプキンスがつぶやく言葉)
 「水を飲んで楽しむ者あり、錦を衣て憂うる者あり」(江戸中期の儒学者中根東里)
 「旅で不思議と印象に残る時間は、『海岸線を陽が暮れるまでただ歩きつづけた一日』のような、『何かに有効に<使われた>時間ではなく、ただ<生きられた>時間』である」(社会学者の見田宗介さん)
 「老後の一日楽しまずして空しく過ごすは惜しむべし。老後の一日千金にあたるべし」(71歳で隠居し、84歳で『養生訓』を書き上げた長寿快老の達人、貝原益軒)
 「年齢に不相応な欲望がどこかに残っていると、それが老醜になる」(作家の星新一さんが『祖父・小金井良精の記』=河出文庫=で)

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