今日から普通の生活に!
「今日から普通の生活に」。
そう思って家を出た。
◇ ◇ ◇
会社が「在宅勤務」を認めてくれたので16日は朝から家でパソコンに向かって仕事。夜10時まで、働いてしまった。
17日は会社の今の所属部署の送別会が中止になった。会社の送別会は公式行事の色彩がある。在宅も奨励しているときに送別会で拘束することはよくないと上司は考えたようだ。
しかし、日程が重なり出られないはずだった別の送別会に出席することができた。会社の独身寮時代の仲間と、先輩を送る会だ。人数は減ったが6人。ちょうど話しやすい人数。
直前に大規模停電の警告が出たので、ちょっと心配だったが、本当の仲間を送る会ならば「万難を排しても出たい」。19時スタート。会場の淡路町に向かった。すでに銀座線は混雑でストップしていたが、丸ノ内線は比較的すいていて、国会議事堂から乗って、座ることができた。
ほとんどが東日本大震災の話題。
震災直後の土日はテレビに釘付けになっていた。その悲惨な映像を見て、言葉を失った。具合が悪くなってきた。気持ちも沈んでくる。
みな、そんな状態だったのだろう。久しぶりの会合に、みなすっかりくつろいでいた。
この震災は長丁場になる。被災者のことは考えなくてはいけないが、沈んでばかりもいられない。みな、がんばろう。そんな感じで会はお開きになった。
◇ ◇ ◇
18日も在宅でもいいのだが、甘えるのはやめようと思った。東北や茨城と、東京の状況はまったく違うのだ。いつもより早めに出社した。
山登りの師匠、Mさんはいま、水戸に住んでいる。ご自宅は物が落ち、水が出なくなり、大変だったという。
今も水、食料、ガソリン不足で御苦労されている。
これが本当の危機なのだ。
この写真は3月13日昼の、近くのスーパーの写真。ラーメンやご飯系の商品がすっかりなくなっていた。被災地に送ったのだろうか? 不安になって、買い込んだ人が多かったのではないか。
生産地が被災したり、物流網が寸断されて、本当に品薄になるものは多い。けれども一人ひとりがいつもよりも多く買い過ぎると、それだけで物がなくなる。そんな不安が招いた品不足もあるのではないか。
不安が不安をつくりだす。今の東京の状態はそんな感じだ。
福島原発の事故で計画停電が始まったのは紛れもない事実だが、それにより電車の運休本数が増えたり、暗い職場で仕事をしたりするのを、あまり「危機」と考えない方がいいのではないか。電気や通信や物不足。「不便」だが、死ぬわけではない。東京は被災地とは違うし、戦時下でもないのだ。
この状態に慣れ、不安を払しょくし、仕事に励む。
同時に友人とは大いに語り、万が一の時にも助け合える絆を深めておく。
そしてもう少ししたら土日は遊びに行く。買い物もする。
それでいいのではないか。
被災していない東京に住んでいる人間は助ける側に回らなければいけないのに、すっかり被害者意識に包まれている。
普通の生活をしようと提案すると非難する人がいる。でも不安は不安をつくり出す。普通に暮らすことしか普通をつくり出せない。
Mさんは、「当面、救援物資はいらない。ネットがつながったのでブログ、楽しみにしている。片付いたら、また山に行きましょう」と言ってくれた。
地震はいつ起こるか分からないし、被災地の復興は時間がかかる。短期に解決する問題ではないから、下を向いていたら、かえってマイナスが大きくなる。前を向いて、活力を取り戻そう!
◇ ◇ ◇
この間、いろんなことを感じ、学んだが、IT関連ではケータイの渋滞はどうにかならないかと思った。
会社が送る安否確認メール。友人や家族を心配してかける電話。必要なものなのだが、一人一台、ケータイを持つ時代、全員が同時にケータイを使った瞬間、通じなくなる。
東北でケータイが使えなくなったのは多くの基地局が壊れたといった理由が主だと思うが、東京は通信渋滞だ。
こんなときTwitterを使えば1対1の通信が減り、通信渋滞も緩和される。
ケータイの緊急時の使い方マナーも新たに構築する必要があるだろう。
「安否確認のメールもなかった。冷たい」などど後で言われそうだからと、ケータイを使う人も結構いるのではないか。安否確認はTwitterに任せ、ケータイは必要な情報のやり取り、けが人の連絡、事故の連絡などに絞るべきではないだろうか。
UstreamでNHKの災害のニュースが流れている。中学生が外にいる人が困るだろうとテレビ画面を生中継。これが評判を呼び、それならばとNHKなどが公式にUstreamにニュースを流し始めた。
著作権処理などいろいろな問題で、放送と通信の融合は進んでいないが、今回、それが大きく進んだ。
ワンセグだとすぐに携帯の電池が消耗する。それに、iPhoneにはワンセグはついていないので、ネット経由で放送が流れる意味は大きい。
海外の人が生でNHKを見られたのもUstreamの力だろう。
すでに公式サービスとなっているラジオ放送と同時に番組がネットでストリーミング配信されるIPサイマルラジオ「radiko」も助かった。
◇ ◇ ◇
東北の住宅復興。この際、思いきった住宅をつくるべきではないか。超高齢社会について学んでいてそう思った。
津波でも倒壊しない鉄筋コンクリートづくりの高層住宅をつくる。隈健吾さんあたりにお願いして東北の街並みに合うデザインにしてもらう。1階、2階は外部に貸し出す集会場やホール、喫茶店などコミュニティの場。
3階以上に生活必需品の店舗(病院の売店、コンビニ)を配置する。いざというときの商品備蓄も店がしておく。
4階以上が住宅。高齢者のケア付き住宅もあれば、普通の家庭の住宅もある。3世代が一つの高層住宅にまとまる。いざというときに備えられる理想の住宅はつくれないか。
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Comments
色々同感です。東京では被害者意識と言うよりは一緒に危機を乗り越えるつもりで節電、電車の不便を日常として受け入れるべき何だと思います。スーパーで買い占めする人の良識を疑います。でも、ガソリンが残り少なくて不安です。まあ、歩けってことですかね。東京で生活するのに車は必須とは言えませんからね。被災地に比べたら贅沢な悩みですね。
Posted by: 梵パパ | 2011.03.19 08:19 PM
惨状に驚愕し、一週間、腰を抜かしていた。悪夢ならさめて欲しいと思った。でも、これは容赦のない現実。それをしっかり見据えながら、一人ひとりの日々の現実を、被災者を含め、取り戻していくことがやはり大切なんだろうね。
Posted by: さいのめ | 2011.03.20 12:51 PM
欲しがりません、勝つまでは、に日本人はすぐなってしまうんですね。でも、あまり萎縮していたら、経済復興はますます遠のいてしまう。
それに、東北では秩序だった助け合いの状況が外国でも評価されているけれど、東京が同じような震災に遭ったら、こんなふうにできるかどうか。地縁・血縁が薄い東京。この程度の不便さでも利己主義に走る人たちが多い。本当の危機の時には情け無用の生存競争が起こるのではと危惧しています。
Posted by: フーテンの中 | 2011.03.22 04:30 PM
情け無用の生存競争か・・・。たしかにそうだろうなあ。経済復興も製造業頼りにはいかないはずで、これまでとはまったく違ったかたちで構想しないといけないと感じています。その意味で、30年眠っていた知識層が萎縮せず、結集してきちんと考えていく必要があるように思います。
Posted by: さいのめ | 2011.03.23 04:21 AM