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「こんな時、ゴルフ?」

 今日は実は会社の入社時の職場のOBゴルフコンペがあるはずだったが、中止になった。
 大多数の参加者が「こんな時に」「ゴルフ」?と思ったのだから、常識的な判断だったと思う。

 けれども、「こんな時」と言う人は、いつまでを想定しているのだろう。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で、「喪」について調べてみた。
 喪(も)は、親族が死去した者がハレに値する祝い事などを避ける一定の期間をさす言葉である。喪中とも喪に服する(服喪・忌服・服忌)とも称される。

 死別は悲しいことなので嬉しい事をしている場合ではないという心情的な理由の他に、死は穢れの一種であるため、それに関与するものを一時的に地域社会の慶事より外すことによって穢れを避ける意味合いも持つ。

 死去後どの位の間喪に服するか、またどのようなことについて制限を与えるかということについては死者との縁故関係や宗派によって大きく異なり、また制限期間に関しても宗派や物事によって異なる。

 「喪中」の期間は「忌」と「服」に分けられ、両方をあわせて「服忌」(ぶっき)または「忌服」(きぶく)という。

 「忌」は故人のための祈りに専念する期間であり、また、死の穢れが身についている期間であるとされる。かつては「忌」の期間には家の中に篭り、穢れが他の者に移らないように外部との接触を絶っていた。今日では外部との接触を完全に絶つことはないが、「忌引」として仕事や学業を休む期間となっている。「忌」の期間は死者との縁故関係によって異なるが、一般的には最長で50日間(親、子、配偶者の場合)とされる。

 「服」は故人への哀悼の気持ちを表す期間であり、最長で1年(親、子、配偶者の場合)である。この期間は慶事への参加、慶事を執り行うことを控える。

◇   ◇   ◇

 今回の震災に伴う自粛にはいろいろな要素があり、節電や原発への不安という側面も出てきている。なぜ活動を控えるのかと言う時に、そのどの理由なのかが紛らわしくなっているが、「被災地の方々の気持ち」を思うと、喪に服するのと同じ気持ちで、やはり一定期間、楽しいことを控えるのは正しいと思う。
 
 とはいえ、「自宅待機」、「飲食店にも行かない」はちょっと行き過ぎと思い、「普通の生活」を心がけている。個人的には「ストレスをためるのはよくない」、マクロ的には「経済を停滞させたら、元も子もない」と考えている。

 では、「ゴルフ」はどうなのだろうか。

 4月10日に開催予定の高校の同期会コンペで、仲間と意見交換している。
 チャリティーゴルフに衣替えしたうえで、改めて参加を募るという方向になってきた。

 高校の同期の集まりは本来、自発的なもの。このゴルフはやりましょうと、いち早く仲間にメールしたが、みな、どうすべきか迷っていた。

 ゴルフはもともと「ぜいたくな遊び」「自然破壊」といったネガティブな要素があり、ふだんからどこか後ろめたさを感じながらしている。
 だから、世の中でも「義理」的な色彩の強い会社関係のゴルフコンペは即刻、中止になっている。

 ゴルフは後ろめたさを感じながらもやめられない。煙草のようなものなのかもしれない。

 義理なら中止でもいいが、本当にその程度のものなのか?
 ちゃんと考えずに、ゴルフはできないので、ここで整理をしておこうと思う。

 まず、一定期間、「遊び」を控えるのは今の社会常識、慣習上、やむをないと思う。

 けれども、「被災地のことを考えると」とは言いたくはない。復興は5年でも終わらないだろう。避難生活が終わるまででも相当時間がかかりそうだ。「被災地のことを考えて、いろいろな活動を控える」というのは現実的でないほど被害は大きいのだ。

 災害が起きた直後なので、チャリティーにせよ、ボランティアにせよ、日常に戻り仕事をしっかりすることにせよ、被災地に対する協力、支援は惜しまずするべきだろう。

 そのうえで遊ぶ。
 
 一言で「遊び」というが遊び仲間こそが一生の友人なのだ。会社の同僚で定年後も付き合う人間が何人いるだろうか。

 コミュニケーションというと、大人になると言葉によるものが中心になるが、言葉のコミュニケーションを常時して楽しい相手はそんなに多くない。でも、「遊び」は言葉なしでもできるコミュニケーションだ。

 友人とのコミュニケーションのひとつとして、ゴルフは大切にしたい。ゴルフくらいのプレーと会話のバランスがちょうどいい。

 私も、もう54歳。運動と言うと山歩き、街歩きとゴルフだ。激しいスポーツはつらい。
 スポーツクラブは性に合わなかった。人工的な空間のなかでモルモットのように走っても楽しくない。

 山歩き、街歩きは、人とのコミュニケーションというより、自然、街とのコミュニケーションだ。

 これに対してゴルフは人間社会の縮図。男が夢中になる「勝負」「運」の要素は、定年を迎えると、なくなりがちだが、ゴルフにはそれがあり、面白い。運動ではないが、麻雀にもその部分がある。
 人間臭い健康増進策としてゴルフが好きなのだ。認知症の予防にもなりそうだ。

 高校の同級生とのゴルフ、職場の気の合う人たちとのプライベートゴルフ(コンペじゃなく)、群馬県の友人たちとのゴルフ、これらは続けていきたい。

 自分も近い将来被災する可能性が大きい。そう考えている、無事生き残った時、ゴルフをするか。
 かろうじて生き残ったが、家は倒壊している。知人で亡くなった方もいる。そんな状況で、だ。

 「こんな時にゴルフじゃないでしょう」と女房にはきつく言われそうだが、逆に、苦しみを乗り越えるために親しい友人と「今日だけ集まってゴルフをしよう。明日からはがんばろう」といった感じになるような気がする。

 最近のゴルフはほとんど生きる勇気が湧く気持ちの良いゴルフなので、そんな感じのゴルフは続けようと思う。

 本当に送りたい人の送別会を大停電の恐れがあるなかで開いたように。

◇  ◇  ◇

 ゴルフをするにも言い訳をしている。
 ちょっと気にし過ぎかも…。(-_-)

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