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食道癌の父親が豊島病院(東京・板橋)の緩和ケア病棟に入院

 今年3月26日に80歳になったばかりの父が、12日、財団法人東京都保健医療公社 豊島病院(東京都板橋区栄町33-1、03・5375・1234)の緩和ケア病棟に入院した。

 父は末期の食道癌。1月から約3ヵ月間、要町病院(東京都豊島区要町1-11-13、03・3957・3181)に入院していたが、同病院の行田泰明医師の紹介もあり、本格的な緩和ケアを行っている豊島病院に転院することができた。

 緩和ケアについては向山雄人著『生きる力がわく「がん緩和医療」』 (講談社プラスアルファ新書)が詳しいが、豊島病院のホームページには次のような説明がある。

 「医師・看護師をはじめ、様々な専門職(ソーシャルワーカー、心理相談員、薬剤師、栄養士、理学療法士など)がチームで診療に関わり、がんの進行に伴う苦痛を緩和する治療やケアを積極的に行います。症状緩和治療に専念し、延命だけを目的とした治療は行いません」。

 父は残念ながら末期癌で、ターミナルケア(Terminal Care、終末期医療)となったが、緩和ケアは、癌になりながら社会生活を営む人たちも利用できるため、「当緩和ケア内科では、患者様が苦痛を緩和しながらご自宅で過ごせるよう、サポートさせていただきます。できるだけ多くの患者様に当科を利用していただくため、入院により症状が緩和されましたら、緩和ケア内科外来または 地域の医療機関との連携により診療を継続します」との説明もある。

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 午前10時半、要町病院の病室のベッドからストレッチャーに父を移す。

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 ストレッチャーごとクルマに載せて豊島病院まで移送してもらった。

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 豊島病院の緩和ケア病棟。

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 フローリングや絨毯の床。家庭的なくつろげる空間づくりがなされている。

 緩和ケア病棟は全室個室(20床)で、有料室(1日1万6000円)と無料室がある。公平を図るため、定期的に有料室、無料室を交代する仕組みをとっているので、実質的には1日8000円の負担だ。父が癌保険に加入していたので、この「差額ベッド代」はなんとか保険で賄える。

 面会時間の制限がなく、有料室にはソファーベッドもあり、患者とゆっくり過ごせるのがなによりいい。
 今日は入院後午後10時まで部屋にいた。
 
 ファミリーキッチン、家族シャワー室などもある。

 食堂は病院の社員食堂のような『ひまわり』が1階にある。営業時間は月~金が8:00~19:00、土曜日が9:00~18:00、日・祝日が11:00~16:00。

 緩和ケア内科医長の山田陽介医師が、分かりやすい説明をしてくれた。癌の細胞は通常の細胞に比べ、8倍もブドウ糖を消費するそうだ。だから、いくら栄養を供給しても癌患者はやせ細り、体力が衰えてくる。

 父も要町病院に入院した直後は体力が回復、ずいぶん歩けるようになっていたが、次第に寝たきりになってきた。

 これからは、傾眠(けいみん)状態になるという。傾眠とは、放置しておくと眠り込んでしまうが、叩いたり声を掛けたりすることで目を覚ます状態を指す。薬で眠っているわけではなく、体力が弱り、そんな状態になる。そして昏睡状態へ。

 緩和ケアにより元気を保っている面もあるので、ある時点で病状は急変するらしい。

 だから、今のうちに、緩和ケア病棟で一緒に過ごすことが大事なのだ。

 突然に親と別れるのではなく、別れなければならない時期がある程度見えているだけ、幸せかもしれない。

◇   ◇   ◇
 
 父が食道が詰まったような違和感を強く感じたのは昨年の夏だった。ところが猛暑で外へ出るのがつらいと病院に行くのをためらっていた。

 9月22日にようやく日本大学医学部付属練馬光が丘病院で診察を受けるが、かなり進行した食道癌であることが判明した。

 そのうち水も喉に通らない状態になってきたため、9月29日、母が胃癌と乳癌を切ってもらった癌研有明病院(東京都江東区有明3-8-31、03・3520・0111)に行き、診察を受けた。緊急入院となった。
 
 検査をしたが、癌は食道以外にも転移。年齢も考えると手術という選択はないと言われた。食道を塞いでいる癌細胞を取り除こうと放射線治療をしてもらうことになった。完治はしないが、口から物を食べるという少しでも人間らしい生活が送れるようにという目標が設定された。

 しかし、放射線治療は肺に悪影響が出てきそうということで、途中で中止に。12月12日に癌研有明病院を退院した。

 自宅療養ということになったが、栄養はおなかに穴を開けてチューブを通す「胃瘻(いろう)」という器具を通して摂っていた。胃瘻による栄養供給の作業は素人が自宅で行うのは極めてハードな仕事だった。1回数時間付き添っていないと、液状の栄養剤が詰まってしまったりするのだ。
 しかも、父の体力は日に日に弱っていき、何でも頼るようになる。

 「老老介護」は80歳の母にとって、思った以上に過酷だったようだ。健康だった母の血圧は上がり、ストレスのためか物忘れが急に激しくなった。このままでは母が先に逝ってしまう。そんな危機感から、癌研有明病院に紹介されていた要町病院に駆け込んだ。1月11日に入院させてもらった。

 母は健康を取り戻したが、今度は、要町病院に入院できる期間が原則3ヵ月であることが分かった。病院が介護の場に使われないようにと、通常の病院は3ヵ月を過ぎると、使える医療費が一気に削減されるらしい。このため、転院、退院を病院に促されることが多い。

 要町病院は「次の病院」を紹介してくれるなど手厚い対応だったが、必ずしもそううまくは次の病院に行けるとは限らないと考え、在宅療養と緩和ケア医療の両にらみで、対応を考えていた。

 しかし、母の健康を考えると、本音としては何としても在宅医療は避けたかった。

 その意味で、無事、豊島病院の緩和ケア病棟に入れたのはとてもラッキーだった。

 ただ、これで喜んではいられない。本番はこれからだ。

 父と家族が互いに満足できるような最後のコミュニケーションを取れるかどうか。
 
 すでに父は認知症の傾向も出てきている。

 ここは、言葉よりも気持ちを通わせるしかない。

 病院にいる時間を増やし、最後の親孝行をしたい。

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Comments

父はさいご、モルヒネに頼り、一カ月ほどなんの反応がないまま死にました。痛がるものだから、モルヒネの量が増えたのが実際です。死にゆく父を見ながら、日本の医学や医療制度に対する疑惑も増えました。最後にみんなで旅行でも行ければと思いましたが、そう思ったときには遅すぎたのが心残りです。

Posted by: さいのめ | 2011.04.12 at 10:08 PM

「最後」は、たいてい、もう何もできないんですね。ちゃんと意思疎通ができれば幸せ、という感じで。オヤジにサラリーマン時代の苦労話でも聞くようなイメージをもっていたのだけれど、思い出話ができるのは親が、まだ健康な時なんですね。
母は元気なので、一人になってしまったら、旅行にでも連れて行こうと思います。

Posted by: フーテンの中 | 2011.04.14 at 08:51 PM

でも側で色々お父様の事して差し上げて親孝行ですね。お母様も息子さんがいらっしゃるから心強いと思います。

Posted by: こてつ | 2012.03.10 at 05:50 PM

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