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最後になるかもしれない言葉を伝える楽しい時間

 昨日、昼間、豊島病院の山田先生からケータイに連絡があったが、電話に出られなかった。留守電を聞いて、電話したら、本日、話がしたいとのことだった。仕事が終わってから、すぐに病院に行くつもりでいた。
 夕方さらに、別の先生からも連絡があったが、ケータイをサイレントモードにしていたため、気づかず、母からの電話に気づいて、「父の容体が急変しているので病院へ」というメッセージを受け取った。

 病院へ行くと、「容体急変」といった言葉でイメージする緊迫した様子ではなく、母が病院からの電話を早とちりして伝えたのかとも思ったが、その後、山田先生の話を聞くと、状態は相当悪いことが分かった。そうだった。「あらゆるケアを動員して痛みを緩和し、健康を保たせている」だけで、見かけの小康状態は、いつまでも続かないのだ。

 山田先生によるとCTや血液の検査などをしたところ、食道は癌細胞で完全に塞がれ、唾液、痰も流れなくなってたまっている。

 癌の肺への転移が著しく進んでいて、肋骨の下にも腫瘍があり、これが強い痛みの原因になっている。

 血清中に多く存在するタンパク質の一つであるAlb(アルブミン)は、3を切ると異常値らしいのだが、すでに2.4。危険な数値だと言う。

 要するに、体は癌で、もうぼろぼろなのだ。

 父はいびきをかいて、深い眠りについていた。ずっとそんな感じらしかった。

 けれども先生の言葉を聞いて、思ったことがある。

 「外から見ると何も聴こえていないように見えるが、本人は良く聴こえている。病状のことや心配な話などは病室でしないようにしてください」。

 よく聴こえているのだ。
 双方向のコミュニケーションがなかなか取りづらくなっているが、こちらの言葉や気持ちはまだ伝わるということだ。

 それならば。

 家族の言葉や気持ちを伝える時間を作ろう。

 そう思って、家族に連絡した。妹は福岡から夜の便で来ると言う。

 長女が妻とともに病院にやってきた。今春就職したばかりだ。

 父は、この孫のことが気になっていたのだろう。

 眠りが浅くなったので、話しかけてみた。「○○○がきてくれたよ。就職の報告もしたいみたいだよ」。

 人間の力と言うのは計り知れない。目を覚まし、上半身を起こしたがるようなそぶりを見せるではないか。自分で起きられないのだが、腕がぶるぶる震えている。

 手伝って、上半身を起こした。長女の名刺と社員証を見せると、しっかりつかんだ。
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 痰がつまるのか、喉がごろごろいうだけで、言葉にはならない。けれども、しっかり名刺を見ている。
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 まだ健康なんじゃないか?と疑いたくなるような感じで起き上がり、孫と目でコミュニケーションを取る父。

 理想を言えば、ベッドに横たわる父といろいろな話をするイメージを持っていたが、それは難しいのだろう。

 乳幼児は言葉を話せないが、親は構わず、気持ちを込めて乳幼児に話しかける。

 乳幼児はそんな過程を経て言葉を覚え、人格も形成される。きちんと話しかけることが重要なのだ。

 コミュニケーションが不自由になった親ともそのように接すれば、きっと気持ちは伝わる。

 子として孫として、妻として、最後になるかもしれない言葉を伝える楽しい時間を過ごしていきたいと思った。

追記2011.4.15)痰を抑える薬を投入してくれたため、喉は苦しくなかったようだが、昨日のように起き上がる“奇跡”はもう起きなかった。
 妹の中学生の長男・長女の来訪に、嬉しそうな表情は見せたが、目を薄く開いたままだった。

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 寝たきりになってしまった。

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 やはり今年就職が決まったばかりの長男。昨日は来訪が遅く、父が熟睡していてコミュニケーションできなかったため、今日は午後8時前に病室に来た。父は長男の言葉に、最後の力を振り絞って手を上げて、返事をした。
 主な家族とのコミュニケーションは取れた。あとは安らかに気持ち良く、残りの時間を過ごしてほしい。

追記2011.4.17午前)昨晩から病室に泊まった。父は左手を喉にあて、目を開いてなにかをつぶやくが、以前より、こちらのかける言葉には直接反応しない状態に。
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 熱は微熱、血圧は正常の範囲内。手厚いケアで小康状態を保っている。
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 せっかく病室に泊まるのだからと、実家からアルバムを持ち込んで、子供のころの思い出などを話してみた。

 休日に板橋にあった会社の工場の広場に行って、キャッチボールをしたこと。
 後楽園球場へ初めて言ってライトスタンドに座ったこと。なんで外野なのかとも思ったが、全体の動きがよく分かるし、王選手のホームランも飛んできた。すっかり"ライトスタンドファン"になった。
 夏になるとなぜか決まって大磯ロングビーチのホテルに一泊。父は泳ぎが得意で、水平線まで泳いでいくのに驚いた記憶がある。

 高校くらいになってからは「うるさいオヤジ」。どちらかというと「反面教師」だったが、小学生くらいまではとても楽しい思い出が多い。

 ところが、こちらの勝手な思いは伝わらなかったようだ。喉が気になるそぶりを続ける。目は開けているが、あまり見えていないのかもしれない。当たり前だが、自分の体のことに意識が集中している。

 昨晩はなかなか寝付けなかったようだが、今(午前11時前)はよく眠っている。静かに父を見守る段階に来た。

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Comments

眠っているようでも、あいては聞こえています。夢を見ているように感じることもあるようです。かなしいことなのだから、こうして時間がとれることで、かなしくならず、やさしく、笑いの中で、送ってあげてください。これまで伝えたっかたこともみんな伝えてください。長い昏睡の中で死んでいった父のことを思い出すと、母が不憫でした。

Posted by: さいのめ | 2011.04.15 01:05 PM

言葉で伝えることの力、大切さが胸に響き、お孫さんの名刺を見るお父様のお写真にじんときました。

こうしてつながっていく命のあかしを、じっと見つめていらっしゃるような。
素晴らしいお父様ですね。

私も70歳を過ぎた母に、気持ちの上では頼ることがまだまだ多いですが、話を聞いてあげる、話をすることの大切さを感じることの頃です。そうできる時間には、限りがあるのですものね。

お父様とご家族の時間が、よきものとなることをお祈りしています。

Posted by: shigeko | 2011.04.15 07:15 PM

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