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佐々木俊尚著『キュレーションの時代 ―「つながり」の情報革命が始まる』 (ちくま新書)

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キュレーションの時代― 「つながり」の情報革命が始まる

 佐々木俊尚著『キュレーションの時代 ―「つながり」の情報革命が始まる』 (ちくま新書、2011年2月10日発行)を読んだ。

 インターネットの普及によって情報の流通環境が劇的に変化している。新しい状況下で、「ある情報を求める人が、いったいどの場所に存在しているのか」、そして「そこにどうやって情報を放り込むのか」「その情報にどうやって感銘を受けてもらうのか」を明らかにするのが本書のテーマだ。

 「情報を共有する圏域のサイズが国ごとにはどんどん小さくなっている」のがいまの状況。
 「情報を求める人が存在している場所」を本書では「ビオトープ」と呼ぶ。ビオトープとは「森の中にぽっかりと開いた池や湿地帯」を指すが、佐々木氏は「ビオトープという言葉がもっとも的確に、そうした小さな情報圏域をイメージできる」と考えてそう命名した。

 2000年代半ばごろからブログやSNS、ツイッター、クチコミサイトなどの膨大な数のソーシャルメディアが加わり、「ビオトープは、デジタル空間の中と外で無限大の広がりを持つようになります」「必ずしもネットの中だけで完結するわけではありません。たとえばツイッターで交換された情報が、会社の同僚やどこかのカフェの常連客、趣味のコミュニティなどにあふれ出して、ネットの空間とリアルの空間が相互接続され、そこでふたたびビオトープが再生成されていく」「ソーシャルメディアのビオトープは、固定化されない。あるときはツイッターの盛り上がりの中で突如として生成され、でもその盛り上がりが終わるのと同時にそのビオトープは消滅してしまい、次の瞬間にはどこかのブログのエントリーの中に現れ、そのブログを読んでいる人たちやブックマークしている人たちの間にビオトープが生成されているかもしれません」。

 「『大衆』と呼ばれるような膨大な数の人々に対してまとめてドカーンと情報を投げ込み、みんなそれに釣られてモノを買ったり映画を観たり音楽を聴いたり、というような消費行動は2000年代以降、もう成り立たなくなってきています」「もう大きなビジネスなど存在しないのが、21世紀の情報流通の真実なのです」「もしそこに大きなビジネスを求めようとすれば、アップルのiTunesやグーグルの検索エンジン、あるいはSNSのフェイスブックやツイッターのように、情報流通のプラットフォームを目指すしかありません」。

 映画業界や音楽業界は「見果てぬマス消費の幻影を追い続け」たというのが佐々木氏の分析だ。「マス消費のようなどんぶり勘定ではなく、ピンポイントでその映画を見てくれる人のビオトープを探し当て、そこに情報を送り込んでいく緻密な戦略を本当は構築しなければならなかった」にもかかわらず。

 ここから、本書は少し寄り道し、なぜ人々がインターネットでのつながりを求める社会になったかの分析を行う。

 「農村、そして戦後は企業が社員をまるごと抱え込み、そこに息苦しいほどのコミュニティを形成するという社会構造は90年代以降消滅に向かい、『どのようにして人と人が接続するのか』『どのようにして自分は他者に承認されるのか』という新たなテーマが日本社会の中心に躍り出てきます」「かつてのような『同じ釜の飯を食った』『仕事も酒も遊びも一緒に』といった360度的な全面的交際はなくなり、仕事や遊び、飲み、家族といった別々の関係性を自分の中でそれぞれ確立し、それぞれに良好な関係性を構築していこうという多面的な交際へと移ってきています」。

 消費の姿も大きく変わってきて、「マスメディアが演出した記号消費」がなくなっていき、「シンプルな『機能消費』の古巣」と「新たな『つながり消費』の世界」へと分化していく。

 つながり消費の例として佐々木氏は次のような例を挙げる。
 「たとえば大好きなレストランで食事をするとき、私たちはただお金とサービスを交換しているだけではない。そこには『すばらしい食事を作ってくれる人』『食事をおいしそうに食べてくれる人』という相互のリスペクトがあって、お金だけでなくそうしたリスペクトも交換しているのです」。

 「単なるカネとものの交換だけでなく、そこになんらかの共感や共鳴が存在する関係に。そういう持続的な関係が、新たに生まれてくる」「この持続的な関係性のことを、本書ではこれから『エンゲージメント』という広告用語で呼んでいくことにします」「集中豪雨的なキャンペーン広告に消費者を引きずり込んだりするようなやり方ではなく、企業と消費者のあいだにきちんとした信頼関係を形成し、その信頼関係の中でモノを買ってもらう」。

 「すべてがフラットになるインターネットの世界では、『価値観や興味を共有』している人たち、すなわちコンテキストを共有している人たちの間では、たがいが共鳴によってつながり、そこにエンゲージメントが生み出されるのです」。

 情報爆発が進み、膨大な情報が私たちの周りを取り囲むようになってきている中で、そこからどう有用な情報を取り出すかも、このつながり、エンゲージメントが関わってくると佐々木氏は言う。

 大切なのは、「立ち位置や見る角度」といった「視点」だけではなく、「世界をどう見るのか、どう評価するのか」という「視座」であり、「この『視座』を提供する人」が「英語圏のウェブの世界では『キュレーター』と呼ばれるようになっています」。「キュレーターが行う『視座の提供』がキュレーション」だ。

 価値観や興味が共通の信頼できそうな人物をキュレーターとして情報の海を航海すれば、有用な情報が得られるというわけだ。かつては新聞やテレビが視座を提供する役割を果たしていたが、この視座は「戦後65年を経て、完全に硬直化」してしまったというのが佐々木氏の見方。「『内部論理だけによる自閉的で独善的な行き方』が、マスメディアという組織に起きてしまった」と言う。

 そして、「複雑な山脈のようなソーシャルメディアには、さまざまな尾根、さまざまな谷、さまざまなテラスにそれぞれのビオトープがあり、そうしたビオトープに膨大な数のキュレーターが存在していて、それぞれに生息している人々に向けて情報を流し続けている」と現状を分析する。

 こうしたキュレーターをマスメディア以上に信じるか否かは年代や立場によっても異なるのだろうが、震災後の原発関連のさまざまな情報と報道の流れを見ていると、キュレーターの存在は確かに侮れないと思う。むしろ、マスメディアもキュレーターの存在を意識しつつ、報道を構成していくのではないかと感じた。マスメディアでは公開されないような半分うそや誤りの混じったような情報もネット上に流通し、そうした情報の真偽や正しい部分、間違った部分の解説もキュレーターたちが行い、見事にプロセスジャーナリズムが成立していると、私も感じた。

 既存のマスメディアは新聞、テレビ、書籍の既存の枠組みの崩壊を予言した佐々木氏を敵視するのだろうが、「キュレーションの時代」は明らかに始まっている。それに気づき、その存在や手法をどう自らに取り込んでいけるかが、マスメディアにとって、今後の存亡にかかわる課題なのではないかと思う。

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