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京井良彦著『ロングエンゲージメント なぜあの人は同じ会社のものばかり買い続けるのか』 (あさ出版)

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ロングエンゲージメント なぜあの人は同じ会社のものばかり買い続けるのか

 京井良彦著『ロングエンゲージメント なぜあの人は同じ会社のものばかり買い続けるのか』 (あさ出版、2011年1月9日発行)を読んだ。

 「共感」をキーワードにした広告(コミュニケーション)の広がりを分かりやすく解説している。

 プロローグは2010年6月にカンヌ映画祭に参加した著者の体験談から始まる。
 「象徴的だったのは、広告メディアに最も貢献した人物に贈られる賞である『メディア・パーソン・オブ・ザ・イヤー(Media Person Of The Year)』にFacebookの若きCEO、26歳のマーク・ザッカ―バーグ氏が選ばれたことでした」「授賞式での審査員の言葉は、『選定理由は簡単。彼は世界をつなげたから』」

 「カンヌの広告賞には様々な部門があります。その中でとくに注目されるのは、『チタニウム部門』という革新的な広告作品が競われる部門です」「2010年度にこのチタニウム部門のグランプリを受賞したのは、「Best Buy(ベストバイ)というアメリカの家電量販店の『TWELPFORCE(ツウェルプ・フォース)』と名付けられたキャンペーンでした」「『TWELPFORCE』とは、ベストバイが開設したTwitterのアカウントです(『TWELP』は『Twitter(ツイッター)とHelp(ヘルプ)』を組み合わせた造語)。ユーザーがこのTwitterアカウントに対して家電に関する質問をつぶやくと、知識豊富な全国のベストバイの社員が即時に答えてくれるという仕組みです」。

 「実は、チタニウム部門に限らず、他のどの受賞作も、広告表現でもない、仕組みでもない、『広告なんだか、何なんだか……』というような何か煮えきらない、派手さのないものばかりに見えました」。

 しかし、帰りのフライトで、考えがまとまってくる。

 「ソーシャルメディアは、てっきり広告に活用できる新しいツールだとしか思っていなかったけど、どうやらそういうことじゃないようだ。いわば人と人、さらに企業もつなぐ、ものすごく大きなプラットフォームということらしい。ということは、ソーシャルメディアをツールとしてどう広告に活用するかではなく、ソーシャルメディアの浸透によって変化した生活者とどうやってコミュニケーションをとっていけばいいのか、それを考えなくてはいけないのではないか」「生活者、企業、政府は、このプラットフォームを通じて、同じ社会に同じ立場として共存していくことになる。この関係は、新しい生態系のようなものかもしれない」「もう生活者は、送り手側からの一方的な、派手で、刺激的で、うまく言えているような広告は求めていないのかもしれない。それよりも、いつも身近な存在で、困った時に助けてくれるというような日常的な関係性を、企業や政府に求めているんじゃないだろうか」。

 「インターネットの普及によって、爆発的な情報量の増加が起きたことは言うまでもありませんが(…『情報インフレーション』…)、ソーシャルメディアを活用した生活者の情報発信は、この情報インフレーションをさらに大きく加速させることになりました」

 「もうひとつの特徴として、生活者同士がつながったということがあげられます。誰とつながるかは、生活者自身が選ぶことができます。そのため、このつながりは、単に物理的なものでなく、価値観による感情的なものと言えます」「自信の価値観に基づいて、情報やつながる相手を選ぶ。そこに共通するのは『共感』というキーワードです」。

 「これまで広告は生活者に情報を届けるために、熾烈な『アテンション』獲得競争を繰り広げてきました」「しかし、ソーシャルメディアというプラットフォームの登場によって、広告コミュニケーションは、『アテンションの獲得』から『共感の獲得』へと発想を転換していく必要が出てきています」。

 「このように変化した生活者は、もうターゲットではなく、長く付き合っていくパートナーとして捉える必要があります」「そこで、企業と生活者が日常的に末長く持続的な関係性を構築していくという概念を、『ロングエンゲージメント』と名付けて、これからの広告コミュニケーションが向かっていくひとつの方向性として探ってみることにしました」。

 プロローグで言いたいことをすべて言ってしまった感はあるが、先へ進むと、しっかりとした分析があり役に立つ。

 では生活者は何に共感するのか。
 まず、コンセプト。
 「欧米の企業は日本の企業に比べ、生活者のマインドの中に、明確なコンセプトを伝えている」「企業のブランドストーリーとでも言うべき大きな背景や文脈がハッキリと築かれていて、生活者はそのコンセプトに共感している」。

 「多くの企業が…業種を飛び越えたサービスを抱えるようになり、生活者へのソリューション提供を目指して拡大してきたため、業種という垣根がナンセンスになりつつあります。このような環境で生活者とのコミュニケーションを展開していくためには、提供する商品やサービスの背景や文脈を整理し、コンセプトとして理解を得る必要があると思うのです」。

 次にストーリー。
 「生活者は、微差のスペックの情報やデータを意識するのではなく、その商品やサービスにまつわるストーリーを知ることで共感を抱くのではないでしょうか」。

 そして、デザイン。
 「デザインを生み出すということは、対象をきちんと整理して、ものごとの本質を導き出して形にすることなのです」「たとえば、iPhoneやiPadなど、立て続けに発表されるアップルの一連の商品には、デザイン本来の力が鮮やかに発揮されています。明快なコンセプトと美しいプロダクトデザイン、操作性、iTunesソフトとの連動性、パッケージデザイン、アップルストア店舗、一連の広告キャンペーンまでがすべて完璧にその哲学を体現しています」「これは装飾ではなく、まさにソリューションとしてのデザインです」。

 「ロングエンゲージメント・コミュニケーションとは、企業と生活者が『企業哲学を共有』し、お互いが人格を持ったパートナーとして認め合い、よい関係を保ちながら長く付き合っていくためのコミュニケーション活動と言えるでしょう」。

 ロングエンゲージメント・コミュニケーションを展開していくために必要な要素として必要なのは次の3つだという。

①Philosophy(フィロソフィー):企業哲学の共有
②Participation(パティシペイション):生活者の参加
③Dialog(ダイアログ):生活者との対話

 それぞれの事例紹介はとても示唆に富んでいた。Appleの「Think Different(人と違った考えを)」キャンペーンや、ナイキの「LIVE STRONG(強く生きよう)」キャンペーンなどだ。


 これからの広告に関わる人たちには必読の一冊である。

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藤田晋著『藤田晋の仕事学 自己成長を促す77の新セオリー』 (日経BP社)

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藤田晋の仕事学~藤田晋の仕事学 自己成長を促す77の新セオリー

 藤田晋著『藤田晋の仕事学 自己成長を促す77の新セオリー』 (日経BP社、2009年4月27日発行)を読んだ。
 桜井章一氏の私塾「雀鬼会」に所属したこともあるビジネス会有数の麻雀の打ち手、サイバーエージェント社長の藤田氏は日経ビジネス Associe(アソシエ)2009年2月17日号で、麻雀は、「人の性格を把握する力、ちょっとした発言の裏の意図を読む力、言葉では説明できない勝負勘、運の流れを感じ取る直感力…」が鍛えられると話していた。

 この本にも麻雀とビジネスについて書いてあるのではと思い、読んでみた。

 231ページに「麻雀はビジネスのセンスを磨ける」との項目があった。
 「麻雀はどんな牌が配られるか分かりません。場合によっては相手より不利な状況から、勝ち上がらなくてはなりません。不平等な状態でゲームが始まるのが麻雀です」「ビジネスも、スタートラインに立った時は、既に長くその仕事で経験を積んでいる先輩や競合がいたりします。最初は必ずしも平等ではありません」
 「麻雀では対戦相手が弱っている時に一気に攻め込んで叩きのめすというのが勝つための常道です。だから情けをかけたくなる友達とはなかなかできません」「ビジネスもなあなあの関係ではうまくいきません。緊張感のある関係性が必要です」。
 「麻雀は勝負どころがめったに来ません。悪い時にもいい手が来るまで焦らず、じっと耐えねばならない時間の方が長いのです」「この点もビジネスに通じます」。

 「いわゆる麻雀の下手な人とビジネスの下手な人にも一部、共通点があります」「まず"お勉強熱心"な人はダメ」「ビジネスには博才が必要だと言われますが、言い換えれば、お手本に頼らない勇気ということかもしれません」。
 「麻雀で絶対に勝てない人は、下手というよりメンタルの弱い人です」「勝負では心が揺れないことが何よりも大事。仕事も同じくどこまでもメンタルの強さが求められます」。

 168ページにも「ビジネスの場では、どんなに素晴らしい企画でも誰かに先にそれをやられてしまったら終わりです。マージャンに似たところがあり、いかに早く大きく上がるかが重要です」とのくだりがある。

 藤田社長の麻雀、ぜひ見たいものだ。

 この本、特に後半に共感できることが多々、書かれていた。
 本の読み方。
 「新聞や雑誌は『フロー』の情報です。これらは次々と新しいものを浴びるように流し読みする方が知識として身につきます。それに対して本は『ストック』の情報です。同じものを繰り返し読んでこそ、意味を持ってきます」「何より、本で得た知識は最終的に、自分の言葉に直して語れるくらいに租借できていなければ、本当に自分の役には立ちません」。
 そう思って、私も、面白かった本についてはブックレビューを書いている。

 お金の使い方。
 「私は若いうちは、お金は貯めるよりも使った方がいいと考えます。貯めてばかりいると、いざお金を使わざるを得なくなった時に、上手に使えなくなってしまうからです」「あまりにお金を使わなかったり節約ばかりに気を取られていると、どこにどれだけかけるべきか、いわゆる"生きたお金"にするための判断力が鈍ってしまいます」「お金を貯めるだけでは、企業に例えるなら経営努力をしていないのと同じと言えないでしょうか」。
 ぜんぜん貯金のない私としてはわが意を得たりという感じ(笑)。

 このほかためになったフレーズをいくつか引用しておこう。

 「そもそも自分の身近な上司の望むものすら汲み取ろうとしない人に顧客の望むものを汲み取ることなどできるでしょうか」「会社もまたあなたのクライアントなのです」。

 「ダメな上司の下ほど優秀なしっかりした部下が育ったりします。ダメな上司が逆にあなたを育てることもあるのですから、上司に期待をして思い煩うことはやめましょう」。

 「仕事に対して前向きな気持ちの時の方が、起業も転職もうまくいくのです」。

 「伸びている市場に覚悟と気合を持って飛び込むことが、成功の第一歩と言えます。起業したら、あとはとにかく猛ダッシュで駆け抜けましょう」。

 「私が見てきた範囲でもトップ営業マンと言われる人は、とにかく飛び込む勇気、行動力がある」。

 「会社のレースで『脱落していく人』の順番を考えてみました。1忍耐力のない人、2目標設定の低い人、3変化できない頑固な人」。
 これも麻雀に通じる部分がある。

 「資料は添え物程度と思い、説明だけでなく、相手の話を聞くことに力を入れてプレゼンするのが、成功への近道です」。

 「『若い感性を生かしたい』などと言って、若手にばかりアイデアを出せ!出せ!と迫る会社は多いです。でも、本来は経験豊富な経営陣こそ事業案を考えるべきだと私は考えます」「会社の軸となる"いい案"を経営陣自らがきちんと出している姿を見せれば、役員の輝かしいヒラ時代を知らない社員も彼らの実力を知り、信頼してついていく気になるでしょう」。

 「良い企画が思い浮かばないのは、往々にして情報が足りないからです。そして、情報が足りないのは、情報収集をさぼっているか、経験が足りないかのどちらかです」。

 「成長を続ける企業は、何が違うのか。それは経営者が意欲的で高い目標を持っているかどうかだと思います」「『こうしたい』『こうなりたい』という目標を立てると、人は目標に近づこうとして本来の力よりも大きく成長します」。

 「自分にとって興味のないニュースを読むために、新聞を取っているのです」。

 共感できる部分が多い一冊だった。

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感動! 菊池寛実記念 智美術館 「第4回菊池ビエンナーレ展」

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 菊池寛実記念 智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん、東京都港区虎ノ門 4-1-35 西久保ビル、03・5733・5131)で4月2日から6月26日まで開かれていた 「第4回菊池ビエンナーレ展」に行った。

 素晴らしかった!というか、驚きだった!
 現代陶芸の公募展といっても、そんなに驚くような作品はないのではないかと思っていた。たまたま、招待券をいただいていたので、展覧会が終わる直前に、あわてて観に行った、というのが事実だった。

 ところが、これが「陶芸なのだろか」と思うような自由な表現。素材も陶器とは思えないようなものが多々あり、とても刺激的だった。
 
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 展示空間が作品を生かしている。1階の玄関ホールと地下の展示室を結ぶ螺旋階段の芸術性に感動。展示室は個々の作品をスポットライトで上手に照らしてそれぞれの個性を際立たせているが、全体としても右脳を刺激してくれる美しい空間になっている。

 ホームページによると、「菊池ビエンナーレは陶芸の振興を目的に2004年から隔年で開催している陶芸の公募展です。当館は現代陶芸の紹介を主として活動しており、菊池ビエンナーレはその主軸を担う事業と考えております」「第4回となる今回は、日本全国から総数423点のご応募をいただきました。第一次、第二次の審査を行い選出いたしました、入賞7点を含む全入選作49点を本展にてご紹介いたします」とのことだ。
 「作家それぞれの感性と技術が結晶した作品は形体、質感ともにバラエティーに富み、見ごたえがあります。これら多彩な作品群を通し、日本における現代陶芸の『今』とその魅力をご覧ください」

 金属のようなもの(前田正博「色絵金銀彩鉢」、今泉毅「黒彩ノ器―弦月―」)、布のようなもの(神田樹里「行方」)、石のようなもの(神田和弘「集」)、クリームのようなもの(都丸篤子「Velvet Skin」)など、これが本当に陶器?というような作品に驚かされた。

 また形状が多様で、深遠な哲学や思想を表現しているような作品(崎山隆之「扁壺『聴涛』」、山口美智江「夢想―幻―」中村伸子「花の大地」など)も多かった。

 大賞の岡田裕「炎彩花器」は、炎のような神秘的な模様が秀逸だった。

 現代アートというと自由度があり過ぎて、ガラクタや落書きに近い作品も見られるが、この陶芸展は「陶芸」という枠のなかで、それを超越するような作品がつくられており、人間は、ある程度枠をはめられた中でのほうが本当に自由を発揮できるのだと実感した。
 
 こんなに素晴らしい美術館と展覧会があるとは知らなかった。世の中には、まだまだ自分の知らない世界がたくさんあるのだなあと思った。

 最後に「智美術館について」。
 ホームページの記述を引用しておく。

 菊池寛実記念 智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん)は、現代陶芸のコレクターである菊池智(とも)が長年にわたり蒐集してきた現代陶芸のコレクションの一般公開、関連事業による現代陶芸の普及、および陶芸作家や研究者の育成を目的とし、2003年4月に東京・虎ノ門に開館いたしました。

 美術館はホテル・オークラのすぐ近くの虎ノ門の高台に立つライム・ストーンの外壁をもつ西久保ビルの地下1階にあります。西久保ビルという名称は中世の時代に西久保城があったことに由来しています。敷地内には、西久保ビル(2003年竣工)と大正時代に建てられた西洋館(国の登録文化財)、智の父でありこの地を拠点として活動した実業家・菊池寛実(かんじつ)のための持仏堂と和風の蔵が、百年ほどの歴史のある庭を囲んで都心の中に独特な空間を構成し、隠れ家的な雰囲気を醸しだしています

 当館は設立者である菊池智の美意識を一貫して反映させた個性的な空間としてもお楽しみいただけます。1階の受付から螺旋階段をくだりながら空間はいつしか日常から非日常へとうつり変わり、地下1階の展示室では暗がりのなかから作品が1点ずつスポットライトを浴びて姿をあらわします。それはまるで、作品を見ながら自分と作品とが対話を交わすようであり、それこそが彼女がこれまで考えてきた、美しい作品と出会い、作家の思いを受けとめるための理想の場と言えるのかもしれません。

 智美術館は、開館以来、「藤本能道(ふじもとよしみち)展」「十五代樂吉左衞門展」「小池頌子展」をはじめ、さまざまな企画展を開催してまいりました。隔年ごとに開催予定の「菊池ビエンナーレ」や「智美術館大賞 現代の茶陶―造形の自由・見立ての美」も、展覧会事業の一環を担う企画として育ちつつあります。陶芸の枠にとどまらず、現代工芸の発信地となるべく活動を続けていきますが、どうぞ皆様におかれましては当館をご愛顧いただきますようお願い申し上げます。

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キハチ銀座本店 1F カフェ&バー=閉店

=移転に伴い2012年12月30日をもって閉店とのこと。別の場所に新店が2013年春にオープンとのことだが、伊勢丹新宿店のキハチカフェも閉店するなど、便利なところからキハチカフェがなくなっていく。(T_T)

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 キハチ銀座本店 1F カフェ&バー(東京都中央区銀座2-2-6、03・3567・6284)に行った。

 銀座には意外に手軽に利用できる喫茶店が少ない。キハチ銀座本店 1F カフェ&バーは、ゆったりスペースで食事もできる。

 単品でも食事は頼める(例えば、ペペロンチーノならば945円)が、Lunch Pizza Set(1995円)を頼んだ。
 お好きな前菜1品、お好きなピッツァ1品、自家製フォカッチャ、コーヒーまたは紅茶。+315円で好きなデザートを注文することもできる。

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 前菜は「小魚のフリットをのせた海草サラダ」(単品だと1155円)。

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 ハーフ&ハーフ(単品だと1785円)で、ビアンカとクアットロを頼んだ。

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 デザート(本日のジェラート=単品だと525円)も頼んだ。

 コーヒーのおかわりができるなど、ホテルのサービスに近い。

 日中モバイルパソコンを持ち込んで仕事をするスポットの候補に加えたい。

 営業時間は平日が11:30~23:00(L.O.22:00)、日・祝日が11:30~22:00(L.O.21:00)。
無休。

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井出洋介著『勝負論~勝機を呼べる人、呼べない人』

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勝負論 勝機を呼べる人、呼べない人

 井出洋介著『勝負論~勝機を呼べる人、呼べない人』(PHP研究所、2003年9月8日発行)を読んだ。
 
 第一章 絶対に勝つ方法はないが、絶対に負けない方法はある
 「諦めるから挫折なのであって、諦めなければ挫折にはなりません」「勝つためには、とにかく諦めずに、常に可能性を追求する姿勢こそが必要なのです。勝利までの過程において劣勢の状態を甘んじて受けるのは、決して恥ずかしいことではありません。むしろ、それを受け入れられるような精神的なタフさがなければ勝利を手にすることは難しいでしょう」「常に勝っていないと気がすまない人というのは、精神的に非常に脆いようです。このような人たちは、勝てなくなったときに、なかなか立ち直れなくなります」「うまくいかなくなった時でも耐えられるだけの気持ちを保つために、どのような考え方をベースに持っているかが重要なポイントになるのです」。

 「ローリスク・ハイリターンでなければ、勝負のしがいがありません」「私のめざす麻雀は、まさに、どうすればローリスク・ハイリターンになるかというものです」「ただし、ハイリスク・ハイリターンのすべてを否定するわけではありません。局面によっては、たとえハイリスクでも勝負せざるを得ないことがあります。リスクが大きくてもトータルで勝つためには勝負しなければならない時があるからです」「ただ無謀なだけのハイリスク・ハイリターンではなく、自分で十分わかったうえでハイリスク・ハイリターンに挑むわけだから、それはもう十分自分で納得できます」。

 「どんな局面が展開すると自分が困るのか、不利になるのかを考えると、そういう局面が起きないように手段を講じられるようになります」「自分にとって嫌な状況をどんどんつぶしていく作業をするのです」「これは大げさにいいますと、危機管理の考え方と共通するものだと思います。突然何かが起きた時に慌てるような人は、常日頃からそういった意識を持っていないという証拠です」。

 「最終的に勝つためには、たとえちょっとくらいマイナスになっても致命傷を負わない程度にすませておく、つまり大負けしないでいれば挽回のチャンスも来るのです」。

 「受けたダメージに対する回復力、つまり、スタミナが勝負において非常に重要になってきます」「どれほどのダメージを受けたらダメになるか、こういう負けはどれくらいのダメージになるのか、などを知るのは、強くなる成長段階においては必要なことです」。

 「私には、負けないために自分にいい聞かせる言葉として、『焦るな(あわてるな)』『諦めるな』『キレるな』『クサるな』という四箇条があります」「この四箇条を意識しはじめてから、打ち方も変わりました。まず何よりも、いつも意識することによって自分の打ち方が曲がらなくなってきました。つねに自分の力の80%が出せるようになるのです」。
 
 第二章 勝負を分けるものとは何なのか
 「実は麻雀に限らず、負け、あるいは失敗した時に『ツイてない』という人は、まず負け組です。というのも、負けや失敗はたいていその時には気づかなかった原因があるもので、ちゃんと反省や分析をすればわかることなのです」。

 「麻雀の場合、私はたとえとして、半荘1回がゴルフの1ホールくらいなものと考えていただければいいと常々いっています」「目先の損得、途中経過での勝ち負けにばかり目が行ってしまう人は、トータルでの勝ち組にはなかなかなれないのです」。

 「不可能と思ったら不可能、無理だと思ったら無理」「満足したら停滞」

 「解決できないことが起きて、自分のペースを維持できなくなると困ります。そこで、解決できないことに対処する二つの方法を用いるようになりました。ひとつはペンディングする、もうひとつは無視することです」

 第三章 麻雀は駆け引きがあるからおもしろい
 「実力差を埋める、さらには逆転して番狂わせを生む(つまり弱者が強者に勝つ)ためには、やはり技術的なことより精神的な戦略を考えたほうが手っ取り早く効果的なのではないでしょうか。それは、具体的にはいわゆる奇襲戦法的なことになるでしょう」「しかし、相撲における"けたぐり"がそうであるように、奇襲戦法は何度も通用するものではありません。…だからこそ、日頃めざすべきは正攻法での勝ち方です。実力をつけるべくぶつかり稽古をして、本番で時としてイチかバチかで行なうのが奇襲戦法なのです」。

 「まず、ものごとが順風満帆に進んでいる時は、変わった動きをせずにそのままの状態を維持しておくのがいいでしょう」「次に、ずっと好状態が続いていたなかで、それまでとはちょっと違う異変が起きた時にどう思うかです。…麻雀なら次の局はリーチをかけずにヤミテンで確実にアガリに向かうといった対応を取ります」。

 「本来はある目的があって、そのための手段として作られたとします。たとえばそれが法律だったり習慣だったり、マニュアルだったりするのですが、周りの事情が変わっているにもかかわらず、古い法律や習慣を目的化してしまい、それにこだわるからちっとも目的が達せられないのです」「何が目的でどれがそのための手段なのかをきちんと認識すれば、考えること、やることも変わってくるでしょう」。

 「絶対といえることは基本的にはない、と思っています。だから、どんなに絶対ではないようなことが起きてもおかしくありません。…前提には失敗する可能性も常に孕んでいるということも含まれています」。

 第四章 まず、自分の思想を確立させよう
 「『妥協』はすべきではないのです。打算での妥協は後で必ず同じようなトラブルが起きるものなのですから」「この妥協と似て非なるものが、『許容』です。『許容』というのは"受け容れる"ことですから、打算やそろばんずくではなくて、その人に対する『情』とか『愛』をも含むものです」。

 「たいていの人は、『自分の物差し』と『社会の物差し』という二つの物差しを用いて判断しています。…私はそれだけでは足りない、三つ目の物差しが必要だと日頃から思っています。この三つ目の物差しとは、相手がどう思っているか、という『相手の物差し』のことです」。

 「反省はしても後悔はするな」。

 「実際は自分が勝つ時にも、自分の力だけでなく、偶然や相手三人のミスに助けられているところがたくさんあるのですが、それを自覚している人は圧倒的に少なく感じられます。勝った時は自分の実力と思っていて、しかも負けた時は人のせいを含めてツイてなかったと思っている人が大部分なのです」。

 第五章 麻雀はもはやギャンブルを超えた
 「日本健康麻将協会の田嶋智裕理事長は、ボランティア精神の旺盛な方で、そもそも健康麻将を始めたきっかけも、敬老の日にお年寄りに店を開放して無料で楽しんでいただこうという行動からでした。それが大好評で、平日にもやってほしいという要望を聞き、雀荘の昼間の空いている時間に一人一日1000円でどうぞ、というスタイルで始めたのが今から20年ほど前のこと」「最初は"敬老麻雀"だったのですが、これだと『私はまだ年寄りではない』というお客さんもいて、考えた末につけられたネーミングが"健康麻雀"でした」。

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井出洋介著『井出洋介の一牌入魂』(日本文芸社)

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井出洋介の一牌入魂

 井出洋介著『井出洋介の一牌入魂』(日本文芸社、平成元年9月1日発行)を読んだ。
 井出氏が「麻雀名人戦」でV3を達成した後の執筆。脂が乗り切っているころの著作だ。

 東1局 人生は麻雀のようなもの 
 「実際、マージャンというものは順風のときは何をしなくともうまくいく。うまくいかなくなれば、どんなに手づくりに頭をひねり、策を弄してもなかなか思い通りにいかない。いや、むしろもがけばもがくほど、流れは悪いほうへ悪いほうへと傾いていく」「こんなとき一番いい方法は、"おしん"じゃないが、実はじっと耐えること、待つことである」「じっと待ちながらチャンスをうかがい、勝負どころがくれば、敢然と勝負に出なければならない」。
 「順風のときも下手に動くとよくない」「マージャンでも、順風のときは他の人の手を借りなくても、ちゃんと必要な牌をツモってくる」「『疾きこと風の如し 動かざること山の如し』は武田信玄の有名な言葉だが、人生においても、マージャンに限らず勝負の世界でも、流れを読み、"機をみて敏"であることが勝利への条件であろう」。

 「やはり、日頃の努力、一生懸命に人生に立ち向かっていなければそんな幸運はやってこないだろうし、仮りにラッキーが訪れてもそれをつかむどころか、それがチャンスであることすら見逃してしまう」「日頃、飲んべんだらりと、何の努力もせずに、惰性的に生きているような人はマージャンのみならず、勝負事はそんなに強くなれないし、せっかくのチャンスがきても、それをみすみす逃してしまうのがオチである」「人生は毎日が勝負だ」。

 「私自信、必ずしも勝たなくてもいいと思っている。マージャンでもそうだが、"負け"を肯定する勝負師であるし、負けもまた勝負である」「ただし、問題は負けた後だ。次に勝つためにいかに一生懸命努力し、創意工夫をこらすかだ」「私にとって勝負は負けたときからである」。

 東1局1本場 勝負強さについて
 「まずマージャンにおいて勝負強い人というのは、いわば"一芸に秀でた人たち"というか、経営やそれぞれの専門分野できちんと仕事を成し遂げている人たちである。私の見た限りではこうした人たちは例外なく勝負強い」「彼らが勝負強いのは、まず決断力に富んでいるからではないか。その決断力というのは、ここで勝負できるか、できないか。つまり攻撃をかけるか、あるいは引くかの決断が、何かことを成し遂げた人は一様に鋭いのである」「なぜ決断力があるかのかというと、その前提として、彼らが状況判断に優れているからだということができる」「逆境をはね返す力をもっていることも、こうした勝負強い人の特徴である」

 東1局2本場 命がけで勝負できるか
 「『シンドイことが継続してできるか。地道な仕事が何年も継続してできるのか』…これが一つの目安となる」「技術に裏づけられた精神力が勝負に勝つための大きなファクターになる」「ゲームの流れを読み、ここで我慢というときは我慢ができ、しかも、チャンスがきたら果敢に打って出るというようなことは、いくら頭で考えていてもできるのものではないのだ。それができるのはやはり、人生に耐え、地道な努力を何年も続けてやってきた人たちである」
 「勝負に関してまた、武宮さん(囲碁の武宮正樹世界選手権者)の言葉を引用させていただくが、彼はプロの中でも強くなり、一流の棋士になる条件として、『一生懸命では足りない。命がけで勝負できるかどうかだ』と言い切るのだ」

 東2局 清濁併せ呑む
 「『井出ちゃんよ、"清濁併せ呑む"ことも必要だよ』 こう諭すように言ってくれたのは、馬券作家の高本公夫さん」「話せばなかなかの論客である。…その一言、一言が当時の私にはとても身にしみた。大きな声で、歯に衣着せず、ポンポン辛辣な言葉をぶつけてくる。それでいて、きわめて論理的なセオリーに反したことも平気でやっているのだ」。

 東2局1本場 日常が勝負である
 「私は原稿を書くことも、マージャン教室で講師をすることも、あるいは日常のいろいろな生活においてさえも、すべてのことが、私のマージャンにとって大きな糧になっていると思う」。

 東2局2本場 "運"か"実力"か
 「確率を重んじた上で、マージャンにおけるその局面の状況に応じた決断(つまり、確率的に高いほうをとるか、低いほうをとるか)を下し、信念をもって打つことが私のマージャンのスタイルである」「一連のゲームの流れをいかに読み、それにいかに対応するかが腕であり、ツキを呼び込んでチャンスを拡げたり、あるいは逆境を切り抜けたり、ピンチをチャンスに変えたりするトータルな力量こそ、真の実力である」。

 東3局 勝負は人なり
 「阿佐田(哲也)さんが文章やコメントなどで『あまり勝ちすぎてもよくない。相撲にたとえれば9勝6敗でしのいでいくのがいい』と言っていた」「トータルで勝ち残るためには、なまじある時期13勝2敗などと勝ちこんでしまうと、その後の反動が出て1勝14敗、あるいは15戦全敗となって再起不能の打撃を受けてしまったりする。あるいはそうでなくても、バクチで大勝ちを続けるような運を使うと、その分、身体をこわすなどの不運を背負い込むことになる。これが世の中のバランスというものだ。これが阿佐田さんの哲学である」「ラッキーで勝ったり、あるいは仕事の上で恵まれたことがあったとしよう。たいていの人はここで有頂天になる。自分自身を見失ってしまう。そんなときに必要なのが、いわばこの"9勝6敗"の感覚といえるのではないか。"9勝6敗"的バランス感覚があれば、勝った後、うまくいった後の苦戦の覚悟ができているから、たとえこのあと自分の思い通りにならなくてもあわてずにすむ」。
 
 東3局1本場 一流の打ち手はみんな個性的
 「大隈(秀夫)さんが守りのマージャンで、人柄もきわめて折り目正しい人物であるとすれば、自由奔放で個性的なマージャンの打ち手の筆頭が、映画監督の長谷川和彦さん」「長谷川さんに王位戦で敗れたことが、私の闘志に火をつけ、"プロの意地"を改めて呼び覚したのである」。

 東3局2本場 谷川名人の強さの秘訣
 「要するに強くなることは、それが好きになることであり、愛情をもつことであり、将棋でもマージャンでも同じことである」「どんな世界においても一つ一つの事柄に心を込めて当たる。この積み重ねが"勝負への道"につながる
」「"一牌入魂" 私は改めてこんな言葉を考えた」。

 東4局 プロとアマはここが違う
 「それに生きようとする"プロ"であれば、まさに一摸一打に本人の存在が賭けられなければならない」。

 東4局1本場 プロであることの条件
 「プロといえども、その瞬時、ある勝負では負けるかもしれない。しかし、同じ相手と次に勝負するときには勝つ」「プロは負けたその瞬間、次にどうすれば負けないかを考える」「本当のプロとは"何度でも勝つ力"をもっている人であり、仮りにそのときは敗れてもまた必ず借りを返し、タイトルを失ったらそれを奪回できる実力をもった人にほかならない」。

 東4局 私はこうして強くなった!
 「競技マージャンを少し訓練するとふつうの賭けマージャンの成績が悪くなるというパターンがあって、競技マージャンを始めた頃の私もこうした状況に陥ったものである」「ふつうのマージャンに勝つために必要な"勢い"の部分の読みが競技マージャンをやっていると弱くなるんだということに気がついた」

 南1局 勝負は戦う前から始まっている 
 「勝負に限らず、やはりここ一番人生における重要な一場面において、それを成功裏に終わらせるためには、事に当たる前のコンディションづくりが、大きなウエイトを占めていることに変わりはないだろう」。

 南1局1本場 平常心をどう保つ
 「私はこれまでマージャンに限らず、将棋や囲碁のプロ、あるいはスポーツ選手などに会ってきたが、彼らが一様に口にするのは『迷ったら負け』。

 南1局2本場 スランプ脱出法
 「フォームの崩れといった実際に表面的にもわかる欠点が目につくかもしれないが、そうしたことは、その人間の精神的な迷いや焦りといったものから生じているのだといえよう」「気持ちのもち方一つで、心は奮い立ちもするし、滅入りもする。それならば心が燃えるほうに考えた方がいい」。

 南2局 "勢い"を読む
 「偶然性と腕、さらに勝負を左右するメンタルな要素こそ、マージャンをして、人に飽きさせない魅力の根源のように思う」「まず、自分の勢い、その時々の状況において、いま自分がツイでいるのか、いないのか、ということの判断が"読み"の第一歩である」。

 南2局1本場 勝負どころを逃がすな!
 「勝負どころをいかにつかむか、また、いつ勝負をかけるか。これを的確に読み、敢然と勝負に出なければ、逆転はおろかせっかくの勝ちパターンの対局までふいにすることになる」。

 南2局2本場 攻められたときが勝負どころ
 「勝負するときに勝負しないとツキは逃げる。勢いがなくなってしまう」「チャンスが回ってきて、相手に攻められたときが、ここ一番の"勝負どころ"となるのだ」。

 南3局 勝負は気合だ
 「同じランク同士が戦うのなら、やはり気合が入っているほうが勝利への確率が高くなる」。

 南3局1本場 何か違ったことをやって勝つ
 「どうしても勝てない相手には――。そのときは"奇襲戦法"」。

 南3局2本場 逆転こそ勝利への道
 「勝負においては、引き離されず、その差を保って、じわじわと追いついていけば、必ずそこにチャンスが到来する」。

 南4局 「名人戦」大逆転の構図
 「諦めてはいけない。"ああもうダメだ"と思ったら絶対に逆転できるわけがない」。

 南4局1本場 「名人戦」大逆転から学んだこと
 「苦境を切り抜けて勝つことによってはじめて、ピンチがきてもあわてなくなるのだ」。

 南4局2本場 格闘派マージャンへの脱皮
 「勝負というもの、何よりも大切なのは大局観である。終局を頭に描きながら、どっしり構えていて、力をためておいてここ一番勝負をかけるときはかける、ということでなければなかなか勝てないのだ」。

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トイプードル、初散歩

 母が飼い始めたトイプードル「ベル」君。すっかり大きくなって、予防注射もして、今日は初めてのお散歩。
 自宅に遊びに来たベル君を撮影した。
 とにかくワンパク。喜んでとびついてくるので、彼の散歩の模様は撮れなかった(笑)。

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会心の一打!

 会心の一打!
 麻雀ではない。
 ソフトボール。
 所属チーム。老齢化が進んでいるのか、この日まで開幕から8連敗。非常事態だ。
 今日は若い新戦力3人も加わっての背水の陣の戦いだった。
 その2試合目に打てた! センターオーバーのホームラン。ゴルフのドライバーショットのように球に勢いがあった。

 そしてこの試合でチームは初勝利をあげた。13-8。打たれてもそれ以上に打って勝つ。わがチームらしい勝ち方。この13点目が私の一打だった。 

 千代田線「綾瀬」駅東口(進行方向前)に、12時45分に集合。近くの「K中学校」のグランドで試合を行った。

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 きのうまでの雨でグランドはぬかるみ状態のところがあり、総出で整備。

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 相手チームはこの中学校の中学生の親たちで作るチーム。元高校球児もいるといい、強敵だ。

 緒戦は守備固めで、私は残念ながら控え。
 失点は少なかったものの4-2で敗戦。
 最後に代打で出たもののキャッチャーゴロで不完全燃焼。

 2戦目は打撃優先のオーダーとなり、6番ファーストで先発。
 当たりは悪くないのだがショートゴロ3つ(うち2つはエラーで出塁)。 
 8-6で迎えた6回。ダメ押しをしないと負けると思ってチームみんなに気合いがはいっていた。3番バッターが2ランホームラン。さらに5番バッターのレフト前ヒットを相手のレフトが後逸し、2点を加えた。そして私の打順が回ってきた。
 「飛ばないボール」を使っていたが、芯を捉えた打球はぐんぐん伸びてセンターの頭を越えた。計5点追加。
 7回表にノーアウトで2点を入れられたので、この5点は大きかった。

 監督兼エースによると「チームが弱くて遊んでくれるチームが少ない」とのことだが(笑)、これから勝っていけそうな気がする。

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井出洋介著『恐怖の東大麻雀』(双葉文庫)

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恐怖の東大麻雀

 井出洋介著『恐怖の東大麻雀』(双葉文庫、昭和60年2月25日発行)を読んだ。

 フリー百科事典「Wikipedia」によると、井出 洋介(いで ようすけ、1956年2月15日 - )は競技麻雀のプロ雀士である。最高位戦日本プロ麻雀協会元代表、日本健康麻将協会元代表、麻将連合-μ-(ミュー)前代表。現GM。東京都杉並区出身、B型。東京都立富士高等学校、東京大学文学部社会学科卒業。

 最高位戦日本プロ麻雀協会の代表であった1996年に同団体を退会し、麻将連合-μ-(ミュー)を旗揚げ。同連合で代表を10年務め、現在はGM。そして日本健康麻将協会でも代表、特別代表を経て現在はスーパーバイザーとして「賭けない麻雀」「健康な麻雀」「親子で楽しめる麻雀」など、従来の麻雀のイメージを改善すべく活動する。井出の提案するマージャンの漢字表記は麻将である。

 東大出身で卒業論文は「麻雀の社会学」、その打ち筋は「東大式麻雀」と呼ばれる。プロ雀士として積極的に各メディアに出演しており、フジテレビで不定期に放送される麻雀番組『THEわれめDEポン』において解説者を務める。

 名人位(第16・17・18・20・25期)
 最高位(第19期)
 王座(第28期)
 BIG1カップ(第2・4・12回)

 「Wikipedia」に紹介されている著書は、以下の通り。
  『東大式 麻雀に勝つ考え方 - 攻め・守り・状況判断の新セオリー』(1984年1月25日 池田書店)
  『東大式 麻雀入門 - すぐに覚えるあがり役と点数計算』(1995年11月30日 池田書店)
  『東大式麻雀 テンパイ見破り - 待ち牌を推理する新セオリー』(1996年6月28日 池田書店)
  『名人井出洋介の麻雀入門 - よくわかる勝つための考え方、打ち方』(1997年4月25日 新星出版社)
 『麻雀実力アップ問題集 - 実戦に即役立つ“ナニ切る”135問』(1999年4月10日 ゴマブックス)
 『東大式麻雀 点数計算入門 - 簡単に覚えられる点数計算と役』(1999年4月30日 池田書店)
 『東大式麻雀 ここで何を切る!? - 勝利のカギをにぎる究極の一打』(2000年6月20日 池田書店)
 『東大式麻雀 ツキを呼ぶ打ち方 - 運や流れをつかむ強運テクニック』(2001年6月21日 池田書店)
 『東大式麻雀 強くなる打ち方 - ネット時代にも対応<<攻め>>のセオリー』(2006年2月20日 池田書店)
 『東大式 麻雀に勝つ判断 - 打ち筋を理解して強くなる』(2008年5月30日 池田書店)
 『東大式 知的な人の麻雀術』(2010年11月20日 ISBN 978-4-625-68456-2 明治書院)

 井出氏が取り組む麻雀の普及活動の延長の著書が多く、井出氏の生き方、麻雀に対する考え方、戦略論などを書いたものが紹介されていない。

 井出氏は若いころから戦略論など、いろいろな本を書いている。これらをまとめて読んでみた。
 
 まず、『恐怖の東大麻雀』。昭和58年1月に双葉社から刊行された単行本を文庫にしたものだ。

 井出氏はまだ大学を卒業したばかり。このころの井出氏の様子は「はじめに」にある。

 「いつのまにか、メンバー稼業からはすっかり足を洗い、今では次にあげる三つが私の大きな柱」「まず、競技プロとしてタイトル戦で活躍すること」「そして原稿を書くこと。もちろん、生活のためでもあり、一人でも多くの人に麻雀を理解していただくためでもある」「さらにもうひとつ。競技麻雀の普及活動として麻雀スクールの講師をしたり、麻雀競技研修会を開いて全国をまわったりする」。
 「さて、好きなことを書かせてもらってきた連載物も、この二年ほどの間にだいぶたまった。それらの中からピック・アップして、さらに書き足して、ここに私としては初めての単行本を出していただくことになった。従来の麻雀ものとは一味ちがったつくりになっているはずである。内容的にも、初心者必読の基本的なことから、上級者でもついうっかりする難問まで、幅広くカバーしてあるので、誰でも、その人なりに十分役立ててもらえるものと自負している」。

 第一章 東大殺法パート1
 「どんなことでもまず基本。基本がしっかりしていれば、たとえ未知の経験に出会っても応用のきかせようがある」「麻雀の場合、囲碁や将棋ほどに手筋の解明が進んでいないため、いわゆる定石が確立されていない。だが、ここにあげた例題のうちのいくつかは、ほぼ麻雀の定石と言ってもいいものだし、他のいくつかは、今まで見過ごしていたが言われてみればなるほど、その通りだと思われるであろう基本的手筋である」。

 本章では手牌を見せて解説している。なるほどと思った解説の部分だけ、引用する。

 東一局を制するものは……
 「リーチをかけてアガれないと、不思議に牌勢が落ちてくる(ツカなくなる)ものなのである」。
 「たたでさえ、テンパイの仕方に不満が残る」局面でしかも「スタート時」は「おとなしくヤミテンに構える」。
 しかし、「でたら素直にアガっておこう。ヘタな見逃しは大ケガのもとになる」。

 「出遅れ、つまり、リードを奪えず、逆にリードされた場合は、何といっても我慢」「苦しければ苦しいほど、あせらないで我慢するのである」。

 三種の法則
 「早い巡目で一種類の中張牌が一枚だけポツンと浮いているときは、すぐには切らない方がいい」「早い巡目で、同条件のメンツ選択の場合には、三種の色を消さないようにする」。

 手牌の変化に対応して打つ
 「手牌がどう伸びても、自在に対応できるように打ってゆく」「自分が頭に描いた青写真通りに事が運んでくれなければうまく打てないのが中級者。ひとつ思い込むと、他のことが目に入らなくなってしまうのである」「先入観を捨てて、目をもっと大きく開いて手筋を眺めなおしてみよう。はじめは気づかなかった、思いもよらぬ宝物が隠れていることもあるのだ」。

 第一打のセンス
 「一時期、迷彩ということばが流行った。いわゆる作りテンパイで、捨て牌にたっぷりとワナを仕掛けることだが、それはかえって弱点にもなる」「不自然な捨て牌があれば、何か仕掛けがあると教えているようなもの」「レベルがあがってゆけばゆくほど、他家の捨て牌に気をくばる割合がふえてゆくもの。だからこそ、捨て牌もポーカーフェイスを装うのがベストになってくる」。

 安全牌を抱えるな
 「序盤から安全牌を持つことが重要になるのは、やはり自分がトップ目になり、特にアガリをかけなくてもいいような状態というのがその典型的ケース」「守りを考えるなら、一枚や二枚の安全牌を抱えることよりは、いつでも平気でオリられるだけの勇気を身につけるべきだ」。

 自然な手の伸ばし方
 「麻雀も、打ち方、スタイル、いろいろあっていいわけで、それぞれ自分の打法を学び、あるいは考えてゆけばいい」「だから、私の言っていることもすべて、"こうしなければならない"のではなくて、"こういう打ち方、考え方もある"と思ってくれればいい。そして納得したところは利用し、そうでない部分は、中途半端に覚えることもない。忘れてしまう方がいいと思う」。

 効果的でないアガリはするな
 「アガれそうな局にどれだけ効果的なアガリをモノにするか、がという勝負なのである」。

 ドラの切りどき
 翻牌のドラは、「ポンされてオリるくらいなら…抱えて死んだ方がましだ」「翻牌のドラをポンさせるのは、人助けなのである。ポンされるか、されないかは、もちろんわからない。が、切る以上は、ポンされることを覚悟しておかなければならない」「ドラを切ればテンパイ、という状態になったとき、状況から見てドラが危なければ切らないし、ポンされても自分の待ちに十分勝算ありと思えば切る」「ドラを切る以上は、ポンされてもアガりきる。また、それだけの形になっていなかったら、翻牌のドラは切らない」。

 第二章 麻雀クリニック
 一貫性を持って打とう
 「強い打ち手に共通しているのが、打牌の一貫性。一打一打を見れば、必ずしも正着を打っていないように見える人でも、むずかしい局面で常に同じフォームで打っていれば、迷いの少ない分だけミスも少なく、安定した成績が残せるものだ」「麻雀の局面は、刻一刻と変化するものであるから、その状況に合わせて方針を変更していかざるをえないのが日常茶飯事。だが、こう打った以上、そうは打たないとか、これを残すならば、あれは切るといったような関連の手順は明らかにあり、それを守るのが一貫性ということである」。

 プレイ中に後悔は無用
 「麻雀の場合、まったくミスをしないなんてことは、そもそも不可能だと言ってもいい」「問題はミスが出たあとに、どう対処するか」「"麻雀は勝ったらツキ、負けたらウデ"と思ったらいい」「"勝って反省"(私の好きなことば)できるようになったら、あなたはもう上級者だ」。

 願望だけで打つな
 「願望はそれほど必要ないが、展望の方は必需品。願望と展望(見通し)は、ちょっと似ているようで全然違う」。

 可能性をトコトン追求する
 「麻雀の手牌は、ありとあらゆる可能性を考え、追求してゆくべきである」。

 テンパイの誘惑を断つ
 「"アガれないテンパイより、アガりやすいイーシャンテン"を常に肝に銘じておこう」「麻雀は建設と破壊のゲームだと言われるが、破壊の中には、"建設のための破壊"という意味も含まれているのである」「目的のためには、せっかく揃ったのにもったいないなどと思わずに手を崩せるだけの冷静さを持ち合わせなければならないのだ」。

 第三章 楽しい麻雀とは
 牌を握るばかりが麻雀の修行ではない
 「仕事などの事情でしばらく麻雀から離れざるをえなくなった人が、何年かのブランクの後に牌を握ったときに以前よりも数段、勝負強くなっていたというのはよくある話」「卓の上の戦いは人生と同じなのだから、人生の紆余曲折の流れの中でわが身をどう置くか。この大局的な判断が重要なのである」「そして、そこで正しい判断を下すためには、一人よがりにならないでまわりの状況を見つめられるだけの冷静さと集中力」が必要。
 「ちょっと研究、訓練を重ねれば、巧くなるのはたやすい。が、本当の強さは、一朝一夕に身につくものではないのだ」。

 第四章 覚えてトクする基礎ポイント
 略。

 第五章 東大殺法パート2
 不確実性の中の常勝性
 「戦いの途中においては、気まぐれな勝利の女神はあっちへ行ったり、こっちへ来たり。それでも最後には、どんなことがあっても息を抜かず、気を入れ続けていた者の頭上に輝く」。

 スランプ脱出作戦
 「ツイでいないときにくる好配牌はクセ者で、配牌にある材料で四メンツ一雀頭を作ろうとすると、うまくいかない。そんなときには、配牌からあるメンツの卵(ターツ)に頼らず、バッサリ断ち切ってゆくのもひとつの打開策である」「つまり、あとからツモってきた牌でメンツを作ることを考えてみる」。

 "三メン待ち信仰"のワナ
 「多少ガードの堅い打ち手が入っているのなら、まちがった"三メンチャン信仰"を捨てヤミテンでのアガリを考える」「その場合、ドラスジの待ちは、実はいい待ちであることが多い」。

 連チャンを避ける
 「とりわけ、南場にはいってからの、トップ目の親であれば、ただ単純に連チャンに向かうのは決して得策ではない」「いかにして、うまく親番を流すかというのも、結構重要なことなのだ」「アガるなら相手にダメを押すようなアガリか、さもなければ敵のチャンス手をつぶす意味のあるアガリ以外は必要ないのである」。

 放縦後のチャンスは確実に
 「大きな放縦をしたあとには、案外チャンス手がくるもの」「それはちょうど麻雀の神サマが"敗者復活戦"のチャンスをポイと与えてくれたようなものだと思えばいい」「それをきっちりアガることができれば、十分復活の見通しがたつ」。

 "喰いは非常手段"
 「ただあせって喰うのは考えものだが、その後の対応策が十分に練ってあるならば、やはり苦しいところは喰い仕掛けを利用すべきだろう」。

 第六章 現代麻雀批判
 略。

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茨城県笠間市・愛宕山(306m)~難台山(553m)

 Mさんと久しぶりの山歩き。
 Mさんからいただいた計画書。
◎愛宕山(306m)~難台山(553m)山行
 久しぶりの山行は山の少ない茨城の新緑の山を歩きます。標高は高くはありませんが、筑波山を展望しながら歩く明るい尾根道です。
【コース】
愛宕神社⇔愛宕山→南山展望台→団子石峠→屏風岩→難台山⇒愛宕神社駐車場
※駐車場から休憩時間含まず往復4~5時間くらい。途中に水場はありません。

 当初は2011年5月28日(土)を予定していたたが、雨で今日に延期した。
 長期予報では雨だったが曇りとなり、決行。
 常磐線岩間駅で8時25分に待ち合わせた。
 そこからMさんの車で愛宕神社駐車場へ行き登山を開始した(途中コンビニでトイレ、食料補給)。

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 愛宕神社(茨城県笠間市岩間町泉)の大鳥居。

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 駐車場側からは、緩やかな階段の参道があり、愛嬌のある餅つき道祖神が迎えてくれる。

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 5分ほど歩くと愛宕神社がある。

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 天狗伝説と桜の名所で知られる。

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 標高306m。

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 駐車場に戻り9:17、難台山に向け出発。

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 9:25、登山道を登り始める。

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 雨の後で道は滑りやすかった。最新の注意で歩く。

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 "ミニ階段"を歩く。

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 9:57、南山展望台。

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 遠くの山は見えなかった。

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 10:05、山歩き再開。

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 案内図(クリックすると拡大画像で見られます)。

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 10:31、途中、林道にぶつかり、再び山道へ。

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 10:34、団子石。ここから坂が急になり、脚に負担を感じた。

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 10:52、団子山に。かなり疲れた。

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 途中、筑波山が見えた。

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 11:05、大福山。団子の次は大福(笑)。

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 少し行くと「鼻の下」。地名が笑える。

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 11:18、獅子ヶ鼻。

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 11:28、頂上が近づいてくると、岩も多くなる。

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 11:38、難台山頂(553m)到着。

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 筑波山。

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 「難台山城跡と難台山の戦い」の説明。読めない。あとでホームページを調べたら、以前、写していた人がいた。次のように書いてあるらしい。

難台山城跡と難台山の戦い
  茨城年指定史跡:昭和9年5月18日指定・・・上郷難台3646
下野の守護小山義政は宇都宮基綱が小山氏の所領を侵したとして康暦2年(1380)5月掌原(宇都宮市)の合戦を引起し基綱を討死させた。この小山氏・宇都宮氏の対戦を私闘とし、鎌倉公方足利氏満は、小山城を攻め小山氏を降伏させた。小山氏は翌年鎌倉府の軍勢に反旗を翻したが、上杉朝宗率いる鎌倉府軍に破れ自害した。小山義政の遺児若犬丸は常陸へ逃亡した。後、小田孝朝を頼って小田城(つくば市)に入った。若犬丸の小田城潜伏を知った鎌倉公方氏満は至徳4年(1387)7月に上杉朝宗を将とする討伏軍を小田城に向けた。若犬丸と小田五郎藤綱は小田城では守護に欠陥ありとして難台山(553m)の頂上付近の観音平に城砦を築き立てこもった。鎌倉府軍は8月20日に岩間に到着。8月28日舘岸山に陣を構え難台山攻略の拠点とした。3ヶ月滞陣の後11月24日頃難台山攻撃が開始された。
しかし難台山○○(釘が打付けてあり不明)の地形は険峻で山腹の要所に城戸・砦が築かれ城兵の神出鬼没の戦法に手を焼いた。援軍佐竹義宣の部将小野崎通郷・江戸通高らは嘉慶2年(1388)5月18日の総攻撃で小田五郎等を破った。若犬丸は福島県三春逃亡8年後戦で没した。
難台山合戦で戦功のあった江戸通高は戦死したが、その子通景には恩賞として河和田(水戸市)鯉淵赤尾関(内原町)の地が与えられた江戸郷から河和田に移り30年後は大掾氏から水戸城を奪い常陸中原を支配した。
難台山城跡は昭和9(1934)・5・18に茨城県文化財史跡に指定された。
 「水戸・笠間の歴史」書より     2005・12観光協会    
 
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 弁当を食べて、12:18下山開始。滑りそうなので気をつけて歩いた。

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 14:10、駐車場に到着。今日は晴れ間も見えて、よかった。

 この後、「秘湯 ぶんぶくの湯」(茨城県笠間市大渕金澤532、0296・72・6295)に立ち寄り、汗を流した。入浴料500円。

 水戸まで車で行って、「食い処飲処 てんまさ」(茨城県水戸市宮町2-2-31 三友ビルB1、029・224・6460)でのどを潤した。

 次、Mさんと茨城県で登る山は男体山。今日のようにはいかない。ほかの山も登って、脚を鍛えなければ。

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群馬デスティネーションキャンペーン首都圏説明会「ググっとぐんまプレゼンテーション」

 JRグループ6社と地域(地方公共団体や県民・企業等)が一体となって取り組む国内最大規模の大型観光キャンペーン、デスティネーションキャンペーン(DC)の対象地域に群馬県が選ばれ、7月1日から9月30日まで、JRグループの宣伝媒体を活用した集中的な宣伝が日本全国で展開される。これに合わせ、群馬県の新たなの観光資源の掘り起こしも行われる。
 キャンペーンに先立って、6月10日午後6時からフォーシーズンズホテル椿山荘 東京(東京都文京区関口2-10-8、03・3943・2222)で、都内の観光、旅行関係者、マスコミなどを集め、「群馬デスティネーションキャンペーン首都圏説明会『ググっとぐんまプレゼンテーション』が開かれた。ぐんま観光特使も末席に加えていただいたので、その模様をリポートする。

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 司会・進行は、テレビ東京のEmorning!で天気予報を担当している関口奈美さん。

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 ググっとぐんま観光宣伝推進協議会会長の大澤正明知事は急用で欠席。茂原璋男副知事が代わって挨拶。「群馬は首都圏の宝石。磨けばもっと光る」。

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 JR東日本の代表取締役副社長の石司次男氏。「力いっぱいやりたい。1500の観光素材を準備した。力を入れたいのが列車の旅。C61形蒸気機関車は伊勢崎市に保存されていたが、復活させた。C61の復活は山田洋次監督がドキュメンタリー映画を撮っている。SLはこのほかC57、C58、D51も走らせる。吉永小百合のCMも流す」。

095
 日本旅行の金井耿会長。「心配なこともある。震災の復興で東北に視線が集まっており、群馬は陰に隠れる恐れがある。また電力問題なども影響し、観光は大きなパラダイム転換を図らざるを得ない。土日以外が休日となる企業を狙ったり、北関東全体でPRするなど、成功に向け努力する必要がある」。

096
 国土交通省関東運輸局長の神谷俊広氏。「行きすぎた自粛、停電、原発の風評被害などの悪影響があるなかで、官民が一体となったキャンペーンが展開される意義は大きい。ピンチをチャンスに変えて、大きく飛躍してほしい。関東ブロックや日中韓での観光面での協力も進めていきたい」。

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 南波和憲群馬県議会議長。「五感を使う体験型観光など、たくさんの魅力を提供したい」。

103
 乾杯。

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 群馬ならではの食も用意された。上州牛ローストビーフ。

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 上州麦豚のしゃぶしゃぶ。

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 ギンヒカリのつみれ鍋。

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 ギンヒカリの軽いスモークと茄子のブレゼ ジンジャーバターソース。

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 上州豚のミラノ風カツレツ。

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 "チキンガンボ"上州地鶏とオクラのシチュー サフランライス添え。

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 尾瀬大白豆腐。塩で食べたい豆腐だが、山椒の塩漬けが載っていた。おいしかった。

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 岩名のたたきの手巻き寿司。なめろうののり巻きという感じ。なかなかおいしかった。

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 温泉地からも女将たちが応援にかけつけた。伊香保温泉の女将。

086
 群馬県温泉協会会長の岡村興太郎氏。法師温泉を経営。

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 市町村長たちが気勢を上げる。

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 抽選会。女将たちがずらり。

129
 群馬女将の会会長の塚越裕子さん(伊香保温泉の塚越屋七兵衛会長)。

131
 曽我孝之群馬県商工会議所連合会会長が中締めの挨拶。

 観光特使としても群馬観光の盛り上げに協力したい。

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「Interop Tokyo 2011」(「IMC Tokyo 2011」、「デジタルサイネージ ジャパン 2011」

 幕張メッセ(千葉市美浜区中瀬 2-1、043・296・0001)で開かれている「Interop Tokyo 2011」、「IMC Tokyo 2011」、「デジタルサイネージ ジャパン 2011」に行った。同時開催の三つの展示会。今年は「IMC Tokyo 2011 - Interop Media Convergence –」を中心に見た。

 IPDC関連が面白かった。
 IPDCとは。IPDCフォーラムのホームページに次のような説明がある。
 IPDCとは、IP Data Castの略で、従来のインターネットをはじめとする通信の世界で一般的であったパケット(IPデータグラム)を放送用電波に乗せて一斉配信する放送サービスの総称です。

 既存の放送技術にIPDC技術を取り込むことで、放送と通信との親和性を高め、放送サービスの特徴を活かしながら、PCや携帯電話などインターネットに対応する情報端末に向けて情報発信することが可能となります。

 特にホワイトスペースでは、地域密着・地域振興に関わるコンテンツを、広く普及する端末に配信する事が重要となることから、コンテンツ制作においてもインターネットのノウハウが活かせるIPDC技術の活用は、地域事業者が参入しやすい環境の構築に貢献するものと期待されています。

 総務省ホワイトスペース推進会議ブース。
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 ブースにあった資料がこれ。
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(クリックすると拡大画像が見られます)

 ホワイトスペース(放送用などの目的で割り当てられていながら、地理的な要因等でその他の目的にも利用可能な周波数)を活用することにより、地域活性化や新産業の創出など経済成長の実現に寄与することが期待されていることから、総務省は2010年7月に「ホワイトスペース活用の実現のための推進方策」を策定。2010年9月には「ホワイトスペース推進会議」を設立した。

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(クリックすると拡大画像が見られます)
 ホワイトスペース推進会議は「ホワイトスペース特区」を公募し、公開ヒアリング等を経て、25の特区を選定した。
 
 エリアワンセグを使ったサービスが多いが、それにIPDCを組み合わせて情報提供する構想が多かった。
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(クリックすると拡大画像が見られます)

 様々な機器も展示して分かりやすく説明していたのが、毎日放送だ。
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 IPDC受信機

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 デジタルサイネージや
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 さまざまな端末に配信。
 説明資料も用意していた。
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 エフエム東京も「放送波・IPDCが起こすデジタルサイネージ革命」として、デモをしていた。
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 読売新聞の記事配信。バスの中での情報提供画面。福岡ユビキタス特区で今年3月末まで実証実験をしていた。
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 Yahoo! JAPANのブースでは、米Ooyala社のオンライン映像プラットフォームを説明していた。
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 YouTubeなどの動画共有サイトと異なり、主に企業向けのサービスプラットフォーム。一つの映像ソースをさまざまの端末向けに変換して配信できる点が売りのようだ。

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 途中まで無料視聴。途中で有料登録を促す画面。

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 企業側の設定画面。

 どれだけのコストで動画が配信できるか明らかにしていなかったが、料金によっては日本企業で導入するところが増えるかもしれない。

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 米Ooyala社の共同設立者及び最高技術責任者であるSean Knapp氏による「オンラインビデオの未来」と題するプレゼンテーションが行われた。30分もあり、iPhoneで撮影したため腕が大変疲れた。途中でかなり揺れているがお許しを。

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釉月(ゆうげつ、東京・人形町、居酒屋)

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 dancyu2009年9月号の特集「使える『居酒屋』、旨い『立ち飲み』」で、「新世代」の名居酒屋として紹介されていたのが釉月(ゆうげつ、東京都中央区日本橋富沢町6-6 ホワイトセブン B1F、03・5640・0773)に行った。

 dancyuの紹介文。
 「実に幅広いメニューが楽しめる、夢のような一軒。新鮮な旬の刺身から、ポテサラ、モツ煮など居酒屋定番系、メンチカツ、鶏唐などのガッツリ系。さらに野菜料理豊富で、フレンチの技を生かした逸品もあり、〆の食事も迷いに迷う。日本酒や焼酎の品揃えも格別。選択肢の豊かさが、うれしい悩みだ」。
 
 カウンター席を予約、友人と二人で行った。

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 突き出し。

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 ポテトサラダ(500円)。ベーコンとゆで卵が入っていて、おいしい。

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 築地 安達屋の冷奴(400円)。単なる冷奴ではない!

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 茹でたて枝豆(650円)。

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 だし巻き玉子(奥久慈卵、700円)

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 日本酒もおいしい。

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 和牛スジカレー(850円)。取り分けてくれたもの。

 今回は居酒屋定番系を食べたが、一つひとつの料理にこだわっている。食器にも味がある。

Yugetsu
 釉月の文字がなかなかいい。

Yugetsu2

 カウンターに座っていたお客のたばこが煙かったのが唯一残念な点だったが、会社帰りに一人で訪れるサラリーマンはカウンター席が指定席。たばこくらい吸わせてあげようと言った配慮なのだろう。しかたがないか。

 営業時間は月~金が117:30~23:00(L.0)、土が18:00~22:00(L.0)。
 日曜祝日定休。

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橋元良明著『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書)

Mediatonihonjin
メディアと日本人

 橋元良明著『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書、2011年3月18日発行)を読んだ。 インターネットの登場で既存メディアは苦戦を強いられているが、これまでの歴史を振り返り、それぞれメディアのどの部分が支持されたのか、などを検証することはメディアの未来を考える上で必要だ。その意味でとても役に立つ一冊だった。

 1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか
 「活版印刷という形で世に日刊新聞が送り出されたのは『横浜毎日新聞』(1871年創刊)からである」。
 「1872年以降、東京初の日刊紙『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)、『郵便報知新聞』(後に『報知新聞』)など現在の大新聞につながる有力紙が次々と創刊される。また、『峡中新聞』(現『山梨日日新聞』)など地方の主要都市でも相次いで新聞が発行されはじめた」「これらの新聞は政治色が強く『政論新聞』と呼ばれ、多くは次々と結成された政党の機関紙化していった。読者は主に旧武士階級や知識人であり、大きな版で組まれていたため『大新聞』と呼ばれた」。

 「一方、町人や女性を主な対象にひらがな中心で漢字には振り仮名をつけ、社会的事件や小説を主な内容とした大衆紙も現れ、大きさが大新聞の半分であったことから『小新聞』と呼ばれた。1874年創刊の『読売新聞』、1879円に大阪で創刊された『朝日新聞』などである」。

 「1880年代以降、政府は新聞の弾圧を強化する。…そうした中で政党色を脱し、報道を中心として個人的な思想・意見を訴え世論を喚起しようとする新聞が現れた。1882年に福沢諭吉が創刊した『時事新報』、89年に陸 羯南(くが・かつなん)が創刊した『日本』、1890年徳富蘇峰の『国民新聞』、1892年黒岩涙香(くろいわ・るいこう)の『萬朝報(よろずちょうほう)』などである」。

 「アメリカやドイツなどの欧米と比べ、日本の新聞の大きな特長に、早くから全国紙が普及したことがある」「全国紙の普及を支えたのは『個別宅配制度』である」「個別宅配は1872年創刊の『東京日日新聞』が1875年に開始した。

 「戦後、新聞の販売部数の拡大は順調で1948年に1934万部(朝夕刊)、1956年2349万部、1965年2978万部、1999年5376万部まで伸ばした。新聞は、これまでラジオ(1925年放送開始)、テレビ(1953年放送開始)といった他のマスメディアの登場・普及によっても、発行部数はまったく影響を受けることはなく、むしろ増加していった」。
 「しかし、1999年をピークとして発行部数は低下傾向になり、2010年時点では4932万部に落ちた。新聞の発行部数が低下する背景にはインターネットの普及という要因が大きい」。


 「世界で最初の商業ラジオ放送は、アメリカ・ペンシルバニア州ピッツバーグで開局したKDKAだといわれている」「アメリカでのラジオ局開局の報が伝わり、日本でも先見の明のある事業家が、放送施設の許可を逓信省に出願した。逓信省も放送局開設認可の準備を進めたが、出願希望者が殺到し、調整に難航した末、政府は非営利化の方針に転じて1924年社団法人東京放送局に設立許可を与えた」「翌年にはさらに大阪放送局、名古屋放送局の設立が認可された。この3局は1925年3月から順次試験放送を開始したが、翌26年には国策として三局が統合され社団法人日本放送協会が発足した」。
 「ラジオを聴くには、本放送が開始された1925年から『受信料』を支払う必要があった」「日本はアメリカと異なり、ラジオ放送に公益性を認め、同時に政治性を予感して民営を排除したのである」。
 「ラジオ受信機の普及に寄与したのはドラマやスポーツなどの大衆娯楽番組である」
 「1950年6月、GHQの指導のもとに電波三法(電波監理委員会設置法、電波法、放送法)が施行され、日本放送協会は社団法人から特殊法人に改組され、また翌1951年には初めての民放として名古屋の『中部日本放送』と大阪の『新日本放送』(現『毎日放送』)が放送を開始した」「戦後10年がラジオの黄金時代であった。やがて1953年にテレビ放送が開始されると、以降、ラジオは急速にその聴取時間を減らしていく」。

 「ドラマや落語など多くの番組は、口語体の平易な日常言語であって、リテラシーの程度によらず多くの人が等しく文化的恩恵を享受することができた。ラジオは『娯楽』を日常的に各家庭の中に持ち込んだ最初のメディアである」。


 「電話業務の運営に関して、日本では渋沢栄一や大倉喜八郎が提唱する民営論と、工部省が推す官営論とで対立したが、1889年に官営(逓信省による運営)で決着した。官営論の根拠は、民営では国家機密の保持や地方への迅速な普及、全国一律制の維持が困難、というものであった」「欧米の民営主体と対照的であり、結果的に電話の普及が停滞する遠因ともなった」「最初の商業的な電話交換業務は1890年に東京と横浜で開始された」「初期の加入者は、大企業、有力商人、新聞社、有力財界人に限られ、政治家でさえ加入していたのは大隈重信、後藤象二郎など数名にすぎない」。

 「実質的に日本人に電話が普及したのは戦後、それも1960年代後半以降である」「世帯普及率が50%を突破したのも1974年であった」
 
 「電話の登場は、直接的会話の機会を減少させるどころか、逆に電話がきっかけとなって直接的交流の機会も増加することが明らかになった」

 「電話をめぐっては、1990年代に再び大きな変革期を迎える。携帯電話の普及である」「携帯電話は当初、なかなか普及が進まず、1993年でも、世帯普及率で3.2%に過ぎなかった」「1994年4月には、携帯電話はレンタル製制から端末売り切り制に移行し、これを契機に普及が本格化する」「2000年には、携帯電話とPHSをあわせた普及率が固定電話を追い越した」。


 「戦後1950年に日本放送協会が実験放送を再開し、1953年2月1日本放送が開始された」「同年8月には、民放テレビ局として『日本テレビ放送網』(NTV)が初めて放送を開始した」「当初、受像機の売れ行きは遅々としていたが、東京では、テレビ放送に接触した人の数は少なくなかった。というのもNTVの正力松太郎が音頭をとって、日比谷公園や上野公園、巣鴨、浅草、渋谷など人の集まる駅前に街頭テレビを設置したからである」「1959年4月10日の皇太子ご成婚パレードを見るために、契約者数は急増、その年の末には346万件に達し、1961年には世帯普及率が50%を突破した」。

 「日本では1984年に東工大、慶応大学、東大のモデム接続を端緒としてJUNETが立ち上げられ、これが日本のインターネットの創始となった」「インターネットは当初、研究者間の通信が中心であったが、商用ネットが1988年にアメリカ(UUNET,CERFnet)で、1993年に日本(IIJ)で開始された」「日本のインターネット利用者は2009年末の時点で9400万人に達している。うちブロードバンド回線の利用率は49%」「従来は、既成の文化装置(出版社や音楽プロダクションなど)の選別を受け流通経路に流され、主張や思想であれば、既存のマスメディア的権威(新聞社や出版社、放送局など)の編集を経て初めて大衆の目にさらされていたものが、それらを通らずに世に送り出されることが可能になった」。


 2章 メディアの利用実態はどう変わったか
     ――1995年~2010年
 「東京大学情報学環・橋元研究室では1995年から5年ごとに日本人の情報行動の実態を量的に把握する調査を実施している。本書ではその『日本人の情報行動調査』のデータを中心に、1995年から2010年にかけての主要メディアの利用実態の変化について考察する」。

 テレビは「視聴時間の全体平均では1995年から2010年にかけて微減であるが、『テレビ離れ』と言われるほどの減少ではない」「しかし、年齢層別にみれば、50代、60代はあまり変化がないものの、40代以下の層では一貫して減少しており、とくに10代の減少率(1995年183.5分から2010年112.9分へ)が大きい」

 「1970年以降、日本人のテレビ視聴の特徴について、NHK放送文化研究所の調査結果なども合わせてみれば、次のことが指摘できる」「まず、70年代以降、個人的のテレビ視聴時間のバラツキ(分散)が一貫して拡大している。つまり、テレビを長時間見る人とあまり見ない人に分化してきた」「第二に、番組ジャンル的にみれば、視聴番組における『娯楽』の比重が低下傾向にあり、テレビが単に娯楽のための媒体から、社会情報を知るための媒体に変化してきた」。

 「総花的に様々な情報を送信してくれるテレビは、日本全体の動静のみならず、様々な争点に対する大まかな国民的感情を知る最高のメディアである」「明確な目的を持たずに視聴し、安らぎや癒しを得るという効用、いわば気晴らしのメディアとしての役割」もある。また、「テレビは、他者に自己投影して、いわば『代理体験』を味わえるメディアである」。

 「新聞の総売上高は、年ごとの変動はあるものの、総じて2000年から低下傾向にあり、2009年は2000年に比べ21%減少している」「1999年から2009年の10年で広告収入の比率が34.2%から23.9%に低下し、その分、販売収入の比率が52.2%から60.4%へ増加している」「読む時間は30代で1995年の24.5分から2010年の8.9分に、40代は32.2分から14.4分へと激減した」「コストをかけず、同様の情報が得られるのであれば、新聞を取らず、ネットで済ます」という人が増えている。

 インターネット利用は「日本人の情報行動調査」によると「2000年には24.4%であったのが2010年には79.4%」と急増している。「年齢層別にみれば、60代が2000年の4.5%から2010年の48.8%へと大幅に増加しているのが目立っている」。

 10代のネット利用をみると、「2005年の13.3分から2010年の7.2分へと最も時間を減らしたのはパソコンで『サイトを見る』である」「一方、携帯電話で『サイトを見る』は5.0分から30.8分と大きく増加している」「その割には10代の携帯電話によるインターネットの合計利用時間が2005年から2010年にかけ、さほど大きく増加していないのは・・・『メールを読む・書く』が10分近く減っているからである。…SNSやミニブログの利用(集計上は『サイトを見る/サイトに書き込む』の中に含まれる)で代替しているからと解釈できよう」。

 「この10年で、インターネットは娯楽のメディアとしての地位も築き上げた」「『日本人の情報行動調査』では、2000年以降、質問票調査で『趣味・娯楽に関する情報を得るのにどのメディアを最もよく利用しているか』という質問をしている」「2000年と2010年で比べると、テレビが40.0%から29.9%、新聞が10.4%から5.4%、雑誌が33.6%から17.6%、書籍が7.3%から5.7%と、多かれ少なかれ比率を減らしているが、一方、インターネットは2000年に4.4%であったものが、2010年には36.0%になり、第一位に浮上した。とくにテレビと雑誌の減少分がい、インターネットに取って代わられた形である」。

 「1990年以降、1週間のうち一度でもラジオ放送を聞いたことのある人の割合(ラジオ週間接触率)」は、「1990年以降では、1995年の49.3%をピークとして2010年の41.1%まで漸減傾向にあるが、激減というほどではない」
 ラジオの聴取時間、行為者率は「1995年以降、全体平均で一貫して減少しているが、とくに20代の減少率が大きい。その理由の一つはCDの売上低下と同様、MP3プレーヤーの普及、ネットを通した楽曲の購入、音楽動画視聴(YouTubeなど)により、ラジオの音楽番組が聞かれなくなったためである」「10代はもとよりラジオの聴取時間が少ない世代であるが、2010年には平均で1分を切った。受験勉強をしながら『オールナイトニッポン』や『セイ!ヤング』のような深夜放送を聴くという習慣もほとんど途絶えたようだ」。


 「注目されるのは、1995年から2010年にかけ、読書時間、行為者率には全体的にほとんど減少傾向がみられないことである」「伝統的なマスメディアの中で、書籍は現状において比較的インターネットの影響を受けていないメディアだといえる」。

 「『日本人の情報行動調査』から雑誌(マンガを除く)の読書時間、行為者率の推移を見ると、全体平均で言えば、時間量は1995年以降、一貫して減少している」「とくに20代の2000年以降、10代の2005年以降の減少率が大きい」「若年層、とくに10代の雑誌離れは、ネットの影響によるところが大きい」「30代の1995年以降の雑誌の低落傾向は、携帯電話の普及で、通勤途上での時間つぶしが雑誌から携帯に移行したことも一つの遠因と考えられる」。

 携帯電話は「通話時間、行為者率ともに、60代の増加が顕著である。携帯電話の所有者が増し、メールに不慣れな人が携帯電話で通話していると考えられる」「10代の通話時間、行為者率は大きく減少している。通話は比較的コストが高く、友人らとのコミュニケーションは、メールやミニブログなどによるやりとりの方が簡便で費用もかからないということであろう」。


 3章 メディアの「悪影響」を考える
 略。

 4章 ネット世代のメンタリティー
 略。

 終章 メディアの未来にむけて
 略。

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小澤勲著『認知症とは何か』(岩波新書)

Ninchishotohananika
認知症とは何か

 小澤勲著『認知症とは何か』(岩波新書、2005年3月18日発行) を読んだ。
 精神科医の小澤勲氏は2008年、肺がんのため70歳で死去したが、この本は認知症を分かりやすく解説した本として評価が高く、13も刷りを重ねている。

 「第一部では、認知症とはどのような病、障害なのか、どのような症状、行動がみられるのか、それがどのような成立機制によって生まれるのかについて述べる」。

 認知症の定義。「獲得した知的機能が後天的な脳の器質性障害によって持続的に低下し、日常生活や社会生活が営めなくなっている状態で、それが意識障害のないときにみられる」。

 「認知症は症状レベルの概念である。正確に言えば、記憶障害、見当識障害、思考障害など、いくつかの症状の集まりに対する命名だから症状群というべきなのだが」「同じ症状の裏には異なる疾患があり、また同じ病名がついても、原因が異なる場合がある」「認知症の原因疾患は詳しくあげていくと100近くになる」。

 代表的疾患として変性疾患がある。
 「変性疾患とは、原因はまだよく分かっていないが、脳の神経細胞が死滅、脱落して、その結果、脳が萎縮し、認知症を招く疾患群である」「変性疾患による認知症の代表がアルツハイマー病である」。
 
 脳血管性認知症。「脳の血管が詰まったり(梗塞)、破れたり(出血)した結果、その血管で酸素や栄養を供給されている脳の部位が損傷を受け、認知症に至る疾患である」。

 「アルツハイマー病と脳血管性認知症で認知症の7、8割を占める」。

 認知症の中核症状。「認知症をかかえる人にはだれにでも現れる症状であり、記憶障害、見当識障害、思考障害、言葉や数のような抽象的能力の障害などをあげることができる。これらは脳の障害から直接的に生み出され、たとえば、記憶障害は主に海馬などの記憶を司る部位の損傷から生じる」「ただ、中核症状の一部には、脳障害から直接ひきおこされたとはいえない廃用症候群が含まれる」「医学的にみる限り、それ程機能が低下しているとは考えられないのに、使用しないための機能低下が加わり、ときにはもとに戻せない変化が生じている場合をいう」「認知症をかかえ、一人暮らしで人との交わりや刺激に乏しい生活を送っていると、認知症が深まってしまう」。

 「認知症には必ず記憶障害がみられるが、記憶障害があれば認知症であるとは言えない」「認知症者には自らの記憶障害に対する防衛策を講じないと、うまく暮らしていけないという認識が抜け落ちてしまう」「自らの病状を認識できない、という意味で病態失認とよぶ。この失認を伴うようになってはじめて、もの忘れは認知症特有の記憶障害になる」。

 「見当識はオリエンテーションの邦訳」「今がいつか(時間)、ここはどこか(場所)、この人はだれか(人物)に関する認知を意味する」「認知症ではこの順に侵襲が及ぶ」。

 周辺症状。「人によって現れ方がまったく異なる症状で、自分が置いたところを忘れて『盗まれた』と言いつのる『もの取られ妄想』、配偶者が浮気していると思いこむ嫉妬妄想、いないはずの同居人がいると主張する『幻の同居人妄想』などの幻覚妄想状態、不眠、抑うつ、不安、焦燥などの精神症状から、徘徊、便いじり、収集癖、攻撃性といった行動障害まで、さまざまな症状がある」「周辺症状の成り立ちを解明するには、医学的な説明によってではなく、認知症という病を生きる一人ひとりの生き方や生活史、あるいは現在の暮らしぶりが透けて見えるように見方が必要になる」。

 アルツハイマー型認知症と脳血管性認知症。「アルツハイマー型認知症は、まず人柄の変化からはじまり、それが認知の障害に及び、さらに重度になると意識の障害を生じ、一日中うつらうつらして、睡眠・覚醒のリズムがとれなくなる」「脳血管性認知症に場合は、これとまったく逆で、まず梗塞、出血などによって意識障害が生じ、そこから回復しても認知障害が残存し、礼儀や規範といった社会的人格は、かなり認知症が深くなるまで比較的保持される」「アルツハイマー型認知症は共同性に偏した生き方を、脳血管性認知症は個別性に偏した生き方をしているようにみえる」。
 「雨宮克彦という認知症のケアを続けてこられた方…はコンピュータになぞらえて、アルツハイマー型認知症は記憶素子が壊れた状態であるのに対し、脳血管性認知症は基盤の電気配線がところどころで切断されている状態である、と言う」「ケアについて次のように主張しておられる。『アルツハイマー型認知症は記憶が断片的になりやすく、過去や未来を欠いて今を生きているが、そのためにかえって強い不安をもっている。そこで彼らは集団のペースに乗せて、大勢で、にぎやかに、がやがやと生活していくのがよく、肩を組んだり、手をつないだりして身体的接触を密にしたほうが良い』『彼らは理屈、損得、矛盾のない虚構の世界を生きており、これを現実の理屈世界に引き戻そうとするとかえって不安定になる』『一方、脳血管性認知症は、静かな環境で、個室あるいは気のあった者同士の二人部屋を用意し、その人のペースでゆっくりと、一定の距離をとりながら、個別にケアしていくことが大切である。彼らは現実の理屈の世界に住んでおり、認知症の人だけの世界に入れると、認知症が深まる危険性がある』」。

 「第二部では、認知症をかかえて生きる人たちの不自由と心のありかを訪ねる。つまり、内側からみた、あるいは体験としての認知症の探求である」。

 「認知症を病む人たちの多くは徐々に『できないこと』が増えていくのだが、一方でそのことを漠然とではあれ感じとる能力は保持されている」「自分が人に迷惑をかけていることも、自分が周囲からどのようにみられ扱われているかということも、彼らはとても敏感に感じとっている。そして、不安に陥り、怯えている」「自分の忘れっぽさを自覚していて、時折張り紙に注意を向け、自分のやらねばならない行為を思い出し、張り紙の指示に従うというような判断を順次、正確に行い、実行することは、悪性健忘をかかえている人には至難のワザである。…それでも、そのたびに引き起こされる周囲の言語的、非言語的な困惑や非難、あるいは否定的感情にさらされ、それが蓄積して、自分が周囲に迷惑をかけているらしいこと、そして『できないこと』がどんどん増えていることを正確に感じとるようになる」。

 「記憶、見当識、思考、言葉や数の抽象化機能などは、日常生活を送っていく上でそれぞれがとても大切な機能である。しかし、暮らしのなかでは、これらの機能一つひとつがバラバラに役立っているわけではない。複数の知的道具あるいは要素的知能を組み合わせて使いこなす『何か』がなければならないはずである。それを知的主体あるいは知的『私』とよぶことにすると、そこに障害が及ぶのである。だから、認知症を病む人は、いろいろなことができなくなるという以上に、『私が壊れる!』と正しく感じとるのである」。

 「『やりたいこと』と『やれること』、あるいは周囲の期待と本人の力量とのギャップがきわめて大きくなっているにもかかわらず、認知症をかかえていると、両者に折り合いをつけ、『身の丈にあった生き方』を選択することが難しい。その結果生じた不安、困惑、いらだち、混乱のあげくにたどり着いた結果が周辺症状である」「だから、彼らが窮地に陥ったときには、手を差し伸べ、不安を鎮め、『できること』を増やして、あまりに大きくなったギャップを埋めるためのケアを提供しなければならない」「しかし、ギャップをまったくなくせばよいと考えるのは間違いである」「人は『やれること』だけをやって生きているのではない。今はできないけれど、いつかはやれるようになりたいという思いが生を豊かにし、生きる力を生む」「ケアは文化である」「文化とは、単に動物として生きていくだけなら、どうしても欠かせないものではないが、暮らしを豊かにするにはなくてはならない『余剰』である」「このようなケアは、眠っていた『欲望』を呼び覚まし、あえてギャップを作り出し、ズレを広げることにもなる」「しかし、うまくことが運んだ後の、彼らの笑顔はすべての苦労を忘れさせてくれた」。

 「『治る』j『治らない』でケアを考えるのは偏狭な医学的発送である。ケアは、医者が『治らない』と治療を断念した地点から始まる、と言ってもいい」。

 「高齢者にとって、さらに加えて認知症を病むことになった人たちにとって、これまでの生き方を変更して事態に対応するという柔軟さは失われていることが多い」

 「私は、認知症を生きる姿にみられる困惑や周辺症状の多くは、…やむにやまれぬ心情から生まれてくるものなのだろうと考えている。むろん、そのような事態に彼らを追い込むのは、彼らのかかえている認知症を生きる不自由なのだが、それを周辺症状に転化させるものは、すでに保持することが困難になった自己同一性への執拗なこだわりである」。

 「不自由に怯え、何とか不自由を乗り越えようと抗い、挫折してあきらめ、あるいは、まるで不自由がないかのようにやり過ごして、彼らは日々を生きている。この無理な生き方が知的『私』の破壊を、本来の器質性症状を越えて、いっそう促しているのかもしれない」。

 「彼らは子どもたちが来てくれると喜ぶ。普段はあまり表情のない方が、ニコニコして子どもの頭をなでている。犬を連れて行ったら大喜びでたくさんの方々が寄ってこられる。ケアを受けていると、私たちも気をつけてはいるのだが、どうしても彼らは受け身になりがちである。しかし、子どもや動物に対しては、自分が主人公になれる、あるいは世話する役割をとれる、と感じられるのかもしれない」。

 「家族はケア・パートナーとして生きるだけではなく、規範と常識の世界も生きなければならない。その狭間に置かれて、二つの世界に引き裂かれてしまうのだ」。

 「他人に語ることなどとうていできない、墓場までもって行かねばならない秘密をかかえている人たちがいることを、私たちは知っておかねばならない。『愛?私はとうていあの人を愛すことなんてできない。だって…』この『…』の部分に語るに語れない闇が潜んでいるのである」。

 「認知症をかかえることになった家人を、砂を噛む思いで介護してきた人たちが、長年の苦闘の果てに、今までかかえてきた家族の、あるいは自分の心奥に潜む闇を、ようやく乗り越え、それまでにない清澄な世界に辿り着かれることがある」。

 認知症と真正面から向き合ってきた人だからこそ言える言葉。その重さを感じながら、この本を読み終えた。

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肉だんご黒酢あん(オリジナル)

 肉だんごを作ろうと思って料理本を見ると、なぜか肉だんごだけが皿の上に並んでいる。酢豚は玉ねぎ、ピーマンなどいろどり豊かなのになぜだろう。
 いろどり豊かな肉だんごを作った。ケチャップ味の甘酢あんでなくて黒酢あんで食べるようにした。

 いくつかのレシピを組み合わせて作った。
 『まずはお料理はじめて~中華編~』(新星出版社)の「肉だんごの甘酢あん」(4人前)。
①ボウルに豚ひき肉(200g)と下味の材料(酒大さじ1、しょうゆ小さじ1、塩少々、こしょう少々)を入れて練り、溶き卵(1個分)、ねぎ、しょうがのみじん切り(少々)を加えてさらによく練る。
②水大さじ1を2回に分けて加え、さらに練る。
③薄力粉(大さじ1)と片栗粉(大さじ1)を加え、粘りけが出るまでさらに練る。
④揚げ油を170度くらいに熱し、一度火を止めて肉だんごを一つずつ入れる。
⑤再び火をつけ、玉じゃくしなどで油を混ぜながら揚げ、全体に均等に色づいたら引き上げて油をよくきる。

 ここからは同「酢豚」(4人前)
①野菜を切る。キクラゲ(8枚)はもどし、石づきを取って大きさをそろえて切る。玉ねぎ(40g)は三角形の乱切りにし、ピーマン(1個)、赤ピーマン(1/2個)はヘタと種を除いて玉ねぎの大きさに合わせて切る。
②揚げる。揚げ油を150~160度に熱し、野菜を入れて油通しし、引き上げて油をよくきる。

 オリジナル。
うずら卵2パック(20個)をゆでる。沸騰した湯に3分。冷水(氷水)に取って冷やして、殻をむく。

 黒酢ソースのレシピはレタスクラブネットのレシピを使った。黒酢ソースのレシピ(2人分)は黒酢大さじ3、砂糖大さじ1、しょうゆ小さじ1、長ねぎのみじん切り1/2本分、水大さじ1。これに水溶き片栗粉(大さじ1)を加える。

 肉だんごと野菜とうずら卵に黒酢あんをからめて出来あがり。

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"ゴルフのテーマパーク"で、日本ゴルフツアー選手権を観戦

 宍戸ヒルズカントリークラブ(茨城県笠間市南小泉1340)西コースで開かれた男子プロゴルフ界の国内三大メジャーのひとつ「日本ゴルフツアー選手権」の最終日を観戦した。「ギャラリー」になったのは初めて。プロの技を目の前で見られたのは本当に良かった。「百聞は一見にしかず」ということわざはゴルフ観戦のためにあるのではないかとさえ思った。

 朝5時8分発の地下鉄有楽町線始発に乗り、日暮里から常磐線に乗って友部駅に7時29分に着いた。茨城交通の大きなバスが駅に迎えに来ていてくれて、すぐに会場に向かった。

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 宍戸ヒルズカントリークラブは2009年に東コースをラウンドしたことがあるが、今日の宍戸ヒルズカントリークラブは別世界だった。クラブハウスは選手用で、ギャラリーは仮設テントで飲み物などを買うので、同じ場所とは思えなかったのもあるが、西コースの観戦エリアならば、どこへでも自由に、どんな順番でも行け、そこで信じられないくらいゴルフのうまい人たちがプレーしている。こういうゴルフ場の姿もあるのだ。「これはまさにゴルフのテーマパーク」と思った。

 バスを降りた。テントで物販などもしていたが、まっすぐ1番ホールへ。第5組の諸藤将次、室田淳、河村雅之がスタートするところだった。

 豪快なティーショットが終わり、選手とともに2打地点へ急ごうと思ったが、1番ホールは、ギャラリーはフェアウエーを横切らねばならない。選手が通過した後に通してくれるのだが、フェアウエーを早足で歩く選手たちには簡単には追いつけない。2打地点に着いたときには、選手たちは打ち終わって、グリーンの方に歩き始めていた。
 
 はじめは石川遼の追っかけをするつもりだったが、石川遼が予選落ち。だから、あまり特定の選手を追いかけずに、いろいろな選手の技を見ようと思ってはいたのだが、選手とともに動くということが結構大変というのがいきなり分かった。
 
 2打地点にとどまり、次の第6組の選手たち( 久保谷健一、小田龍一、岩井、亮磨)を待った。
 ラフからだと選手もピンにぴたりとはつけられないようだが、条件の良いフェアウエーから打つとぴたりと寄せる。そういう人たちなのだなと実感した。

 2番ロングはグリーン周りが面白い。なかなか2オンはできず、グリーン周りからのアプローチが見られる。
 グリーン近くのアプローチショットがうまく打てないので、真剣に見ていたが、ピンが近い場合はバックスイングはほんの少しクラブを引くだけ。フォローはそのまま地面を滑らせるような感じ。自由に距離をコントロールしている。
 
 2番グリーン周辺にそのままいて、第8組を待った。池田勇太のいる組だ。
 3番から6番まで池田の組と一緒に回った。5番までは先に2打地点に行って観戦した。この組は大勢のギャラリーを抱えていて、移動にも時間がかかるのだ。
 6番のティーイングラウンド。前の組がまだフェアウェー上にいるのをみて池田は「なんでこんなに遅いの」とぶつぶつ言っていたが、すぐ、後ろのほうで談笑を始めていた。われわれも前が詰まるといらいらするが、池田も前をみているといらいらするのだろう。完全にゴルフの世界から離れている。

 ところが順番が来ると、池田勇太は速い。アドレスを決め、ものすごい集中力でバシッと打つ。打つ瞬間、池田の周りに炎が見えた。

 6番からは選手はカートで7番へ。もう池田勇太の追っかけは間に合わないと観念し、第二クラブハウスを見ると、なんとギャラリーも食事できるという。冷房の効いたレストランがある。まだ早かったのですいていた。
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 生ビール(600円)とビーフカレー(サラダ、スープ付き、1000円)を頼んだ。
 6番グリーンも見える絶好の場所。ゆっくり食事をした。

 6番グリーンと10番ティーイングラウンドはすぐ近く。まず10番で何人かのティーショットを見た。ちょうど第6組が現れた。

 ティーショットはどのプロも軸がしっかりしている。左右になどまったくぶれない。バックスイングとフォロースイングを同じ場所でしている。それが当たり前なのだろうが、きちっとそのように打っている人ばかりを見ると印象が強くなる。

 6番グリーンに戻り、第12組を待った。小田孔明を見たかったのだ。小田孔明の追っかけで7~9番を回った。
 7番は池越えの狭いエリアにピンがある。その手前のラフ、もう少しで池ポチャのところにつけた小田だが、なんとチップインバーディー。プロたちは、パットと同様、寄せると言うよりは、カップに入れようと思って打っているようだ。
 
 10番まで小田と付き合い、また6番グリーンへ。そこで、最終組まで観戦した。グリーンは速く、パットはほんのわずかしか後ろに引かない。5mのパットでも1mくらい打つ強さなので、ギャラリーは最初のころはショートと思う人が多かったようだが、だんだんそのくらいでいいと理解したようだ。こんな速いグリーンで素人が打つことはないから、ほかのストロークほどは参考にならないのだが、ほとんど「当てるだけ」の急な下りのパットも、良く見ると「振り子」で打っている。その振り幅をどこまでも小さくするかという問題であることが分かった。
 
 そして、10番にやってきた19組の宮本勝昌を最終ホールまで追いかけることにした。宮本勝昌は今大会のディフェンディングチャンピオン。大会のパンフレットの表紙も宮本だ。明るいキャラクターが好きだ。

 宮本は初日78で、2日目67、3日目68と挽回。最終日は+1の72でトータルも+1。10位で333万円の賞金を獲得している。

 決して調子は良くなかったようだ。しかし、ティーショットが右に曲がって、急斜面から池越えでグリーンを狙ったときなどは、決して無理をせずグリーン中央に乗せる。パーは必ず確保する。

 11番ミドル、宮本と一緒に回る二人が見せた。矢野東がチップインバーディーを決めると、続けて上田諭尉もチップインバーディー。グリーンが速いと、同じ距離ならば、プロにとっては、むしろグリーンの外からの方が易しいのではと思わせるような出来事だった。

 傾斜も強く、うねっていて、しかも速いグリーン。しかし、プロたちは、われわれだと「OK」と言われる距離にまでぴたりと寄せる。カップインするかしないかで大きな差がつくわけだが、グリーン上から3打打つプロは見ているときにはいなかった。

 この大会、優勝は、韓国のJ・B・パク選手だった。しかし、終盤、丸山大輔が16番でバーディーで奪ったあと、パクが17番でダブルボギーをたたき、1打差で18番を迎え、グリーンは盛り上がった。
 が、パクがもう少し先に転がればグリーン下のラフまで転がり落ちるというところでボールを止めたのが強運だった。そこからパターで打って「OK」の距離。ここで丸山がワンパットで沈めればプレーオフだったが、やはり「OK」の距離。共にパーで、パクが通算6アンダーで逃げ切った。
 
 夢中になって観戦していたのであまり気にならなかったが、良く歩いた。フェアウェーは歩けないので、周りの山道あるいは道のない坂を歩く。18ホール分以上歩いているわけだ。来週の山歩きの脚慣らしになった。

 プロのレベルの高さを感じたが、その中では池田、宮本、藤田あたりに存在感、個性を感じた。石川遼もきっと技術を超えるなにかを持っているのだろう。次は石川遼の追っかけをぜひしたいと思った。 

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花咲カントリー倶楽部 BACK TEE

 今日は5月8日の野田市パブリックゴルフ場 けやきコースと同じメンバー(K先輩とゴルフの初級者二人)で花咲カントリー倶楽部(山梨県大月市)をラウンドした。
 花咲カントリー倶楽部は良いスコアが出るコースだ。広々としたフラットなコース。ほとんどが前方にグリーンがみえるストレートホール中心のコース設計。池やバンカーもほとんどなく、グリーン周りは花道ばかり。さらに、他のゴルフ場ならばOBのエリアがペナルティエリアに設定されている。
 初級者に優しいコースなのだ。
 過去のスコアも46、4644、49ともう少しで90が切れそうだった。

 12時44分アウトスタートの「午後スルー」を予約。行き帰りは渋滞に巻き込まれたが、ラウンド自体は、スルーなので緊張が途切れなかった。

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 「易しい」と話すとK先輩は「それではBACK TEEで打とう」。

 BACK TEEはアウトが3413ヤード、インが3410ヤード。難易度が高まり、手ごたえのあるコースになる。面白かった。

 たとえば12番のショート。
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 谷越えの146ヤードが186ヤードになる。谷は越えたが、右に行きすぎペナルティ。前進3打。

 アウトのスコアは0+2+1-1+1+2+4+2+1=+12で48。パット数は122133222。5番の企画「ワンオンチャレンジ」にも成功した。残念なのは7番。2打目打ちおろしでシャンク。+4がもったいなかった。

 インはやや疲れたこともあり、3ホールで大きくスコアを乱した。
 しかし、収穫もあった。17番ロング(520ヤード)はドライバーをチョロしたが、買ったばかりの20度のユーティリティーを2回打ち、3打で残り60ヤードに。このユーティリティーは230度ヤードくらい飛ぶことが分かった。

 スコアは+1+2+3+1+4+0+5+2+1=+19で55。パット数は223232322。短いパットが入らなかった。

 7月までラウンド予定はないが明日は宍戸ヒルズカントリークラブ(茨城県笠間市南小泉 1340)西コースでプロの試合(日本ゴルフツアー選手権)を初めて観戦する。プロの技を学びたい。

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銀座スケベニンゲン(東京・銀座、南イタリア家庭料理)

 スケベニンゲン。「俺のこと?」とたいていの男性は思ってしまう、忘れにくい名前の南イタリア家庭料理の店に行った。場所は東京都中央区銀座3-7-13 成田屋ビルB1(03・3567・5346)。

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 同店のホームページによると、1977年、旅行代理店出身の2人(オーナーの小野澤邦夫 とマンマシェフの山口さくら)が新橋に旅行会社&喫茶店を開店した。これが現在の店の前身である「株式会社 旅のアトリエ」だ。
 それから2年後の1979年、新橋から銀座3丁目に移り、南イタリア家庭料理の店「銀座スケベニンゲン」を開店した。
 店名は、オランダのハーグ市郊外のリゾート地の地名からとったという。
 もっともフリー百科事典「ウィキペディア」によると、Scheveningenは正式には「スヘフェニンゲン」と読むらしい。
 「日本人の間では時にスケベニンゲンとも読まれ、珍地名とされることもある」とのことだ。

 まあ、あまり深く考えずにエッチな日本人を連想するオランダ地名を店名につけた楽しいイタリア料理店ということでいいのではないか。

 ランチタイム(月曜~土曜、祝日)は11:30~15:00。
 スパゲッティ(55種から選ぶ)にサラダと飲み物(ワイン、コーヒー、ジュース、アイスティの中から選ぶ)がついているという。
 
 ディナータイムは月曜~金曜が18:00~23:00、土曜・祝日が18:00~22:00。
 スパゲッティ55種のほか、アラカルトから料理を選べる。

 ディナータイムに訪ねた。
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 レグーミサラダ(892円)。みずみずしいグリーンサラダを特製グリーンドレッシングで。

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 生ハムとチーズ3種(1155円)。

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 マンマの怒ったパスタ。店の説明は「ミートソースとクリームの入ったソースからピクッと顔を出したパスタたち」。 一連のラグーメニューの中で、ちょっと辛めということで頼んだ。ミートソースとクリームの合わさったおいしいソースのパスタだった。唐辛子を避ければ辛くはなく、実はそんなに怒ってはいないようだった(笑)。

 軽くワインを飲みたくて店に入ったので、今日は前菜ばかり注文した。でも、この店の売りはやはりパスタだ。いろいろな種類があり、どれもおいしそう。昼にも来ていろいろ食べてみたいと思った。

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