茨城県笠間市・愛宕山(306m)~難台山(553m)
Mさんと久しぶりの山歩き。
Mさんからいただいた計画書。
◎愛宕山(306m)~難台山(553m)山行
久しぶりの山行は山の少ない茨城の新緑の山を歩きます。標高は高くはありませんが、筑波山を展望しながら歩く明るい尾根道です。
【コース】
愛宕神社⇔愛宕山→南山展望台→団子石峠→屏風岩→難台山⇒愛宕神社駐車場
※駐車場から休憩時間含まず往復4~5時間くらい。途中に水場はありません。
当初は2011年5月28日(土)を予定していたたが、雨で今日に延期した。
長期予報では雨だったが曇りとなり、決行。
常磐線岩間駅で8時25分に待ち合わせた。
そこからMさんの車で愛宕神社駐車場へ行き登山を開始した(途中コンビニでトイレ、食料補給)。
愛宕神社(茨城県笠間市岩間町泉)の大鳥居。
駐車場側からは、緩やかな階段の参道があり、愛嬌のある餅つき道祖神が迎えてくれる。
5分ほど歩くと愛宕神社がある。
天狗伝説と桜の名所で知られる。
標高306m。
駐車場に戻り9:17、難台山に向け出発。
9:25、登山道を登り始める。
雨の後で道は滑りやすかった。最新の注意で歩く。
"ミニ階段"を歩く。
9:57、南山展望台。
遠くの山は見えなかった。
10:05、山歩き再開。
10:31、途中、林道にぶつかり、再び山道へ。
10:34、団子石。ここから坂が急になり、脚に負担を感じた。
10:52、団子山に。かなり疲れた。
途中、筑波山が見えた。
11:05、大福山。団子の次は大福(笑)。
少し行くと「鼻の下」。地名が笑える。
11:18、獅子ヶ鼻。
11:28、頂上が近づいてくると、岩も多くなる。
11:38、難台山頂(553m)到着。
筑波山。
「難台山城跡と難台山の戦い」の説明。読めない。あとでホームページを調べたら、以前、写していた人がいた。次のように書いてあるらしい。
難台山城跡と難台山の戦い
茨城年指定史跡:昭和9年5月18日指定・・・上郷難台3646
下野の守護小山義政は宇都宮基綱が小山氏の所領を侵したとして康暦2年(1380)5月掌原(宇都宮市)の合戦を引起し基綱を討死させた。この小山氏・宇都宮氏の対戦を私闘とし、鎌倉公方足利氏満は、小山城を攻め小山氏を降伏させた。小山氏は翌年鎌倉府の軍勢に反旗を翻したが、上杉朝宗率いる鎌倉府軍に破れ自害した。小山義政の遺児若犬丸は常陸へ逃亡した。後、小田孝朝を頼って小田城(つくば市)に入った。若犬丸の小田城潜伏を知った鎌倉公方氏満は至徳4年(1387)7月に上杉朝宗を将とする討伏軍を小田城に向けた。若犬丸と小田五郎藤綱は小田城では守護に欠陥ありとして難台山(553m)の頂上付近の観音平に城砦を築き立てこもった。鎌倉府軍は8月20日に岩間に到着。8月28日舘岸山に陣を構え難台山攻略の拠点とした。3ヶ月滞陣の後11月24日頃難台山攻撃が開始された。
しかし難台山○○(釘が打付けてあり不明)の地形は険峻で山腹の要所に城戸・砦が築かれ城兵の神出鬼没の戦法に手を焼いた。援軍佐竹義宣の部将小野崎通郷・江戸通高らは嘉慶2年(1388)5月18日の総攻撃で小田五郎等を破った。若犬丸は福島県三春逃亡8年後戦で没した。
難台山合戦で戦功のあった江戸通高は戦死したが、その子通景には恩賞として河和田(水戸市)鯉淵赤尾関(内原町)の地が与えられた江戸郷から河和田に移り30年後は大掾氏から水戸城を奪い常陸中原を支配した。
難台山城跡は昭和9(1934)・5・18に茨城県文化財史跡に指定された。
「水戸・笠間の歴史」書より 2005・12観光協会
弁当を食べて、12:18下山開始。滑りそうなので気をつけて歩いた。
14:10、駐車場に到着。今日は晴れ間も見えて、よかった。
この後、「秘湯 ぶんぶくの湯」(茨城県笠間市大渕金澤532、0296・72・6295)に立ち寄り、汗を流した。入浴料500円。
水戸まで車で行って、「食い処飲処 てんまさ」(茨城県水戸市宮町2-2-31 三友ビルB1、029・224・6460)でのどを潤した。
次、Mさんと茨城県で登る山は男体山。今日のようにはいかない。ほかの山も登って、脚を鍛えなければ。
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