橋元良明著『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書)
橋元良明著『メディアと日本人――変わりゆく日常』(岩波新書、2011年3月18日発行)を読んだ。 インターネットの登場で既存メディアは苦戦を強いられているが、これまでの歴史を振り返り、それぞれメディアのどの部分が支持されたのか、などを検証することはメディアの未来を考える上で必要だ。その意味でとても役に立つ一冊だった。
1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか
「活版印刷という形で世に日刊新聞が送り出されたのは『横浜毎日新聞』(1871年創刊)からである」。
「1872年以降、東京初の日刊紙『東京日日新聞』(現『毎日新聞』)、『郵便報知新聞』(後に『報知新聞』)など現在の大新聞につながる有力紙が次々と創刊される。また、『峡中新聞』(現『山梨日日新聞』)など地方の主要都市でも相次いで新聞が発行されはじめた」「これらの新聞は政治色が強く『政論新聞』と呼ばれ、多くは次々と結成された政党の機関紙化していった。読者は主に旧武士階級や知識人であり、大きな版で組まれていたため『大新聞』と呼ばれた」。
「一方、町人や女性を主な対象にひらがな中心で漢字には振り仮名をつけ、社会的事件や小説を主な内容とした大衆紙も現れ、大きさが大新聞の半分であったことから『小新聞』と呼ばれた。1874年創刊の『読売新聞』、1879円に大阪で創刊された『朝日新聞』などである」。
「1880年代以降、政府は新聞の弾圧を強化する。…そうした中で政党色を脱し、報道を中心として個人的な思想・意見を訴え世論を喚起しようとする新聞が現れた。1882年に福沢諭吉が創刊した『時事新報』、89年に陸 羯南(くが・かつなん)が創刊した『日本』、1890年徳富蘇峰の『国民新聞』、1892年黒岩涙香(くろいわ・るいこう)の『萬朝報(よろずちょうほう)』などである」。
「アメリカやドイツなどの欧米と比べ、日本の新聞の大きな特長に、早くから全国紙が普及したことがある」「全国紙の普及を支えたのは『個別宅配制度』である」「個別宅配は1872年創刊の『東京日日新聞』が1875年に開始した。
「戦後、新聞の販売部数の拡大は順調で1948年に1934万部(朝夕刊)、1956年2349万部、1965年2978万部、1999年5376万部まで伸ばした。新聞は、これまでラジオ(1925年放送開始)、テレビ(1953年放送開始)といった他のマスメディアの登場・普及によっても、発行部数はまったく影響を受けることはなく、むしろ増加していった」。
「しかし、1999年をピークとして発行部数は低下傾向になり、2010年時点では4932万部に落ちた。新聞の発行部数が低下する背景にはインターネットの普及という要因が大きい」。
「世界で最初の商業ラジオ放送は、アメリカ・ペンシルバニア州ピッツバーグで開局したKDKAだといわれている」「アメリカでのラジオ局開局の報が伝わり、日本でも先見の明のある事業家が、放送施設の許可を逓信省に出願した。逓信省も放送局開設認可の準備を進めたが、出願希望者が殺到し、調整に難航した末、政府は非営利化の方針に転じて1924年社団法人東京放送局に設立許可を与えた」「翌年にはさらに大阪放送局、名古屋放送局の設立が認可された。この3局は1925年3月から順次試験放送を開始したが、翌26年には国策として三局が統合され社団法人日本放送協会が発足した」。
「ラジオを聴くには、本放送が開始された1925年から『受信料』を支払う必要があった」「日本はアメリカと異なり、ラジオ放送に公益性を認め、同時に政治性を予感して民営を排除したのである」。
「ラジオ受信機の普及に寄与したのはドラマやスポーツなどの大衆娯楽番組である」
「1950年6月、GHQの指導のもとに電波三法(電波監理委員会設置法、電波法、放送法)が施行され、日本放送協会は社団法人から特殊法人に改組され、また翌1951年には初めての民放として名古屋の『中部日本放送』と大阪の『新日本放送』(現『毎日放送』)が放送を開始した」「戦後10年がラジオの黄金時代であった。やがて1953年にテレビ放送が開始されると、以降、ラジオは急速にその聴取時間を減らしていく」。
「ドラマや落語など多くの番組は、口語体の平易な日常言語であって、リテラシーの程度によらず多くの人が等しく文化的恩恵を享受することができた。ラジオは『娯楽』を日常的に各家庭の中に持ち込んだ最初のメディアである」。
「電話業務の運営に関して、日本では渋沢栄一や大倉喜八郎が提唱する民営論と、工部省が推す官営論とで対立したが、1889年に官営(逓信省による運営)で決着した。官営論の根拠は、民営では国家機密の保持や地方への迅速な普及、全国一律制の維持が困難、というものであった」「欧米の民営主体と対照的であり、結果的に電話の普及が停滞する遠因ともなった」「最初の商業的な電話交換業務は1890年に東京と横浜で開始された」「初期の加入者は、大企業、有力商人、新聞社、有力財界人に限られ、政治家でさえ加入していたのは大隈重信、後藤象二郎など数名にすぎない」。
「実質的に日本人に電話が普及したのは戦後、それも1960年代後半以降である」「世帯普及率が50%を突破したのも1974年であった」
「電話の登場は、直接的会話の機会を減少させるどころか、逆に電話がきっかけとなって直接的交流の機会も増加することが明らかになった」
「電話をめぐっては、1990年代に再び大きな変革期を迎える。携帯電話の普及である」「携帯電話は当初、なかなか普及が進まず、1993年でも、世帯普及率で3.2%に過ぎなかった」「1994年4月には、携帯電話はレンタル製制から端末売り切り制に移行し、これを契機に普及が本格化する」「2000年には、携帯電話とPHSをあわせた普及率が固定電話を追い越した」。
「戦後1950年に日本放送協会が実験放送を再開し、1953年2月1日本放送が開始された」「同年8月には、民放テレビ局として『日本テレビ放送網』(NTV)が初めて放送を開始した」「当初、受像機の売れ行きは遅々としていたが、東京では、テレビ放送に接触した人の数は少なくなかった。というのもNTVの正力松太郎が音頭をとって、日比谷公園や上野公園、巣鴨、浅草、渋谷など人の集まる駅前に街頭テレビを設置したからである」「1959年4月10日の皇太子ご成婚パレードを見るために、契約者数は急増、その年の末には346万件に達し、1961年には世帯普及率が50%を突破した」。
「日本では1984年に東工大、慶応大学、東大のモデム接続を端緒としてJUNETが立ち上げられ、これが日本のインターネットの創始となった」「インターネットは当初、研究者間の通信が中心であったが、商用ネットが1988年にアメリカ(UUNET,CERFnet)で、1993年に日本(IIJ)で開始された」「日本のインターネット利用者は2009年末の時点で9400万人に達している。うちブロードバンド回線の利用率は49%」「従来は、既成の文化装置(出版社や音楽プロダクションなど)の選別を受け流通経路に流され、主張や思想であれば、既存のマスメディア的権威(新聞社や出版社、放送局など)の編集を経て初めて大衆の目にさらされていたものが、それらを通らずに世に送り出されることが可能になった」。
2章 メディアの利用実態はどう変わったか
――1995年~2010年
「東京大学情報学環・橋元研究室では1995年から5年ごとに日本人の情報行動の実態を量的に把握する調査を実施している。本書ではその『日本人の情報行動調査』のデータを中心に、1995年から2010年にかけての主要メディアの利用実態の変化について考察する」。
テレビは「視聴時間の全体平均では1995年から2010年にかけて微減であるが、『テレビ離れ』と言われるほどの減少ではない」「しかし、年齢層別にみれば、50代、60代はあまり変化がないものの、40代以下の層では一貫して減少しており、とくに10代の減少率(1995年183.5分から2010年112.9分へ)が大きい」
「1970年以降、日本人のテレビ視聴の特徴について、NHK放送文化研究所の調査結果なども合わせてみれば、次のことが指摘できる」「まず、70年代以降、個人的のテレビ視聴時間のバラツキ(分散)が一貫して拡大している。つまり、テレビを長時間見る人とあまり見ない人に分化してきた」「第二に、番組ジャンル的にみれば、視聴番組における『娯楽』の比重が低下傾向にあり、テレビが単に娯楽のための媒体から、社会情報を知るための媒体に変化してきた」。
「総花的に様々な情報を送信してくれるテレビは、日本全体の動静のみならず、様々な争点に対する大まかな国民的感情を知る最高のメディアである」「明確な目的を持たずに視聴し、安らぎや癒しを得るという効用、いわば気晴らしのメディアとしての役割」もある。また、「テレビは、他者に自己投影して、いわば『代理体験』を味わえるメディアである」。
「新聞の総売上高は、年ごとの変動はあるものの、総じて2000年から低下傾向にあり、2009年は2000年に比べ21%減少している」「1999年から2009年の10年で広告収入の比率が34.2%から23.9%に低下し、その分、販売収入の比率が52.2%から60.4%へ増加している」「読む時間は30代で1995年の24.5分から2010年の8.9分に、40代は32.2分から14.4分へと激減した」「コストをかけず、同様の情報が得られるのであれば、新聞を取らず、ネットで済ます」という人が増えている。
インターネット利用は「日本人の情報行動調査」によると「2000年には24.4%であったのが2010年には79.4%」と急増している。「年齢層別にみれば、60代が2000年の4.5%から2010年の48.8%へと大幅に増加しているのが目立っている」。
10代のネット利用をみると、「2005年の13.3分から2010年の7.2分へと最も時間を減らしたのはパソコンで『サイトを見る』である」「一方、携帯電話で『サイトを見る』は5.0分から30.8分と大きく増加している」「その割には10代の携帯電話によるインターネットの合計利用時間が2005年から2010年にかけ、さほど大きく増加していないのは・・・『メールを読む・書く』が10分近く減っているからである。…SNSやミニブログの利用(集計上は『サイトを見る/サイトに書き込む』の中に含まれる)で代替しているからと解釈できよう」。
「この10年で、インターネットは娯楽のメディアとしての地位も築き上げた」「『日本人の情報行動調査』では、2000年以降、質問票調査で『趣味・娯楽に関する情報を得るのにどのメディアを最もよく利用しているか』という質問をしている」「2000年と2010年で比べると、テレビが40.0%から29.9%、新聞が10.4%から5.4%、雑誌が33.6%から17.6%、書籍が7.3%から5.7%と、多かれ少なかれ比率を減らしているが、一方、インターネットは2000年に4.4%であったものが、2010年には36.0%になり、第一位に浮上した。とくにテレビと雑誌の減少分がい、インターネットに取って代わられた形である」。
「1990年以降、1週間のうち一度でもラジオ放送を聞いたことのある人の割合(ラジオ週間接触率)」は、「1990年以降では、1995年の49.3%をピークとして2010年の41.1%まで漸減傾向にあるが、激減というほどではない」
ラジオの聴取時間、行為者率は「1995年以降、全体平均で一貫して減少しているが、とくに20代の減少率が大きい。その理由の一つはCDの売上低下と同様、MP3プレーヤーの普及、ネットを通した楽曲の購入、音楽動画視聴(YouTubeなど)により、ラジオの音楽番組が聞かれなくなったためである」「10代はもとよりラジオの聴取時間が少ない世代であるが、2010年には平均で1分を切った。受験勉強をしながら『オールナイトニッポン』や『セイ!ヤング』のような深夜放送を聴くという習慣もほとんど途絶えたようだ」。
「注目されるのは、1995年から2010年にかけ、読書時間、行為者率には全体的にほとんど減少傾向がみられないことである」「伝統的なマスメディアの中で、書籍は現状において比較的インターネットの影響を受けていないメディアだといえる」。
「『日本人の情報行動調査』から雑誌(マンガを除く)の読書時間、行為者率の推移を見ると、全体平均で言えば、時間量は1995年以降、一貫して減少している」「とくに20代の2000年以降、10代の2005年以降の減少率が大きい」「若年層、とくに10代の雑誌離れは、ネットの影響によるところが大きい」「30代の1995年以降の雑誌の低落傾向は、携帯電話の普及で、通勤途上での時間つぶしが雑誌から携帯に移行したことも一つの遠因と考えられる」。
携帯電話は「通話時間、行為者率ともに、60代の増加が顕著である。携帯電話の所有者が増し、メールに不慣れな人が携帯電話で通話していると考えられる」「10代の通話時間、行為者率は大きく減少している。通話は比較的コストが高く、友人らとのコミュニケーションは、メールやミニブログなどによるやりとりの方が簡便で費用もかからないということであろう」。
3章 メディアの「悪影響」を考える
略。
4章 ネット世代のメンタリティー
略。
終章 メディアの未来にむけて
略。
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