ウィキリークスからフェイスブック革命まで 逆パノプティコン社会の到来
ジョン・キム『ウィキリークスからフェイスブック革命まで 逆パノプティコン社会の到来』(ディスカヴァー携書、2011年4月15日発行)を読んだ。
この本の一番最後のフレーズで、キム氏は簡潔に言いたいことをまとめている。
「あのジョージ・オーウェルが小説『1984』において危惧していたのは、『ビッグブラザー』としての政府によって、市民の一挙手一投足が監視される未来社会だった。しかし、ウィキリークスやフェイスブックの登場は、政府活動の陰の部分を含めたあらゆる情報を明らかにし、勇気ある市民が声を結集し、命を懸けた政治行動を起こすための強力な武器を与えた。監視されるのは市民ではなく、政治であるという『逆パノプティコン社会』の到来だ」。
「ウィキリークスが実現する『完全透明化社会』。フェイスブックが実現する『ゲリラ的な市民運動』。もはや誰もこの流れをとめることはできない」。
以上。レビュー終わり(笑)。
「パノプティコン(Panopticon)」というのは「全展望監視システム」と訳されているらしい。監獄の真ん中に看守塔が立ち、看守塔を囲むかたちで円形の独房があり、そこに囚人を収監するというシステムだ。
「パノプティコン社会」は政府が看守塔から市民を監視する社会だが、「逆パノプティコン社会」は政府が裸にされて市民に監視される社会だ。
政府を裸にするのがウィキリークスであり、ウィキリークスが暴露した政府の情報を、マスメディアが政府に統制されているような国においても、マスメディアに代わって市民の間に広めたのがフェイスブックだ。
ウィキリークスについて詳細に分析したものはこれまで読んだことがなく、とても面白かった。
そして、チュニジアのジャスミン革命やエジプトのフェイスブック革命で果たしたウィキリークスやフェイスブックの役割もよく理解できた。情報革命が政治上の革命に果たした役割を的確に分析している。
「ウィキリークスとは何か?」
「ひとことで言えば、匿名で寄せられた政府や企業等の機密情報をインターネット上で公開する一種の機密暴露サイトだ」「①高度な暗号技術を使うことによって告発者の匿名性を徹底的に保護しつつ、②持ち込まれた情報を精査し、③サイト上で掲載する役割―を果たしている」「ウィキリークスは2006年12月、オーストラリア出身の元ハッカー、ジュリアン・アサンジュの発案によって創設された」
「ウィキリークスは、なんのために機密を暴露するのか?」
「情報の完全透明化を通じて社会における不正を暴くことで、社会をより正義あるものにする、ということだ」「ウィキリークスは、このミッション達成のため、政府、企業、宗教団体、学術機関などの不正な活動の情報を知る内部の人に内部告発を促し、そこで得た機密情報とされるものを世の中に公開・暴露する活動をしてきた」。
「本格的にメディアによって報道され、一般に認知されるようになったのは最近のことだ。きっかけは2010年4月の『Collateral Murder(巻き添え殺人)』と名づけられた動画のユーチューブ等への投稿」「それまでのウィキリークスは、情報提供者から受けた情報機密を最低限の精査はするものの、基本的にはオンライン百科辞書であるウィキペディアのように自由に投稿・配信し、編集ができる、いわば機密情報のプラットフォームだった」「このビデオについては、公開の前に裏づけの取材のためにイラクの現地に記者を派遣したり、またアイスランドに集まって何日もかけてビデオを編集し、伝えようとするメッセージをしっかり組み込んでいったりした」「まさに、ウィキリークスがメディアになった瞬間である」。
「ウィキリークスが他のリークサイトと大きく異なる点のひとつは、アサンジュが時間をかけて構築した既存の大手報道機関との信頼関係だ」「ウィキリークスと大手メディアの連携は2010年6月に遡る。きっかけは、英国ガーディアン紙調査報道担当の特約記者ニック・デービス氏の提案だったと言われている」「結果的に、米国ニューヨークタイムズ紙とドイツの週刊誌であるシュピーゲル誌を加えた報道機関3社がウィキリークスと組むことになった」「2010年10月のイラク戦争機密文書の公開から仏ル・モンド紙が、11月末からの米国外交公電公開からスペインのエル・パイス紙が、この連携に加わっている」。
「ウィキリークスによって、ジャーナリズムの何が変化するかと言えば、情報が集められ、公開され、消費されるその方法だろう」「これだけ膨大な情報が収集・配信・消費されると、既存のジャーナリズム的なアプローチは、不要になるというより、むしろ、いっそう求められるようになるはずだ」「確かに、最初にリーク情報を手に入れる主体としてのマスメディアの相対的な重要性は減少していくだろう。しかし一方で、そうした情報を分析、検証、説明する能力を有するマスメディアの価値はさらに高まるように思われる」。
本書は最後の章で「フェイスブック革命」についても触れる。
「チュニジアでは、2011年1月15日に24年続いたベン・アリ長期独裁政権がフェイスブックを巧みに活用した市民運動によって崩壊した」「じつは、チュニジアのベン・アリ政権は、政権維持におけるネットの怖さを早い段階で十分に理解していた。そこで既存のメディアに対する検閲・統制に加え、ブロガーやウェブサイト運営者に対する検閲も強化していた。ところが、そうしたなかでも、ウェイスブックは無視していた。それが政権にとって致命傷となり、政権崩壊につながった」「フェイスブックは、毎日の政治決起デモに関する資料やブログ記事、宣伝やビデオ情報、そして、抗議デモの軌跡をリアルタイムに伝え、記録し、アップデートしていくメディアとして、広く伝播・共有されていくことになった」
「既存メディアに対する信頼が低ければ低いほど、ソーシャルメディアやネットジャーナリズムに対する期待と信頼は高まり、既存メディアに対する政府検閲が強ければ強いほど、政治運動の火つけ役としてのソーシャルメディアの役割も大きくなると言っていいだろう」
「近隣に位置するエジプトでも、世界でもっとも長い独裁政権のひとつだったムバラク政権が、同様の市民運動によって崩壊した」。
「エジプトでは、2004年にいわゆる『キファヤ運動』というのが起こり、それまで分裂していた反ムバラク勢力が結集した」「このキファヤ運動がそれまでの反政府運動と異なっていたのは、インターネットの可能性を活用したという点だ。具体的には、デモやストライキを組織化するため、多くのブログサイトを立ち上げた」「2004年末、キファヤ運動がはじめて行われたときには、ほんのひと握りのブロガーがデモに参加し、ブログに書いただけだったが、1年足らずでそれは数百にのぼり、今や数千にもなっている。そして、こうした多くのブロガーが、2011年1月25日以降の反政府デモ活動において重要な役割を果たすことになる」
「2008年に入ると、もうひとつの強力なメディアが登場、合流することになる」。フェイスブックだ。フェイスブックでの女性活動家の呼びかけが、繊維工場の労働者によるストライキを、全国的な抗議デモへ発展させる。
「フェイスブックなどのソーシャルメディアが主導する革命には、リーダーはいらない。それが、政権に批判的な、出自の異なる多くの人や組織を結集させることができた理由である」。
「一方、革命成功以降の政権や統治体制の再構築において、フェイスブックがどういう役割を果たせるのか、貢献できるのかということについては、今のところ未知数だ」。
とても読みごたえのある一冊だった。
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