白波瀬佐和子著『生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて』(岩波新書)
白波瀬佐和子著『生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて』(岩波新書、2010年5月20日発行)を読んだ。
近年になって顕著になっている貧困や格差などの不平等。これを子ども、若者、高齢者といったライフステージごとに捉え、分析している。男性が稼ぎ、女性が家を守ると言った旧来の役割分担は成り立ちにくくなっているのに共働きを支援する社会的仕組みが整っていないなど、社会の変化に国民の意識や制度がついていっていないのが不平等を生む原因のようだ。著者は、世代間、あるいは世代内の新しい連携に活路を求めている。
第一章 子どもたちの不平等
「いま、子どもの貧困に焦点があたっています」。
「少ない子にあり余る愛情とお金、そして時間をかける親たちがいるかと思うと、朝ごはんもろくに食べないで学校にやってくる子がいますし、夜もカップラーメンをすすりながら親の帰りを待つ子がいます」。
「たまたま恵まれない親の元に生まれたからといって、その運命を一生背負い続けていかなければならないのは不条理です」。
「これまで子どもはあくまで家族や親の傘の下で議論されてきました」「子どもとしての権利を親とは独立して保障することに、国は正面から取り組んでこなかったといってよいと思います」。
「スタートラインの違いを少しでも小さくすること、またスタートラインの違いをその後の人生にできるだけひきずらせないこと、これらは社会制度の中でわれわれが対応できることであり、また対応すべきことです」。
「世の中の子どもは、どのような親元にうまれようが『ひととなり』を保障されなければならないのです」。
「愛情とは、親だけが注ぐものではなく、われわれ社会の構成員からも注ぐことができます」「特定の親子関係を絶対のものとせず、子どもの存在を相対化し、共有することが必要となってきます」
「しかしながら、都市化が進み、核家族をベースとする社会では、親子関係がより個性的となり、わが子と他人の子の境界は高まりました」。
「自分とつながりをもつのはわが子だけではありません。事実、年をとって社会保障という社会制度から恩恵を受ける場合、自分の生活を支えてくれるのはわが子のみならず、その他多くの他人の子なのですから」。
「異なる世代が共存することで、想像する以上に多くの恩恵にあずかっています。わが子だけでない子どもたちから恩恵を被っていますし、子どもをもたない者もこどもたちから支えられることになるのです」。
「人としての権利の一つとして学ぶ権利が保障され、自らの希望に沿ってチャレンジする機会が保障されなくてはなりません」。
「自然資源に欠ける日本において、人は唯一の貴重な資源です。そこにお金をかけないでどこにお金をかけるのでしょう。この世に生を享けて、子どもたちが自分なりに大きくなっていく。それを親だけでなくわれわれ大人が一緒に見守り育てていく。そこにこそ、超少子高齢社会の未来があるのです」。
親の経済力にかかわらず、子どもの権利として生活が保障される。この体制を確立することは、のちのち、社会の大きな「溜め」となっていきます。
◇ ◇ ◇
親の貧しさによって十分な教育が受けられない子どもがいるどころか、そんな思いを子どもにさせたくないと大人が思うことから、子どもを産むことを避ける親が増えている。子どもの不平等の解消は少子化解消につながり、それが高齢者たちを支えることになるのだ。子ども全体に愛情を注ぐ、広い視野、イマジネーションが必要になっているのだろう。
第二章 若者たちの格差
「労働市場は一様ではなく、年齢やジェンダーによって分断されています。景気が悪くなったとしてもその影響をどれくらい早く、どの程度受けるのかは、すべての者が同じというわけではありません。男女によっても、また世代によっても、マクロ的な経済状況の影響は異なってくるのです」。
「女性の賃金が低いのは、男性と同様の学歴を獲得していないからではなく、男性とは異なる賃金決定構造や昇進構造があるからです」。
「1973年から82年生まれの人たちは、ロストジェネレーションといわれるように、就職氷河期に何とか就職したとしても仕事は期限付きで将来の見通しが立ちにくく、たとえ正規の仕事につけても過剰労働を強いられ、心身ともに疲れはててしまうものも少なくありません」。
「女性は失業率そのものは比較的安定していますが、非正規雇用率は上昇し続けています。平成不況以降、少し経済が回復しても非正規雇用率はそれほど低くならず、女性への正規雇用創出は男性ほどではなかったことがうかがえます」「なによりも、10代後半から20代前半にかけての女性の過半数が非正規雇用者である事実は見逃すことができません」。
「90年代半ばまで正規雇用者が多数派であった若年層において近年、非正規雇用割合が顕著に高くなっていますので、最近の雇用の不安定化は若年層に集中して現れていることが確認できます」。
「現在、非正規就労にある若者が増えているわけですが、そこでの最も深刻な問題は、キャリアのはじめの不安定な雇用が長期化し、その後のキャリア形成に障害となり、さらなる格差拡大へと発展しうることなのです」。
「晩婚化、未婚化の背景には、若者が結婚を望まないのではなく、結婚に踏み切れない、結婚できないという状況があります」。
「男性は、あくまで家計の稼得者としての役割にこだわり、女性は結婚に伴い仕事を続けることができないといった機会費用の損失という観点から結婚を見定めています」「ジェンダーによって硬直的に設定された役割分業体制に、若者自身拘束されています」「ここで大切なことは、規範の上でもまた諸制度の上でも稼者者一人モデルから脱却することだと思います」「二人で稼いで家計を支えていく共働き世帯モデルへの転換を考えていくべきです」。
「若年については、特に、やり直しを許容することが大切だと思います」「迷うこと、少しぐらいしくじることに対してできるだけ寛容な社会を構築することが大切だと思います」。
「これまで日本は企業に生活保障の機能を負わせてきました。そこでは企業が長期的慣行の上にたって、労働者への投資計画を中長期的に設定することができた環境がありました。しかしそれが崩れたいま、これまでどおり企業だけに人を育てる機能をゆだねるわけにはいかなくなってきたのではないでしょうか」。
「賃金が個人の人生設計に対応して上昇するという仕組みのもとでは、たとえ若いときの賃金が低く抑えられても、あとで取り戻せるという見通しがあったために納得できたところがあります。しかし、それがいま、長期的な雇用保障を提供しえない雇用情勢のもとでは、若年だからと賃金を不当に低く抑える理由づけがなくなりました」。
「いま、自己責任論が強調され、自分の生き方を自ら選択することを促されています。ここでの問題は、本人の意志を強調する一方で、制度自体は相変わらず硬直的なことです。自己責任論の背景にある『自由な選択』という信奉と、人々の選択を実際に左右する諸制度の間に少なからず齟齬があるのです」。
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不安定な若年層の雇用。それにもかかわらずジェンダーによる役割分担意識が重くのしかかり、若い男性は結婚に踏み切れない。少子化が広がる。若年層に対して理不尽な処遇をせざるを得ない社会が、さらなる社会のゆがみを生む。「いまの若い者は」などとは言っていられない現状があり、社会全体で、若年層の雇用の不平等を解消していく必要がありそうだ。
第三章 女の働き方・男の働き方
「『女であること』『男であること』はわれわれが考えている以上に個人の生き方や行動を拘束しているのです」。
「アメリカやイギリス、スウェーデンといった欧米諸国において女性の働き方が男性と似通ってきたのに対し、日本は依然として女性の就労参加が男性よりも大きく異なっているのが特徴的です」「理由として考えられるのは大きく三つあります。第一に、労働市場自体が男女で大きく分断されていること、第二に、女性に対して昇進機会が均等に提供されておらず働き続ける意欲を低下させていること、そして第三に、就労と家庭をつなぐための社会的支援が不十分であること、です」。
「現在も多数の日本女性の働き方はM字型で代表されるように断続的です。それを問題視する動きは、労働市場における男女平等という観点からよりも、少子化あるいは人口減少社会に伴う労働不足という観点からの憂慮がきっかけになっています」。
「少子化に歯止めがかからない現実を踏まえて、政府は2006年6月、『新たな少子化対策について』を少子化対策会議において決定し、(1)社会全体の意識改革と(2)子どもと家庭を大切にする観点からの施策の充実、の2点を重点項目として上げました」「本対策の問題点は大きく二つあります。一つは、2006年の少子化対策において『子ども』と『家庭』を前面に押し出すことで、少子化問題の当事者を子どもと家庭に限定してしまった点にあります。少子化に伴う世代のアンバランス(若年世代の縮小と高齢層の拡大)は、子どもと家族の問題としてのみとらえることはできません。さらには、子どもを持たない者にとっても、少子化問題を他人ごとにさせないような制度設計が必要になるのです」「もう一つの問題は、『望ましい家族』『子育ての喜び』『大切な家族』といった個人の判断にゆだねるべき価値観を政策の文言として安易に投入し、対策としての目標と個々人の評価の問題が混同されていることにあります」「さらには本対策において意識改革が強調されている点にも問題があります。…政策対象としてまず着目すべきところは人びとの意識ではなく、その背景、あるいはその基層にある諸制度であり、構造でなくてはならないのです」。
「働かない選択が社会的に容認されていないのが男性で、働く選択が他者との関係で条件づけられているのが女性です。この関係は非対称で、どちらにとっても不条理といえます」。
「ジェンダーフリーとは、性差をなくすということではまったくありませんし、『女らしさ』『男らしさ』を一方的に否定するものでもありません。ジェンダーフリーがめざすのは、男であること、あるいは女であることだけで、さまざまな選択や待遇を制限するのをやめよう、ということです」。
「ここで提案したいのは、女性の労働を考える際に、家庭、子どもとの関係を一度きりはなして考えてみたらどうかということです。男性も女性も、働く機会、働く選択が平等に提供され、働く上に困難が伴えばそのリスクを社会で支えていく。これが女性就労参加を社会で支援する体制の基礎となるのです」。
◇ ◇ ◇
男女の労働条件などの大きな違いが矛盾を生んでいる。この本は「不平等」を論じているが、特に、少子高齢化の背景にある不平等を明らかにする狙いがあることが、この章を読み終わって分かった。大きな人口変動を伴うほどの不平等は解消せねばなるまい。
第四章 高齢者たちの格差
「高齢期とは、経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、不平等がより顕著に現れる時期ともいえます」。
「2000年以降高齢者の所得格差は縮小しています。その理由として年金制度をはじめとする社会保障制度の充実があげられます。そのことで、誰と暮らしているかが以前ほど高齢者の経済的福利厚生度を大きく左右しなくなりました」。
「それでも、高齢層の所得格差は他の年齢層に比べて大きく、特に高齢女性の一人暮らし世帯の貧困率は依然として高いのが現状です。これまでどのような仕事につき、どのような家族を形成しているのか、高齢者になったとき、どの程度の資力を蓄えて、どの程度良好な人間関係(家族関係を含む)をもっているのか。これらが、高齢者の生活の質を大きく左右します」。
「高齢期になると、仕事をしない者が増えてきますので、彼らは稼働収入ではなく年金をはじめとする非稼働収入によって生計を立てることになります。そこでは、稼働収入の中での格差のみならず、稼働収入と非稼働収入との間の格差、大雑把にいうなれば、賃金と年金収入の格差が反映されてきます」。
「日本の介護保険では家族への介護手当が原則支払われないことになったわけですが、家族だから介護すべしという規範からの解放をめざすのであれば、介護自体をサービスであり労働ととらえて、報酬体系を検討することが急務です」「介護を提供することに対して、介護者と要介護者との続き柄はどうであれ公平に報酬が支払われること、これが介護の社会化ではないでしょうか」。
「高齢層の規模が拡大する一方で、高齢層の中身もイメージも一様でなくなり、高齢化に対する共通理解をもつこと自体も難しくなってきました。そこには、個々ばらばらのイメージで拡散した高齢化のリアリティが、高齢化対策という社会制度を考える上の理念作りを困難にしているともいえます」「他者としての高齢者を社会で支える合意をどう構築していくかが、本格的な高齢社会を持続可能に発展させうるための一つの鍵となっていくと思います」。
「少子高齢社会の中で、いまもっとも必要とされているのは、社会的連帯です。もっとわかりやすくいうと、『お互いさま』の社会の形成です」「さまざまな将来のリスクをみなで分散して助け合うことは、みなが考えている以上の利益があります」。
「ここで問題になってくるのは、支える側の現役層の経済状況が相対的に悪化する一方で、支えられる高齢者の経済状況が多様であることです。つまり、現役層が支え、高齢引退層が支えられるというような単純な世代間関係をもって高齢社会をとらえること自体が難しくなってきたということです」「そこで一つ考えられるのは、世代間だけでなく世代内の再分配政策を構築することです」。
◇ ◇ ◇
高齢者=支えられる者という見方とは違った視点が新しかった。現在の高齢者にかかわる諸制度もまだまだ見直す余地がありそうだ。
終章 お互いさまの社会に向けて
「貧困リスクをだれもがもち、決して他人ごとではないことを理解するためには何が必要なのでしょうか。それは、敏感な他者感覚にほかなりません」「当事者であっても、そうでなくても、その問題を生んだのは、われわれが構成員である社会であり、問題に対する責任をわれわれすべてが負っているのです」「他者感覚を磨くことは、社会的想像力(ソーシャル・イマジネーション)をたくましくすることに他なりません」「実際に当事者になりえない状況で、自分でない『当事者』を思いやり、共に社会の構成員として社会の諸問題を共有する意味はきわめて大きいのです」。
「日本社会は、『すぐには見えないもの』『見えにくいもの』に対してきわめて鈍感だと思います」。
「他者を想像する範囲もグローバルなものが求められています」。
「いまの日本社会を特徴づける局面として、家族のあり方や人びとの生き方の変化があります。そして、その変化に制度が十分追いついていかないがゆえに、セイフティーネットからこぼれおちる人びとが増えています」。
「家族がいるかいないかで、生活の質は大きく異なります。これは、日本型福祉社会とされた日本の生活保障制度が家族を基盤に形成されてきたことの結果ともいえます。しかし、家族のあり方や人びとの生き方が変わるいま、家族がないからといって大きく生活の質が低下することのないような社会力をつけなければなりません」「共に生き、生活する場としてのコミュニティ作り、『お互いさま』の関係をこれまでの家族を超えたところで意識的に形成していかなくてはなりません」。
「自分の安全を自分だけで、あるいは家族だけで守るとするなら、何億もの財産をもって家のまわりに壁をめぐらすほかなくなるかもしれません」「自分が生きるうえの社会的リスクを、ただ一人だけ、あるいは一家族だけで小さくしようにも限界があります」。
この本は昨年5月の発行だが、震災後の助け合い精神や自分の足元を見直そうと言う風潮を先取りしており、その提言は机上の空論とは思えない。
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