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堺屋太一著『凄い時代 勝負は二〇一一年』(講談社)

Sakaiya
凄い時代 勝負は二〇一一年

 堺屋太一著『凄い時代 勝負は二〇一一年』(講談社)を読んだ。
 この本の発行は2009年9月1日。自民党政権から民主党政権への政権交代の直前だ。

 政権交代後も政治の混迷は変わらず、経済も低迷したままだ。
 しかし、東日本大震災と福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故が発生して、被災地の復興やエネルギー問題には関心が集まるものの、政権交代の背景にあった日本の政治・経済・社会のさまざまな病巣については忘れ去られている気がする。

 少し時間を戻して、日本の何が問題で、日本は中長期的に、どう進めばいいのかを考えるために、この本を手に取った。
 
 堺屋氏は言う。「今、日本には危険な傾向が充満している」「その一つは、世界を襲った金融危機と大不況を、世界経済のグローバル化と経済構造の自由化のせいにする主張が広まっていることだ」「だが、実際はまったく逆…日本の失敗は改革の不徹底、グローバル化の立ち遅れにある」「この国の問題は、製造業を中心とした物財の面だけを自由化。規制緩和しながら、21世紀の成長分野である医療・介護・育児・都市運営・農業などを完全な統制体制のままにしてきた『偽りの改革』にある」

 「2009年の夏、日本経済は小康状態にある。だが、それは、財政赤字と公的資金供給に支えられた『集中治療室での小康』に過ぎない。遠からず生命維持のカテーテルを外さねばならない。それまでに日本経済が自らの気力と体力で生きる状況を作る必要がある」
 「もし日本が思い切った改革を行うことなく、官僚主導の体制を保ち、終身雇用の雇用慣行を続けていれば確実に衰退し、世界経済の主要なプレーヤーではなくなるだろう」
 「日本が将来も自由と繁栄を保ち、世界の主要なプレーヤーであり続けるためには、世界経済のグローバル化と国際社会の非軍事化を叫び続けねばならない。そのためにはまず、自らが自由主義経済の体質になり、競争原理を貫く体制を築く必要がある」

 こうした堺屋氏の主張を理解するためには、世界がどこで失敗したのかを分析する必要がある。
 「その第一は、過剰な金融取引や商品投機、そして誤った経済哲学と経済理論のせいである」
 
 「世界の金融は、82年からイギリスのサッチャー政権が行った金融自由化からはじまった。それが86年には『ビッグ・バン』と呼ばれるほどの巨大現象に」発展する。時を移さずアメリカでも金融の自由化が進み、株式等の取引手数料も自由化された。このため手数料は極端に低下し、手数料収入では喰っていけなくなった証券会社は、短期の低利資金を集めて高利の長期投資に回す投資銀行と化した」
 「金融市場は実に単純、それを動かす動機はただ二つ、『強欲と臆病』である。…強欲は少ない資金でより多くの利益を得るための梃(レバレッジ)を生み、臆病は元利の安全を求めて保証取引を作った」「90年代、様々な金融技術が考え出され、『金融工学』なる言葉もできた。だが、それらは所詮、二つの矛盾した目的を言葉巧みに繋ぎ合わせただけで、何一つ新しい価値を生み出していはいない」「90年代に拡大したデリバティブとは、結局は危険付き利益のキャッチ・ボールだ」「サブプライム・ローンの破綻に発した金融危機が、全世界にまたたく間に広がったのには、21世紀の国際金融の脆弱にして巨大な広がりがあった」。

 「第二は、70年代以来のペーパーマネー体制に行き詰まりである」

 「71年、アメリカは金とドル交換を停止、世界は完全なペーパーマネー体制に入った。80年代に入ると、ロナルド・レーガン大統領がこの体制を利用、財政と国際収支の双子の赤字を拡大しながら、世界経済の振興を図るという大胆で斬新な政策を実行しだした」「その間にもドルは垂れ流されて世界に溢れた。それでもドルが、国際基軸通貨としての価値と地位を保ったのは、ドルを借りて金利を支払う借り手がいたからである」「金融では、短期の運転資金が最も安全、長期の設備資金はそれよりもリスクが高い。最も危険なのは長期の消費者金融である
」「80年代からのアメリカの借り手創りも、この順に広まる。ジャンク・ボンドは運転資金、アジア投資やITブームは設備資金、そして21世紀になって急増したサブプライム・ローンは最も危険性の高い低所得消費者への長期融資である」「サブプライム・ローンはペーパーマネー体制を支える究極の借り手だった。それが崩壊したことは、ただの債務者破綻ではなく、ペーパーマネー体制そのものに対する絶望にも繋がる大事件である」

 「第三の、最も根本的な原因は知価社会化したアメリカやイギリスと、近代工業社会を完成させた日本や中国、アジア諸国との発展段階の格差である」

 「近代工業社会は『物財の豊かなことが人間の幸せ』と信じる社会である」「『まず教育を受けて所得の高い職場に入り、貯蓄して金利を得ながら物財を消費する』のを『健全な生き方』と考えた」「ところが、1980年代に入るとアメリカやイギリスでは『人間の幸せは満足の大きいこと』と考える発想が広まった。すべてを一変する知価革命のはじまりである」「ここでは、所得の高い大量生産の製造業よりも自己実現や対人接触の多い職場が好まれるようになった。満足の大きさを求める人々は、『欲しい時に買い、後で支払う』のが『利巧な生き方』と考える。このため、家計の負債が急増し、需要過剰経済が出現した。貿易赤字を必然とする構造である」「一方、日本や東アジアの国々、そして90年代からは中国が、急速に工業化して『物財の豊かさこそ人間の幸せ』と信じる近代工業社会を完成した。ここでは、人々は好んで大量生産の製造業で働き、貯蓄をしてから少しずつ費う人生を送った。生産過剰と貿易黒字を生み出す構造である」

 日本も1990年代に入り、大きく変わった。
 「1980年代に最適工業社会を築いた日本にも、やがて陰りがきた。90年代に入ると、はるかに安価で大量の労働力を持つアジア諸国、続いて中国が工業化したからである」「80年代から外国資本を導入して、外国(特に日本)の技術でコンピューター制御の最新装置を整え、外国(アメリカ)の市場向けの規格工業品を大量生産する『水際製造業』がアジア諸国で発展した」「80年代、日本には『産地』と呼ばれる地域が300ほどあった。…ところが、90年代後半からは、アジアの廉価品が輸入されるようになると、産地産業は次々と倒産閉業、その数は激減した」「産地中小企業の製品は、産地問屋―都市商社―卸売問屋の経路を経て全国の地域商店街に流されていた。…それに対して、アジア諸国から輸入される廉価品は東京の大手商社から、スーパーマーケットや量販チェーンに流される。生産ばかりか流通でも地方は外されてしまった」

 「1990年代の日本の変化で、もう一つ見逃せないのは人口の高齢化である」
 「19世紀から20世紀前半まで、工業化した先進国の人口増加率は、発展途上国を上回っていた。農業や零細工場の多くで働く『立業』が多かった時代には、子供を多く作る方が生涯に得る物財を増す、と信じられていたからだ」「ところが、20世紀も後半に入ると、規格大量生産が一般化、家族の中で所得を得るのは通勤する者だけになり、少年が働いて家計を援ける場面はなくなってしまった。そうであれば子供が少ない方が一人当たりの物財は多い。産児制限が始まったのも当然だろう」
 「終戦直後の47年から49年には巨大な人口の塊、『団塊の世代』が発生する」「その後は出生数が徐々に低下、規格大量生産体制が整った70年代中頃からは合計特殊出生率(一人の女性が生涯に生む子供の数)が2.0を割り、人口を長期的に維持するのに必要な出生率(静止粗生産率)を下回るようになった」「少子・高齢化が問題視されだしたのはそれから20年後の95年、合計特殊出生率が1.42に落ち込んだからである。その頃、団塊御世代が40代を迎えており、終身雇用の終わり(定年)を意識するようになっていた。企業では急増する中高年社員を、職階の上でも給与の点でもどうするかが問題になりだした。やがて来る大量退職者の退職金負担も憂鬱な問題だった。膨大な過剰設備と不良債権を抱えて成長が止まった状況では、子会社や関連会社を増やすこともできない。終身雇用・年功賃金の戦後日本的経営は、完全に行き詰まった」
 「また、この頃から高校・大学を卒業して社会に出る新規労働力も急減する。70年代前半に生まれた団塊の世代の子供たち『団塊ジュニア』の就業が終わったからだ。このことは政府の年金会計も脅かした」

 「冷戦構造の消滅によって経済のグローバル化が進むと、ドル資金は東アジアに流れ込んだ。各国の金融機関はアメリカからドル資金を引き、それを自国企業に貸与して工業設備を設けさせた。これによって、90年代の中頃の数年間、世界は好況に恵まれ、アジアの工業化は大いに進んだ。しかし、97年に入ると生産過剰が現れ、アジア投資にも危険が感じられた」「アメリカから流入していた投機(短期)資金が引き揚げ出したため、資金不足になった地元の金融機関は企業への貸し出しを絞って資金を回収、それを売ってドルを返した。このため各国通貨は大暴落、各国企業は資金不足で『金詰まり症状』に陥った」「タイ、インドネシア、マレーシア、そして韓国の経済は麻痺状態になり、その余波は日本にも広まった。日本の輸出は減少、投資資産の価値は激減した。それが、バルブ崩壊以来の不良債権を抱え込んだままの金融機関を破綻させる『最後のひと押し』となった」「97年秋、山一證券や北海道拓殖銀行が経営破綻、他の多くの金融機関も資金不足に陥り、貸し渋り貸しはがしをはじめた。日本国内にも金融危機が広まり、多くの企業が資金繰りに窮するようになった」「この時点では、政府官僚も経営者も、金融機関の当事者でさえ、金融危機の実態を十分には理解していなかった。…このため、対策は遅れ、傷は深まり、98年に入る頃には日本経済が大混乱に陥った」「結局日本は、89年のバブル景気の頂点から98年までの10年、何の改革もしなかった。私が『失われた10年』と名付けた現象である」


 世界経済の動きと日本の対応をレビューした後、堺屋氏はこう結論付ける。
 「今日の最大の問題は、世界経済の体質と構造の変化に、人類の知識と制度がついていっていないことだ。つまり、改革の行き過ぎではなくて、改革の遅れなのである」。

 では、どんな体質と構造の変化があったのだろうか。
 「冷戦構造の消滅とドルの流動でグローバル化が進んだ結果、巨大な企業は国境を越えて工程別に立地を選ぶようになったのだ」「中国やアジア諸国などの新興工業国に多く立地したのは、最も資本集約的な中工程」、つまり部品製造や製品組み立て工程である。…中国などには膨大な投資資金が流入、コンピューター制御化された生産設備が立ち並んだ」「これに対して日本や欧米に残るのは、熟練工の『匠の技』に頼る古い工場である」

 「水平分業から工程分業への変化は、先進国の社会をも激変させた。ここで企業や都市の盛衰を決めるのは、ビジネス・モデルが技術開発、マーケティングの中核となるごく少数の人々である」「今や先進地域の都市間競争は中核100人の争奪戦となっている」

 「ビジネス・モデルを創ったり、製品のデザインをしたり、金融や法務やマーケティングに携わる人々にとって、生産手段とは何だろうか。多くの場合、物財は情報網につながったパソコンぐらいで済む。本当の生産手段は、本人の知識と経験と感性である」「知価創造に携わる人々は、何よりも自分の好きなところに居住し、好きなところで働き、好きな状況で知的刺戟を受けて生産手段たる知識と経験と感性を補充する」

 失われた10年の後、日本はどうすればよかったのだろうか。
 「この段階で日本経済の体質改善と構造改革を進めるのには、三つのことが考えられた」「第一はIT産業、とりわけ情報コンテンツ産業の充実である」「第二は都市構造の改造。職場(生産手段)と住宅(労働力再生場所)を分離する近代工業社会の都市から、職業も住宅も公共機関や教育・医療機関も混在する知価社会的集約型にすることだ」「第三は高齢化に対応した年齢感・人生観の変更である。…つまり『70歳まで働くことを選べる社会』の構築である」。このうち実現できたのは、「当時開発途上にあったIT産業の振興とその利用技術の普及」くらいで、そのほかは改革が遅れた。

 その後の小泉内閣の改革についても、堺屋氏は厳しく見ている。
 「日本の景気も02年2月から07年10月まで69カ月にわたって好況を続ける」が堺屋氏は「私はこれを呼ぶとすれば『浦島景気』だと思う」と言う。「浦島太郎は助けた亀に連れられて竜宮城に行って快楽の日々を過ごすのだが、この時期の好景気も外国に連れられた繁栄だった。製造業は専ら輸出で利益を上げ、流通業はアジアの低価格品の輸入販売で成長した」「08年の金融危機で『玉手箱』が開かれた途端に、日本の経済社会は老化を露呈、猛烈な不況に陥ったのである」

 堺屋氏は「今、日本が直面している事態は、『明治維新』的改革を必要としている。近代工業社会から知価社会への跳躍である」として次の五つを提案する。

 「その第一は、武士身分の廃止、つまり公務員制度の改革である」「公務員を新卒採用の時点で生涯を保証する『身分』から、能力と意欲によって適任者を選ぶ『職業』に換えることは、この国の改革の出発点としてきわめて重要である」
 「第二は、明治4年(1871年)の『廃藩置県』、国家統治の組織構造を変えたことだ」「これに匹敵する変革を今日でいえば、地方分権の推進、その究極としての『地域主権型道州制』への移行だろう」
 「第三は、同じ年に発布された新貨条例」「今日でいえば、金融財政思想の転換による税財政の抜本的改革である」
 「第四は、教育改革だ」「今日もまた教育の大改革は絶対に必要である。教育の目的、つまり育てるべき人材の質が変わったからである」
 「第五は、国際化」「日本が今、直面するのも新たな開国、そのため外国を恐れない自信と武力に頼らないソフトパワーの育成が必要である」
 「今日の日本が世界に誇れる力を持つとすれば、この国で世界に先駆けて進んでいる現象、つまり高齢化を活用することだ。高齢者が誇りと楽しみを持って生きられる『好老文化』の形成こそは、日本を次の時代にも世界の主要プレーヤーとする確実なパワーとなるだろう」
 
 堺屋氏は「日本には二つのチャンスがある」と言う。
 「一つは不況そのもの。諸外国を上回る落ち込みである」「平成に入って20年余、経済の成長が鈍化したにも拘わらず、日本のヒトは終身雇用で囲い込まれ、モノは不完全競争で割高、土地は東京一極集中で利用可能性が少ない。長期不況にも拘わらず、この国に新たな産業が育たず、新規の起業が少ない所以である」「モノが下がりヒトが余り土地が空く今こそ、新しい起業の好機、新産業の成長のチャンスである」

 「もう一つの成長のチャンス、それは高齢化である」「高齢化には二つの側面がある。一つは高齢労働力の増加、もう一つは高齢市場の急増だ」
 「高齢労働力とは、終身雇用や年功賃金から外れた自由な労働力であり、子育て負担や住宅ローンからも解放された気楽な働き手である。その上、多くは年金受給者でさえある。…これを巧みに利用すれば、安価で優秀な労働力となり得る」「日本の高齢者は世界一健康年齢が長く、勤労意欲も強い。新しい社会状況に応じた年齢感の見直しができれば、有能有志の労働力となるはずである」
 「こうした人材を使いこなすためには、それを対象とした対人技術(ヒューマン・ウェア)が必要である。終身雇用制度による職場帰属意識に頼ってきた日本の企業には、帰属意識の乏しい人々を扱う対人技術が乏しい。これからの成長には、高齢者活用の対人技術の開発が急がれる。また、高齢者が働きやすい職場の造りやオフィス機器の開発も大切だろう」
 
 「高齢者の増加は消費市場としての高齢者マーケットを拡大する。世界で最も早く高齢化する日本は、最も早く高齢化市場の広がる実験場でもある」
 「近代工業社会は、物財供給の拡大を正義とした。そのために技術の進歩と行動の迅速を尊んだ。そこでは過去の経験よりも新しい習得を大切に考え。慎重な配慮よりも肉体的敏捷さが喜ばれた。『好若嫌老』は物財の豊かさを幸せと考えた近代文明の特色である」
 「満足の大きさを幸せと信じる知価社会では、この評価も変わるだろう」「満足は主観的で社会的で可変的だ」「高齢者の満足は高齢者にこそ分かる」
 「これからの少子高齢社会では、高齢者市場は巨大化する。特に高齢者の8割を占める健常な高齢者の需要は爆発的に拡大するだろう」
 「もっともそれは簡単なことではない。高齢者の心理と本音は道の分野である」「高齢者心理学はまだ未開発分野だ。高齢者の体力や身体機能についても未知が多い。多様で用心深い高齢者の好みを探り当てるには独特の学問体系『高齢者学』の開発が必要である」
 「西洋においても賢人賢者は高齢者として描かれている。中国の福の神はみな高齢者だ。人類には老を好む文化の時代、『好老社会』もあったのである」「世界に先駆けて高齢化の進む日本には、どこよりも早く好老社会、好老文化を拓くチャンスがある」
 「高齢化は環境以上に重大な全人類的問題である。ここでは、日本は先頭を走る立場にある。グリーン・ニューディール以上に重大で成長性のあるシルバー・ニューディールを真剣に考えたい。すべての企業と個人にとって重要な課題である」

 高齢化問題については強い関心があるが、意欲的な提案が多く、堺屋氏の幅広いものの見方に感心する。

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