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2012年1月1日に思うこと。

 昨年1月1日に何を思っていたのか。このブログの2011年1月1日を見たのだが、なぜかその日は記載がない。

 Googleカレンダーを見て、昨年4月20日に亡くなった父が一昨年末に癌研有明病院から退院。自宅に戻っていて介護が大変だったことだけは思い出した。だが、1月1日に、どんな心境で何を思ったかは、どうしても思い出せない。

 3月11日が日本人にとって、あまりに衝撃的な1日だったことも手伝って、それ以前のプライベートな記憶がごっそり失われたのかもしれない。去年の1月1日はどうしても思い出せない過去になってしまった。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 水戸には友人がいたため、震災後、見舞いのつもりで会いに行ったりしたが、友人、知人のいない東北に対しては、わずかばかりの義援金を出すこと以外は何もできていない。震災後、すっかり変わってしまった東北の姿は、テレビでしか見ていない。

 東北の人たちに対して、何かをしなければならないとは今も感じている。
 しかし、まず、自分がやるべきことは別にある、とも思っている。
 歩く道は異なるが、行き着く先で合流できると信じて、別の道を歩もうと思う。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 震災がきっかけで、日本の政治・経済システムの劣化を痛感した。

 原発への対処、原発問題に関する広報の仕方。
 
 原発の安全神話のウソ。

 原発で儲けた人たちのモラル。

 国が滅びるかどうかにかかわる重大問題でさえ、この程度の対応なのだ。

 それを見ると、社会のほかの問題に対しても、政府はきちんとやってくれないのではないか、という不信感が芽生えてくる。企業も結局は儲けが前提だから、企業で取り組めるジャンルはおのずから限りがある。「政府も企業の取り組まない大問題」が必ず残ってしまうのではないか。そんな不安を感じる。


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 たまたま高齢の父親が亡くなり、その間、介護の大変さ、介護制度の頼りなさを味わった。
 
 超高齢社会。このまま黙って政府に任せていたら、高齢者は幸せに死ねないし、最後で情けない思いを味わうことになるのではないか。

 国の財政が破綻しようとしているのに、いまだに幼稚な議論で消費税反対を唱える国会議員や地方議員。彼らは口をそろえて、「増税の前にやるべきことがあるでしょう」と言う。
 
 「増税の前にやるべきことがある」というのは正しい。
 しかし、彼らが決まって言うのは、「行政改革」「節約」だ。行政改革は「その前にやるべきもの」ではなくて「常にやるべきもの」なのだ。

 増税の前にやるべきこととは、例えば、次のような議論だ。

 おひとりさまになった母の身体が動かなくなったり認知症になっても、ぎりぎりまで自宅で人間らしい暮らしができるのか。
 そのためには、どんな介護・医療のシステムが必要なのか。
 
 なぜ、特別養護老人ホームへの入所希望者が何十万人もいるのに、そのニーズを満たせないのか。
 
 一方で仕事がないと言って失業者があふれ、他方で、人手が足りないと言って介護サービスなどでは、まったく消費者ニーズを満たせないでいる謎の国、ニッポン。

 団塊の世代が高齢者となり、貯蓄を取り崩し始めている。政府が膨大な借金をしていても、お金の貸し手がいたのは、庶民の膨大な貯蓄があったからだが、時間の問題で政府の借金を賄えなくなる。そうなれば、今の低金利は維持できなくなり、経済が狂い始め、財政は破綻する。

 そうならないようにするための対策、あるいは増税を無駄にしないための増税後のきちんとした政策は増税の前に考えておくべきだ。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 国民が正しい判断をするための情報は、マスメディアがこんなにたくさんあっても、ソーシャルメディアがこれだけ普及していても、なぜか、ちゃんと流れていない。

 これをどうにかしないと、と思って、とりあえず、超高齢社会の諸問題をクローズアップ、個々人がどう生き抜くべきかを提案する仕事を始めつつある。

 この仕事をきちんと永続的な仕事にできるかどうかが、今年の自分にとっての最大の課題だ。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 困っている人を助ける。易しくはないが、だれもが取り組むべきことだ。
 だが、困る人が出てくるまえに、いろいろな協力関係を作っておくことはできないのだろうか。

 家族や地域社会が担ってきた共同体としての仕事を学校や企業が一部担うようになっていた。しかし、学校にも企業にも、もう頼れなくなってきた。

 大企業はヤル気のある50代後半から60代のシニアを、もはや活かすことができない。

 「試験術」は進学塾で教えるが、本来学校が教えるべきことの多くが教えられていない。
 ITも年金も介護も、学校ではちゃんと教えてくれない。

 ネットなどで同世代の結びつきは強まっているが、他の世代との溝は深まり、会話が成り立たない。

 こうした問題を解決できる連帯の形、新しい共同体ともいうべきものがあるのではないだろうか。
 
 それも、今年、模索したい。


◇    ◇    ◇    ◇    ◇
 
 エコノミックアニマルと言われ(古いか?)、マネーゲームに興じてきた日本人が、震災以降、助け合い、支え合うことを思い出したのは、不幸中の幸いだ。けれど、一歩間違えると、「自粛ムードの嵐」のようなことが起きる。

 世の中のトレンドやムードや感情(勘定?)に流されないで、自分で考え、行動する。

 そのためには古今東西のあらゆる文化、英知を学び、しっかりと自分の血肉にしたいと思う。

 世の中で本当に必要な行動とは、「まだ誰も気づいていないことを、説くこと」と最近強く感じている。
 つまり、それは流行らないので、政治家は関心がないし、企業ももちろん手をつけない。

 キリストはエライ、と感じる今日このごろだ。

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