伊集院静著『大人の流儀』(講談社)
伊集院静著『大人の流儀』(講談社、2011年3月18日発行)を読んだ。大変売れた本らしい。故夏目雅子さんの夫ということでお名前は存じ上げているが、伊集院氏の小説を読んだことはない(今度、読まなければ)。
その男気が受けるのか、それとも「子どもばかりになってしまった」(自分も含め(-_-))日本に対して鋭い考察をしているのかが気になって手にとった。
「大人」というものを考えるのに、とてもよい本だった。
「大人しい」という言葉があるように、品行方正で、思慮分別のある人を指すような気がしていたが、そんな大人は皆無だろう。伊集院氏は、酒、競馬、競輪、賭け麻雀、ゴルフ、何でもやって、お金はすぐにどこかへ行ってしまう。作家という実績がなければ、だれも彼の話は聞かないかもしれない。
そんな人だからこそ、何が大人か、という本当の大人の要素が見えてくる。
たとえば。
「人が人を叱るのに、空気を読む必要などさらさらない」。
空気が読めない、KYなどと言われるのが怖くて女子社員の注意をできない上司。がみがみ言わないのが、「大人の対応」などと言われるが、言うべきときに物が言えないのは本当に大人ではない。共感。
「不安は新しい出口を見つけてくれる唯一の感情の在り方」。
物事に動じていたら、大人じゃないように言われたりするが、やるだけやったうえで、それでも不安が残り、それをつぶしていくのが大人だと思う。「まあ大丈夫だろう」「そんなことまで気にしていたら先に進まない」と言って物を進めるのは大人ではないと思う。
「ただ金を儲けるだけが目的なら企業とは呼べない。企業の素晴らしい点はそこで働く人々の人生も背負っていることだ」。
「若い人たちは給与で企業を判断するが、己の半生を預け、そこで懸命に働くことが人間形成につながるかということこそが肝心なのだ」。
「大人の男が掲げる目標と言うのは、やはり実現可能なレベルのものを口にするのが当たり前なのではないか」。
「大人になって初めて物の値段は理解できる」「物の値段とは正当な労働と同じ価値のものなのだ」。
「或るパリジェンヌが言った『仕事を忘れて、普段の時間とはまったく違う時間を過ごすのよ。それがすべて』何をするか、というのは二の次と言う。 『働きどおしの1年なんて最悪でしょう。1年の内にまったく違う1ヵ月がなければこの世に生まれた意味がないでしょう』」「作家の城山三郎氏は、それを“無所属の時間”と呼んで、大切にした」。
うなづくフレーズが多かった。
次の逸話を読むと、、妻・夏目雅子さんの死が彼を大人にしたのかもしれないと思う。
「妻と死別した日のこと」の項。正午に夏目雅子さんと死別。夕刻、彼女の実家に戻ろうとして、タクシーを拾おうとした。ようやくタクシーが来て、タクシーをとめたが、手前にやはりタクシーを待っている母と少年がいた。伊集院氏はタクシーを二人に譲った。動転しているという「他人の事情」など、関係ない。そう考えて、彼はルールを守った。
お互いを尊重する。「自分の事情」に周りを巻き込まない。
伊集院氏の言う「大人の流儀」が見えてくる。
「ギャンブルの最大の弱みは、己でしかない点である」「私は若い時、何を思ったのか、当代一の打ち手を目指して、その当時、一、二と呼ばれた車券師とともに過ごした。数ヵ月つっついた挙句言われた。 『何の得もありまぜんぜ。一から百まで博奕打ちは手前が勝ては、それでいいんです。…考えてみて下さい。八百屋だって豆腐屋だって懸命にいいものを仕入れたり、こしらえれば喜ぶ人がいるでしょう。…ギャンブラーはいっさい他人の為には生きません。初めっから死ぬまで自分さえよければいいんですよ。どう考えても最低でしょう。無駄です』」。
自分さえよければいい、ギャンブラーのような人が、増えていないだろうか。人のため、という視点は大人に不可欠なのだと思う。
「“身嗜み”でまず必要なのは、体調だ」「髪、髯、爪……匂いにいたるまで整えておく必要がある」「服装、髪型、態度は何を基準にするか。それは潔い容姿である」。
「人はどこかで己と対峙し、自分を取り巻く、世界と時間を見つめ、自分は何なのかを考えてみるべきだ」
「まず個、孤独の時間。独りになる時間と場所をこしらえ、じっとすることだ」。
愛する人との死別。解雇や定年。被災。人間はなんらかの喪失体験をしなければ、なかなか大人になれないのかもしれない。
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Comments
とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
Posted by: 履歴書 | 2012.04.15 11:36 AM