約20年ぶりの新宿梁山泊! 「風のほこり」を観る。
第三舞台・封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」(紀伊國屋ホール)が2月4日、WOWOWで放送された。80年代から90年代にかけて、演劇をよく観た。その中でも、80年代、90年代の空気を上手に取り入れた鴻上尚史作・演出の第三舞台の芝居は好きだった。2001年の公演を最後に10年間、活動を封印してきたが、その解除とともに解散するという道を選んだ。動きの激しかったあの時代と連動するような芝居は、閉塞感の漂う今は、もうできないのだと、改めて思った。
一方で、時々の流行とは一線を画す、人間の本性をあぶり出すような芝居も好きだった。その代表格が新宿梁山泊だ。
2月3日から5日まで新春公演を行うという情報を演劇好きの友人から仕入れた。
梁山泊は、1991年5月の「人魚伝説」以来、観ていない。というよりも、演劇自体をほとんど観なくなっていた。
ほぼ20年のブランクだ。
でも、あの、人間の奥深くから湧き出てくるような情念のエネルギーが感じられる味の濃い芝居が、どうしても観たくなってきた。
梁山泊の本拠地である芝居砦・満天星(中野区上高田4-19-6 ゴールデンマンションB2F、03・3385・7971)での新春公演に5日に行った。作・唐十郎、演出・金守珍「風のほこり」だ。
(クリックすると大きな画像で見られます)
東中野駅から歩いて15分ほど。
こんなマンションに芝居小屋があるのかと思ったが、ともかく、ゴールデンマンションに着いた。
階段をおりていくと。
新宿梁山泊の本拠地があった。
さらにおりていく。
お客が一人も見えないので、大丈夫かと心配になるが。
広い、待機スペースがあった。この場所にくるだけで、すでに演劇空間に入っている。
コーヒーも飲めるし、トイレも完備。
今回の芝居の、唐十郎書き下ろしの脚本も展示してあった。
芝居は満席。根強いファンがいるのだなと思った。
「都心のビルの地下に出現した昭和5年の浅草の芝居小屋」
「過ぎてゆく昭和5年に、義眼の瞳は何を見る…」
予備知識はこれだけで、芝居が始まった。
この人たちはいったい、何を話しているのだろう?
この場面にどんな意味があるのだろう?
久々の文字通りアンダーグラウンドの芝居に、脳みそがついていけない。
20年前は30代だった。日本語の分かりやすい言葉に一度翻訳できないと理解した気になれない。そんな頭の固い人間になってしまっているのかもしれない。
しかし、役者の演技は熱を帯びていて、だんだん引き込まれていく。
言葉が通じず、文化もまったく異なる外国に来てしまったような心細さで芝居を見続けるのだが、相手が本気なので目に見えない何かが伝わってくる。
芝居とは、もともと、言葉や電波で運ぶ映像では伝えられないことを、空間と人のしぐさと脚本家の挑戦的な台詞で感じさせる芸術だ。
分からなくても、脳みそのある部分は刺激されたのだろう。不思議な感覚に包まれて、劇場をあとにした。
もっとも、観る側の自分が20年で変わってしまっただけでなく、今日観た梁山泊の芝居はかつて、心が躍ったころの梁山泊の芝居とはいろいろな点で異なっていた。
どこが違っていたのだろう。
大好きだった芝居の戯曲集(『千年の孤独』=1989年7月11日、ペヨトル工房発行と『人魚伝説』=1990年11月11日、同)を読み、記憶を呼び覚ますとともに、梁山泊のその後を調べてみた。
フリー百科事典、ウィキペディアによると――。
新宿梁山泊(しんじゅくりょうざんぱく)は日本の劇団。1987年、金守珍を代表にして結成。劇団名は好漢が集う中国の小説『水滸伝』と、唐十郎がアングラ演劇上演を開始した新宿に由来している。当初は座付き作者鄭義信の作品を上演していたが、1995年鄭退団後は、唐十郎の戯曲上演が多い。テント芝居など唐に代表されるアングラ演劇の志を現在も積極的に継承している。海外公演にも積極的で、韓国公演を毎年のようにおこなうほか、中国、台湾、ドイツなどでも公演をおこなった。
2007年、新宿梁山泊が鄭義信の『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、新宿梁山泊は、この戯曲および『人魚伝説』が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて裁判所に提訴した。この裁判は、2008年4月新宿梁山泊が提訴を取り下げることで実質的に鄭義信の勝訴に終わった。
そうだったのか。どんな事情があったのかは知らないが、鄭義信氏の退団と、その後の裁判沙汰はとても残念だ。
新宿梁山泊の名作は鄭義信、金守珍両氏の互いに妥協しない関係が作り上げていたと言っても過言ではない。「日経イメージ気象観測」1991年1月号で、次のようなやり取りがある。
司会 義信さんは映画青年で、映画界にかかわったこともあるそうですが、その経験は生きている?
鄭 映像的な劇作家だとはよく言われます。
金 彼は舞台の機構とかを無視するんです。
司会 でもやってしまう。
金 おれたちはこいつに負けたくないから。
六平 義信のためにやってるんだよ。
鄭 ありがとうございます。
六平 だからおまえだけ金持ちになったら許さんぞ(笑)。
司会 金さんと鄭さんはいいコンビですね。
鄭 守珍さんと僕は性格も両極端でよくやっているねって言われるけど、だからやれるんだなと思っています。
金 おれは陽で、こいつは陰なんです。
鄭 おれが陽ですよ(笑)。
金 彼はとにかく憂えてるの。「何で」っていうぐらい湿ってるんですよ。おれは湿ったのが嫌いだからドライにする。乾かない限りは彼の魅力は無いわけです。おれと六平は完全に乾かす。義信は役者としてはすべてを乾かしてしまう才能があるんですがね。
六平氏に仲直りの仲介をしてもらって、ぜひ、『千年の孤独』と『人魚伝説』を再演してもらいたいものだ。
最近は唐作品が多いというが、もとは状況劇場にいた金守珍氏。これだけのガチンコ勝負を唐氏とできるのかどうか。遠慮なく唐作品を、例えば、「乾かして」ほしい。
今回の芝居に、役者としても印象が強い金氏が出演していなかったのも物足りなかった。金氏は、同じ時期に行われていた、作・唐十郎、演出・蜷川幸雄の「下谷万年町物語」に“出稼ぎ”に行っていたのだ。
金守珍氏の迫力のある芝居と、六平直政氏の人情味があり、かつ場を明るくする芝居が懐かしい。それから、2004年10月1日に亡くなってしまった『千年の孤独』の主役を務めた金久美子(キム クミジャ)さんをはじめとする魅力ある女優陣が、何と言っても梁山泊の魅力だった。
今回の「風のほこり」でもこのクラスの役者たちがいれば、さらに盛り上がっただろう。
テントでの芝居もまた、観たい。
90年の『人魚伝説』は5月の江の島/片瀬海岸境川河口広場特設テントで行った公演と、夏の上野/不忍池水上特設テントで行った芝居を観た。船上の六平氏の姿が忘れられない。
芝居砦・満天星にあった「下谷万年町物語」のチラシに、金氏とともに、六平直政氏の名前があるのを見つけた。主演は宮沢りえ。
強力な二人の役者と魅力的な女優の組み合わせは、まさに往年の梁山泊の芝居に近いものを観せてくれるのではないか。
Bunkamuraシアターコクーンリニューアル・オープン公演の「下谷万年町物語」。劇場に問い合わせると、すでに前売券は売り切れ。当日、立ち見かキャンセル待ちしかないと言われたが、こうなったら絶対に観たい。
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