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今年は、また、山歩きをするぞ!

これまでに登った山をまとめてみた。
2005.04.23 荒船山 1422.5m
2005.04.30 浅間隠山(二度上峠下登山口から) 1756.7m
2005.06.05 平標山 1983.7m
2005.06.05 千の倉山 2026.2m
2005.10.16 谷川岳(谷川岳ロープウェー使用) 1977m
2005.11.26 湯ノ丸山 2101m
2005.11.26 烏帽子岳 2065m
2005.12.10 御堂山(下仁田町) 878m
2006.02.11 赤城山・鍋割山 1332m
2006.03.26 物語山 1019m
2006.05.06 三ツ岩岳(南牧村) 1032m
2006.06.10 四阿山(あずまやさん、鳥居峠コース) 2354m
2006.10.14 赤城山・黒檜山(くろびやま) 1827m
2007.04.21 丹沢山塊・大山 1252m
2007.05.20 丹沢山塊・檜洞丸(ひのきぼらまる) 1601m
2007.06.02 丹沢山塊・畦ヶ丸(あぜがまる) 1293m
2007.09.01 八ヶ岳・天狗岳 2646m
2008.04.06 丹沢山塊・鍋割山 1273m
2008.08.13 大山(ケーブルカー使用) 1252m
2008.10.18 奥多摩・大岳山 1266m
2009.02.21 高尾山 599m
2009.03.21 奥多摩・浅間嶺(せんげんれい、浅間尾根) 903m
2009.06.13 谷川岳(谷川岳ロープウェー使用) 1977m
2009.07.19 丹沢・加入道山 1418m
2009.07.19 丹沢・大室山 1588m
2009.07.22 富士山 3775.6m
2009.08.14 浅間隠山(浅間隠温泉郷口から) 1756.7m
2009.08.22 陣馬山 857m
2009.09.19 奥多摩・川苔山 1364m
2009.10.31 奥多摩・三頭山(みとうさん) 1531m
2009.11.07 川苔山 1364m
2009.12.13 三浦アルプス 200mクラスの山々
2010.07.24 高尾山 599m
2011.06.12 茨城県笠間市・愛宕山 306m
2011.06.12 難台山 553m

「20052011.xls」をダウンロード

 山の師匠、Mさんが水戸に転勤してから、めっきり山歩きが少なくなっている。
 田部井さんの本にも触発された。Mさんが埼玉県に転勤となったこともあり、今年は山歩きをたくさんしたいと思う。

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田部井淳子著『 タベイさん、頂上だよ~田部井淳子の山登り半生記』 (ヤマケイ文庫)

Tabeisantyojodayo

タベイさん、頂上だよ

 田部井淳子著『 タベイさん、頂上だよ』 (ヤマケイ文庫、2012年2月5日発行)を読んだ。
 テレビや雑誌で拝見する田部井さん。前向きで明るく、悩みなど一つもないように見えるが、この半生記を読むと、断崖絶壁だけでなく、人間関係でも大変苦労されていたのが分かる。
 本書を読むと、田部井さんの何気ない言葉に重みが加わってくる。

 1 山との出あい
 「自分が一歩一歩登らない限り絶対に頂上には着かないんだ、この一歩はだれも代わってくれないんだと頑張り通した後の山頂の喜び、ワァー登ったんだなぁ、とうとう来たんだという感激は毎日の生活の中では決して味わえないものだった」
 「山をとりまく自然の広がり、空気、あらゆるものが体中の臓器にしみわたる。ここにいる自分が本当の自分なんだ、一歩一歩汗して歩いてきたからこそ今ここにいるんだという自己存在を、私は山登りによって存分に味わうことができた」。

 2 「白い山」と「めぐりあい」
 「龍鳳登高会で一番若かった横尾康一氏…が私を”岩へ、雪へ、8000メートルへ”と駆けさせた人であった」。
 「『お前はもう登れる、あとは自分でパートナーをみがき会を育てろ、そしてお前は8000メートルへ行け』といわれて私は横尾さんのパートナーから放された。佐宗(さそう)ルミエ(ペンネーム早川鮎子)さんが私を訪ねてきたのはその直後のことだった。

 大河ドラマを見ているような楽しさだ。そのあともドラマが続く――。

 3 「結婚」そして「友の死」
 4 ヒマラヤ「夢」と「現実」
 5 アンナプルナ「女のたたかい」
 6 女だけの8848メートル
 7 「撤退」か「前進」か
 8 「タベイサン」頂上だよ
 9 そして「これから」のこと。

 この本は昭和51年2月から12月まで雑誌『山と渓谷』に連載された「エベレストママさん山を語る」に加筆したもの。

 新田次郎「孤高の人」とともに、山好きの人は読んでおきたい一冊だ。

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田部井淳子著『田部井淳子の人生は8合目からがおもしろい』(主婦と生活者)

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田部井淳子の人生は8合目からがおもしろい

 田部井淳子著『田部井淳子の人生は8合目からがおもしろい』(主婦と生活者、2011年5月23日発行)を読んだ。

 「若いころは『山に登らない人は人間じゃない』と思っていたくらい許容範囲が狭かった」「そんな生活が少しずつ変わってきたのは、子育てが一段落した50代になってから。時間的にも精神的にも少し余裕ができ、いままで眠っていた『やってみたい』が『できるかも』と思えるようになり、思い切って『やっちゃえ』と飛んでみた。その最初のきっかけが、52歳で耳にあけたピアスの穴だ」。

 そこから、どんどん挑戦が始まる。
●54歳で自動車の運転免許を取得
●56歳でスキーを習う
●58歳で九州大学大学院に入学
●64歳でシャンソンを習う
●65歳でピアノを習う
●65歳で謡曲を習う
●66歳で「怖いもの知らずの女たち」初コンサートを開く
●68歳でエステの講習を受ける
●68歳でブログを書き始める
●70歳でギタレレを独学で始める
●70歳で競馬デビューする
●71歳でiPhoneを持つ

 「人の誘いにはまず、乗ってみる。おもしろい、おもしろくないの判断はその後でいい」。

 「夢は持つべきだ。夢を持ち続けていれば、いつか実現する」

 「いま『でも……』を封じなければ、やがて『でも、年だから』とどんどん内向きになってしまう」「『もう少し若かったら』『病気をする前だったら』と嘆く『……たら』も禁物だ」「60歳は飛翔のとき」。


 もちろん、山に対する情熱も失っていない。
 「世界の七大陸最高峰登頂に成功した後、『もう登る山はないのでは』と言われたが、とんでもない、魅力的な山は海外だけでなく、日本にもたくさんある」「エベレストから36年たったが、山に対する気持ちは変わっていない。高い山だけでなく、低い山、どんな山でもわくわく、ドキドキする」「同じ山でも夏と冬では全く景色が違って見えるし、雨の山、雪の山にも、そのときにしか出会えない、見られないものがある」
 「ひたすら頂上をめざした若いときには気づかなかったことが、この年になると見えてくるのも楽しい。足元に咲く花や芽吹いたばかりの山菜も愛おしく、見つけると幸せを感じる」。

 
 山で学んだ「平らな気持ち」も役に立っているらしい。
 「パニックになりそうになったら、深呼吸してひと呼吸置く。人とトラブルを起こしそうになっても、まずは深呼吸だ」
 「日常生活でも、空回りしてうまくことが運ばないことはある。そんなときは、『いまは悩みの時間』と諦めて、しばらく落ち込んでいることにしている。悩めるのは、生きている証し。すぐ解決しなくても死にはしない」。

 「少しくらい思いどおりにならないことがあっても、『それを楽しむ』余裕が欲しいと思う」。

 いい本だ。

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田部井淳子著『いつでも山を―田部井淳子の実践エイジング登山』(小学館)

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田部井淳子のいつでも山を

 田部井淳子著『いつでも山を―田部井淳子の実践エイジング登山』(小学館、2008年6月21日発行)を読んだ。
 
 1975年、世界最高峰エベレスト(8848m)に女性として初登頂。
 1992年、女性世界初の七大陸最高峰登頂者に。

 こんなすごい方なのだが、この本では、素朴に、近くの山々に登る楽しみを教えてくれる。

 「山は1回1回、新しい発見に満ちて、行くと全身の細胞がわあーっとめざめます。青々と続く山並み、新緑をゆらす風、沢筋の白い雪、雲上のお花畑、谷間に響くウグイスの声……大自然のかけらが射るように五感にせまり、飽きることがありません」。

 「遠目にすごくけわしく見える山でも、行ってみるとさほど難しくないことが多いのです。写真や映像を見て『すごい、夢みたい』と思うようなところも、普通の人が普通に歩いて行けば、たどり着けるものなんですよ」「山はむしろ万人向けのスポーツだと思います。競争じゃないし、特別な才能も要りません。ピアノをひいたり作曲したりするのと比べたら、歩ければいいのですから、ものすごく間口が広いんです。年齢だって関係ありません。歩いて買い物に行ければ、60歳からでも70歳からでも始められます」

 「『山は公園の延長』と思えば、ぐっと身近に感じられるのではないでしょうか」。

 「山は頂上だけじゃなく中腹も麓も山」。

 「『でも』『でも』と山に行けない理由を見つけている方を見ると、本当はそんなに行きたくないのかな、と思うことがあります。要は、行きたいか、行きたくないかというだけのこと。行ってみたいと思ったら行くのよ、行けるのよ。山はそういう世界だと思うんです」。

 「山ではいちばん遅い人に合わせるのが常識なんです」。

 「歩き始めは身体が慣れていないし、疲れていないので、つい早足になりがちです。ですから、意識的にペースを遅くする必要があります」。

 「中高年の山歩きは楽でなきゃいけません」「その決め手は、ゆっくり歩くことに尽きるのです」。

 「事故を防ぐためには単独でないほうがいいと思います」「誰かと一緒のほうが、ずっとリラックスできます」「歩いているときは、…しゃべらなくてもいいから、結構、孤独になれるのです。そういうときは、いろいろなことを考えたり、思いついたりしています」。

 「自然の中にいることで気持ちが大きくなると思います」「日常から離れることで、ふだんの暮らしのありがたさが感じられるという面もあるでしょう」。

 「雨だからこそ、雪だからこそ、味わえる山歩きというものがあります。頭から否定しないで手だてを考えると、楽しみの幅がぐっと広がります」。

 「30分ごとに休憩を入れることをおすすめします」。

 「効果的なのがストック。ひざへの衝撃をやわらげるとともにバランスを保つ支点にもなります」。

 「わたしはよく、『どうせ払うお金なら、病院に払わず、山に使いましょう』とお話するのですが、『どうせやるトレーニングなら、寝たきり予防ではなく、山に行くためにしましょうよ』とも言いたいですね」。

 「山は、日常と非日常を分ける切り替えスイッチのような役目をして、暮らしに元気を与えてくれます」。

 「自分に合った山を見つけ、続けていくことが大事だと思います。苦しいからやめるのではなく、苦しくないほうにシフトしていけばいいのです。それを上手にやっていけば、山登りは一生、楽しめます」。
 

 読んでいると、山に行きたくなる。
 中高年で山歩きをこれから楽しみたいと思っている人は必読だ。

 すでに山に親しんでいる人でも、「いつでも山に行くための特別講座」がとて役に立つ。「タベイ式いつでも筋肉トレーニング」「日帰りハイキングの服装」「山の持ち物リスト」「とっておきの携帯食レシピ」「エイジング登山ガイド10」などがある。
 

 「第五章 登山は人生の縮図」は、『タベイさん、頂上だよ』(ヤマケイ文庫)と一緒に読むと面白い。

 「エベレスト登山の許可が下りるのが20代だったら、わたしは行けなかったと思います。国内での山の経験を積んで気力も体力も技術力も備わってきた35歳のときに許可が下りたことはラッキーでした」。

 「毎日、人にもまれながら問題を解決していく遠征登山は、まさに社会の縮図」「そこで身につけたのは、悪いことは忘れて、いいことだけを覚えるようにするという習性です」「波長が合わない人がいたとしても『あの人とは合わない』と思うと疲れるので、いいところだけを見るようにする。人のいいところだけを見て、いい言葉だけを残して、いい思い出だけをとっておいて、いい風景を忘れない」。

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落合恵子著『積極的その日暮らし』(朝日新聞出版)

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積極的その日暮らし

 
 落合恵子著『積極的その日暮らし』(朝日新聞出版、2011年5月30日発行)を読んだ。
 愛する母親を看取った後、2008年4月5日からの日誌だ。

 「社会面の下段、訃報の欄がとても身近になったのも変化のひとつだ。そんなに遠くない明日、自分の番がやってくるのだ、と考える」 「どうやら、母の介護をした頃から、わたしの『その日暮らし度』は深まったようだ」「『明日? そんなこと、知るか!』である。好むと好まざるとにかかわらず、人はみなある意味で、『その日暮らし』なのだとも思う」。
 「わたしはいま63歳。居場所の時間帯は『午後』から『夕暮れ』に変わったのだろうか」「白髪が増えることに焦りはないが、体力的に以前ほど無理がきかなくなったのは、ややさびしい。だからこそ、この時間帯を、『もっと積極的に』生きてやろうじゃないかと、誰にともなく、つぶやく夕暮れどき」。

 書かれているのは――。
 野菜室を占領する花の種子、探し物、「こころの深呼吸」、好きな曲、冒険、正月の遺言書、自分の内に起きる諸々の変化、弱者、友人、生きること、女性…などだ。

 落合恵子さん、齢は重ねても、語り口や感性は、かつてのセイ!ヤングのパーソナリティ時代と少しも変わっていないと感じる。
 

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落合 恵子著『母に歌う子守唄~わたしの介護日誌』(朝日文庫)、『母に歌う子守唄 その後~わたしの介護日誌』(朝日文庫)

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Hahaniutaukomoriutasonogo

母に歌う子守唄


 落合 恵子著『母に歌う子守唄~わたしの介護日誌』(朝日文庫、2007年7月30日発行)、『母に歌う子守唄 その後~わたしの介護日誌』 (同、2011年4月30日発行)を読んだ。落合恵子さんが、愛する母親を介護し、見送った7年間の日記がこの二つの文庫に収められている。介護の情景が目の前に浮かぶようだ。
 母親の様子を「書く」という行為が彼女のプライバシーを侵すことになりはしないかと迷いながらも、それを伝えることが日本の医療や介護を変えることにつながり、介護の苦労をしている人、これからする人たちにも元気を与えられるはずだと、日記を書き続けた。

 「こうして介護について書くことも、わたしには情報開示であり、自身のセラピーにもなっている。老いや介護を巡る個人的な体験をなんとか普遍化したいという、少々大上段に振りかぶった思いもあるが、表現することで、日々、自分の中に降り積もっていく焦燥と疲労のガス抜きをしているのも事実だ」「しかし、介護『される側』であり、『書かれる側』の母にとってはどうなのだろう」。

 パーキンソン病、多発性脳梗塞のほかにアルツハイマー病も合併している母親は、ときに落合さんの呼びかけにたいして明確な反応を示したりするが、「母であること、それ以前に自分自身であることから急速に遠ざかろうとして」いた。

 そんな彼女に付き添いながら、「良かれ」という娘としての判断が本当に正しいのかと言う疑問が常に生じていたようだ。

 「自己決定権について娘は長い間、書いたり語ったりしてきた。自分の人生のあらゆることは人に任せず、自分で決めたい。それは医療に限らず、個々が、『自分を生きる』上での基本的な人権に関するテーマである、と。しかし、母のように自分のことを自分で決められない状態を迎えたものにとって、自己決定権はいかなる意味をもつのだろう」。

 親族が医師の世話になるとき、いろいろが疑問や要望が浮かんできても飲みこんでしまうことが多いが、落合さんはあえて言葉にしたという。

 「わたしは『うるさい娘』を貫くことにした。それは、子どもや女性や高齢者や、社会的に『声の小さい側』に置かれた人たちの人権に敏感になるのと同じことだ。わたしはともすると、ちぢこまりそうな自分の心を励ました」。
 「病院とは言うまでもなく、『医療というサービス』をそれぞれの患者が、『対等に、適正に、充分に、かつ充分なる説明と同意のもとに選択しつつ受けることができる空間』であり、その主役は当然、患者である」。
 「治療や医療の現場におけるもろもろの疑問やすれ違いを、ここで言葉にしなかったなら、わたしのささやかな活動は無意味なものになるだろう」「言葉にしたからといってすぐには変わらないかもしれない。けれど、少しは、変わるかもしれない。その『かもしれない』に賭けてみよう、いままでと同じように」。
 「誰のために?母や母と同じ状況を生きている、それぞれの『患者』のために。そして、わたしやわたしと同じ状況を味わっている、それぞれの患者の家族のために。また、医療の現場にいるそれぞれの医師や看護師のためにも」。

 ヨーロッパに比べて、いまだに介護に対する考え方が未成熟なニッポン。それにたいしても率直な意見を語る。

 「2002年のいま頃、わたしはドイツのハノーバーで開かれた『高齢者自立支援』の見本市にいた。会場には、 こういったモジュール型の車椅子がたくさんあり、中でも存在感があったのが、黄の太いタイヤつきのそれだった。取り外しのきく鮮やかな色のビーチパラソルもついていた」「座り心地が悪くとも、褥瘡(じょくそう、床ずれ)ができそうになっても、車椅子に自分の身体を無理に合わせ、慣れるのを待つ・・・・・・。利用者の心と身体に我慢や苦痛を強いて、どうして自立支援になるの?」
 「数日だけデンマークに行ってきた。・・・『できる限り、自分が暮らした家でそのまま暮らし続けたい』。生活の継続性と自己決定権を大切にする高齢の方々に、介護のサービス、自立支援のためのあれこれ、たとえば補助器具の給付なども、実に手厚く、丁寧に行われている」「ひとりひとりの体形や身体(からだ)の状態、心の状態まで汲み取りながら、利用者の声に合わせて器具を作り変えていく、『手間ひま』を惜しまぬ姿勢もまた、素晴らしい」「あくまでも使うひと本位、『必要なひとに、必要なものを、必要なだけ』というサービスが当たり前になっている文化の背景にあるのは・・・・・・。敢えて言葉にすれば、民主主義であり、人権意識であるのだろう」。

 介護される高齢者は遠慮しがちだ。介護保険の導入後も、介護は家族の仕事と言う社会的通念は残っている。

 「70年代、自立は次のように便宜的に分けられた。精神的自立、生活的自立、経済的自立、というように。むろんこれらも自立を構成する重要な要素であることに変わりはない。が、わたしは、敢えて次のことを、自立のもうひとつの構成要素として付け加えたい。『従来の価値観』そのものからの『自立』である」。
 「この社会で高齢者と呼ばれている世代にも、私は呼びかける。『この年になったのだから静かに控えめに、なんてダメ。自分たちに見える景色についてどんどん発言して。異議申し立ても、大事な権利なんだから。ちゃんと行使しよう』」

 「緊急の事態におかれた家族は、目の前の“緊急”に対処することだけで、心底くたくたになってしまい、抜本的な解決のために行動を起こす余力は残されていない」
 「介護保険が適用されるもののひとつひとつを検討する精神的、時間的余裕がわたしにはなかった。実際、利用が始まったら始まったで、新たなるバタバタが待っている。そして忙(せわ)しさに背を押されるように日々が過ぎてしまい、数年たってから、『なんだ、私費で負担することもなかったのに!』と気がつく場合もある」
 「介護保険の枠内でサービスを受け、その他の時間は自分たちで介護をという人たちが、やむを得ず退職したり、退職はしたものの、精神的なバランスを崩したり、最悪の場合は共倒れ、無理心中といった、決して『どこかの不幸』ではない現実と、わたしたちいま直面している」。
 「1週間に一度くらいは雲隠れの時間を積極的に作らないと、バーンアウトしてしまうのも介護である」。
 「働きづめで来た人たちが、せめてもう少しゆったりと介護をし、また介護を受けられるような経済を含めてシステムをいま考えておかないと、この国は高齢者を不要、とする社会になってしまう」。

 落合さんの言葉は、実際に母親と向かい合っている毎日の中から紡ぎだされているだけに、強く訴えかけるものがある。

 「その後」で母を看取った後のこんな感想にも強く共感した。

 「それでも、元気だった頃の彼女とより、いまのほうがはるかに深く親密なコミュニケーションが成立しているように思えるのは、なぜなのだろう。ほとんどの記憶を、空の彼方に追いやってしまった彼女なのに・・・・・・」。
 「母の介護を軸にして息せききって走り回っていた日々を、このうえなくいおおしく、このうえなく懐かしく思うわたしがいる」「もし叶えられるなら、もう一度、あの充実した日々に戻りたい。そう願うわたしがいる」。

 「ひたむきに働き、ひたすらに生きてきたひとびとが、人生のファイナルステージで、安心と安全と信頼のある居場所を求めて転々とするしかないなら、わたしたちはなんのために今日を明日に繋いでいるのだろう」。

 介護の厳しさ、介護の素晴らしさを、誇張なく、淡々と伝える名著だった。

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生まれて初めての流し満貫

 できそうで、できなかった、流し満貫。学生時代に麻雀を始めて以来、初めて達成。

Tetsuya_nagashimangan20120226

===== 哲也@東風荘 181卓 開始 2012/02/26 02:18 =====
持点27000 [1]フーテンの中 R1876 [2]最強最後 R2025 [3]senbe R1848 [4]Mεgμミルク R1875
東1局 0本場(リーチ0) フーテンの中 8000 最強最後 -2000 senbe -4000 Mεgμミルク -3000
流し満貫
[1西]6m6m9m1p6p8p1s4s7s9s西白中
[2北]4m5m6m8m4p6p8p9p6s7s東発発
[3東]1m2m7m1p1s5s7s8s8s白発中中
[4南]5m9m1p2p2p7p8p3s6s東南西中
[表ドラ]7p [裏ドラ]8s
* 3G4m 3d1p 4G9p 4d西 1G4p 1d9m 2G5P 2d9p 3G3p 3d1s 4G9m 4d中 3N 3d1m 4G3m
* 4d東 1G東 1d1s 2G南 2d8m 3G3m 3d発 4G8s 4d南 1G5p 1d1p 2G3p 2d南 3G9s
* 3d白 4G2s 4d1p 1G9p 1d西 2G2s 2D2s 3G3m 3d7m 4G9s 4D9s 1G3s 1d東 2G4s
* 2d東 3G4p 3d5s 4G5m 4d9m 1G5p 1d白 2G4s 2d8p 3G9m 3D9m 4G5m 4d9m 1G西
* 1D西 2G2m 2D2m 3G1m 3d8s 4G7m 4D7m 1G発 1d中 2G6s 2D6s 3G7p 3D7p 4G2p
* 4d6s 1G北 1d発 2G5P 2d発 3G5s 3D5s 4G3p 4d8s 1G白 1d北 2G1m 2D1m 3G1s
* 3D1s 4G南 4d3p 1G東 1d白 2G3p 2d発 3G8s 3D8s 4G5s 4D5s 1G南 1d東 2G4m
* 2d3p 3G6m 3D6m 4G3m 4R 4d南 1G北 1d南 2G北 2D北 3G1s 3d3p 4G7m 4D7m 1G7m
* 1d北 2G8m 2d6s 3G1p 3D1p 4G7p 4D7p 1G白 1D白 2G1m 2d7s 3G8p 3d4p 4G4m
* 4D4m 1G3s 1d9s 2G2p 2d1m 3G5s 3d4m 4G3s 4D3s 1G2s 1d9p 2G2m 2d4m 3G8m
* 3d1m

東1局 1本場(リーチ1) Mεgμミルク 10300 フーテンの中 -2100 最強最後 -3100 senbe -4100
満貫ツモ リーチ 門前清模和 ドラ3
[1西]1m3m3m7m9m9m2p4p5P2s3s7s発
[2北]9m5P8p8p9p9p2s7s9s南南発発
[3東]2m5m7m9m7p1s3s6s6s7s西白中
[4南]1m4m1p1p3p6p4s4s5s6s7s東東
[表ドラ]1p [裏ドラ]1s
* 3G8s 3d西 4G3m 4d1m 1G6m 1d2p 2G北 2d9m 3G中 3d2m 4G1p 4d3p 1G5s 1d発
* 2G8p 2d2s 3G北 3D北 4G6s 4d6p 1G1s 1d7s 2G西 2d7s 3G5p 3d白 4G4s 4R 4d6s
* 1G8p 1d1m 2G西 2d9s 3G中 3d6s 4G4p 4D4p 1G9p 1d4p 2G3s 2D3s 3G4p 3d7p
* 4G白 4D白 1G7p 1d3s 2G北 2R 2d8p 3G3m 3d3s 4G9s 4D9s 1G8s 1d8p 2G3p 2D3p
* 3G西 3D西 4G2m 4A

東2局 0本場(リーチ0) 最強最後 16000 フーテンの中 -4000 senbe -4000 Mεgμミルク -8000
倍満貫ツモ 七対子 リーチ 門前清模和 ドラ4
[1南]1m1m4m8m9m1p6p2s2s8s南西発
[2西]3m3m6m6m7m1p1p3p5p7p1s1s西
[3北]2m2m5P9p4s4s6s9s西北発中中
[4東]4m5m5m2p7p8p1s3s5s東南白中
[表ドラ]6m [裏ドラ]東
* 4G2p 4d南 1G6s 1d1p 2G7s 2d西 3G2p 3d9s 4G1p 4d白 1G8p 1d西 2G4p 2d7s
* 3G9p 3d西 4G3p 4d中 1G5s 1d4m 2G南 2D南 3G3s 3d2p 4G5p 4d2p 1G7p 1d発
* 2G7m 2d7p 3G5s 3d発 4G5s 4d5p 1G白 1d8s 2G4s 2d5p 3G1m 3d北 4G7s 4D7s
* 1G9s 1d白 2G東 2d4p 3G7m 3D7m 4G8s 4D8s 1G3p 1d9s 2G3p 2R 2d4s 3G6p 3d4s
* 4G中 4d7p 1G西 1D西 2G2m 2D2m 3G4p 3d2m 4G6p 4d8p 1G9s 1d南 2G5P 2D5P
* 3G5m 3d2m 4G6m 4d6p 1G3s 1d6p 2G8s 2D8s 3G8p 3d1m 4G8s 4D8s 1G9m 1d7p
* 2G北 2D北 3G8m 3d9p 4G6m 4d1s 1G東 1d8p 2G3m 2D3m 3G白 3d8p 4G9m 4d1p
* 1G7s 1d1m 2G4p 2D4p 3G2s 3d9p 4G6p 4d2p 1G4p 1d1m 2G8m 2D8m 3G白 3d白
* 4G1s 4d6p 1G6s 1d8m 2G南 2D南 3G3m 3d8m 4G3s 4d3p 1G発 1d4p 2G東 2A

東3局 0本場(リーチ0) Mεgμミルク 1300 最強最後 -1300
40符 一飜ロン 白
[1東]4m4m4m9m1p9p2s3s4s4s6s9s南
[2南]1m4m7m2p3p4p5s7s8s9s西西白
[3西]6m8m1p2p6p6p7p7p8p8p7s白中
[4北]2m5m9m9m5p4s4s8s8s東北白白
[表ドラ]8m [裏ドラ]2m
* 1G発 1d9p 2G4p 2d1m 3G3p 3d中 4G3s 4d2m 1G5P 1d1p 2G3s 2d白 4N 4d北 1G1m
* 1D1m 2G5s 2d4p 3G2m 3d白 4G3m 4d東 1G3m 1d南 2G9s 2d5s 3G6p 3d7s 4G1p
* 4d5p 1G9s 1d発 2G6m 2d9s 3G8s 3D8s 4N 4d1p 1G発 1d9m 4N 4d3s 1G北 1D北
* 2G2s 2d4m 4A

東4局 0本場(リーチ0) senbe 8000 フーテンの中 -2000 最強最後 -4000 Mεgμミルク -2000
満貫ツモ 場風 混一色 ドラ1
[1北]2m9m4p5P6p8p2s5s7s8s北白発
[2東]5m7m2p5p4s8s8s9s南北北発中
[3南]7m1p4p4p5P6p9p2s5s9s東白中
[4西]1m2m6m7m3p8p3s7s7s8s9s西発
[表ドラ]7m [裏ドラ]南
* 2G1s 2d2p 3G7p 3d9s 4G北 4d発 1G2m 1d北 2G西 2d5p 3G5s 3d中 4G3m 4d北
* 1G1p 1d9m 2G7p 2D7p 3G東 3d白 4G9p 4d西 1G3p 1d2s 2G1m 2d5m 3G南 3D南
* 4G9m 4d7s 1G3p 1d白 2G3m 2d7m 3G東 3d2s 4G3p 4d3s 1G9m 1D9m 2G6p 2D6p
* 3G西 3D西 4G7m 4D7m 1G中 1d発 2G2p 2D2p 3G4m 3D4m 4G1p 4d6m 1G4s 1d中
* 2G7p 2D7p 3G3s 3D3s 4G8p 4D8p 1G1s 1D1s 2G2s 2d3m 3G4m 3D4m 4G6s 4D6s
* 1G2p 1d8p 2G2s 2d1m 3G1p 3d5s 4G9s 4d1p 3N 3d7m 4G発 4d9s 1G9p 1D9p 2G6p
* 2d9s 3G8p 3d5s 4G6s 4D6s 1G1s 1D1s 2G6m 2d西 3G4m 3D4m 4G5p 4D5p 1G5s
* 1d3p 2G4s 2d発 3G5m 3D5m 4G3s 4D3s 1G南 1D南 2G8m 2d中 3G4p 3A

---- 試合結果 ----
1位 最強最後 +22
2位 フーテンの中 +1
3位 Mεgμミルク -8
4位 senbe -15
----- 181卓 終了 2012/02/26 02:26 -----

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Bunkamuraシアターコクーンリニューアル・オープン公演「下谷万年町物語」

 新宿梁山泊の両雄と宮沢りえが出演するBunkamuraシアターコクーンリニューアル・オープン公演「下谷万年町物語」を観に行った。作・唐十郎、演出・蜷川幸雄(敬称略)。

Shitayamannencho

 公式ホームページによると――。
 全てが過激!過剰なエネルギーに満ち満ちた、唐十郎の傑作戯曲!またとないキャストを得て、蜷川幸雄が満を持して挑む!!
 81年、西武劇場。膨大な出演者数と本水を使った大きな池、舞台を覆う長屋のセット―。ゴールデンコンビによる本作は時の事件となり、その後も伝説の舞台として語り継がれてきた。唐十郎が幼年期を過ごした<下谷万年町>を舞台に描いた幻想的な超大作!過激でありながら美しい台詞、猥雑な空気。時空を越えて次第に明らかになるレヴュー小屋での悲恋、そして社会の底辺で生きるオカマたちの逞しさは艶めかしく、切ない。観客に途方もない夢を魅せる、奇跡の舞台が、シアターコクーンのリニューアル・オープン、そして2012年の年明けを飾る!!乞うご期待!!

 唐、蜷川のコンビに、宮沢りえ、藤原竜也、西島隆弘の3人の人気役者が出演するとあって、前売券は売り切れ。当日券を求めて、並んだ。
 20人くらいすでに並んでいたが、運よく、だれもキャンセル待ちをせず、割安な立ち見席を購入していた。キャンセル待ち1番。迷わず、キャンセル待ちに賭けた。

 1階の通路側のS席が空いた。この席、すごい席だった。すぐ左で、宮沢りえが2度も演技をしてくれたのだから。キャンセル待ちをするのは初めてだったが、意外に狙い目かもしれない。

 こういうあらすじだ(公式ホームページより)。
 昭和23年。上野と鴬谷の真ん中に位置する<下谷万年町>。住みついた男娼たちでにぎわい、電蓄から鳴るタンゴの曲で、ハエの飛び交う八軒長屋造りの町。上野を視察していた警視総監の帽子が盗まれる。犯人は不忍池の雷魚と呼ばれるオカマのお春率いる一味らしく、お春のイロだった青年・洋一【藤原竜也】が帽子を持って逃げている。それを追う破目になったのは、洋一と同じ6本目の指を持つ不思議な少年・文ちゃん【西島隆弘】。洋一と文ちゃんが出会った時、瓢箪池の底から男装の麗人、キティ・瓢田【宮沢りえ】が現れる。彼女は戦争中にはぐれた演出家の恋人(もう一人の洋一)を探していた。キティは、洋一、文ちゃんと共にレヴュー小屋「サフラン座」の旗揚げを決意する。それぞれの物語は、瓢箪池の中で時空を越えて交錯し、思わぬ結末に向かっていく―!!

 宮沢りえが、こんなにテレビや映画で見る姿と違う一面を見せてくれたのは意外だった。いきいきしていた。躍動感を感じた。すばらしい!
 西島隆弘が藤原竜也を凌ぐとも思えるほどの存在感を示したのにも驚いた。実力がある。
 3人のファンになってしまった。

 ストーリーは荒唐無稽。不条理な世界が繰り広げられるのだが、彼ら3人の演技は、不条理なものも観客に納得させてしまう力がある。

 映画では、個性の強い役者にめぐり合うと、監督が映画の台本が役者に合わせて作り変えられることがあると聞くが、演劇は日々、役者の成長や脚本の深化で、不断に演出が変わっていく生き物のような芸術なのだろう。

 彼らを支える、新宿梁山泊代表の金守珍。久しぶりに彼の芝居を観たが、ものすごい怖い役柄で、別人かと思った。
 六平直政。新宿梁山泊の時と少しも変わっていなかった。彼一人で場の雰囲気を一変させてしまう。
 
 “アングラ演劇”と言われるジャンルは、存在感のある役者がどんどん参加すべきではないかと思った。分かりやすさ、親しみやすさなどが人気タレントには求められているようだが、そんなものをかなぐり捨てて演じると、宮沢りえのような実力のある役者からは、思いがけない隠れた魅力が引き出される。

 蜷川の演出だからこそ、宮沢、藤原、西島といった人気女優・男優が集まったのだと思うが、金守珍率いる新宿梁山泊のような劇団にも、ぜひ宮沢のような女優に参加してもらいたい。人気俳優とアングラ劇のものすごい化学反応を観て、そう感じた。

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約20年ぶりの新宿梁山泊! 「風のほこり」を観る。

 第三舞台・封印解除&解散公演「深呼吸する惑星」(紀伊國屋ホール)が2月4日、WOWOWで放送された。80年代から90年代にかけて、演劇をよく観た。その中でも、80年代、90年代の空気を上手に取り入れた鴻上尚史作・演出の第三舞台の芝居は好きだった。2001年の公演を最後に10年間、活動を封印してきたが、その解除とともに解散するという道を選んだ。動きの激しかったあの時代と連動するような芝居は、閉塞感の漂う今は、もうできないのだと、改めて思った。

 一方で、時々の流行とは一線を画す、人間の本性をあぶり出すような芝居も好きだった。その代表格が新宿梁山泊だ。

 2月3日から5日まで新春公演を行うという情報を演劇好きの友人から仕入れた。

 梁山泊は、1991年5月の「人魚伝説」以来、観ていない。というよりも、演劇自体をほとんど観なくなっていた。
 ほぼ20年のブランクだ。
 
 でも、あの、人間の奥深くから湧き出てくるような情念のエネルギーが感じられる味の濃い芝居が、どうしても観たくなってきた。

 梁山泊の本拠地である芝居砦・満天星(中野区上高田4-19-6 ゴールデンマンションB2F、03・3385・7971)での新春公演に5日に行った。作・唐十郎、演出・金守珍「風のほこり」だ。
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(クリックすると大きな画像で見られます)

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(クリックすると大きな画像で見られます)

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 東中野駅から歩いて15分ほど。

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 こんなマンションに芝居小屋があるのかと思ったが、ともかく、ゴールデンマンションに着いた。

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 階段をおりていくと。

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 新宿梁山泊の本拠地があった。

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 さらにおりていく。

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 お客が一人も見えないので、大丈夫かと心配になるが。

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 広い、待機スペースがあった。この場所にくるだけで、すでに演劇空間に入っている。

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 コーヒーも飲めるし、トイレも完備。

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 今回の芝居の、唐十郎書き下ろしの脚本も展示してあった。

 芝居は満席。根強いファンがいるのだなと思った。

 「都心のビルの地下に出現した昭和5年の浅草の芝居小屋」
 「過ぎてゆく昭和5年に、義眼の瞳は何を見る…」
 予備知識はこれだけで、芝居が始まった。

 この人たちはいったい、何を話しているのだろう?

 この場面にどんな意味があるのだろう?

 久々の文字通りアンダーグラウンドの芝居に、脳みそがついていけない。

 20年前は30代だった。日本語の分かりやすい言葉に一度翻訳できないと理解した気になれない。そんな頭の固い人間になってしまっているのかもしれない。

 しかし、役者の演技は熱を帯びていて、だんだん引き込まれていく。

 言葉が通じず、文化もまったく異なる外国に来てしまったような心細さで芝居を見続けるのだが、相手が本気なので目に見えない何かが伝わってくる。

 芝居とは、もともと、言葉や電波で運ぶ映像では伝えられないことを、空間と人のしぐさと脚本家の挑戦的な台詞で感じさせる芸術だ。

 分からなくても、脳みそのある部分は刺激されたのだろう。不思議な感覚に包まれて、劇場をあとにした。

 
 もっとも、観る側の自分が20年で変わってしまっただけでなく、今日観た梁山泊の芝居はかつて、心が躍ったころの梁山泊の芝居とはいろいろな点で異なっていた。

 どこが違っていたのだろう。

Sennennokodoku

Ningyodensetsu
 大好きだった芝居の戯曲集(『千年の孤独』=1989年7月11日、ペヨトル工房発行と『人魚伝説』=1990年11月11日、同)を読み、記憶を呼び覚ますとともに、梁山泊のその後を調べてみた。

 フリー百科事典、ウィキペディアによると――。
 新宿梁山泊(しんじゅくりょうざんぱく)は日本の劇団。1987年、金守珍を代表にして結成。劇団名は好漢が集う中国の小説『水滸伝』と、唐十郎がアングラ演劇上演を開始した新宿に由来している。当初は座付き作者鄭義信の作品を上演していたが、1995年鄭退団後は、唐十郎の戯曲上演が多い。テント芝居など唐に代表されるアングラ演劇の志を現在も積極的に継承している。海外公演にも積極的で、韓国公演を毎年のようにおこなうほか、中国、台湾、ドイツなどでも公演をおこなった。

 2007年、新宿梁山泊が鄭義信の『それからの夏』を上演しようとし、鄭は自身の著作権を主張してこれを差し止めたが、新宿梁山泊は、この戯曲および『人魚伝説』が劇団の共同制作であることを主張し、自主上演権を求めて裁判所に提訴した。この裁判は、2008年4月新宿梁山泊が提訴を取り下げることで実質的に鄭義信の勝訴に終わった。

 
 そうだったのか。どんな事情があったのかは知らないが、鄭義信氏の退団と、その後の裁判沙汰はとても残念だ。

 新宿梁山泊の名作は鄭義信、金守珍両氏の互いに妥協しない関係が作り上げていたと言っても過言ではない。「日経イメージ気象観測」1991年1月号で、次のようなやり取りがある。

司会 義信さんは映画青年で、映画界にかかわったこともあるそうですが、その経験は生きている?
 映像的な劇作家だとはよく言われます。   
 彼は舞台の機構とかを無視するんです。
司会 でもやってしまう。
 おれたちはこいつに負けたくないから。
六平 義信のためにやってるんだよ。
 ありがとうございます。
六平 だからおまえだけ金持ちになったら許さんぞ(笑)。
司会 金さんと鄭さんはいいコンビですね。
 守珍さんと僕は性格も両極端でよくやっているねって言われるけど、だからやれるんだなと思っています。
 おれは陽で、こいつは陰なんです。
 おれが陽ですよ(笑)。
 彼はとにかく憂えてるの。「何で」っていうぐらい湿ってるんですよ。おれは湿ったのが嫌いだからドライにする。乾かない限りは彼の魅力は無いわけです。おれと六平は完全に乾かす。義信は役者としてはすべてを乾かしてしまう才能があるんですがね。

 六平氏に仲直りの仲介をしてもらって、ぜひ、『千年の孤独』と『人魚伝説』を再演してもらいたいものだ。

 最近は唐作品が多いというが、もとは状況劇場にいた金守珍氏。これだけのガチンコ勝負を唐氏とできるのかどうか。遠慮なく唐作品を、例えば、「乾かして」ほしい。

 
 今回の芝居に、役者としても印象が強い金氏が出演していなかったのも物足りなかった。金氏は、同じ時期に行われていた、作・唐十郎、演出・蜷川幸雄の「下谷万年町物語」に“出稼ぎ”に行っていたのだ。
 
 金守珍氏の迫力のある芝居と、六平直政氏の人情味があり、かつ場を明るくする芝居が懐かしい。それから、2004年10月1日に亡くなってしまった『千年の孤独』の主役を務めた金久美子(キム クミジャ)さんをはじめとする魅力ある女優陣が、何と言っても梁山泊の魅力だった。

 今回の「風のほこり」でもこのクラスの役者たちがいれば、さらに盛り上がっただろう。


 テントでの芝居もまた、観たい。
 90年の『人魚伝説』は5月の江の島/片瀬海岸境川河口広場特設テントで行った公演と、夏の上野/不忍池水上特設テントで行った芝居を観た。船上の六平氏の姿が忘れられない。


 芝居砦・満天星にあった「下谷万年町物語」のチラシに、金氏とともに、六平直政氏の名前があるのを見つけた。主演は宮沢りえ。
 強力な二人の役者と魅力的な女優の組み合わせは、まさに往年の梁山泊の芝居に近いものを観せてくれるのではないか。

 Bunkamuraシアターコクーンリニューアル・オープン公演の「下谷万年町物語」。劇場に問い合わせると、すでに前売券は売り切れ。当日、立ち見かキャンセル待ちしかないと言われたが、こうなったら絶対に観たい。

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櫨浩一著『日本経済が何をやってもダメな本当の理由』(日本経済新聞出版社)

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日本経済が何をやってもダメな本当の理由

 櫨浩一著『日本経済が何をやってもダメな本当の理由』(日本経済新聞出版社、2011年6月10日発行)を読んだ。

 回答は「はじめに」にある。
 「生産性を高め、コストを削減し、現在の為替レート水準でも輸出の採算がとれるようにする、という企業戦略はごく自然なものだ。しかし、これを日本全体でやろうとすると、いずれ輸出が増えて貿易黒字が拡大し、さらに円高になってしまうので、ハードルが一層高くなり、成功する企業は一部だけになってしまうのだ」。
 「内需主導経済を実現するための経済政策は、企業の設備投資を刺激する方向に向かいがちだが、日本国内の生産を増やそうという努力がかえって日本経済の内需不足を激しくさせ、生産の停滞を招く一因となってきたと考えられる」「生産性が低下しているのは、需要が足りなくて生産能力が発揮されないからだ」。

 「内需主導経済は、消費者が欲しいと思っているものを供給するという消費主導経済だ」「日本経済が需要不足であるのは、消費者が本当に必要とし欲しがっているものを生産しないで、需要がないのに作りやすいものを作って売ろう、あるいは自分たちが作っているものの需要をあの手この手で喚起しようとしていることに原因がある」「企業が売りたい、供給したいと考えているものと、消費者が必要としているものとが異なっているという、ミスマッチが大きな原因だ」「少子高齢化が進んだ今の日本では、医療・介護、子育てといったサービスへの需要が拡大し、供給不足の状態にある。これに応えることが経済成長への道だが、現在のままでは税金や社会保障負担の増加という問題を克服できず、介護施設や保育所には長い順番待ちの列ができている」。

 この回答が正しいと思えるようになるためには、いくつもの、日本経済を発展させる処方箋についての誤解を解く必要がある。
 本書は、いくつもの誤解を解こうとする試みをしており、巷で行われている議論の多くが底の浅いものだということを気づかせてくれる。

 海外経済に翻弄される日本経済
 「日本経済は外需の順調な拡大が続かないと経済がうまく循環しない構造になってしまっており、海外経済の拡大が途切れると、そこで本格的な景気回復にいたらずに終わってしまうのである」「一時的な需要不足の状態に陥ったのであれば、落ち込んだ需要を財政政策や金融政策などで一時的に埋めてやれば、経済は元の需要不足のない正常な状態に戻る。ところが日本経済の低迷は、バブル景気崩壊後だけでも20年余も続いている」「問題を解決するためには、日本経済を元の姿に戻すということではなく、新しくバランスのとれた姿はどのようなものかを模索すべきだろう」。

 消費は浪費という呪縛
 「戦後から高度成長期にかけての日本経済は、すでに経済的な離陸は果たしており、発展途上国ではなかったものの、戦争によって企業の生産設備も道路や鉄道などの社会資本(インフラ)も破壊され、著しい資本不足が原因で生産力が不足している状態にあった。一時的に消費を抑制すればより高い経済成長が可能になり、少しの間生活水準の低下を我慢すれば、すぐにもっと多くの消費ができるようになるという状態である。このため、将来の生産を拡大するために国内の生産物を投資に向けることが善であり、消費に振り向けることは無駄遣いであり浪費だ、という考え方が定着してしまったと考えられる」。

 無資源国という呪縛
 「『日本は無資源国だから輸出を増やさなくてはならない』という言葉は、いつの間にかひとり歩きし始め、『資源を輸入するために』という部分は忘れ去られた。経常収支の黒字は、2009年度で15.7兆円もある。…『資源を輸入するため』に、現在以上に輸出を増やして外貨を稼ぐ必要はないのだ」。

 少子高齢化の呪縛
 「今後の日本経済は、少子高齢化のために労働力人口の減少が続いて生産力の伸びが低下するうえ、総人口も減少して需要が増えないので、低迷が必至であるという呪縛だ」。
 しかし、「現在の状況は、人口減少・高齢化で起こると考えられている、需要に対して供給力が不足するという状況とは大きく異なっている」。

 生産性の低迷という錯覚
 「日本の生産性の低迷は、実は需要が不足しているので生産能力はあっても能力が発揮できないということが原因で起こっている」「製造業の稼働率指数を見ると、2010年11月には86.7だった。…工場の機械設備をフル回転させれば、製造業では現在よりも2割以上余計に生産ができるはずなのだ」「おまけに、日本の失業率はバブル景気の頃は2%程度だったが、2010年には平均で5.1%にもなっているから、失業している人たちが働くことができれば、もっと多くのモノやサービスを生産できる」。

 家計に分配されない所得
 「家計消費が増加しないという日本経済の問題は、一人当たりGDPが大きいにもかかわらず、それが家計に所得として還元されないことに原因がある」「製品の価格を高くしたら海外企業との価格競争で敗れてしまうので、賃金の引き下げにはおのずと限界がある。しかし、企業が賃金の引き上げを抑えて利益を増やした分を、家計に配当などの形で還元してやれば、家計の所得は増える」「雇用者が加入している厚生年金や、厚生年金に加入していない人の国民年金などの公的年金制度は多額の資金を運用しており、金利が高くなったり企業の配当が多くなったりすれば、年金の運用利回りの上昇を通じて国民全体にメリットが及ぶ」。

 自転車のような日本経済
 「これまでの日本経済の構造が成長を前提としたものであり、最低でも低成長、できれば高成長をし続けないと、バランスがとれなくて倒れてしまうような構造であることの方が問題であり、それを修正すべきなのだ」「経済成長は人々の生活を豊かにするための手段であって、それ自体が目的ではない」。

 似て非なる貿易立国と外需依存
 「国際的な分業というのは、日本が不得意な分野の生産はそれを得意としている外国に任せるということが前提だから、国際的な分業が進んでいく過程で輸出が増えているのであれば、同時に輸出の増加を伴わなければばならない。経済成長をするために外需を増やすことが国際分業ではないのだ」。

 輸入から生じる貿易の真の利益
 「貿易の真の利益は輸入・消費の利益であって、輸出・生産の利益ではない。2008年にノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンは、『輸出でなく輸入が貿易の目的であることを教えるべきである。国が貿易によって得るのは、求めるものを輸入する能力である。輸出はそれ自体が目的ではない。・・・』と述べている」。

 仕事を作るための輸出
 「1980年代以降の日本経済では、輸出は輸入をするための手段ではなくなり、国内需要の不足を補うための手段になった。外需を増やさないと、失業問題が深刻化するようになったからだ。輸入するための手段にすぎなかった輸出は、いつの間にか日本経済の安定を維持するための経済政策の目的と化してしまったのである」「このころから日本経済は国内の民間需要だけでは企業活動を支えることができない状態となった。輸出を拡大するか、大幅な財政赤字を出すかして需要を作り、経済を支えなければ、仕事がなくて大量の失業者が出てしまう」。

 国際競争力という幻
 「教科書では、輸出で稼いだお金を使って輸入することが前提となっているので、輸入代金が少なくなる『円高が良い』と考えるのに対して、日本の常識では、輸入代金を稼ぐことに主眼が置かれ、海外に販売しやすい『円安が良い』と考えられるようになったのだ」。
 しかし、「国際競争力を強化して外需依存の経済成長をしようとしても、結局はうまくいかない。国際競争力の強化で輸出の増加が実現すると、貿易収支の黒字が増加して、外貨と円との取引では外貨が余剰で円が不足という状況になって円高となり、日本企業の国際競争力が低下してしまうからだ」「為替レートは国際競争力の差を調整するようにできている」。

 中小企業は生き残れないのか
 「需要の拡大が見込まれる中国などの新興国市場には世界中の有力企業が進出し、熾烈な競争が繰り広げられている。全体の需要は急速に増え、個々の企業にとっても売り上げ増加のチャンスは大きいだろうが、それで安定的な利益が得られるかどうかは分からない」「逆に、縮小する市場でも、競争相手が次々に退出していけば、意外に安定した利益を得ることができるはずである」。

 消費小国日本
 「日本のGDPを支出面から見ると、他の先進工業国と比べて家計消費と政府消費を合わせた消費の割合が小さいことが特徴だ」「欧州各国は一般に『高福祉・高負担』である。そのため、スウェーデンに典型的に見られるように税や社会保障負担が大きいので、これらを控除した個人の可処分所得の水準は低くなり、個人の所得で行う消費は少ない。しかし、その代わりに国や地方自治体が税や社会保険料の形で集めた資金を使って、手厚い医療や福祉のサービスを政府消費として提供している」「米国は『低福祉・低負担』の国である。欧州に比べて税・社会保険料の負担が小さく、国や地方自治体が提供するサービスは少ない。しかし、税などの負担が少ない分だけ個人の可処分所得が多いから、それを使って各個人が多くの消費支出をしている」。

 政府消費と個人消費のミックス
 「日本では多くの医療・介護の需要があるのにそれを満たすことができないのは、すべてを公的保険で賄おうという考えのために、負担増に合意が得られないからだ」「公的保険は基礎的なサービスを確実にカバーするものとし、それに上乗せしてどこまで医療・介護に支出すべきかは、個人の選択に任せるべきではないだろうか」「医療・介護などのサービスを今よりもはるかに多く供給するためには、今よりもはるかに多くの人々がこの分野で働かなくてはならない」。

 サービス業の生産性の上昇速度
 「消費の拡大、とりわけサービスの増加では経済が発展しないという誤解がある」。
 しかし、「サービス化が進まないから低迷が続いている、と考えるべきではないだろうか」。

 技術革新の効果は他分野にも及ぶ
 「医療・介護、福祉といった分野それ自体では技術革新がなくても、他の分野で技術革新が起こって生産性が上がれば、そこで生まれた余剰な労働力をこの分野に投入するという選択肢が可能になる」。
 「低賃金で人で不足となっている介護産業などで提供するサービスにもっと高い価格をつけることができれば、現在よりも高い賃金を支払い、大幅に不足している人材を確保できるようになる。そうすれば、介護産業はそれだけ高付加価値になり、『低生産性』産業ではなくなるだろう」。

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櫨浩一著『貯蓄率ゼロ経済―円安・インフレ・高金利時代がやってくる』(日経ビジネス人文庫)

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貯蓄率ゼロ経済―円安・インフレ・高金利時代がやってくる

 櫨浩一著『貯蓄率ゼロ経済―円安・インフレ・高金利時代がやってくる』(日経ビジネス人文庫、2011年10月3日発行、2006年1月発行の単行本の文庫化)を読んだ。

 「日本はこれまで経験したことのない長期にわたる人口減少時代に突入した。経済の動きは、消費や設備投資の増加速度など需要の面から議論されることが多い。そのため、人口減少がもたらす需要の減少という量的な側面に注目した、経済成長率の低下や日本経済の縮小についての議論が盛んである」「しかし、今後の日本経済は、単に拡大の速度が遅くなったり、縮小したりするわけではなく、構造自体がまったく変わってしまうはずである。需要面にだけ注目していたのでは、そのことを理解するのは難しい。日本経済の構造変化を考える上で、高齢化に伴う家計貯蓄率の低下と、それがもたらす貯蓄投資バランスの変化がカギになるというのが、本書の基本的視点である」。

 「本書の結論を導くために理解していただく必要のある関係はたった一つ、日本国内の家計、企業、政府の貯蓄投資バランスの合計が経常収支に一致するというものだけだ。この簡単な関係だけから、円高や財政赤字が発生した理由や、高齢化の進展が日本経済に及ぼす変化を予想することができる」。

 貯蓄に着目した分析は説得力があり、斬新な提言も参考になった。
 
 まずは議論に必要な前提の部分を引用しておこう。

 まず「日本の高い貯蓄率」について。日本が貯蓄が好きな国民だったわけではなく、「第二次世界大戦後の日本で家計の貯蓄率が高かったのは、貯蓄が必要な理由と、貯蓄ができる条件がそろったから」だという。

 すでに国際的にみても、すでに日本の貯蓄率はそんなに高くない。
 「日本の家計貯蓄率は1980年度には17.0%であったが、90年代末から急速に下がり、2001年度には6.7%にまで低下した。03年度には7.8%に回復したが、この水準はすでに欧州各国の貯蓄率を下回っている」。

 「貯蓄率は1986年からは60歳以上の無職世帯についても調査されるようになり、89年からはすべての年齢の無職世帯が調査されるようになった」「これによると実際に無職となった高齢者が貯蓄を取り崩していることが確認できる」「2004年の家計調査の結果を見ると、世帯主が60歳以上で無職の世帯では……貯蓄率は、マイナス29.2%という大幅なマイナスである」。
 「世帯主の年齢が60歳以上で無職であるという『高齢無職世帯』が全世帯に占める割合は、1985年には8.5%にすぎなかったが、2004年には23.2%に上っている」「この急速な人口構造の高齢化が、日本の家計貯蓄率低下の主な要因なのである」。 


 貯蓄は消費水準を決める。
 「普通の消費者が毎月使う金額を決めるに当たっては、何が欲しいかではなく、貯金した後でどれだけ使えるかお金があるかが大きいのだ。つまり、毎月の消費支出の水準を決めているのは、消費意欲ではなく貯蓄のほうなのである」。

 貯蓄は経済成長率も決める。
 「10年、20年というような長期の経済成長を考える場合には、経済の供給力の伸びの方が問題になる。どれだけ需要があっても供給力がそれに伴わなければ経済成長は実現できない。つまり、長期的に見れば供給力の伸びが現実の成長率の上限になっている。貯蓄率はそれを決める大きな要因である」。


 「高度成長や社会保障制度の不備、ボーナスの存在、税制などといった要因が家計の貯蓄率を増やす方向に働いていたことは疑いないが、日本の家計貯蓄率が高かったことをそれらの要因だけで説明することは難しい」「日本の貯蓄率が高かった大きな理由は、人口構成が若く、老後のために貯蓄を行う働き盛りの世代の割合が多かったことに求められよう」。
 「逆に、今後高齢化が進んで高齢者の割合が高まれば、家計貯蓄率はさらに低下していくことになる」。

 高い貯蓄率があってこその高度成長だったが、半面、マイナスの面ももたらした。
 「豊富な家計貯蓄はバブル期に企業の膨大な非効率投資を生み出し、日本経済は過剰設備と過剰債務の解消に長い時間を要することになった」からだ。

 「豊富な家計貯蓄は、日本経済の悩みのタネであると同時に、かろうじて現在の日本経済を支えている頼みの綱でもあるのだ」
 「日本は先進諸国中で財政赤字が最悪の状態に陥っている。2005年度予算では国の一般会計の歳入のうち借入金である国債に依存している割合が41.8%にも上っている」「このような状態であれば、普通は長期金利が上昇したり、激しいインフレに襲われたり、通貨危機に見舞われたりするなどの深刻な問題が発生するはずである」「しかし、現在の日本では先進国中で最も財政状況が悪いにもかかわらず、インフレや国債の金利上昇といった問題が発生する気配すらない」「日本経済では、2000年頃から家計貯蓄率が急速に低下する一方で財政赤字が拡大し、家計の貯蓄だけでは財政赤字を賄うことができなくなっている。それにもかかわらず、財政赤字による様々な問題が起きていないのは、過剰債務削減のために企業部門が大幅な貯蓄余剰となっており、家計部門と合わせた民間部門全体が大幅な貯蓄余剰であるからだ」。

 以上で「貯蓄」の活躍ぶりが分かったが、貯蓄率は今後低下してくるという。
 「無職の高齢者世帯では、この数年間で所得の大部分を占める年金などの社会保障給付の受け取りが減少する一方、社会保険料と保健医療支出の支払いが増加している」「この原因としては、老齢厚生年金の支給開始年齢の段階的引き上げによる収入減、2000年度の介護保険制度導入に伴う新たな保険料の発生、医療保険や介護保険の自己負担による支出増などが挙げられる」「このような社会保障の制度変更は、高齢者無職世帯の可処分所得を減少させ、貯蓄の取り崩しを増加させることによって、貯蓄率の低下に影響を及ぼしている」。

 現時点では家計貯蓄率は高まる要因もある。「高齢化が伸展する中で年金、医療、介護などについて公的制度のみによって十分な老後保障を確保しようとすれば、現役世代の負担が重くなりすぎて制度自体が崩壊してしまう恐れが強い。このため、今後、私的な老後準備の重要性はさらに高まっていく可能性が高く、現役の勤労世帯の貯蓄率を押し上げる要因になる」からだ。
 「超低金利による利子所得の減少が貯蓄率低下の要因となっていることからすれば、この要因がなくなることも貯蓄率を押し上げる可能性もある」。
 「貯蓄率を押し上げる効果があったと考えられるのは、高年齢者の就業促進である。2006年4月から改正高年齢者来よう安定法が施行されて、65歳までの高年齢者の雇用を確保することが義務付けられたため、高齢者の就業が進んだ」。

 こうした家計貯蓄率が上がる要因もあるものの、「長期的に見れば、さらなる高齢化の進展により家計貯蓄率が低下していくことは避けられない」「2012年以降、高齢化が加速することにより貯蓄率は再び急低下して」いく。

 そして、試算によると、「2020年前後には家計貯蓄率はほぼゼロに低下すると見られ、日本は『家計貯蓄ゼロの経済』に突入されると予想されるのである」。

 「貯蓄率ゼロ経済」にようやくたどり着いた。
 それはどんな経済なのだろうか。

 まず、新規の設備投資が難しくなる。日本経済の生産能力の増加が望めなくなる。
 「政府は赤字を賄う資金を海外から調達しなければならないという状況が考えられる」。経常収支が赤字となり、財政収支と経常収支がともに赤字という「双子の赤字」問題が発生する恐れがある。

 「貯蓄率の低下は、家計が所得の中から消費に回す割合が増加することを意味するから、所得が増えなくても消費は増加する」「一方、貯蓄率がゼロになることで生産設備は増やせなくなり、高齢化で働き手が少なくなることも加わって、経済の供給力は伸びなくなる」「供給力の過剰が縮小していけば物価は上昇しやすくなり、インフレ気味となるはずである」「貯蓄率低下と労働力人口の減少による供給力の伸びの低下の方が需要の伸びの低下よりも大きいため、日本国内の需要と供給の関係は、従来の供給過剰から需要過剰へと変わっていくのである」。
 「インフレのもう一つの原因であるコストの上昇という点でも、貯蓄率ゼロ経済はインフレを引き起こしやすい。高齢化の進展で労働力人口、とりわけ若い労働力が減少するために賃金が上昇しやすくなるからだ」。

 80年代後半以降「価格破壊」のときのような価格引き下げの手法は、「貯蓄率ゼロ経済になって円高が止まれば難しくなる。…中国や東南アジア諸国の経済発展でこれらの国々の賃金が上昇していけば消えていくはずだ」。

 「日本の物価上昇率が米国よりも高くて円安傾向が続けば、日本では米国からの輸入品の価格は上昇する。輸入品価格の上昇は日本国内の物価上昇率を高め、購買力平価で決まる為替レートは円安となるので、為替レートにはさらに円安の力が働く」。

 「貯蓄率ゼロ経済ではデフレからインフレに変わることによって、金融政策は現在の超緩和から引き締め傾向に変わり、金利は上昇する可能性が高い」。
 「家計からの新規の資金供給が止まることによって、国内の資金の受給関係は供給過剰から需要超過に変わっていく」「わずかな資金を民間企業の設備投資のための資金調達と財政赤字を賄うための政府の国債発行による資金調達が奪い合う形となって、金利が高騰する危険が高まる」
 「貯蓄率ゼロ経済ではお金の流れがこれまでの日本から海外ではなく、海外から日本へという方向に変わる」。

 ここまで見てくると、将来は相当厳しい状況が予想されるが、道はあるという。

 「今あるものをスクラップして、その代わりに別のものをつくることはできる。これまでの投資が非効率だったとすれば、今後の投資を効率的なものにすれば、投資を拡大しなくても日本経済は成長していく余地が大きいことになる」「貯蓄率ゼロ経済で我々が目指すべき方向は、量の拡大ではなく質の改善、持っているストックの効率化という方向なのである」
 「これからは低収益部門の縮小や廃止によって、成長力のある産業や企業が投資に使う資金を捻り出さなくてはならない」。
 公共事業にも「本当に必要なものだけを整備する」という姿勢が必要になる。

 「資本も労働力も増えないので、これまでのような量に頼った経済成長を続けることはできなくなるのである」「しかし今後も、残る一つの要素である技術の進歩によって日本経済を発展させることは可能である」。
 
 「普通は技術という言葉からは『科学技術』を思い浮かべるが、経済成長に使われる技術はもっと意味が広く、コンピューター自体の性能だけでなく、会社などの組織での利用のされ方も含むものである。国全体では、社会を支える税や社会保障などの制度や、企業活動を規制する法律や政府組織のあり方までを含んだ非常に幅広いものを指す」「今後の日本経済の発展にとっては、むしろこうした科学技術以外の、社会を効率よく動かすための『社会技術』とでも呼ぶべきものが重要になるのではないだろうか」。
 「社会技術な方は放置しておくと世の中の変化に合わなくなり、効率が落ちてしまう」。

 家計もストックの効率化が必要だ。
 「日本の個人金融資産は約1400兆円で、名目GDPの2.8倍に上る。このうち5割以上に当たる780兆円程度を60歳以上の高齢者が保有していると推計される」「世帯主一人当たりの貯蓄額を見ても、世帯主の年齢が60歳以上の層は貯蓄残高が2500万円に近く、全世帯平均の1692万円を大きく上回っている」「高齢者は多額の金融資産を保有しており、お金持ちだという話をしばしば聞くが、老後の生活のために皆が貯蓄をすれば、年齢が上昇するとともに資産は増加していく」。
 「膨大な遺産が生まれる理由は、貯蓄が預貯金などの金融商品の形で将来の不確実性に備える目的で行われているからだ」「個人が将来に対する不確実性をカバーしようとして、最も費用がかかるケースに対応した資金を用意することは、社会全体としては非効率を生む原因となる。老後の生活資金や介護費用なども保険によって用意すれば家計の貯蓄を効率化することができ、個人のレベルでも日本経済全体でも必要な金融資産額の引き下げが可能になる」。
 「大きすぎる家に住むのは、毎日の家の掃除も大変だし、住宅の維持・管理のコストや固定資産税も高い」「住宅の売買には不動産取得税が課される他、登記や仲介業者のコストなどもかかる。こうした取引コストを引き下げて、高齢者の住み替えが容易になるような政策的対応も求められる」。

 
 「とりわけ大きな問題は、家計に十分な老後資金を形成させようとすれば、政府が資金の借り手になるしかないことである」「政府が国債を発行して家計の貯蓄願望に応えることはできるが、将来高齢になって引退した人たちがこの国債を一斉に売却して老後の生活資金に充てようとしたときに、大きな問題が起こるはずだ。高齢者の貯蓄取り崩しで発生した需要は、日本経済を需要超過からインフレに導いてしまうだろう。そもそも大量の国債を売却しようとしても、国内にはこれを買う相手がおらず、金利の大幅な上昇(国債価格の下落)が起こる可能性もある。

 資金の借り手の問題は公的年金を積み立て方式に変えたとした場合にも出てくる。
 「公的年金制度が積立金を増やそうとすれば、誰かがその貯蓄を借りなくてはならないが、その相手は家計、企業、年金制度以外の政府部門と海外に限られる」「家計の貯蓄が減少するのでは豊かな老後は送れない。現在のように、企業が過剰債務の削減のために借り入れの返済を続けている状況では、借金をしてくれるのは海外だけということになる。海外に資金を貸し付けようとすると経常収支の黒字が拡大してしまい、貿易摩擦などの経済摩擦を引き起こす。仮に国際的な経済摩擦や政治摩擦を回避できたとしても、大幅な黒字が続くことで円高圧力が強まり、意図したような大規模な積み立てが実現する前に、景気の悪化によって年金保険料が集まらないなどの結果に終わる可能性もある」「年金の積立金を大幅に増やして将来の保険料を抑制するなど、世代間の不公平を小さくしようとしても、結局は国債を発行せざるを得なくなる恐れが大きい」。

 「現在の貯蓄過剰と将来の貯蓄不足が引き起こす問題は、時間の配分という観点から見ると。『若いときに働いて、老後は働かずにすます』という、いわば日本経済全体で時間を貯蓄しようとすることの『無理』の産物ともいえる」。
 「老後の生活のために貯蓄をし、将来それを取り崩そうという行為が貯蓄率の大きな変動を引き起こし、日本経済を需要不足から供給不足に陥らせる。…高齢化が進む貯蓄ゼロ経済では、高齢者が働くことが問題解決のカギなのである」
 「壮年期に働く時間を減らせば所得も減るが、高齢期にも仕事をして所得が得られるのであれば、今のようにあくせく貯蓄をする必要がないから、所得が減っても生活には困らないはずだ」「仕事の総量を増やすわけではなく、要は人生の中での分布を薄く広くするという問題なのだ」。
 「もちろん、人生のどこかで集中的に働き、後はゆっくり自由に生きたいという人もいるだろう。そういう人はこれまで以上に若いときに働き、その間に貯蓄をして悠々自適の老後生活を送ればよい」「こうした人生のスタイルを公的な制度ですべての人に保障しようとすると、様々な問題が発生してしまうのだ」
 「『高齢になっても働ける社会』は選択の幅の広い豊かな社会である」。

 「1955年から2000年までの間に平均的な定年年齢は5年延びているが、その間に働く期間に対する老後期間の比率は50%から56%に上昇している。老後の生活資金を貯蓄で賄おうとすれば、現在の方が働いている間に多くの資産をつくらなくてはならないことになる。こうした矛盾の根本的な解決策は、平均寿命の延びに合わせて働く期間を延ばすことだ」。

 「今から将来に向けて、高齢者が働きたければ働ける社会システムをつくり上げる必要がある。そのためには、中高年齢層の労働市場を流動化させる必要がある」。
 「定年を延長するのではなく、いっそのこと定年年齢を45歳位にしたらどうか。45歳になったら全員定年退職し、新しい会社に入社し直して、新しい仕事を始めるというのはどうだろう」。
 「固定化した労働市場ではめったに失業しないものの、一度失業したら次の仕事を見つけるのは困難である。流動的な労働市場では、多くの人が仕事を変えているので次々と空きポストが生じる」。

 「45歳定年」という斬新な提案にいくまで、相当な勉強が必要だったが、こうした大胆な手を打つしか高齢化を乗り切る方法はないのではないだろうか。

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