落合 恵子著『母に歌う子守唄~わたしの介護日誌』(朝日文庫)、『母に歌う子守唄 その後~わたしの介護日誌』(朝日文庫)
落合 恵子著『母に歌う子守唄~わたしの介護日誌』(朝日文庫、2007年7月30日発行)、『母に歌う子守唄 その後~わたしの介護日誌』 (同、2011年4月30日発行)を読んだ。落合恵子さんが、愛する母親を介護し、見送った7年間の日記がこの二つの文庫に収められている。介護の情景が目の前に浮かぶようだ。
母親の様子を「書く」という行為が彼女のプライバシーを侵すことになりはしないかと迷いながらも、それを伝えることが日本の医療や介護を変えることにつながり、介護の苦労をしている人、これからする人たちにも元気を与えられるはずだと、日記を書き続けた。
「こうして介護について書くことも、わたしには情報開示であり、自身のセラピーにもなっている。老いや介護を巡る個人的な体験をなんとか普遍化したいという、少々大上段に振りかぶった思いもあるが、表現することで、日々、自分の中に降り積もっていく焦燥と疲労のガス抜きをしているのも事実だ」「しかし、介護『される側』であり、『書かれる側』の母にとってはどうなのだろう」。
パーキンソン病、多発性脳梗塞のほかにアルツハイマー病も合併している母親は、ときに落合さんの呼びかけにたいして明確な反応を示したりするが、「母であること、それ以前に自分自身であることから急速に遠ざかろうとして」いた。
そんな彼女に付き添いながら、「良かれ」という娘としての判断が本当に正しいのかと言う疑問が常に生じていたようだ。
「自己決定権について娘は長い間、書いたり語ったりしてきた。自分の人生のあらゆることは人に任せず、自分で決めたい。それは医療に限らず、個々が、『自分を生きる』上での基本的な人権に関するテーマである、と。しかし、母のように自分のことを自分で決められない状態を迎えたものにとって、自己決定権はいかなる意味をもつのだろう」。
親族が医師の世話になるとき、いろいろが疑問や要望が浮かんできても飲みこんでしまうことが多いが、落合さんはあえて言葉にしたという。
「わたしは『うるさい娘』を貫くことにした。それは、子どもや女性や高齢者や、社会的に『声の小さい側』に置かれた人たちの人権に敏感になるのと同じことだ。わたしはともすると、ちぢこまりそうな自分の心を励ました」。
「病院とは言うまでもなく、『医療というサービス』をそれぞれの患者が、『対等に、適正に、充分に、かつ充分なる説明と同意のもとに選択しつつ受けることができる空間』であり、その主役は当然、患者である」。
「治療や医療の現場におけるもろもろの疑問やすれ違いを、ここで言葉にしなかったなら、わたしのささやかな活動は無意味なものになるだろう」「言葉にしたからといってすぐには変わらないかもしれない。けれど、少しは、変わるかもしれない。その『かもしれない』に賭けてみよう、いままでと同じように」。
「誰のために?母や母と同じ状況を生きている、それぞれの『患者』のために。そして、わたしやわたしと同じ状況を味わっている、それぞれの患者の家族のために。また、医療の現場にいるそれぞれの医師や看護師のためにも」。
ヨーロッパに比べて、いまだに介護に対する考え方が未成熟なニッポン。それにたいしても率直な意見を語る。
「2002年のいま頃、わたしはドイツのハノーバーで開かれた『高齢者自立支援』の見本市にいた。会場には、 こういったモジュール型の車椅子がたくさんあり、中でも存在感があったのが、黄の太いタイヤつきのそれだった。取り外しのきく鮮やかな色のビーチパラソルもついていた」「座り心地が悪くとも、褥瘡(じょくそう、床ずれ)ができそうになっても、車椅子に自分の身体を無理に合わせ、慣れるのを待つ・・・・・・。利用者の心と身体に我慢や苦痛を強いて、どうして自立支援になるの?」
「数日だけデンマークに行ってきた。・・・『できる限り、自分が暮らした家でそのまま暮らし続けたい』。生活の継続性と自己決定権を大切にする高齢の方々に、介護のサービス、自立支援のためのあれこれ、たとえば補助器具の給付なども、実に手厚く、丁寧に行われている」「ひとりひとりの体形や身体(からだ)の状態、心の状態まで汲み取りながら、利用者の声に合わせて器具を作り変えていく、『手間ひま』を惜しまぬ姿勢もまた、素晴らしい」「あくまでも使うひと本位、『必要なひとに、必要なものを、必要なだけ』というサービスが当たり前になっている文化の背景にあるのは・・・・・・。敢えて言葉にすれば、民主主義であり、人権意識であるのだろう」。
介護される高齢者は遠慮しがちだ。介護保険の導入後も、介護は家族の仕事と言う社会的通念は残っている。
「70年代、自立は次のように便宜的に分けられた。精神的自立、生活的自立、経済的自立、というように。むろんこれらも自立を構成する重要な要素であることに変わりはない。が、わたしは、敢えて次のことを、自立のもうひとつの構成要素として付け加えたい。『従来の価値観』そのものからの『自立』である」。
「この社会で高齢者と呼ばれている世代にも、私は呼びかける。『この年になったのだから静かに控えめに、なんてダメ。自分たちに見える景色についてどんどん発言して。異議申し立ても、大事な権利なんだから。ちゃんと行使しよう』」
「緊急の事態におかれた家族は、目の前の“緊急”に対処することだけで、心底くたくたになってしまい、抜本的な解決のために行動を起こす余力は残されていない」
「介護保険が適用されるもののひとつひとつを検討する精神的、時間的余裕がわたしにはなかった。実際、利用が始まったら始まったで、新たなるバタバタが待っている。そして忙(せわ)しさに背を押されるように日々が過ぎてしまい、数年たってから、『なんだ、私費で負担することもなかったのに!』と気がつく場合もある」
「介護保険の枠内でサービスを受け、その他の時間は自分たちで介護をという人たちが、やむを得ず退職したり、退職はしたものの、精神的なバランスを崩したり、最悪の場合は共倒れ、無理心中といった、決して『どこかの不幸』ではない現実と、わたしたちいま直面している」。
「1週間に一度くらいは雲隠れの時間を積極的に作らないと、バーンアウトしてしまうのも介護である」。
「働きづめで来た人たちが、せめてもう少しゆったりと介護をし、また介護を受けられるような経済を含めてシステムをいま考えておかないと、この国は高齢者を不要、とする社会になってしまう」。
落合さんの言葉は、実際に母親と向かい合っている毎日の中から紡ぎだされているだけに、強く訴えかけるものがある。
「その後」で母を看取った後のこんな感想にも強く共感した。
「それでも、元気だった頃の彼女とより、いまのほうがはるかに深く親密なコミュニケーションが成立しているように思えるのは、なぜなのだろう。ほとんどの記憶を、空の彼方に追いやってしまった彼女なのに・・・・・・」。
「母の介護を軸にして息せききって走り回っていた日々を、このうえなくいおおしく、このうえなく懐かしく思うわたしがいる」「もし叶えられるなら、もう一度、あの充実した日々に戻りたい。そう願うわたしがいる」。
「ひたむきに働き、ひたすらに生きてきたひとびとが、人生のファイナルステージで、安心と安全と信頼のある居場所を求めて転々とするしかないなら、わたしたちはなんのために今日を明日に繋いでいるのだろう」。
介護の厳しさ、介護の素晴らしさを、誇張なく、淡々と伝える名著だった。
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