村田裕之著『リタイア・モラトリアム―すぐに退職しない団塊世代は何を変えるか』(日本経済新聞出版社)
村田裕之著『リタイア・モラトリアム―すぐに退職しない団塊世代は何を変えるか』(日本経済新聞出版社、2007年8月24日発行)を読んだ。
第一部 リタイア・モラトリアムとは何か
リタイア・モラトリアムとは村田氏の造語だ。
「60歳で一旦定年退職した後も、再雇用されて働き続ける人が増えている。だが、こうした人たちの多くは、給料が半減し、役職も外され、年下の上司や同僚との心理的葛藤を抱えながら、年金の満額支給など経済的に支障のない時期まで職場で過ごそうとしている。私は、このような状態で本当の離職(リタイア)まで過ごす期間を『リタイア・モラトリアム』と呼んでいる」。
リタイア・モラトリアムにはデメリットも多いが、メリットもあるという。
「リタイア・モラトリアムの出現によって、・・・・・・不連続な断層のようなリタイア・パス(キャリア・パスに対する筆者の造語。離職までの順序・経歴)が、もう少し連続的で穏やかなリタイア・パスへ変わっていく。というのはリタイア・モラトリアムでは、働き続けながら、自分周辺の同世代の多様なリタイア・パスを横目で眺めつつ、自分のリタイア・パスをいろいろと考えることができるからだ。つまり、リタイア・モラトリアムは、多くの離職予備軍である団塊世代にとってキャリアからリタイアへの『ソフトランディング期間』になる」。
「リタイア・モラトリアムは、年金満額受領までの辛く屈辱的な『忍耐の期間』では決してない。むしろ、『会社中心生活』から『個人中心生活』に心身ともに切り替えるための『有用な準備期間』として活用できるのである」。
年金満額受給までのこの時期を前向きに捉えている。
リタイア・モラトリアムの人は、「まず、職場での居心地が悪くなる」。しかし、「業務上の責任・負担がこれまでよりも相対的に軽くなる」。そして「一昔前のように予備知識なしに職場を去るのではなく、職場を去った後の生活イメージを『事前学習』するようになる」。「こうして、職場に居続けながらも、気持ちの中心は何となく『職場を去った後』に向きがちとなる」。
「一方、自由時間が増えることで、それまで時間の制約でできなかったことがいろいろとできるようになる」「まず、多くの人が取り組むのはスポーツクラブやウォーキング、山歩きなどの『健康維持』のための活動である」「健康維持活動以外で増えるのは『趣味・娯楽』にかける時間だ」。
「外出機会の増加や活動範囲の拡大により、会社中心のときよりも『知的刺激のある情報インプット』が確実に増えていく」「重要なのは『自分のリタイア・パスをじっくり考える』過程で、こうした『知的刺激のある情報インプット』が増えることが、『現在の職場を離れて、何か新しいことをやりたい』という気持ちを強めることだ」「すると、こうした心理的変化により、自分が何をしたくて、何が向いているのか、の『探索活動』により時間をかけるようになる」「探索活動のための『情報武装』にも時間とお金をかけるようになる」。
会社に再雇用してもらっている、などと考える必要はないのだ。永年、勤めを果たしたのだから、今度は会社が、次の準備の時間と場所を提供してくれているのだ、と思えばいいのかもしれない。
村田氏は「定年」や「老後」という考え方自体が、もう古いと言う。
「『老後にどんな生活がしたいのか』とは、言い換えると、『老後にどういう生き方をしたいのか』だ。ところが、この疑問は、実は『老後』になってから思いついたのでは遅過ぎる。これは本来『老後以前』に熟慮しておくべきことであり、もっといえば、物心ついた頃から考え続けるべき課題といえる」
「『定年退職イコール老後の始まり』という区切りがもはや消滅したのである」「職場における定年退職を基準に『第一の人生』『第二の人生』と区切って考える時代は終わることにほかならない」。
「これから必要なのは、定年退職後の『ライフプラン』ではなく、定年退職の有無にかかわらず、自分が一生懸けて追求する『ライフワーク』である」「これから求められるのは、老後の生活資金の工面策を説明するだけの『ファイナンシャル・プランナー』ではない。それより、顧客の後半生におけるライフワーク探しを心底応援してくれる『ライフワーク・ナビゲータ』こそが求められるようになる」。
ライフワークを探す。とても気分が前向きになる。
第二部 リタイア・モラトリアムと解放型消費
時間解放消費
ここからが本書の主題である。村田氏は言う。
「リタイア・モラトリアムがきっかけとなって、団塊世代のライフスタイルが変化する」「それは『解放型ライフスタイル』ともいうべきものになる。そして、このライフスタイルの受け皿となる商品・サービスである『解放型消費』が生まれるのである」。
「この解放型消費は、通常『時間解放消費』から現れる」「この消費は、まず、老後の『健康不安』や『経済不安』といった、『不の解放型消費』の分野で顕著に現れる」。
「健康とお金の不安に対して一通り手を打つと、次は平日の自由時間を活用して、フルタイム勤務の頃にはやりたくてもできなかったことに時間を使う『贅沢時間型消費』に向かう」。
「『不の解消』に手を打ち、贅沢な時間の使い方を楽しんだ後は、これまで世間体や自分の立場を気にしてできなかったことや禁じられていたことをやる『自己表現型消費』に向かう」。
自分探し消費
「リタイア・モラトリアムの人は、今の職場を去った後に、いったい何をしようか、何が自分に向いているのかの探索に注力するようになる」。
もっとも、中高年向けの雑誌やサイトの内容は、「語る、遊ぶ、楽しむなど、趣味情報を中心としたものが大半」。
ここで欠如しているのが「退職後の団塊世代が、商品・サービスの『使い手』であるだけでなく、『担い手』でもある、つまり『働き手』だという視点だ」。
「リタイア後にも『遊ぶこと』と『働くこと』とがバランスよくできる方法を知らせてくれるものが望まれている」。
「情報収集型消費がひととおり行き渡ると、次は『文化体験型消費』に向かう」「芸術作品とは、そもそも、芸術家自身がそうした『自分探し』を生涯し続けて自己表現に挑戦した結果の軌跡である。そうした軌跡はリタイア・モラトリアムの人の心に強く共感する。人は何かに共感したときに心の中からエネルギーが湧き出てくる」。
「文化体験型消費をある程度楽しんだ人は、次に、『人脈拡大消費』に向かう」「リタイア・モラトリアムは、会社を去った後の自分にとって、本当につきあう価値のある友人・知人との出会いを育む期間になる」。
一人者消費
「高齢社会とは・・・・・・『一人者』が増える社会だ。だから『一人でも楽しめる』という価値が、これからの商品開発のカギとなる」。
「一人者にはペットの保有者も多い。・・・・・・このため、実はペットの保有が、独り者の旅行需要の阻害要因となっている。だから、この阻害要因を取り除く何らかのサービスを提供することで、潜在需要のかなりの部分を実需要にできる」。
パーソナル・ミッション消費
「パーソナル・ミッションは、趣味でも娯楽でも仕事でも何でもかまわない。自分の人生の評価軸を会社中心から個人中心に移したときに、改めて自分が本当にやりたいこと、あるいはやるべきことを、自分の評価軸に照らして『自分で判断』して決めるものである」。
「私が勧めたいのは、株や財テクで個人資産の拡充に走るのではなく、リタイア・モラトリアムのうちに生涯収入を得られるような『仕事』をつくることだ。そのため個人カンパニー『ナノコーポ』をつくることをお勧めしたい」「会社から収入を得ながら、会社のネットワークも活用でき、かつ自由時間の多いリタイア・モラトリアムは、ナノコーポを立ち上げる準備期間として最適といえよう」。
第三部 リタイア・モラトリアムの後は「脱・リタイア」生活
「半働半遊」のライフスタイル
リタイア・モラトリアムの後は、本格的なライフワークの始まりとなる。
「退職後も余生を送るのではなく、活動的な生活を求めたいという人がアメリカの60代に増えている。その一つが『HOHO(ホーホー)』と呼ばれる新しいライフスタイルだ」。
「HOHOとはHis Office, Her Officeの略。会社を退職した夫、子育てを終了した妻が、各々のオフィスを家に持ち、自分の得意な仕事で、お金も稼ぎながら、余暇もしっかり楽しむ生活スタイル」。
「HOHO型ライフスタイルは退職後に急に始めようとしても難しい。誰でもできる仕事ではそれほど稼げないからだ。だから退職前にそれなりの『準備』が必要だ。退職前から自分の専門性を磨き、固定客を持てる水準になるのが望ましい」。
「日本のシニアの独立・起業が少ない最大の理由は、キャリアのなかで起業の体験をふむ機会が少ないことである」「一方、起業化経験は少ないかもしれないが、『熟練の営業マン』や『契約交渉のプロ』のような一芸に秀でたビジネスマンを含めれば人材の層は厚くなる」「したがって、『起業』のプロとしてよりは『営業』や『交渉』などのプロとしてシニアが活躍できる場を創出することが、シニアHOHOのすそ野拡大につながると考えられる」「大企業でそれなりに事業家実績をあげ、退職を迎えようとしている人材を組織的にプールして、『ベンチャー企業支援隊』として活躍してもらうことが有望である」。
リタイアメント・コミュニティの終焉
日本では「老人ホーム」。この業態が、アメリカでは大きく変わっていると言う。
「シニア先進国のアメリカでも、かつてはシニア住宅といえば、ナーシング・ホーム(Nursing Home)のことを意味したほど選択肢は少なかった。ナーシング・ホームは、専門的な介護なしでは自立して生活のできない人のための施設である」「専門的な介護は不要だが、歩行や衣類の着脱など日常生活の支援が必要な人を介助するスタッフがいる集合住宅が、アシステッド・リビング(Assisted Living )である」「さらに、介護も介助も不要だが、一人暮らしをしたくない人向けの集合住宅がインディペンデント・リビング(Independent Living)である」。
「三つの住居形態が同一敷地内にひとまとめになったものが、CCRC(Continued Care Retirement Community、継続介護付きリタイアメント。コミュニティ)である」
「アメリカが日本と異なるのは、国による介護保険が存在しないことだ。シニアは、民間保険会社の高額な長期介護保険に加入するか、加入せずに、必要なときに高額な費用を支払うかのどちらかとなる」。
「CCRCは、従来のインディペンデント・リビング、アシステッド・リビング、ナーシング・ホームそれぞれ単独では提供できない『継続介護の提供』と『金銭不安の解消』というシニアのニーズに応えて増えてきた」「だが、新規参入が増え、これらのサービスが当たり前になると、入居者のさらなるニーズに応えなければ、市場競争に負けてしまう。その差別化の方向として、ホテルスタイルの高級なもてなしサービスを重視した『ラグジュリー型』と、大学との連携で知的な楽しさの提供を重視した『カレッジリンク型』が登場した」。
「03年11月、フロリダ州タンパのそばのリゾート地サラソタに、新しいCCRC『グレンリッジ・パーマー・ランチ』がオープンした。・・・・・・これまでのCCRCと大きく異なるコンセプトで作られた全米初の『ライフ・フルフィリング・コミュニティ(LFC)』である」「端的にいえば、現在および近未来の入居者ニーズに対応する内容となっていることだ。つまり、継続介護サービス、ラグジュリーな生活支援サービス、学習機会など全てが含まれ、その質がさらに向上したものになっている」。
「このLFCの先はどうなるのだろうか。それは、究極、新しいコンセプトの『街』に向かうだろう。これまでの街と大きく異なる点は、人やモノのエイジング(加齢)が高度に考慮された、極めて『エイジング・フレンドリー(加齢にやさしい)』な街だということだ」。
カレッジ・リンクという『知縁型』ライフスタイル
「カレッジリンク型シニア住宅とは、大学のキャンパス内あるいはキャンパスからそれほど離れていないところに立地し、大学と連携して運営するものをいう」「運営方法は多種多様で最も多いのは、シニア住宅の運営者であるNPOと大学が提携する形態だ」「何から何まで一方的にサービスを与えられるだけの環境にいると、人は駄目になっていく。カレッジリンク型の良いところは、入居者が学習プログラムで頭を使うだけでなく、学習プログラムの運営や関連スタッフとのコミュニケーションでも頭を使う仕組みになっていることだ」。
「人生のスタート地点である大学と終着地点のような老人ホーム。一見、相容れないこの二つを結びつけたのがカレッジリンク型シニア住宅だ。アメリカも日本も大家族が崩壊し、核家族が当たり前の社会。そこでは、世代間の交流は断ち切られている。しかし、この断ち切られた交流を復活させるのが『知縁』の力であり、その交流の場がカレッジリンク型シニア住宅なのである」。
終章で村田氏は、パーソナル・コンピューターの父と呼ばれるアラン・ケイの言葉を引用する。
「未来を予想する最良の方法は、それをつくることだ」
本書での提案はどれもつくり出せそうなものばかりだ。何かにチャレンジしたい気がしてきた。
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