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藤原和博著『坂の上の坂』(ポプラ社)

Sakanouenosaka

坂の上の坂

 藤原和博著『坂の上の坂』(ポプラ社、2011年11月25日発行)を読んだ。

 藤原氏は「はじめに」でこの本を書いた狙いを語る。

 「坂の上にあるのは、『坂の上の雲』の時代のような、ぼんやりとした『雲』ではもはやないのではないか」「待ち構えているのは、実は『雲』ではなく、次の新たなる『坂』なのではないか」。
 「私は、『坂の上の坂』を上るには、そのための準備が、新たな心構えが必要な気がしてなりません」。
 「私たちは、過去に生きた世代とは、違う生き方を求められているということです」。

 「『坂の上の坂』世代では、人生は大きく二分されていくに違いない、と想像しています。これからやってくる『坂』の存在にいち早く気づいて準備を始め、50代から『上り坂』を歩む人と、残念ながら、ひたすら『下り坂』を歩む人です」
 「本書は、『坂の上の坂』を意識し、上り調子に坂を上り、これからの時代にふさわしい」 人生を歩むためには何を準備しておけばいいのかを、みなさんと共に準備するために生まれました」。

 「40代から50代のどこかで意識を転換できたなら、あとはうまくいくのではないか。私はそう考えています」。

 藤原氏は1955年東京生まれ。1985年東京大学卒業後、株式会社リクルート入社。1996年より同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。

 杉並区立和田中学校校長時代に[よのなか]科という授業を推進し注目を集めた。
 
 全国[よのなか]科ネットワークのホームページによると――。
▼[よのなか]科とは?
 元 東京都杉並区立和田中学校校長の藤原和博氏が提唱している「学校で教えられる知識と実際の世の中との架け橋になる授業」のこと。教科書を使った受身の授業とは異なり、自分の身近な視点から世界の仕組み、世の中の仕組みなど、大人でも簡単に答えを出せないテーマ(「ハンバーガー1個から世界が見える」、「模擬子ども区議会」、「少年法の審判廷ロールプレイング」など経済・政治・現代社会の諸問題)を扱う。授業の特徴として藤原氏は以下の特徴を挙げている。

(1)ロールプレイやシミュレーションなどゲーム的手法によって子ども達の主体的な学びを創造する。
(2)大人も授業に参加することで、ともに学び合う力を付ける。
(3)カリキュラムの目的に沿ったゲストを迎え、生徒の思考回路を刺激し、ときに通常の授業では得られない種類の知的な感動を与える。

 その彼が、今度は、40代、50代に向けて、「坂の上の坂」の時代にどう生きるべきかを提言する。

 これは面白いのではないか、と思い、この本を手に取った。

 彼は自らの今の活動について次のように言っている。
 「40歳のとき、まだ幼かった3人の子どもを養う身ながら、リクルートを退職。新しい時代に向けて、サラリーマンではない新しい働き方を自ら実践しようと、個人と会社で対等なパートナー契約を結ぶフェローになります。成熟社会に向け、関心をを持っていた住宅、介護を中心とする医療、教育分野で新規事業を模索することが、私のミッションでした」。
 「そしてその延長上に待っていたのが、東京都では義務教育初の民間人校長就任でした。私は47歳で、東京都杉並区立和田中学校の校長になりました。5年後に退任してからは、和田中で成功した教育改革を全国に広めることができないか取り組みを進めていく一方、これからの個人はどのように生きていくことができるのか、生きていくべきなのか、大震災の被災地支援も合わせ、模索しています」。

 彼の中では教育改革と、「坂の上の坂」の生き方は、つながっているようだ。

 
 藤原氏は、1996年、40歳のときに18年間勤めたリクルートを退職し、「フェロー」という立場で仕事をすることになった。「フェローとは、いったん会社を辞め、改めて個人として会社と対等の契約を結び、共同事業をすることです。『客員社員』とも訳され、社会的な身分は自営業者、ということになります。権力や保障はありませんが、かわりに時間的な拘束から解き放たれます」。

 そのときの心境が、「定年後」にも参考になる。

 「これからは自分を強制する存在はなくなり、時間も完全にフリー。すべてを自分でコントロールすることが求められます。すべては自分次第。これこそが、私にはある種の恐怖に思えたのでした」。
 「もし、あなたが組織を離れることをちょっとでも頭に描いているのであれば、むしろ、会社を離れた自由さに、本当に耐えられるのかが問題です。サラリーマンは、この現実を知り、自由になる恐怖に打ち勝つための事前の対策を打っておいたほうがいい」。

 かといって組織にい続けるリスクもあるという。
 「企業の中では一般的に、偉くなればなるほど、本来の自分の仕事や、やるべき仕事、やりたい仕事から遠ざかっていくことになる。このことは結果として、大変なリスクを定年までに背負い込むことを意味します」。
 
 管理職になると、①接待や部下との同行営業②部下の査定や人事の問題③会議とその根回しに、自分の時間の6~7割が費やされるとし、藤原氏は、「接待、査定、会議の頭文字をとって『SSK』と呼んでいます」。

 「皮肉なことに、デキる人が出世してSSK比率が高まっていくと、本来の仕事をする時間がどんどん減っていきます。上手くなっていくのは、『会議の進め方』や『責任の逃れ方』ばかり、なんてことが起こりうる。こうして、下手をすると、見る影もないような仕事のできない人になっていくのです」。

 生き方を大きく変えざるを得ないのは、「日本がやがて成熟社会になる」から、と藤原氏は解説する。

 「成熟は、単に経済の成熟や高齢化を指すだけではありません」「これをやっていればいい、というみんなが追いかける一般解や目標には、あまり意味がなくなってくる。自分が何を追いかけたいのかが問われてくるのです。そうなれば、一人一人は間違いなく『考える』ことを求められるようになります。すなわち自分で考えること、『哲学』が必要になってくる」。

 「高度成長期には会社が成長し、ポストが増え、多くの人がこの流れに乗ることができました」「しかし、右肩上がりの『成長時代』が終わり、『成熟社会』がやってきて、その恩恵にあずかることができない人が増えることになります」「みんなで幸せになれる成功モデルは、もはやなくなった。しかし、それに代わるモデルは、誰も提示してはくれません」「もはや個人はそれぞれの価値観で、独自の幸せを追求していかないといけない」「人生の正解なんてない。自分で納得できる解――納得解を作り上げるしかないのです」。

 会社にいるときに、具体的にどんな準備をすればいいのだろうか。
 「『組織内自営業者』という考え方を意識してみてほしいのです」「組織内で自営業者のような存在になるためには、特化したスキルセットを持っていればいいということ」「組織内自営業者になろうという意識を持つと、会社ほど自分の能力が磨ける場所はない、ということに気づきます。給料をもらいながら、自分を鍛え上げてくれるのが会社です。企業は個人にとって、最高の修行先、つまりビジネススクールになるのです」。

 「企業内自営業を目指すときに重要なことは、会社と自分の『ベクトルの和』を最大にしよう、と心がけておくことです」。

 「報酬を極大化していく、という従来型のサラリーマン的な選択もあると思います。ただ、この選択をするのであれば、他の価値は一切捨てないといけません。個人のパワーを磨くことができないというリスクも引き受ける必要がある」。

 本書は後半で、組織的自営業者になるための具体的な方策を伝授する。

 「出世」という従来型のサラリーマンの価値観をどこかで捨てることができるのか。組織内で地位を向上していくことではなく、むしろ現場で力を発揮して自己実現を目指すと言っても、男社会では、それは「負け惜しみ」ととられないのか。

 坂の上の坂を上り切るには、他人の目や評価とは別の自分の価値観で生きるという強い覚悟が必要な気がする。

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