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森村誠一著『老いる覚悟』『五十歳でも老人 八十歳でも青年』(ベスト新書)

Oirukakugo

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老いる覚悟、五十歳でも老人 八十歳でも青年

 森村誠一著『老いる覚悟』(2011年5月20日発行)、『五十歳でも老人 八十歳でも青年』(2012年3月20日)(ともにベスト新書)を読んだ。

 『老いる覚悟』のレビュー。

 森村氏は、人生を大きく3つの時期に区分する。

 第一期は仕込みの時代―学生時代。
 第二期は現役時代―社会に参画する時代。
 第三期がいわゆる老後、余生。

 「第一期から第二期へ、仕込みから現役へ移るときに、人生の方向づけをする必要がある。…昭和以前、人生のスタートラインに立つのは、この1回でよかった。ところが、現代は第三期の老後についても、決断する必要に迫られるようになったのである」。
 「二度目のスタートラインは一度目に比べて、両親、恩師、先輩のような支援者はいない。会社や組織の厚い傘の下から、自由の荒野へ大海にたったひとりでとび出すのである」。

 「定年後、第二の人生のスタートラインに立って、『これから自由にしなさい』といわれたとき、そこには、『何をしてもいい自由』と、『何をしなくてもいい自由』がある」「『何をしてもいい自由』とは、自分の夢を実現したり、新しいことに挑戦することである。会社、組織でのしがらみを捨てて、未知の分野に進む覚悟である」。
 「『何もしなくてもいい自由』とは『何をしてもいい自由』とちょうど正反対で、社会とかかわりを持たず一日中ひとりでテレビを見て暮らすような、本当に何もしないことである。夢を適えるでもなく、新しいことにも挑戦しない。日々をあるがままに過ごすことをいう」。

 「どっちを選んでもいいよといわれると、『何もしなくてもいい自由』を選ぶ人が多い」「会社、組織を退職した人、特に一流会社の、いい地位で定年を迎えた人は、『何もしなくてもいい自由』を選びがちである」。

 「老後のスタートラインに立ったとき、今度は、量より質になる。ここからは『クオリティオブライフ』が求められる」「質とは時間の遣い方に無駄がないということである」。
 「余生でもっとも覚悟しなければならないことは、時間を無駄にしないことである。これからの時間を、どのように有効に使うかを考えることである」。

 さて、具体的に時間をどのように使えばいいのか。森村氏はさまざまな提案をする。

 「余生とはいえ、無駄な時間などない。ではどうするか。日々の予定表を作ることを勧めたい」「自分で決めた『やらなければならないこと』が明確になると、日常生活に緊張やルールが生まれる」「予定表を作ることは。後半の人生をより充実したものにしてくれる」。

 「『年寄りの冷や水』は大いに浴びろというのが、わたしの持論である」「自分が設定した目標に向かって進めばいい。そしてできる限りのことをして無理だと判断したら、さっさとやめて次の目標を探せばいいのである」。

 「高齢者が新しいことをはじめるには何がいいかと聞かれたら、私は俳句を推薦する」「俳句は、歳をかさねたほうが上達が早い。凝縮の文学だからである。凝縮のためには、源資が多いほうがいい。源資は俳句を作るうえでの言葉や体験の貯金であるから、歳をかさねるとともに増えていくので、人生経験は多いほうがよい」「最近では俳句に写真を組み合わせたこの写真俳句を提唱している」。

 「人間は往々にして年齢を理由にして新しい挑戦をしない」「しかし、わたしは自由な、そして限られた余生だからこそ自分のやりたいこと、新しいことに挑戦すべきではないかと思う」。

 「未来の可能性に気づいていない人たちは、肉体が老いるとともに心も比例して老いていく。無限の可能性を追い求めていれば、肉体的には老いていくが、心は老け込まない」。

 「生涯現役でいく覚悟というのは、人間関係を絶やさないということに尽きる」。
 「自分は歳をとったな、年寄りになったな、と思った瞬間から老いの坂を転がりはじめる。これは止めることができる。もう一度、仕事だけでなく趣味でもいい。自分はまだまだできるな、と思い直すのである。すると、転落が止まる」。
 「生涯現役でいく覚悟ができている人間を区分してはならない」。
 「長寿化しつつある今日では、より一層現役時代に余生の備えをしておかなければならない」。


 『五十歳でも老人 八十歳でも青年』のレビュー。

 『老いる覚悟』で伝え切れなかった部分を詳しく論じており、説得力が格段に増している。

 第三期(老後、余生)については自分で路線決定しなければならないが、「その路線決定は60代に突入する前にしておくべきである」と森村氏は言う。「定年退職後に途方に暮れないよう、50代も後半に入ったら、その準備をはじめるのが賢明でである」。

 「これまでは、人脈や権力というものを会社のためにしか使ってこなかった。これを定年間近になったら、自分のために使ってしまう」「蓄積されているパワーやノウハウを、リタイアする者が余生のために利用すれば、強力なOBやOGとなって、かつての在郷軍人的な予備兵力として会社をバックアップできる」「定年になって、『はいさようなら、ご苦労様でした』と肩をポンと叩かれて、ぽいと押し出されて途方に暮れるより、その2年ぐらい前から強力なOB、OGとして会社ににらみをきかせる準備をしておくべきである」。

 森村氏はさらにリタイア後の人生を、4期に分けて考えることを提案する。
 60代 シニア年少
 70代 シニア年中
 80代 シニア年長
 90代以降 スーパーシニア

 「まず、60代は、まだ老人とはいえない感がある。・・・『シニア見習い』である」「リタイアしたばかりの60代前半の場合は、現役時代の尻尾を切り落とすことを忘れてはならない」「1社で定年まで勤めあげた人の場合、40年前後在籍したことになるが、なんらかの肩書きを持って退社することになる。中途入社であっても、それなりの業績をあげれば、『長』という尻尾を持っているはずである」「しかし、いったんリタイアしたら、その『長』を切り落とさなければならない。そうしないとシニア社会に入っていけない」。

 「60代くらいまでは、過去の栄光の余韻がある程度残っている。昔の仲間も、その多くがまだ元気である。ところが70代に入ると、その仲間たちが櫛の歯が欠けるようにいなくなり、人脈が細くなっていく」「こうした悪条件の克服が70代のテーマとなる」。
 「その第一は、新たな人脈の開拓である」「特に異性の存在は大きい。自分を取り巻く人脈に、異性がいるのといないのでは大きく違う」「同性とは価値観の異なる異性文化というものは、老後においてはことに大きな影響を及ぼす。それに触れることによって、こういう生き方があるのだ、あのような人生もあるのだと、新たな発見をする人が多い」。
 
 「80代に足を踏み入れたら、そろそろ身辺整理に入りたい」「身辺整理をすると、身軽になるというよりは、見通しがよくなる感じがする」「死後に骨肉の争いを起こさないためにも、遺言書をきちんと用意しておく」。

 「90代以上は、毎日感謝して生きることが大切であろう」「社会や他人との関わりや、それに対する配慮は80代までにきちんと行っているのだから、『ああ、まだ今日も生かされているな』と思って過ごすだけで十分である」。
 「90歳まで生きたらどんな死に方をしてもいいという悟りを開いた人が、スーパーオールドたりうる。なすべきことをしてスーパーオールドになったら、のたれ死にしようと、腹上死しようと、それも天寿である」。

 第5章「死ぬための準備と覚悟」は、森村氏自身が実践しているのではないか。とても説得力がある。
 「人生は移動である。空間だけでなく、時間も移動する。時空いずれの旅にも旅支度は必要である」。
 「手はじめは身辺整理。身近なところからはじめるのが原則である」「最初に処分すべきものは、自分にとって存在価値が少ないだけでなく、存在するだけで不都合、他人の迷惑になるもの。単なる不用品ではなく、配偶者や家族に見せたくない類のものを、まず処分する」。
 「整理に熱中しすぎると、整理をするために生きるヘボ将棋のようになってしまう」。

 「最近は、自分が死んだら散骨してくれという人もいる。本人はそれで満足かもしれないが、結果的に家族や子孫には何も残らない」「死を私物化している発想である」「人間は時系列でつながっている。後世の人間は、自分の先祖がどんな人だったのか知りたいものである。ところが散骨で遺体を“雲散霧消”してしまったら、故人の手がかりはなくなり、子孫は木の股から生まれたような存在になってしまう」「墓所は、生者と死者の交流するサロンである」「死を私物化するということは、歴史を切断するということでもある」。

 人生、老後をマクロで捉えられる、良い本だった。

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