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河内孝著『自衛する老後~介護崩壊を防げるか』(新潮新書)

Jieisururogo
自衛する老後

 河内孝著『自衛する老後~介護崩壊を防げるか』(新潮新書、2012年5月20日発行)を読んだ。

 「序 答えは現場に埋まっている」に本書のエッセンスが詰まっている。
 「おむつを外し、自分の足で歩き、自分の口で食事ができるようにする、つまり『普通の生活に戻る』ための自立支援を進めている施設も増えている。医療機関と連携して認知症を研究しながら『治る認知症』、『収まる異常行動』に取り組んで成果を上げている施設がある。医療と研究から介護、養護まで、さまざまな福祉ニーズに切れ目なくこたえるコミュニティーを独力で築き上げた民間の医師もいる」
 「徹頭徹尾、介護を必要とする側に立って活動する人々がいることを、読者だけでなく全国の介護関係者に知ってほしい。そしてぜひ真似をしてもらいたいと思う。彼らの挑戦は、荒海を行く船に航路を示す灯台のように、『自衛する介護』の道しるべとなるだろう」。

 河内氏といえば、メディア論の第一人者、と思っていた。
 『次に来るメディアは何か』(ちくま新書)では、「メディアコングロマリット化」という近未来のメディアのあり様を示していた。

 ところが、今度は、『自衛する老後』。河内氏はこの分野、詳しいのだろうかと疑ったりもした。

 しかし、実は介護・福祉分野もご専門だったのだ。

 「私は2006年に新聞社を退社した後、特別養護老人ホーム(特養)を中心とした全国老人福祉施設協議会の理事を、2008年からは外国人看護師、介護福祉士候補者の窓口である国際厚生事業団の理事を務めてきた。福祉関係の大学で、『国際比較・福祉研究』という授業も担当している」。
 
 「北海道から九州まで福祉の現場を訪れ、困難な状況下で高齢者、障害者の介護に一生をささげている素晴らしい男女に出会えた。何ものにも代えがたい財産を得た思いだ」。

 「しかし同時に彼らが真剣に、ひたむきに働くほど理想と現実の亀裂が広がり、現場の想いが踏みにじられてゆく有様もみせつけられた。その度、「この国の高齢者福祉政策は、どこかで軸足をたがえてしまったのではないか」という思いに襲われる。

 「ひと言で言うならスタンスの問題、つまり制度と運用が『予算を管理する側』『介護保険を運用する側』の論理と都合で組み立てられているからだ」「少なくとも、介護保険法が国民に約束している、要介護者に、『その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう』なサービスが提供されているとは思えない」。

 「実際に行われているのは、『与える側』の許容範囲内でのサービス提供なのだ」。

 「だからといって、この事態を招いた責任をすべて、政治や行政側に押し付けるのはフェアではない。私たちにも責任がある」。
 「第一は、介護サービスの提供と負担のバランスを直視して、必要な結論を出してこなかったこと。つまり負担増(保険料引き上げ、あるいは増税)を受け入れるのか、それとも低福祉生活に耐えるのか、その選択と決断を避けてきたことである」。
 「第二に、ほとんどの人が自分なりに考えた老後設計を持たぬまま心身が衰え、介護生活に入ってしまうことだ。これでは行政や、ケアマネージャーが提供するプランを丸呑みするしかなくなる。しかし、自分の気持ちを自分以上に知る人はいないし、ましてや誰も一緒に死んではくれないのだから老後を人任せにしてはいけない。自分で考え、要求し、闘いとらなくてはいけないはずだ」。

 「子供たちに親をみる気持ちはあっても経済力が伴わない、そもそも少子化で子供の数自体が大幅に減少している。だから現在60代半ば団塊世代以降は、好むと好まざるとにかかわらず、『自衛する老後』という道しか残されていないのだ」。

 「すべての問題は現場にあり、答えもそこに埋まっている」「介護保険制度の様々な問題を、学者の机上論でも官僚の政策論でもなく、現場の介護職の人々とともに考えてみたかった」「その中から、『自衛する老後』のヒントを発見していただければ幸いである」。

◇  ◇  ◇
 介護の現場で活躍する人としてまず紹介されるのが、国際医療福祉大学大学院、竹内孝仁教授だ。
 おむつ外し、自力歩行、経管栄養や胃ろう装置を外すこと――を目標とした、介護力向上講習会を年6回開いている。
 「プロって何だ? 専門家と専従者の違いだ。医者が尊敬されるのは、専門の技術がなければできない仕事をするからだ。人は、大変だが、誰にでもできることをやったからといって、感心はしても尊敬はしてくれない。人にできない技術を持って初めてプロの介護職になる。プロを目指してくれ!」ということばに、竹内氏の目指すものが凝縮されている。  
 「近代医療技術は人工呼吸器など先端装置を開発し、鼻や胃から管で栄養液を注ぎ込み延命を図ってきた」「竹内イズムは、この発想をひっくり返す。自力更生でおむつをとり、自分で歩いて、口から食べる元の生活に戻ってもらおう、というのである」。
 「医療の側は、医療上の理由があって胃ろうをつけたんだろう。ならば介護の側は、それを外して常食に戻す理由がある。これが差のつく、クオリティの高い介護だ」。

 竹内教授は、認知症に関してもユニークなケア理論を提唱している。
 「認知症は医学的な治療方法が確立されていないのだから、家族、介護者を最も困らせる異常行動が起こる仕組みを解明して、有効なケア方法を見つけ出すことが先」という実用的な理論である。

 竹内イズムを実践する施設も増えている。
 その一つが世田谷区の特別養護老人ホーム「きたざわ苑」だ。
 「心臓疾患や、脳卒中の治療を受けて病院から介護老人保健施設(老健)や特別養護老人ホームに移って来た人の多くが全介助、つまり自分では歩行はもとより、食事もできずに経管栄養という人が多い。そのような入居者であっても『きたざわ苑』では、初日から(事前に家族に通告、了解を得たうえで)おむつを外し、特別の事情がない限り、リハビリ室で職員2人が付き添い、器具につかまってのつかまり立ち訓練を行う。5秒間つかまり立ちができたら、翌日からサークル状の歩行器に移る」。
 きたざわ苑は2006年から「在宅入所相互利用」、通称ベッドシェアリングと言う新しい取り組みも始めている。
 「施設のベッド1床を3人の人が3~4ヶ月交代で使うというもので、ショートステイのローテーションと考えてもいい」「きたざわ苑では、このプロジェクトを『単に長いショートステイ』から質的に進化させている。3ヶ月の間に入居者の自立度を高めて『安心して家で暮らせるようにして、家に帰ってもらおう』と考えた」「家族としても、在宅介護が限界となっている原因が解消されるなら、家に帰ってきて欲しいだろう。歩行障害、排泄、食事の介助、そして認知症に伴う様々な異常行動など、生活上の問題を少しでも改善したうえで家へ帰ってもらう」。

 愛知県豊橋市に福祉村を作り上げたのが、山本孝之医師だ。
 「野依地区にある丘陵一帯の約3万坪が山本先生の治める“領地”である」「社会福祉法人の施設としては、特別養護老人ホーム(定員120人、以下同)、軽費老人ホーム(100人)、ケアハウス(16人)、障害者施設、授産施設(入居、デイサービス110人)がある。医療法人の方は、福祉村病院(療養型医療病棟261床)、介護老人保健施設(100人)。この他に付属施設として認知症研究のための長寿医学研究所、神経病理研究所が並んでいる」
 「高齢者、特に認知症患者は、環境の変化に極めてぜい弱だから、病院、老健、グループホームなど、施設を転々とすることは避けたい。また、日常生活の自立能力を高めるには、菜園や運動場など野外で軽い運動をする空間も必要だ。このように医療から介護まで必要な機能を1ヶ所にまとめ上げるためには、余裕のある敷地内に多くの機能を集約する必要がある。福祉村構想はこうして生まれた」。

 熊本県で大学病院と地域病院、介護施設とのネットワーク「認知症疾患医療センター」作りを進めているのが、池田学・熊本大学大学院教授(神経精神医学)だ。
 「認知症の診断から治療、介護のパターンは次のように進むのが理想的だという」「早期発見→早期診断→鑑別診断→異常行動(BPSD)治療→身体合併症のマネージメント・ケア開始」「なぜ、この流れが理想的かというと、一口に認知症といっても症名や病態が多岐にわたっていて、それぞれに原因も違えば、対処方針も異なるからだ」
 「しかし残念ながら、現実の動きはそうなってはいない。現在、250万人近くいる認知症患者の多くは、専門医による精密診断を受けないまま自宅やグループホーム、介護施設で暮らしている」。
 「認知症に対処するには、何よりも早期診断プラス医療と介護側の連携プレーが大切である」。

◇  ◇  ◇
 本書は単に現場のルポをまとめているわけではない。
 現場からつかみとった介護保険制度下のさまざまな問題に深く切り込んでいる。
 
・「介護報酬は配置基準人員をベースに支払われるから、表現は悪いが、がんばる施設ほど『自分の首を絞めてしまう』のだ」「機械的におむつを替え、寝かせきりにしている施設ほど少人数で済み、コストも安上がり、つまり収益が出る」「逆に、意欲を持って自立支援に取り組んだ職員、職場を評価する基準はない」。

・「単純化すると在宅介護は、『家庭教師型』であり、施設介護は『塾型』といえる。とりあえず優劣の議論はおくとしても、どちらがコスト高であるかは子供でも分かる。在宅介護推進は、逃れようのない家族介護と予算の肥大化を覚悟しなくては選択できないはずだ」。

・「介護保険総費用は、開始時(2000年)の3.6兆円から11年間で8.3兆円と倍以上に増えている」「年間8.3兆円(2011年度)もの膨大なコストは、誰が、どのように負担しているのだろう。介護保険財政は、利用者が1割負担した残りを保険料と税で折半することになっている」「費用はかさむ一方だから月額2911円で始まった1号保険料は、3年後との改定の度に上がって2009年度には4160円(全国平均)となった」「今回の改定では、多くの自治体で壁といわれた5000円の大台を突破することになる」「介護保険は、支給対象が65歳以上で、このうち介護認定をとり、実際にサービスを受けている人は13.8%(2010年)。つまり10人中8人は掛け捨て状態といえる。こうした中では、保険料値上げには限界があるだろう」「膨張を続ける介護保険費用に応じるためには、大幅な給付の削減か、消費税増税、並行して本人負担額を増やしてゆく以外、答えが出ない」。

・「もともと社会保障関係費28.7兆円(2011年度)に占める介護関係費の割合は8%にすぎない。36%を占める年金、29%を占める医療費、社会福祉費(15%)、さらに急増している生活保護(9%)などの下位にある。これらを考えると、介護保険制度を維持するためには、5%程度の消費税増税ではとても足りない」。

・「介護保険制度を今の形で維持しようとすれば、保険料も税投入も増やしていくしかない。消費税が10%台を超えて20%台に近づくこと、保険料も限りなく1人1万円に近づいていくことを覚悟せざるを得ない」「その時になってあわてても遅い。国民、とりわけ65歳以上の人たちは、声をあげ、与野党を追い込んで原稿負担水準で介護保険制度が維持できる対案を要求しなくてはいけない」「たとえば介護保険会計の中で肥大化を続ける介護認定経費、行政事務費について厳しくチェックすることが必要だ」。

・「全国の介護施設で、高齢者の生活ぶりを自分の目で見て痛感するのは、『質の高い介護と、家族愛は両立しない』ということだ」「家族愛と科学的介護は別のもの、という意味である」「あるれる愛情があっても、いや、あるからこそ家族は認知症の肉親者に、疲れや情けなさが絡んだ感情的な対応をしてしまう。他方、経験のあるプロは対処の仕方を知っている。異常行動は不安のあらわれだから決して制止せず、感情的対応をしないで、本人と周囲の安全を同時に確保する」「ベッドから車いすへの移乗、床ずれ対策などの作業は、いくら愛情があっても素人よりノウハウを持っている専門家に任せるべきだ」。

・「厚生労働省は2011年になって、全国のモデル地区で利用者45人に対して介護職、看護師など26.5人体制で『24時間地域巡回訪問サービス』を行う、と言いだした。2012年度から実施地域を広げるという」「利用者一人当たりの要員を1.7人と計算しているが、職員募集をはじめ、莫大なコストをどうやって賄うのだろう」「この計画の真の狙いは、いずれ要介護者に自宅を出て地域内のサービス付き高齢者住宅に住み替えてもらうことにある」「高齢者にとっての難点は、住み慣れた家から引っ越さなくてはならないこと、家賃、管理費で都市部では月額20万円近くかかることである」。

・「介護職員の増加は、身分保障のない非常勤(パート)によって支えられている。彼ら彼女らは当然ながら、他産業の自給が上がればそちらに流れていくだろう。こういう人たちに、これまで紹介したような高い水準の介護を望むのは無理というものである」「2009年に鳩山政権が打ち出した新成長戦略は、医療・介護の分野では規模の拡大、民間からの積極的参入で45兆円の新規市場と280万人の雇用を生み出す、と想定している」「産業育成に力を入れることは大いに結構なのだが、それを支える労働基盤があまりにも脆弱なのだ」

・「社会福祉法人が経営する特養は行政の要請に応じて作られるから、建設費に補助金が出る」「社会福祉法人には独立行政法人『福祉医療機構』が低利で融資してくれるし、県単位の社会福祉協議会が利子補給もしてくれる」「一方の有料ホームは、土地購入費、施設建築費、運営費のすべてを入居者からの一時金と月額管理費、事業体の借金で賄わねばならないから、それが料金に反映される」。

・「介護市場にも経済の原理が浸透し始めた。つまり、供給側の増加と競争が業界再編を促し、淘汰を繰り返すことで最終的には規模の論理が働いて集中と寡占へと向かうだろう」「産業基盤の環境変化を受けて介護施設、有料ホーム、在宅サービスの関係を整理統合して新しい介護サービス供給体を作り出そうという『第三の道』論が生まれている」「本来、介護保険法が制定され措置から契約関係となり、ビジネスモデルが一変した時に医療、老健、有料ホーム、在宅介護など、サービス供給体制も整理・統合し、再編成されるべきだったのである」「この中で、民間の介護サービスと公共性の強い特養を歩み寄らせ、低料金で安心を提供する『国民共有・介護の家』(新型特養)作りを目指すべきだと考える」。

・「社会福祉法人の経営形態を、より自由度の高い企業形態に変革することが必要になる。構想を具体化するうえで、鳩山内閣当時、『新しい公共』円卓会議で提案された『社会事業法人』というビジネスモデルが検討に値する」「有料ホームを経営する民間会社も社会事業法人に転換することで、『新しい公共』の一翼をにない、一定の優遇措置を受け、より使いやすい料金でのサービス提供が可能になる」

・「ただし制度改革といっても、人口減の続く地域では、そもそも民間企業の参入意欲が薄い。こうした地域においては、また低所得者へのセイフティーネットとしても社会福祉法人、従来型特養、養護老人ホームの機能と役割が残るだろう」「他方、一部の富裕な高齢者が介護保険の世話にならず、ハイグレードなサービスを求めて超高級老人ホームに入るのも自由である」「『国民共有・介護の家』が目ざすのは、その中間、都市圏、地方の中核都市で急増している年金収入額300万円前後の高齢者のための『安心の場』作りなのである」。

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