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赤瀬川原平著『老人力 全一冊』 (ちくま文庫)

Rojinryoku
老人力

 赤瀬川原平著『老人力 全一冊』 (ちくま文庫)を読んだ。『老人力』(1998年9月10日発行)、『老人力②』(1999年9月10日発行)を合わせて文庫化し、2001年9月に発行されている。

 インターネットで「老人力」を調べると、はてなキーワードに次のような解説があった。

 加齢による衰えを肯定的に捕らえる言葉。慣用句として「最近あなた耳が遠くなったわね」「ほう、ワタシにも老人力がついてきたようだな」というように使う。1998年流行語大賞」。

 もっともらしい説明ではあるが、「老人力」というのは、何よりも、みんなが老人を考え、老人というものを議論するきっかけになった、極めてインパクトの強い言葉である。流行語になるなかで、徐々に老人力の新たな意味が備わってきた、あるいはその後も、意味が加わりつつある言葉である。

 『老人力』のなかから、老人力が最初、どのようなシチュエーションで使われ、それにどんな意味が加わっていったかを見ていこう。


 赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊ら数人で構成するサークル、「路上観察学会」で話をしているときに、人の物の名前が出てこないことが多くなってきたという。互いに言わんとしていることは分かるのだが、名前が出てこない。
 
 「歳をとって物忘れがだんだん増えてくるのは、自分にとっては道の新しい領域に踏み込んでいくわけで、結構盛り上がるものがある」『宇宙船で人生に突入し、幼年域―少年域―青年域、と何とか通過しながら、中年域からいよいよ老年域にさしかかる。そうするといままでに体験されなかった『老人力』というのが身についてくるのだった」「それがしだいにパワーアップしてくる。がんがん老人力がついてきて、目の前にどんどん『物忘れ』があらわれてくる」。

 赤瀬川氏だけが還暦を迎えて、路上観察学会で「ボケ老人」と呼ばれている。でも「やはり長老(ぼくはこの仲間内ではそう呼ばれている)をボケ老人と呼ぶのはちょっとまずいな、自分たちも無縁ではなくなってきているし、みんなどうせボケでいくんだから、もうちょっと良い言葉を考えよう」「ボケ老人というと何だかだめなだけの人間みたいだけど、ボケも一つの新しい力なんだから、もっと積極的に、老人力なんてどうだろう。いいねえ、老人力」ということになったらしい。

 「とにかくあらゆる苦労の末にやっとなるのが老人である」「そういう貴重な得難い老人力なんだけど、意外とみんなに嫌がられている
 「老人力の特徴としては物を忘れる、体力を弱める、足どりをおぼつかなくさせる、よだれを垂らす、視力のソフトフォーカス、あるいは目の前の二重視、物語りの繰り返し、等々いろいろあるが、それをみんな嫌がる」。

 「老人力のまだない若年時代は、やはりどうしても論理に従う」「でも老人力がついてくると、まあいっか、というのが基本だから、論理で怒られたって別にいいというアバウト感覚で、芸術より趣味、思想より好き嫌い、平等よりエコ贔屓の路線で行けるようになる」「つまり理屈の正しさよりも、自分の感覚がいちばんということ」。

 「まず老人力元年はいつかという問題。まあこれは、言葉としては…1997年としていいだろう」「でもそれに至る兆候はその前からちくちくとあるわけで、だらだらとあるわけで、それはいつごろからなのか」「一つぼくが思ったのは温泉ブームだ」
 「温泉 骨董 中古カメラ パチンコ屋 競馬 要するにこれらは『おじん趣味』といわれるものだ。そこに若年層、とりわけそのリーダーであるギャル層が浸み込んできている」。

 ネットで調べると「オヤジギャルという言葉が流行語大賞で新語部門・銅賞を受賞したのが1990年。週刊誌SPAに連載されていた中尊寺ゆつ子のマンガ『スイート・スポット』からきた言葉で、年は若いがオヤジのような行動をする女性(ギャル)のことである。


 「歳をとると趣味が出てくる、趣味に向かうようになる」「歳をとると、どうしても人生が見えてくる。つまり有限の先がみえてくるわけで、その有限世界をどう過ごすかという問題になってくる」「力の限界を知って、その限界内で何ごとかをはじめると、その限界内の世界が無限に広がってくる」。

 「時代そのものにも有限の先が見えているわけで、そういう時代に生まれてくるのだから、いまの若者は既に基礎控除のようにして、みんな一律に年の功を持っているのだ。だから年齢的には若者だけれど、一気に趣味に走れる」。

 「眠ることも忘れることも、努力をもってしては到達できない。でも人間は日々眠り、日々忘れている」「眠る、忘れるということを可能にするのは、反努力の力である」「その反努力の力というのが、老人力の実体ではないのか」。

 「古いが故の快さ、人間でいうとボケ味、つまりダメだけど、ダメな味わいというのの出るところが老人力だ」。

 「老人力って、捨てていく気持ちよさを気づかせてくれるんですよ。ボンボン忘れていくことの面白さ」「情報的にスリムになると、自分が見えてくるというか、もとにある自分が剥き出しになってくる」「宵越しの情報は持たねえ、みたいな江戸っ子老人力」。

 「そもそも老人力とは、転んでもただでは起きない力のことである」「そもそも老人とは、人間が間断なくゆっくりと転んでいく状態のことなのである」

 「老人力というのは口から出たばかりだから面白いんじゃないか。路上観察学会の中で、ほとんど口から出まかせ状態で出てきて、出たはいいが、さて今後どうなるのか。自分たちにもわからない」。

 「老人力については論理的な解明を迫るよりも、まず一つ一つ現実の断片を持ってきて老人力と照合してみる。あれは老人力かな。これも老人力かな。とやっていくのが正解というか、いちばん間違いがない」。

 「老人力というのは、ある意味、田舎の力ということです」。

 「『いいや衰えない!』といって抵抗するかわりに、『これは衰えじゃなくて、力の変化なんだ』と考えるのが老人力」。

 「老人の迫力とは何だろうか。老人一人、という場合はとくにわからなかったが、老人の団塊を前にすると、何かしら『背水の陣』というものを感じてしまう」。

 「本当はブームに乗せられて知るという形ではなくて、それぞれの人生のぼんやりした空白時に、ふと気づいて欲しいのが老人力のテーマなのだ」。


 老人力。超高齢社会になった今だからこそ、老いることを前向きにとらえる老人力について改めて考えてみたい気がする。

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